フリックから言わせれば適当なことこの上ない訓練指導をしていたビクトールの元に、すぐに大広間に来いというシュウの言葉を携えた伝令が一人やってきたのは、フリックが旅立ってから三日過ぎた午後だった。
 またやっかいな仕事を人に頼む気かと深々とため息を吐き出したビクトールは、その後の指示を適当に与えてから呼ばれた広間へと、赴いた。
 そこには、妙に深刻な顔をしたシュウとアップル。そして軍主の姉弟がいた。他の者はいない。
 いったいなんだろうかと首を傾げたビクトールに、軍主であるチッチが沈痛な面持ちで語りかけてきた。
「あの・・・・・ビクトールさん。」
「なんだ?チッチ。景気の悪い顔をして。腐ったものでも食べたのか?」
「そんなもの食べてませんよ。・・・・・・・・・あの、ね。気をしっかり持って聞いてくれます?」
「おう。なんだ?もったいぶらずに話せよ。」
 先を促すように人好きのする笑みを浮かべて見せた。そんなビクトールの視線から逃れるように視線を床へと流したチッチは、言い辛そうに拳を握ったり開いたりと繰り返している。
 その様から話の内容がよほどのことなのだろうと察したビクトールは、それ以上先を促すことはせず、チッチが口を開くのをジッと待っていた。
「・・・・・・・・チッチ殿。私から・・・・・・・・」
「ううん、良いんです。これは、僕から言わないといけないことだと、思うから・・・・・」
 言い難そうにしているチッチの様子を見かねたのか、そう声をかけてくるシュウに力なく笑い返したチッチは、決意した様に俯けていた顔をあげ、睨みつける勢いでビクトールの顔を見つめ返してきた。
 そして、ゆっくりと口を開いてくる。
「今朝、伝令がやってきたんです。城へと向かう道沿いの茂みに、死体があるのが見つけたって。」
「この近くでか?物騒だな・・・・・・・・・・。犯人は見つかったのか?」
「いいえ。足取りすら掴めてません。まだ、調査を始めた段階なモノですから・・・・・・・」
「そうなのか。その調査を俺にしろって?」
「それでも構いません。というか、たぶん、やらせろって言われるだろうから。」
「俺が?」
「ええ。」
 何故そんなことに自分が首を突っ込みたがるのか分からないが、チッチはやけに自信たっぷりに頷き返してきた。そして、大きく息を吸い込んだ後に、感情が欠落したような声で言葉を続けてくる。
「報告を受けて現場に行って見ました。発見された死体は六体。いずれも男性でした。全て、この城に在籍していた人たちです。」
「仲間が?・・・・・・・敵の攻撃でも受けたのか?」
「わかりません。ただ、モンスターにやられた傷ではありませんでした。もっと、鋭い。切れ味の良い剣で切り裂かれたような、そんな切り口でしたから。」
「そうか。なら、この周りの森林の捜索をしたほうがいいかもしれないな。どこかに敵の間諜が隠れているかもしれないし・・・・・・・・」
「その手配はしてあります。」
「そうか。で、殺された奴の身元は分かってるのか?」
 何の気なしに聞いた言葉に、その場の空気が凍ったのが分かった。
 ナナミとアップルは、泣きそうな顔で目に涙を溜めている。シュウまでもがビクトールのことを見ようとしていない。
「・・・・・・・・・・おいおい。なんだよ、その態度は。もったいぶらずに言えよ。」
 努めて明るく返したが、ビクトールの内心は穏やかでは無かった。ドクドクと、心臓が跳ね上がる。ビクトールの胸を占めているのはイヤな予感等という生ぬるいモノではない。もっと強力な圧迫感がこの部屋全体に立ちこめ、ビクトールの身体にのし掛かって来ているようだ。
 先の言葉を続けられず、ジッとチッチの様子を窺う。変な事を言ってくれるなと、そう心の中で呟きながら。
 その視線を向けられたチッチは居心地悪そうに身を捩ったが、大きく息を吐き出した後、意を決した様に顔を上げ、睨み付ける勢いでビクトールの顔を見つめ返してきた。
「身元は、全て確認出来ました。体中切り刻まれて、顔も判別が付かない位に傷つけられていましたが、背格好と所持品と。あと、周りの村での目撃証言からも、まず間違い無いです。」
「そうか。じゃあ、葬式の一つでも上げてやらないとな。」
「そう言うわけには行かない。」
 ビクトールの言葉に異を唱えたのは、それまで黙っていたシュウだった。どういう意味だと視線で問えば、彼は何かを決意するような瞳でビクトールの顔を見つめ返してきた。
「アイツが死んだと周りに知られれば、軍の士気が下がる事は目に見えている。逆に、敵の士気が上がるであろう事もな。」
「・・・・・・・アイツ?」
「ああ。」
 わざと言葉をぼかして語りかけて来るシュウの態度を訝しく思って問いかけると、彼は素直に頷くだけで、答えをくれようとはしない。
 何が言いたいのだと視線で問えば、それ以上の事はチッチに聞けと視線で促された。
 その視線に導かれるように素直に視線をチッチに投げる。
 自分の身体を包む圧迫感は増している。なんだか頭痛も感じてきた。
 頭の中で何かがガンガンと音をたてている。手の平にはイヤな汗が浮き上がってきた。その汗を着ているシャツの端で拭い去りながらチッチの顔を見つめれば、彼はゆっくりと口を開いてきた。
「・・・・・・・これを、ビクトールさんにお渡しします。あなたに渡すのが、一番良いと思うから・・・・・・・・」
 そう言いながら、チッチは背後から一本の細身の剣を取り出した。
 それを見た瞬間。ビクトールの目がこれ以上無いくらい大きく見開かれた。
 言葉は何も出てこない。胸の内にも、なんの言葉も沸いてこない。ただただ、目を見開くだけで。
 それでも、差し出されたモノを受け取った。
 己の大きな手の平の上で見ると、その剣はより一層細く見える。
 綺麗に血糊が拭き取られたのだろうその剣は、ビクトール自身が持つ剣の次に良く目にするものだった。
 いや、もしかしたら自分の持っているモノよりも良く見ていないのかもしれない。自分の隣に立っていた男が、常に腰に差していたモノだから。
 その剣が、持ち主の手を離れている。決して、自分の武器を手放す事などしなかった、あの男の剣が。
「な・・・・・・・・・ん、だ?これ、は・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・剣ですよ。」
「見れば、分かる。そんな事。俺が言いたいのは、これが、なんで此処に・・・・・・・・・」
「分かりませんか?」
「ああ、わからねーな。なんであいつが、大事な剣をお前に預けて居るんだ?他に良い剣が見つかったってか?それにしたって・・・・・・・・・・・」
「そう思いたいビクトールさんの気持ちは良くわかります。僕だって、この目で見てなかったら、信じられませんから、こんなこと。」
 そこで一旦言葉を切ったチッチは、深く息を吐き出した後、再び言葉を続けてきた。
「・・・・・・・絶対に他人の空似だと思いました。あの人に限って、こんな事があるわけ無いって。だけど、あの前髪だけ色の薄い髪も、青いマントも、額に巻いたバンダナも。そして何よりも手にしていた剣が、あの人だって、言って居るんです。」
「・・・・・・・・お前、何を・・・・・・・・・・・」
「脇腹にある矢傷もちゃんとありました。血に濡れてはいたけど、ちゃんと確認しました。絶対に、間違い無いんです。」
 辛そうに顔を歪めながら、だけどキッパリとそう言い切ったチッチは、ビクトールの反応を窺うようにジッと、その顔を眺めてきた。だが、ビクトールはなんの反応も返す事が出来ない。
 そんなビクトールの事をどう思ったのか、チッチが決定的な台詞を口にした。
「発見された死体の中の一体は、フリックさんでした。」
 その一言に、ビクトールの身体は凍り付く。
 なんとなく分かっていた言葉だった。
 状況から察して、そんな事だろうと思っていた。
 そうでもなければ、フリックが『オデッサ』を手放す事など無いだろうから。
 彼が誰よりも愛した女の名を付けた、大切な剣を。
 そうは思うが、どうにもこうにも信じられない。
 彼が、斬り殺された、などという事を。
 あの誰よりも強い男が、久し振りの遠征だからと言って敵に遅れを取るとは思えない。勝てないなら逃げてくる位の事をしそうなのに。
 ビクトールは、自分の足下が揺れ始めたのを感じた。
 一瞬地震かと思ったが、そうではない。ビクトールの身体自体が震え始めているのだ。
 相棒の消失を告げる一言に。
 また大切なモノを失ってしまう消失感に、身体が震えてくる。
「な・・・・・・・・にを、言ってるん、だ・・・・・・・・・?あいつが、そんな・・・・・・・・」
「認めたく無い気持ちは分かります。でも、これが事実なんです・・・・・・・・・・。ご免なさい・・・・・・・・・・・」
 泣きそうに顔を歪めながらそう告げたチッチは、それでも泣くのを堪えるようにグッと口を引き結んだ。
 その姿は、どこからどう見ての冗談を言っている様には見えない。そもそも、そんな性質の悪い冗談を言うような子供でも無いのだ。
 小刻みに揺れていたビクトールの身体から、段々熱が失われていった。それは、何かを耐えるように握りしめられた拳のせいなのか、一気に無くなった顔色のせいなのか。当のビクトールにも分からない。
「・・・・・先程も言ったが、葬式は出せん。本来なら、アイツの功績を称えて盛大にやってやりたい所だがな。遺体が誰かに見つかるのもマズイので、その場で荼毘に伏してきた。これは、その時に取った遺髪だ。」
 そう言いながらシュウが小さな袋を差し出してきた。反射的に受け取り中を見てみれば、そこには幾筋かの髪の毛が存在した。
「・・・・・・・・・これは・・・・・・・・・・・・・・」
 言われなくても、それが誰の髪なのか分かる。幾度と無く己の指に絡ませてきたのだから。その手触りを忘れるわけがない。
「・・・・・・・・・・お前が供養してやれ。その方が、あいつも嬉しいだろう。」
 感情の窺えない冷たい声音に、凍り付いていた身体が更に固くなる。
「なに、言ってんだよ、お前ら・・・・・・・・・・・」
 震えそうになる声をなんとか押しとどめながら言葉を発した。
「なに、くらだねぇ冗談を言ってるんだよ。タチ悪過ぎるぜ?あいつが、そんな・・・・・・・・」
「信じたくない気持ちは分かる。だが、あいつの剣が此処にある。その意味を考えろ。」
「信じられるかっ、バカヤロウっ!」
 思わず怒鳴り返していた。持っていたフリックの剣を、オデッサを床に叩きつけたいくらいに怒りが身の内を焼いていたが、わずかに残った理性でその行動を押しとどめる。
 変わりに、指先が白くなる程、オデッサを強く握りこんだ。
「死体は確認して本人に間違いないだと?それを、俺に見せもしないで、焼いただと?ふざけんなっ!そんなんで、はい、そうですかと、納得出来るわけねーだろうがっ!」
「確かに、そうかもしれません。でも、事実は事実なんです。」
 チッチの揺るぎない視線と言葉に、クラリと目眩を感じた。
 この状況を、どこかで見た気がした。どこだっただろうかと、上手く動かぬ頭から記憶を探り出す。
「・・・・・・ああ、そうか・・・・・・・・・」
 誰に聞かせるでもなく、言葉を呟く。
 これは、オデッサの死を伝えたときのフリックと同じ状況だ。
 あの時の彼も、自分と同じように彼女の死を信じられないと、叫んでいた。
 彼もあの時、こんな気持ちだったのだろうか。
「とにかく、この事は誰にも話すなよ。フリックと懇意の関係にあったお前にだから、話したんだ。色々と動揺しているだろうが、出来る限りその動揺を表に出さないよう気を付けて貰いたい。」
「シュウさん!」
「・・・・・・・・・言い方がきついかも知れないが、今は人一人の死を嘆いている時間が無いんだ。アイツの為にも、お前はしっかり働いてくれ。」
 抗議するようなチッチの言葉に、シュウは僅かに眉間に皺を寄せ、そうビクトールに語りかけた。だが、ビクトールの耳にそんな言葉は入ってこない。彼の時間は、未だに動き出していないのだ。
 ボンヤリと手の中にある細身の剣を見つめるビクトールの姿に、シュウは深々と息を吐き出した。そして、軽くその肩を叩いてくる。
「・・・・・・気をしっかり持て。馬鹿な事をしたら、アイツに笑われるぞ。」
 そう言ったシュウは、話はそれで終わりだと言わんばかりにビクトールの横をすり抜け、広間を後にした。その背を追うように足を踏み出したアップルも、通りがかりに言葉をかけてくる。
「・・・・・・・・・元気、出して下さい。無理だとは、思いますけど・・・・・・・・」
 労る様な彼女の言葉も、耳には届かない。
 誰の声も聞えないし、姿も見えない。ビクトールの周りには、真っ暗な闇が満ちあふれていた。










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