トゥーリバーに着いた一行は、早速市庁舎へと足を向けた。そこでマカイと話をし、状況が落ち着いている事を確認出来た。
 歓迎の宴をするというマカイの言葉を丁重に断った一行が前回ここに来たときにも泊まった宿屋の食堂で落ち着いたのは、夜も大分過ぎた頃だった。
「・・・ふぅ。疲れたね、チッチ。大丈夫?まだ眠くない?」
 人の入りが多い宿屋の食堂兼酒場に腰を下ろした途端、ナナミが隣に座る義弟へと言葉をかけた。
 そのナナミの言葉に、言われたチッチはどこか恥ずかしがるような笑みを浮かべて言葉を返す。
「大丈夫だよ。ナナミと違って僕は男なんだし。これくらいどってことないよ。」
「そう?なら、良いんだけど・・・・。でも、栄養有る物をいっぱい注文しようね!チッチは育ち盛りなんだし!」
「そうだな。ここの支払いはマカイがやっておくって言ってるし・・・・・・・メニューの端から順番に、全部頼んじゃえよ。」
「・・・・それは、さすがにちょっと・・・・・・・」
 まずいんじゃ、と呟くチッチにビクトールはニヤリと笑って返した。
 鬱々とした顔をしていると、この城主の少年が気にしすぎる程に自分の心の内を気にする事が分かっているから、出来る限り明るく。
 それでも勘の良い少年には自分が無理している事を悟られたのだろう。年の割には落ち着いた色を見せる少年の顔に、僅かに苦痛の色が浮かび上がった。
 だが、それも一瞬の事。彼は何事も無かったように笑顔を浮かべて見せた。
「大体、そんなに頼んだって食べきれないじゃないですか。ここは、高い物から順番に注文した方が良いと思いますよ?」
「おっ!チッチ!言うようになったじゃねーか!」
「色々仕込まれましたから。」
 クスクスと笑って返すチッチに再度ニヤリと笑んだビクトールは、テーブルに付いた大人二人。リィナとツァイへと、視線を向けた。
「じゃあ、俺等も滅多に飲めないような良い酒でも飲ませて貰うか。」
「フフフッ。それが良いわね。」
「でも、飲み過ぎると明日の旅程が辛くなりますよ?」
「大丈夫だって。ちょっとやそっとやそっとの酒で俺等が潰れるかよ。なぁ?リィナ?」
 心配そうなツァイの言葉にそうリィナに話を振れば、彼女は実に楽しそうに微笑み返してくる。
「ええ、大丈夫よ。ボトルの十本や二十本軽く空けられるもの。」
「・・・・・アネキ。それは自慢にならないよ・・・・・・・」
「そう?」
 呆れて額を抑える妹に柔らかな笑みを浮かべながらそう返したリィナは、気にせずさっさとウェイトレスに向かって手を伸ばした。
 注文を取るウェイトレスにこれでもかと言うくらいに酒と料理を注文し、一行は仕事も忘れて宴会へと突入していく。
 飲み食いを初めて一時間程が経った頃。程よく酒が回り始めたらしいツァイが、今その事に気付いたと言いたげに言葉を発してきた。
「そう言えば、最近副隊長さんを見かけませんが、何をやっていらっしゃるんですか?」
 その言葉に、それまでご機嫌に酒を飲んでいたビクトールの表情が凍り付いた。チッチとナナミの表情も。その事にリィナとアイリは気付いたが、言葉を発した本人は酒が回っているせいか、まったく気付いていない。
 即座に言葉が返ってくるとは思っていなかったのか、言葉を続けて発してきた。
「この一ヶ月近くずっと姿を見せないじゃないですか。それまではどんなに忙しいときでも二日に一度はその姿を見かけていたんですが・・・・・。どこかに遠征に行かれたんですか?みんな気にしているんですけど。」
「・・・・・フリックねぇ・・・・・・・・」
 ビクトールは、ボソリとその呼び慣れた名を口にした。
 ここ最近では口にした事のないその名を。
 途端に、何とも言えない寂しさが胸を占めた。彼の死を割り切れる程、まだ時が経っていないのだ。そもそも、心のどこかで未だに彼が死んだという事を信じられ無い自分が居る。戦いが終わったら探しに行こうと、本気で思う程に。
 だから、シュウに口止めされたからではなく、彼の死を他の人に告げられない。
「さあな。俺も最近会ってねーから知らねーよ。」
 それは確かな事だから、それだけ口にしてビクトールは手にしていたグラスの中身を一気に煽った。
「そうなんですか?軍師殿から、特別な任務でも与えられたんでしょうかねぇ?」
「知るかよ。」
「・・・・・・何を怒ってるんですか?」
 ツァイの質問におざなりに答えたら、訝しげに顔を覗き込まれた。
 凡庸な外見をしているツァイだが、その実中身は大変非凡に出来ている。人の事など見ていないようで実は色々観察し、人の内心を推し量るのも上手い。
 そんな男に目を付けられたら、今のビクトールには誤魔化す事が出来ないかも知れない。
 そう思い、ビクトールは不自然にならないようにそっぽを向いた。
「怒ってねーよ。」
「怒ってますよ。隊長は分かりやすいんですから。悩み事があるなら聞きますよ?」
「ねーよ、そんなもん。」
「これでも隊長よりも長く生きてるんですよ。何かしらアドバイス出来るかも知れないですし、ためしにどうです?」
「だーかーらぁー・・・・・・・。おい、チッチ。お前からもこいつに・・・・・・・・」
 何か言ってやってくれ。
 と、言おうとした言葉は途中で飲み込んだ。
 何故なら、語りかけようとした真向かいに座っているチッチが、アホみたいにポカンと口と目を大きく開いて有る一点を見つめていたからだ。
「・・・・・・おい、チッチ?」
 問いかけ、彼の様子を窺ったが、チッチはピクリとも動かない。その隣に座っているナナミも。その視線の先は、多分食堂の入り口に向いているのだろう。彼等の位置からそれくらいは分かる。だが、何を見てそんなに驚いているのか分からない。
 その視線に何があるのだろうかと振り返ろうとしたところで、チッチの背後に位置するテーブルに座っている男が大きく手を挙げた。
「こっちだっ!」
 そう叫ぶ男の様子から、待ち合わせていた知り合いが到着したのだろう事が分かる。その男の呼び声に、人がこちらに向って歩み寄ってくる気配を背中で感じた。
「悪い。遅くなった。」
 ビクトール達が座っているテーブルを通り抜けるときに、男がそう小さく声をかけたのを聞き取った。
 その男の動きを、チッチとナナミが神妙な顔で追っている事に気付いたビクトールは、軽く首を傾げて二人へと問いかける。
「・・・・・おい、どうしたんだ?あいつが、何か・・・・・・・・」
「シッ!ちょっと黙ってて下さい!」
 真剣な眼差しでそう告げられ、ビクトールは取りあえず口を噤んだ。同盟軍のリーダーを務めるだけに、チッチの瞳には強烈な意思の強さがあるのだ。時々妙に逆らえなくなる強さが。
 とは言え、彼等の態度は気になる。
 ビクトールは、チッチとナナミが気にしている青年へと、視線を向けてみた。
 彼は、ビクトールに背中を見せる形で椅子に腰をかけていた。身長は平均よりも高そうだ。肩口で一括りにされている長い真っ直ぐの髪は黒い。彼が纏っている衣装も真っ黒だ。チラリと見た感じでは、腰に剣を差しては居ないようだから、傭兵では無いのだろう。そもそも、防具らしい防具を纏っていないから、戦いに出る人間では無いと思う。
 チッチが気にしているから、自然とビクトールも青年達の会話へと意識を向けていった。
「で、どうだった?そっちの方は。」
 問いかけたのは、先に待っていた男の方だ。その男の問いに、後からやってきた青年は軽い口調で返している。
「思った通りの結果が出た。お前の方は?」
「パイプはあったが、パイプとも言えない様なちゃちな代物だったよ。」
「なんだよ、無駄足か?それとも、腕が落ちてんのか?」
「・・・・・・ふざけんなよ。俺を誰だと思ってんだ。」
「さぁ?下らない事はさっさと忘れるようにしてるから、思い出せないな。」
「・・・・・・お前って奴はよぉ・・・・・・・」
「まぁ、とにかく詳しい話は上に行ってからだ。お前、飯はもう良いのか?」
「ああ。お前は?飯は食ったのか?」
「いらねーよ。」
「そうか。じゃあ、さっさと上に行くか。」
 男の言葉を合図にするように、チッチが気にかけていた青年がガタリと、席から立ち上がった。
 そして、席から離れようとした瞬間。
 何を思ったのかチッチが勢いよくその場に立ち上がり、動き出した青年に体当たりをかました。そして、その勢いのままチッチは青年の身体を突き倒す。
 その動きは、どこからどう見ても態としたようにしか見えず、見ていたビクトールは一瞬唖然としてしまった。
「チッチ!大丈夫かっ!」
 真っ先に反応したのは、チッチの左隣に座っていたアイリだった。
 慌てて椅子から立ち上がり、青年の上に倒れ込んでいるチッチへと手を伸ばす。
「何やってるんだよ。酒なんか飲んでないのに酔っぱらったのか?」
「そう言う訳じゃ無いんだけど・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・良いから、さっさと退けよ。いつまでも乗っかられてたら重いんだけど?」
「あっ!すいません!」
 チッチの身体の下から聞えた苛立ちが混じる声に、言われたチッチは跳ねるようにしてその場に起きあがった。
「・・・・ったく。なんなんだよ、てめーは。俺に恨みでもあるのか?」
「いえ、そう言う訳じゃ無いんですけど・・・・・・・」
 倒れ込んだときに頭をぶつけたのだろうか。額に手を当てて俯きながら起きあがった青年に、チッチは強ばった笑みを浮かべている。
 見たところ柄が悪そうではあるが、かなり強力なモンスターを一撃で倒せるチッチがビクつくような相手でもないだろうに。
 確かにチッチが悪いとは言え、何をそんなに下手に出ているのかと訝しんでいるビクトールの目の前で、チッチが青年の顔を覗き込むようにして問いかけた。
「あの、大丈夫ですか?怪我とかは?」
「餓鬼に体当たり食らわされた位で怪我する程、柔な身体してねーよ。」
 答える声は不機嫌そうだったが、言葉自体にはさほどチッチの行為を気にしている色が見えない。それでも打ち付けた額は痛みが走るのか、俯けた顔を上げようとはしない。
「でも、やっぱり僕が悪いんだし、見せて下さい、額。」
「はぁ?」
「怪我してたら紋章を使って・・・・・・・・」
「そこまでされるような怪我じゃねーって。気にすんな。」
 必死に言い募るチッチの様子に苦笑を浮かべた青年は、額に当てていた手をゆっくりと外し、その手をそのままチッチの頭の上へと、乗せていく。
「まぁ、それでも気が済まないって言うんなら、酒の一杯でも奢ってくれよ。それで十分だぜ?」
 そう言いながら、男が口元に笑みを浮かべるのが見えた。だが、その顔は見えない。自分と同じくらい長身の青年がまだ成長途中のチッチの顔を見ているので、その顔が俯けられたままなのだ。
 その青年の顔を、チッチが信じられないモノを見るような目で見ている。近くにいたナナミとアイリも。いや、アイリは純粋に驚いているだけのようだが。
「どうした?俺の顔に何か付いてるのか?」
 不躾な子供達の視線に晒された青年は、訝しむように軽く首を傾げてみせる。その動きで、背中に流れていた長い黒髪がサラリと、揺れた。
 その青年に、チッチが恐る恐る、言葉をかける。
「・・・・・・・フリックさん・・・・・・・?」
「はぁ?」
 言われた言葉に青年は間の抜けた声を出し、その言葉を聞いたビクトールは、その場に勢いよく立ち上がった。
 その衝撃で椅子が派手な音をたてて床に転がった音で、青年は視線をビクトールの方へと向ける。
 一瞬の間に彼と視線が絡み合う。途端に、ビクトールの胸が大きく跳ね上がった。
 白い、手触りの良さそうな肌。綺麗に切れ上がった瞳。シャープな顎のライン。
 どこからどう見ても、二度とこの目で見る事が出来ないと思っていた男と同じだ。
「・・・・・・フリック、やっぱり、お前、生きて・・・・・・・・・」
 地に足がついていない様な錯覚を覚えながら、フラフラと青年の元へと足を向ける。途中で色んなモノにぶつかったような気がしたが、気にならない。ビクトールの視界には、男にしておくのはもったい無いくらいに整った容姿を持つ男の姿しか入っていないのだ。
 腕を伸ばせばその男の頬に手を添えられると言うところまで近づいたビクトールは、ゆっくりと自分の右手を持ち上げた。相棒の存在を確かめたくて。
 だが、その動きは途中で止まった。
 決定的に相棒と違うモノを目にしたから。
 それは、緑茶色の瞳。
 見慣れた、あの抜けるような青空と同じ色の瞳では無かったのだ。この青年の瞳は。
 絶望に打ちひしがれているビクトールの様子を、青年はただただ不思議そうに眺めている。その顔が、徐々に苛ついたモノへと、変わっていった。
「なんなんだよ、てめーらは。人の顔見て変な反応しやがって。なんか文句でもあんのか?」
 険を帯びた視線を皆に向けながらそう問いかけてきた青年の声は、フリックよりも高い。しゃべり方も全然違った。そして、その面に気を取られていて失念していたが、彼のスタイルもフリックとは大きく違った。
 頭の先から爪の先まで真っ黒なのだ。
 座っている時には気付かなかったが、羽織っているのはかなり質の良さそうなレザーのジャケット。その下には何も着ていないようだ。開け放したジャケットの下からチラリと素肌が覗いている。その肌には、赤と黒を基調とした入れ墨が施されているのがチラリと見て取れた。どんな模様かは、分からないが。
 下半身には身体にフィットした黒いレザーのパンツを履き、真っ黒い重厚なブーツを履いている。
 そして、緑茶色の瞳だ。
 髪の毛はナンボでも色を変えられるが、瞳の色はそうもいかない。
 だから、これはフリックでは無い。
「おい、なんとか言ったらどうなんだ?」
「まぁまぁ、良いじゃねーか。お前の面を見て黙りこくる事なんてよくある事だろ?そんな事より、さっさと上に行くぞ。時間がねー。」
 イライラしている気持ちを隠そうともせずそう発してきた青年に声をかけたのは、先程同じテーブルに付いていた男。
 平均的な身長で、顔も取り立てて良くもなく悪くもない。一度や二度見たところで記憶の端にも引っかからない様な容貌の男だ。その男は、フリック似の男に声をかけるなりさっさと食堂から歩き去る。
「分かってるよ。・・・・・・・てわけだから、酒を奢って貰うのはまたの機会に頼むわ。まぁ、機会があればの話だけどな。」
 ニヤリと笑みながらそう語った青年は、チッチの頭を二三度軽く叩くと、先に立ち去った男の後を付いていくように足を踏み出した。
 その途端。意識した分けでもないのにビクトールの口から言葉がついて出た。
「おいっ!待てよっ!」
 かけられた声に、青年がゆっくりと振り返る。その瞳には、怪訝そうな色が浮かび上がっていた。その表情に構わず青年に向って一歩前に踏み出したビクトールは、今度は遠慮も無く青年の頬に手を伸ばし、その肌触りを確認した。
 突然の行動に驚き軽く目を見張る青年の事など、構いもせずに。
 手の平を滑る滑らかな感触は、記憶にあるモノと酷似している。目の色も髪の色も違うけど、肌の色だけは相棒の色とまったく同じだ。ビクトールの事を睨み上げてくる瞳のきつさも。その視線の高さは目の前に居る彼の方が少し高いけれど。
 違う所もあるけれど、同じところも多々ある。
 だから、ビクトールはこう、語りかけた。
「お前・・・・・・・・・・フリックか?」
 その問いかけに対する青年の答えは、極々簡単なモノだった。
「はぁ?何言ってんの、あんた。」
 そう言いながらビクトールの手の平をたたき落とした青年は、己に触れたビクトールの手の感触を拭い去るように頬を擦り、嫌なモノでも見るような瞳で睨み付けてくる。
「んな奴知らねーよ。気安く触るな。金取るぞ。」
 その言葉に少々言葉を失った。
 触っただけで金を取るなんてぼったくりも良いところだろうと突っ込みを入れようと思ったビクトールだったが、口を開く前に他の声が青年へとかけられた。
「おいっ!ヴァイス!」
「分かってる!・・・・・・・・今回は見逃してやるが、今度やったらタダじゃおかねーからな。覚えておけ。」
 射殺さん勢いで睨み付けながらそう返した青年は、入り口で待っている男の方へと、歩き去っていってしまった。
 その流れるような動きに、目を奪われた。その細い背中にも。
 フリックは普段マントをしているからその背のラインを見る事は多くない。だが、ごくたまに見かけるマント無しのフリックの背中のラインと立ち去った青年の背中のラインは酷似していた。
「・・・・・・・・・・・チッチ。どう思う?」
 青年の立ち去った方向を睨み付けながらそう問いかけると、逆に問い返された。
「ビクトールさんは、どう思います?」
 その問いに、しばし黙る。答えは決まっている様なモノだ。自分がこの先どう動きたいと思っているのかも、心の中では決まっている。
 だが、それは今の状況で取って良い行動とは言えない。団体行動を大きく乱す事だから。そうと分かっているのに、ビクトールは己の思いを口にした。
「俺は、アイツの事を追いかけてーな。」
「フリックさんだと思うから?」
「それは、わかんねーな。」
 チッチの問いにそこで一旦言葉を切り、しばし考える。
 フリックに似てはいるが、彼がフリックだと言える決定的なモノが無いのだ。
 確かに造作はフリックそのものだ。髪型や服装は大きく違うが、体付きは同一人物と言っても良いかも知れない。
 だが、身につけている服装よりも、纏っている空気が大きく違うのが気になった。
 長くつき合っているから、他の人間よりもフリックの二面性については知っていると思ってはいるが、その裏のフリックの顔ともまた違う空気を放っていたのだ。あの男は。
 フリックが死んだと言われている今だから彼がフリックでは無いかと思ってしまうが、そうじゃ無かったら「良く似た人間が居たものだ」と言う言葉でで済ませてしまうのでは無いかと思うくらい、まったく違う空気を。
 だが、何かが心の中で引っかかっているのも確かな事。だから、ビクトールはチッチの顔を真剣な眼差しで覗き込んだ。
「チッチ。」
「なんですか?」
「俺は、あいつについて行ってみたい。良いか?」
 その言葉に、チッチが軽く目を見張る。それはそうだろう。これから交易のためにコボルト村に行かなくてはいけないのだ。ビクトールがパーティから離れると言う事は、それだけチッチの身に危険が増えるという事に他ならない。
 それでも、チッチはニコリと笑い返してくれた。
「じゃあ、僕もそれにつき合います。」
「おいっ!チッチ!」
 その言葉にはかなり驚いた。何しろ今回の交易にはかなり力を入れてるはずなのだ。出がけにシュウが、ここら辺でガッツリ金を稼いでおかないと今後の資金繰りに困ると言っていたくらいだから。
 それなのに、城主自らがその任を放棄するというのはどうだろうか。
 非難の色を込めて、ビクトールはチッチの顔を覗き込んだ。
「お前なぁ・・・・・・そんな勝手な行動を取れる立場じゃ無いだろ?」
「その言葉はそっくりそのままビクトールさんに返させて貰いますよ。」
「うっ・・・・・・・・・・」
 確かにそれはそうだ。成り行きとはいえ、今の自分がこの同盟軍に与えている影響というか、力が一般の兵士なんかには比べものにならないくらいに大きい事は自覚している。
 何しろ大事な軍議で発言出来る程なのだ。下手をすればその発言は、同盟諸国の代表の言葉よりも尊重されている事も、十分に分かっている。
 その自分が個人的な事で与えられた仕事を放棄するのが良い事だとは思っていない。思っていないが、だからといってここで引くわけには行かないのだ。自分にとって、同盟軍の先行きよりも大事なのはこの三年間苦楽を共にしてきた相棒なのだから。
「大丈夫です。一応あの城の城主は僕なんですし。シュウさんの命令を無視したところで痛くもかゆくもありません。」
「随分大きく出たんじゃねーの?」
「・・・・・・まぁ、ちょっと言い過ぎですけど。でも、僕としても納得出来ませんからね。あの事は。だから、自分の目で確かめたいんです。あの人の事を。」
 大きな瞳でジッとビクトールの顔を覗き込んでくるチッチの様子は、真剣そのものだった。その瞳に一点の曇りもない。
 こうなったチッチを止められる人間など、この世に居ないだろう。やると決めた事はどんなに困難な事でも突き進む男なのだ。この城主は。だからこそ、この少年の周りに人が集まるのかも知れない。この、強い意志を持った少年の元に。
 ビクトールはフッと息を吐き出した。
「・・・・分かったよ。じゃあ、二人であいつの後を追うか。」
「はいっ!」
「ちょっと待ってよ!」
 抗議を声を上げたのは、それまで事の成り行きを見守っていたナナミだった。
 彼女の叫び声に視線を向けてみると、彼女はふて腐れたように頬を膨らませながらビクトールとチッチの顔を口語に睨み付けてきた。
「私も行くから、三人よ!」
「え・・・・・・・・・?」
「何よっ!その迷惑そうな顔わっ!私はチッチのお姉ちゃんなんだよ?チッチを守るために、絶対チッチから離れないんだからっ!」
 そう叫びながら、ナナミはチッチの腕に自分の腕を巻き付け、これでもかと言うくらいきつくその腕を抱きしめた。
 その強さにチッチが顔を歪めたとき、ナナミが呟くように続けてきた。
「・・・・・・・・それに、私だって気になるもん。フリックさんの事。」
「・・・・・・・・ナナミ・・・・・・・・・・・・・・」
 どう言って良いものか悩み、チッチとビクトールは互いに見つめ合った。その瞳だけで打ち合わせをするように。だが、妙案は浮かんでこない。
 パーティの間に、妙な沈黙だけが落ちる。酒場の中には相変わらず喧噪が広がっているというのに、パーティの中にだけ沈黙が。
 その沈黙を打ち破るように口を開いたのは、それまで傍観していたリィナだった。
「じゃあ、ここで二手に別れましょうか。」
 思いもかけないその言葉に、チッチとビクトールは思わずリィナへと視線を向けた。
 その視線を受けてニコリと微笑み返したリィナは、浮かべた笑みをそのままに、ゆっくりと言葉を続けてくる。
「交易の方は私とツァイさんとアイリでこなして来るわ。その間に、あなた達はさっきの人を追いかけて、確かめたい事を確かめてきて。」
「しかし、それだと色々と大変なんじゃ・・・・・・・」
「大丈夫よ。三人でも街道に現れるモンスター位楽に倒せるもの。ね?アイリ。」
 突如話を振られたアイリは何を言われたのか分からなかったのだろう。しばらく目を忙しなく瞬いていたが、言葉を理解した後は大げさすぎる程大きな動作で頷き返してきた。
「あ、ああ。任せとけって。チッチの分までがっぽり稼いで来るからさ!」
 そのアイリの返答に満足そうに笑みを浮かべたリィナは、今度はツァイへと向き直る。そして、同じように微笑みながら問いかけた。
「ツァイさんも良いですよね?」
「ええ。良いですよ。その代わり・・・・・・・・・・・・」
 快く頷いたツァイだったが、アイリと違って言葉を濁してチッチとビクトールへと視線を向けてくる。
 どんな条件を口にするのだろうかと皆が見つめる中、ツァイはその大きく動かない顔に僅かな笑みを描きながらこう、言葉を続けてきた。
「後でも良いんで、副隊長さんに何があったのか、教えて下さいね。」
「ああ、分かった。この件がはっきりしたら、お前等には事の真相を詳しく話すよ。それまで、何も聞かずに居てくれ。」
 ビクトールが軽く頭を下げると、リィナとツァイが小さく笑みを返してきた。分かっていると、言いたげに。
 アイリはまだ話の流れが掴めていないのだろう。不思議そうな顔をしながらも他の二人に習って頷き返してきた。
 その様子にホッと胸を撫で下ろしていたら、リィナに軽く背中を叩かれた。
「そうと決まったら、すぐに追いかけたら?逃げられたら困るでしょ?」
「あ、ああ。悪いな。」
「交易が終わったらすぐに城に帰って、僕たちが帰ってなかったらシュウさんには適当に言い訳しておいて下さい。」
「分かったわ。良い結果が出てくるよう、祈ってるわね。」
「ありがとうございます!」
「じゃあ、後でね!」
 軽く手を振るリィナに見送られ、三人は食堂から出た。そして、二階の宿屋の部屋へと、足を向ける。ドアの向こうに入ってしまったら、先程の青年がどの部屋に戻ったのか分からない。
 さてどうしたものかと思っていたら、ナナミが元気に手を挙げてくる。
「・・・・・どうした?ナナミ。」
「私見たよ。」
「見たって・・・・・・・・何を?」
「あの人達が持っていた鍵の番号。」
「本当かっ!」
 そのナナミの発言に、ビクトールは思わず大声で問い返していた。そんなビクトールの口を慌てて両手で塞いだチッチは、改めてナナミに向き直った。
「本当にホント?」
「何?チッチはお姉ちゃんの言う事が信用出来ないわけ?」
「そう言う訳じゃ無いけど。一応確認。」
「本当よ。見間違いなんかしないもん。あの人達が泊まってるのは、ココの部屋。じいちゃんの名前に賭けても良いよ。」
 自身満々に言い切るナナミの態度に微妙な不安を感じてしまうのはなんでだろうか。僅かに信じ切れない気持ちがあるものの、ココで信じられない等と言おうものなら、滅茶苦茶に暴れ出しそうだ。
 そう思ったビクトールとチッチは視線をチラリと交わし、瞳だけで頷き会った。
「・・・・・・・分かった。ナナミの言葉を信じるよ。じゃあ、今日はこの部屋の前に居座ってみようか。そうすれば、出て行くときにあの人を捕まえられるし。」
「え?ベットで寝ないの?」
 瞳を丸めて驚くナナミの言葉に、ビクトールは苦笑を浮かべて返した。
「相手がいつどこに出掛けるかまったく分かっていないんだ。出入り口を抑えるしかないだろう?余程やましい事が無い限り、出てくるのはこのドアしかないわけだし。ココで貼ってれば確実だ。」
「・・・・・・・そうか。そうだよね・・・・・・・・・・・・」
「でも、ナナミが疲れているんなら、ナナミは部屋で休んで居ても良いよ。出てきたらちゃんと起こしに行くから。」
 そのチッチの提案には一瞬心を動かされたらしい。しかし、ナナミは大きく首を横に振って見せた。
「ううん。私も一緒に待つ。疲れてないから、全然大丈夫だよ。」
 そう言いながら、ナナミは先程の青年が居ると思われる部屋の扉に背中を預けるようにして腰をかけた。そして、チッチとビクトールの顔を見つめ上げる。
「・・・・・・・・フリックさんだったら、良いね。」
 その言葉に、ビクトールは微かに微笑んだ。
「ああ。そうだな。」
 頷きながらも、その可能性がどれくらいあるのか。誰かに教えて貰いたくて仕方が無かった。



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20061001up






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