cheap the thief 1 〜旅立ちの日



 10歳のときに母親が死んだ。
 父親は顔も知らない。
 生まれ育ったマトレス村は小さいが、いいところだった。
 穏やかで、住む人はみんな優しい。

 でも、ここにいたらいけないと思った。




 その翌年。

 これでもガマンしたんだ、と誰が聞くわけでもない言い訳を自分に聞かせながら。
 本当は勇気がなかっただけなのに。
 別に行く宛てなんかどこにもないけれど。

 赤髪の少年は、自分の中に突然現れた思いつきを実行するため、サヨナラの準備をする。

 母親とたった2人だけで過ごしてきた、小さい家。
 勿論顔も知らぬ父親の思い出も刻まれているのであろう。

 この家ともサヨナラだ。

 感慨深いものも感じながら、少年は僅かな金と、母親のお気に入りだったバングルだけを持って、かつて一緒に泥まみれになりながら遊んだ友達に、「餞別だ」と言って貰ったぶかぶかな帽子をかぶった。


「シオン」

 家を出ようとした時に名前を呼ばれた。
 ふたつ年上の、憧れの女の子。

「・・・ディア」

 村に女の子は少なかった。
 そのせいか彼女は、必然的に憧れのマトだった。

 それはシオンも例外でなく。

「ホントに行っちゃうんだ」

 笑った顔が好きだった。
 可愛くて、女の子らしい声でころころ笑うから。

「冗談だと思ってたのに」

 泣きそうな顔をしている。
 別れが辛いから、彼女にだけは言わなかったのに。

 そんな顔は見たくないのに。

「そうしてあたしのことも忘れちゃうんだ?」

「忘れないよ」


 だけど。
 実際今彼の気持ちは、ここを出る事だけでいっぱいだった。

 1人でこれから何かを見つけて、すべてを1人で決めていかなくてはならない。
 彼の前には、そんな生活のビジョンが確実に広がっている。

「行かなきゃならないんだ」

 彼女は憧れだった。
 明るくて元気で。

「シオン」

 なんとなく、続きそうな言葉がわかってしまったから。
 聞きたくなかったから、振り返らないで村を出た。

「さよなら」

 憧れと好き、は違う。
 後ろのほうで、彼女の涙交じりのサヨナラが聞こえた気がした。






 マトレスの村を出た直後、幸運にも隣村まで行くという荷馬に遭遇したので、その荷台に乗せてもらって難なく隣村まで来ることができた。
 村に着き、馬車の主人に礼を言って別れ、これからのことを考えた。

 ただ漠然と、村を出ようというそれだけの決意。
 とにかく、マトレスから一番近く、交通手段のありそうな街に行こうと思っていた。

 地図を買う金さえ渋ったが、店番の可愛いお姉さんに身の上話を語ったら半額にしてくれた。

「だけどここから一番近く・・・って言ったら、やっぱりクストスかしらね」
「クストス・・・」

 なにせ小さな村だったから。
 少し遠くに離れると、途端に知らない地名になる。

「ねぇお姉さん、クストスってどんなところ?」
 店番に尋ねると、笑いながら返された。

「クストスを知らないの? すごいステキな街よ」
 彼女は自慢げに続ける。
「ウォーターフロントの街でね、街の中の移動はすべて小舟で行われるの。街の中心には大きな時計塔もあるし・・・。もちろん大きな船もたくさんくるのよ。大きな街への定期船や、貨物船・・・たくさんよ」
「大きな街・・・」
「そうね・・・。たとえば、アタランテとか・・・」
「アタランテ!?」

 シオンでも知っていたその街の名は、とても大きな、金持ちの沢山住む街。

「・・・って言っても、実際アタランテまで行くにはすごいお金がかかるんだけどね」
「え?」

 話によると、クストスからアタランテへの定期船は月に一度しか来ないうえ、『金持ちの街』というフレーズもついてまわるアタランテへの定期船は、検問が厳しく、パスを持っていないと入る事さえできない。そのパスも驚くような値段だ。

「そうなのか・・・」
 落ち込むシオンを見て、店番は彼の耳元で小さく言った。
「でもね、希望はあるわよ。アタランテの隣のヘカテって町があるんだけど、そこに立ち寄る船もあるの。それだったらパスも必要ないし、交渉しだいじゃだいぶ安く乗れるわよ」
「ほんとに!?」
「詳しい事はクストスで聞くといいわ」
「ありがとう! ・・・あ、クストスにはどう行ったら・・・」

 何せ、金が無い。
 少しでも旅の足しに、と働いてから出発すればよかったのだが。
 はやる少年の気持ちは、そこまで頭が回らなかった。

「そうね・・・そういうことなら、旅商人に聞いてみたほうがよくわかるかもね。もうすぐ広場に来る頃だと思うんだけど・・・」
「ありがとう!」
 シオンは礼を言い、広場へ向かった。


「クストスへ? そんなの船で行くのがいいに決まってるさ」
「船じゃ金がかかるだろう? オレ文無しだからさ・・・」
 商人は少し考えた後、こう言った。
「だったら時間はかかるが馬車か徒歩だろ・・・。しかしかなり遠いぞ? 船なら半日で着くが・・・」
「何日かかったって構わないさ!」

 シオン少年の意志は固かった。
 そんな様子を悟ったのか、商人は考え、ため息をついた。

「・・・仕方が無い。俺の小舟に乗せてやるよ」
「マジ!? 親父最高!!」

 シオンの明るい笑顔を見て、この子もやはり少年なんだなと、商人はふっと笑った。



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