cheap the thief 6



「『またも著名作家宅から被害! 今回も一連の事件と同一犯だと思われる』…んだよ、芸のない号外だな。売れないぞ」



 シオンは店に一組しかないテーブルセットにどっかり腰掛けて、つい先ほど配られていた号外に目を通していたところだった。
 少し古いその椅子は、シオンが寄りかかっただけでミシ、といやな声を上げた。


「号外なんだからわざわざ買うやつはいねーだろ」
「そうだけどよ…、もっとないのかねぇ。この鮮やかな盗みを、天才的と言わずして何と言う!、みたいな」
「調子こいてヘマすんじゃねーぞ。油断大敵」
「誰に向かって言ってやがる」
「自称天才の生意気な赤髪の坊や」
「ばかやろう。俺じゃなけりゃ今までの依頼は全部こなせてねーだろよ。俺だったから、まだ犯人の断定もできてねーんじゃねーの?」

 興味のなくなった号外をクシャクシャ丸めて、今ではゴミ箱と化したどこぞの屋敷から拝借した壺に投げ入れた。



「件数はもう3ケタ超えてるにもかかわらず、未だ前科ナーシ」
「通報すっぞ」
「おっさんも似たようなことやってんじゃねーの。盗品売りさばいておまんま食ってりゃよ」
「人聞き悪いこと言うなよ。俺は、ただの、質屋だ。手癖の悪い泥棒サンとは違うんでね」
「(やらしといて…)ま。これ以上こんな辺鄙なとこにいても色気もなんもねーしな。散歩でもしてくっか」
「今日は誰んとこだよ」
「スキンヘッドにゃ関係ねー」
「ったく…、女抱いてる間があったらいいもん盗んでこいっつの」






 シオンは今、3人のアリスと付き合っている。

 と言うのも、以前も同時に3人と付き合っていたことがあるのだが、ある女の子のベッドで別の名を呼ぶという古典的なミスを犯してしまったのだ。
 その失敗をふまえて、わざわざアリスと言う名の3人の女の子を見つけ出したのだ(ちなみに好みにはうるさい)。



 ヘカテの中でもわりと都会(アタランテ)寄りの通りがある。
 そこにある一軒のこぎれいな家、そこが今日のシオンのお目当てだった。


 コンコン


 木製のドアはノックの音が一番きれいに響くと、シオンは毎回思う。


「アリス」


 呼んだ瞬間、二階の窓からその家のお嬢様が顔を出した。
 ブロンドの、優しいウェーブのかかったふわふわな髪が空に映えた。

 まぁるくて大きな瞳が、大きく見開いてシオンを見下ろした。

「シオン! 一体今までどうしてたのよ、もう一週間も来なかったから心配してたのよ…。今開けるから待ってて!今日はパパもママもずっと帰らないの」

 バタバタと階段を駆け下りる音がしたかと思ったら、間もなく木製の重たいドアが開いた。
 ひょっこり顔を出したその愛くるしいお嬢さんは、アリス・テルル。


「ごめんね。あの店のオヤジ人使い荒くてさー」
「シオン! まだあんな店通ってたの!? アリスがこの前あんなにやめてって頼んだのに!」
「ごめんごめん。だけどさ、俺がいなくなったらあの店ダメんなっちゃうし…、そーゆーの放っとけないタチなのね、俺」
「…シオン、アナタはやっぱり優しいのね」

 開けられたドアの隙間から入り込んできたシオンの首に腕を回して、顔を近づけた。


「心から優しくするのは君にだけだよ」

 シオンの手が、うまくアリス・テルルの胸元に滑り込んでゆく。
 ヒラヒラした大量のフリルは、彼女の魅力を存分に引き出すのだが、今日ばかりは邪魔である。

「や…、まだ明るいわ…」
「時間なんて関係あるの? こんなにも俺は君のこと愛しているのに」
「シオン…」

 もう一方の腕で腰を抱いて、ベッドのほうまでうまく誘導していく。

「俺が来なかった一週間分、目いっぱい優しくするからさ…」



 ベッドに横たえた瞬間、今まで甘ったるい声を出して笑っていたアリス・テルルの顔はひきつり、ある一点から視線をずらさないでいる。

「…、シオン?」
「なんだい、アリス」
 彼女のこんな冷たい声は、初めてだった。

「…そのキスマーク、誰の…?」
「…は? キスマーク…?」

 アリスが突き出した手鏡には、くっきりとシオンの首筋にあるキスマークが映されていた。

「アリスがキスマークつけられないの、知ってるわよねぇ…?」
「あ…の、だから、これは…」


「シオンの馬鹿ぁッ! 変態、スケベ! サイッテーよ! 出てってー!!」









 追い出されたシオンは首筋を抑えながら空を見上げた。


(クソ、一体誰のだよ…)


 ぼやきながら歩いていると、買い物かごをぶら下げた少女が目に付いた。
 短い髪が、元気のいい彼女によく似合っている。




「アリス!」
 アリス、と呼ばれて振り返った少女は、町のはずれのほうに住むアリス・トパーズだった。

「シオン! あなたがこんな裏通りにいるなんて、なんだかおかしいわ」
「そんなことないだろ。それより君みたいな可愛い子が、こんな陽の当たらないところにいるのは勿体無いよ」
「またまた…」

 シオンが鮮やかな手つきで、買い物かごを持っていないほうの手を握る。


「アリス、君は俺が今まで会った女の子の中で最高だよ。優しくて可愛くて…、しかもこの前作ってくれたかぼちゃのスープは絶品だった!」

「え…?」
 シオンの言葉に、アリス・トパーズの表情が一瞬にしてくもった。

「是非とも、また…。けど、今は君の唇のほうが…」

 顔を近づけようとしたシオンは、アリス・トパーズの買い物かごによって遮られた。


「…シオン?」
「な、に…?(何なんだ何なんだ今度は何だ!?)」
「私、あなたにかぼちゃのスープなんて作った覚え、ないわ…」

 今まで滑らかな動きを続けていたシオンの手が、凍りついた。

「…えー、ほら、思い出してよ。えーと…、あ、先週の土曜! 俺のこと食事に招待してくれたじゃん…」
「土曜? それはないわ。だってその日、私は祖母の家に畑仕事の手伝いをしに行ってたんだもの」
「あ…き、んよう? それとも木曜だったかな…。水曜は…違うな、火曜は…」
「…シオン?」
「…はい?」

 シオンの背筋に、緊張が走る。

「正直に言って?」
「な、にを…?」
「…あなた、一体誰にスープを食べさせてもらったの?」
「あの、だから…」



「…、サイッテー!!」

 バシーン、と豪快な平手打ちが決まって、周囲の視線が一気にシオンに集まった。











「ちきしょう…。今日は何て厄日だ! あと一人、きっとこのキスマークも、かぼちゃのスープも…、きっと、あの子…」

「人んちの前でなーにやってんの」
「おあッ、ア、リス…」
「夕飯の買い物に出てたの。珍しいじゃない? おとといも来たのに…」


 ボリュームのある髪をうしろでひとつにまとめた彼女は、アリス・クリプトン。

 シオンは実はいいとこのお嬢さんで、親への反抗心からこんな地に来て自立の道を選んだのではないかと踏んでいる。
 というのも、彼女が一人で住む家は決して豊かでないにしてもどこか気品があふれ、彼女自身の振る舞いもまた、幾度となく盗みに入った大富豪の家で見るような、教育されたお嬢様と類似していたからだ。

 3人のアリスのうち、シオンの本命は彼女だった。



「あまりに恋しくなったから」
「嘘ばっかり。この前は二週間もほったらかしにして…」
「わかってよ。俺、結構忙しいの」
「別に通うところ、あるんじゃないの?」
「アリス・クリプトンと言う子がありながら、そんな馬鹿な真似はしないよ」

 またまた、と呆れながらも優しく笑う。
 この顔が、シオンは好きだった。

「夕飯、どうするの? アテがないなら食べてく?」
「勿論そのつもり、だけど…」

 突然目の前に接近してきたシオンの顔に驚き、後ずさりしたアリス・クリプトンが、背中をドアに打ち付けた。

「ちょ、」
「その唇が、俺のものになりたがってる…」
「シオン、ちょっと、あの、ね」
「何、嫌?」

「…あのね、ちゃんと聞いて。ちゃんと話しておこうと思って…」
「な、んだよ急に…改まっちゃって」

 シオンの胸に手をつき、アリス・クリプトンはかつてないほど真剣なまなざしで話し始めた。
 なんとなくつられて、シオンも緊張していた。



「あたしね、結婚…するの」
「…はぁ?」
「親が勝手に縁談持ち込んじゃってね…、勿論反対したのよ? 見たこともない知らない人と急に結婚だなんて…。…でもね、昨日、その人と直接会って…。


 そ、の…、好きになっちゃったの…」





「…」
「だからね、今までみたいなこーゆーこと、全部おしまいにしたいなぁって…」
「…」
「もちろんあなたのことも大好きだったわ。でも今はそれ以上に…」
「…」
「せめて夕飯くらいは食べていって? もう相手はできないけど…」




「…帰るよ」

 突然シオンが踵を返した。

「え?」
「もし相手がこんなとこ見たら、心配してせっかくの結婚もおじゃんになっちまうかもしれないだろ?」
「シオン…」

「おめでと、な」










「ダッハッハッハ! なんてダセェ男なんだ!」
「わーらーうーなー!」

 狭苦しい店内に、大男のハデな笑い声が響き渡る。

「これを笑わずして何を笑う? 名前を間違えると困るから、わざわざアリスって名の女を3人いっぺんに仕留めたってのに…。今日1日で、いっぺんに破局か!」
「うるせぇー」
「馬鹿だよなぁ、学習能力がいかにないかって話だ。不器用なくせに三頭も追おうとするからいけないんだ」
「クリプトンは不可抗力だ」
「しかし他の2人は自業自得だろう?」
「…そうだけど!」
「だっせぇ男だよ。カッコつけようとするからよけいにだせぇ」
「うっせぇな! テメェはどうなんだよ! 女に相手にされねぇから未だに独身貴族なんじゃねぇのかよ!?」
「馬鹿野郎。女が毎日押しかけてきてしんどくなったからスキンにしたんだよ」
「またそういう屁理屈を…」
「しかしよ、オマエもそろそろ1人にしぼるってことを覚えたらどうだ? なんで1人じゃ我慢できねぇんだよ」

「…黒髪の、かわいい女の子」
 ぽつり、今までとはうって変わって、小さな声でつぶやいた。

「なんだって?」
「きれいな長い黒髪の、かわいい女の子がいねーんだよ!」
「…なんだそれ」
「そういうの、いたら、考える」
「…黒髪つったら、もう令嬢くらいしかいねーだろ。なんだよ、プライベートでも利益狙いかよ」
「ちげーよ。もうどんなタチ悪い女でもいーからさ。黒髪の子、見つけたら根回し頼むわ」


 いつになく深刻なシオンの横顔に、彼が何も言わず店を出るのにベクトルは何も声をかけられなかった。



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(2002/12/25)



長い…。会話ばっか…。
てゆうか、別に必要ないよね、これ(今更…)。