8月26日(月)・27日(火)
いよいよ今日から旅行に出掛けるわけであるが、歯医者に行ったりして何の準備もしていない。弁当店で夕食を買ったりとのんびりしていたのだが、21時に東京駅丸の内北口でケン&スタッフのバイト仲間川口滋氏と待ち合わせをしていたのを思いだし、19時ごろあわてて旅行の支度をして20時ごろに渋谷のアパートを出た。
21時に川口氏と待ち合わせたのであるが、いつまで待っても来る様子はない。川口宅へ電話などしてみたが、15時には家を出たとのこと。他人の話によると、23時25分の夜行普通電車大垣行きは、2時間前には並ばないと座れないそうである。今はシーズン中ではないので、それほどではないだろうが、いつまでもここで待っているわけにはいかないだろう。
仕方がないので、21時30分頃丸の内南口のみどりの窓口へ行き、「青春18切符」を買って1ページ目に8月27日の日付をいれてもらう。これは、たった35分で1日分を使ってしまうのを避ける方法で、切符を知っている人のもはや常識なこと。つまり日付の変わる戸塚までの短距離で、1日分を使ってしまってはもったいないからである。
窓口で「青春18切符」とともに戸塚までの乗車券を買い、ひょっとと思い北口の方へ戻ってみるが川口氏はいない。改札口を通り、9番線ホームに出る。もうすでに1つの乗車口に7〜8人並んでいる。また、9番線には21時33分着の列車が回送になって停車中である。
22時23分、隣りの10番線に22時45分発の寝台急行「銀河」大阪行が入線してくる。この列車に乗れば、明朝8時には大阪に着ける。乗りたいのはやまやまであるが、青春18切符では乗車できない。
銀河が出発した後、誰かが私の肩をたたく。降り返ると川口氏であった。隣りの列に並んでいたそうだ。話を聞くと、案の定通常の列車感覚で駅へ来たそうだ。あれだけ念を押したのに、わかっていなかったとは。見ると、だいぶ後ろの方に並んでいる。私が「座れない座れない」と言うと、私の方に移ってきたいと言う。後ろの人にキチンとことわってからこっちへ移れと言うと、彼女と2人で後ろから順番にことわってやってきた。
23時07分、345Mが入線。急行型車両である。私が並んでいたのは10号車。乗るとすぐに3人で車両の真ん中あたり、海側に席をとる。相当に混んでいて、出発間際には通路にもかなりの立ち客が出た。
23時25分に発車し、最初の停車駅新橋からもまたかなりの客が乗ってきて、通路は相当の混みぐあいである。次の発車は28分後の小田原行き。おまけにこちらは急行型車両なので、余計に混むのである。この混雑は0時31分の平塚あたりまで続いた。車内は冷房がきいているはずなのだが、人いきれでけっこう暑い。
2時38分、静岡駅到着。「べんと〜」の声が聞こえてくる。電車のドアが開くとみんな一斉に降りてきて、自動販売機の前に列が出来た。ところが、私の並んだところの販売機は故障しているようで、誰がお金を入れても出てこない。つり銭切れかなと私がためしに10円玉を入れてみるがダメ。みんな諦めて列をはなれたり、もう一度ためしたりしているが、私は弁当売りのところで弁当と缶コーヒー3本を買い、席に戻る。弁当は幕の内であるが、名産のわさびもついている。包装紙を見ると「2時調理」と書いてあり、ほかほかである。
3時54分、浜松着。小田原から快速運転だったが、ここから各駅停車に戻る。ホームの隣りを貨物列車が通過していった。23分の停車時間があり、ホームでタバコを吸ったりしていたが、まだまだ時間があるので階段を降り、改札口で途中下車印を押してもらい外に出た。
まず北口へ行ってみる。コンコース(?)には、おそらく同じ電車に乗っているのであろう人々が数人うろうろしていた。北口広場は広く、タクシーが3〜4台停まっている。少し歩いてみるが、停車時間はまだまだあるのに、時間変更で発車してしまったら・・・などと考えてしまい、多少不安になる。駅に戻り、まだ人がいるのを確認して、今度は南口へ行ってみる。こちらは狭いが、デパートなどあり、北口より活気がありそうだ。などとウロウロしていたが、どうも不安が消えないので、改札口を通りホームへ戻る。
4時17分に浜松を発車。各駅に停車しながら、4時54分の豊橋まで来ると、だんだんと外が明るくなってくる。豊橋ではけっこう多くの人々が降りる。三河三谷の手前で左手奥に渥美湾が見え、また蒲郡を出てしばらくは左手に名鉄蒲郡線が併走する。
結局一晩中眠れないままに過ごしてしまい、大府を出たところで武豊線のディーゼルカーとすれ違ったりしながら、6時10分に名古屋駅6番ホームに到着した。乗客は半分程度下車。6時31分の南木曽行きに乗るため、川口氏ら2人も下車していった。6時12分、中央本線用8番ホームに高蔵寺からの620Mが到着し、彼らもこれに乗りこんだ。
6時15分名古屋を発車し、すいた車内に数人ずつ乗り降りしながら、6時56分に終点の大垣着。みんな何故か走り出す。今度乗る予定の749Mまでは12分あるのだが、どうもつられてあわててしまう。時刻表をみるとわかるのだが、2分後の6時58分に垂井行きが発車するのである。私の乗る電車は新垂井まわり。垂井の方に市街地があるのだから、みんな慌てるのは当然である。
跨線橋を渡り、2・3番ホームに下りる。749Mは2番ホームからの発車である。階段下はだいぶ混んでいたが、名古屋寄りに歩くとめっきり人が少なくなる。7時02分、3番ホームから浜松行き1528M東海ライナーが発車すると、2番線に749Mが入線してきた。
電車は大垣駅を発車すると山の中へ入ってゆき、新垂井に停車する(右上写真)。山の中の小駅という感じである。この駅はいくら待っても上り(東京方面行き)は来ないという奇駅でもある。
関ヶ原の手前で、左から東海道本線のメインルートが寄り添ってくる。そして7時47分に米原駅1番線に到着。この749Mは西明石行きであるが私は下車する。次に乗るのは8時36分の755Mである。下車したのは、この駅に食堂があると本で読んだので、朝食でもとろうと思ったから。
南口で広告だらけのバスなど写真を撮り(左写真)、駅待合所まで戻ったが、食堂はまだやっていない。仕方がないので、自販機でジュースを買って飲み、ホームへ出る。755Mは3番線発である。
ホームにいると8時15分、1番線に貨物列車が入ってくる。時刻表によるとこの列車は、昨夜23時30分(大垣行345Mの発車5分後)に汐留を発車し、明日の朝7時14分に鹿児島に着く39列車である。このあと、姫路、広島でも出会うことになるらしい。8時23分に発車していった。
同じ頃、3番線に755Mが入線する。乗ると進行左側に席をとる。ホームの向こうに近江鉄道近江線の電車が見えた(右下写真)。
755Mは8時36分に発車。彦根、南彦根と覚えているが、そのうちに寝てしまったようで、気がつくと野洲の付近であった。車内はいつのまにかすごい混みようである。守山を出てしばらくすると、左から高架線が寄ってきて合流し、草津到着。
当初ここ草津で9時40分の新快速に乗りかえる予定だったが、あまりにも混みすぎているので、このまま京都へ行くことにする。9時26分に草津を発車。駅ごとにまだまだ乗ってくる。だが、これらの客も9時40分の大津で下車してしまい、立ち客もチラホラという程度までになってしまった。9時50分京都着、下車する。
次に乗るのは10時15分の新快速姫路行きである。途中下車印をもらいに中央口へ行った(左写真は京都駅1番線)。すいた時に下車印をもらおうと思ったが、いつになっても人が途切れる様子がない。5分ぐらいたった頃ようやく一段落したので下車印をもらい、ついでにいつもこんなに混んでいるのか聞いてみる。「いつもこのくらいだね〜」とのこと。5番線へ行くと、新快速が入線したところであった。
新快速は117系。雑誌などでは見たことがあるが、初乗りである。中は黒茶っぽい色でなかなか落ち着きがある。京都を出ると次は新大坂である。
ある本の「新大坂」の項に、「通過するといえば、この駅は新快速が停車しない。東京直通のブルートレーンが通過するのは当然だろうが、新快速が通過するのはなぜか。京都―大阪間29分運転ができなくなるからか。」と書かれていたが、今は新快速がすべて停車し、それでも京都―大阪29分だ。
淀川(右写真)を渡って、その新大阪に10時40分停車する。高架下の、あまりパッとしないような駅である。そして、大阪に10時44分に着いたのであるが、人の乗り降りがあったことと、発車してから左に大阪環状線が分かれていって、福島駅がチラッと見えたことぐらいしか印象にない。もともと大阪は通過するつもりだったので、関心がいかなかったのかもしれない。というのも、なぜか大阪は怖い町という観念があって、無事に通過することのみ祈っていたからである。
この先、須磨−明石間で左手に明石海峡が見えると本で読んでいて、非常に楽しみにしていた。ところが11時12分の三ノ宮を出ると寝てしまい、須磨の2つ手前の神戸に停まったらしいことは覚えているが、ふっと目を覚ますと明石であった。肝心のところを寝てしまったのである。仕方がないので、終点の姫路まで寝ていた。姫路、12時04分着、4番線。
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