城に帰ったら帰ったで、レオナやチッチに質問攻めにあっていたフリックだったが、なんとか言い逃れて自室に戻ってきた。
「・・・・・・・・参ったな。いったいなんだってこんなことになっているんだ?」
 帰還した途端に泣きつかれた。と思ったら怒鳴りつけられて殴りつけられた。そんな攻撃に晒されて肉体的にと言うよりも精神的に疲れ果てたフリックは、座り慣れた椅子に腰を下ろした途端、そう呟いた。
 その見慣れた姿が部屋にあることに喜びを感じつつ、ビクトールが言葉を返した。
「お前が死んだってシュウの野郎も認めたしな。それに、お前にそっくりだけど中身が全然違う男も現れて、その違いに驚いた後だったから、余計に嬉しかったんだろうよ。お前の元気な姿を見てよ。」
「俺にそっくりな人間ねぇ・・・・・・・」
「ああ。顔だけならお前だって言っても誰も疑わなかっただろうぜ。それくらい、そっくりだったよ。」
「ふぅん・・・・・・・」
 興味があるのか無いのか。実に曖昧な呟きを漏らしたフリックは、腰を下ろしていた椅子からゆっくりと立ち上がるとマントと胸当てを取り始めた。そして、近場の棚から酒瓶を一本とグラスを二本取り出し、そのグラスの一つをビクトールへと差し出してきた。
「ま、何にせよ、お疲れさんだな。」
「・・・・・・・・あぁ。」
 フリックの手でなみなみと酒を注ぎ入れられたグラスを、彼の持つグラスと打ち合わせた。高い軽やかな音を耳に入れつつその酒を一気に煽る。そんなビクトールの飲みっぷりを苦笑しながら見つめ、もう少し味わって飲めよと言いながらもすぐに新しい酒を注ぎ入れたフリックも、ゆっくりとグラスに口を付け始める。
 見慣れた、だが長い間見ることが出来なかったその姿を目にして、ビクトールの胸は自然と弾んだ。同じ顔でもヴァイスと二人の時には感じなかった満足感に。
 自然と酒を飲むペースが速くなり、あっという間に二本三本と酒瓶を開けてしまった・
 疲れのためか幸せのためか。いつもはこの程度の酒量では酔わないビクトールだったが、段々と思考が鈍くなり、小さく船をこぎ始めた。
 その様を見て苦笑を漏らしたフリックは、座っていた椅子から立ち上がり、ビクトールの肩にそっと手を添えてきた。
「おい。寝るならちゃんとベッドに行けよ。こんな所で寝ても身体が休まらないぞ?」
「う〜〜〜。怠くて動けねぇ〜〜〜運んでくれぇ〜〜」
「何甘えたこと言ってるんだ、馬鹿熊。」
 呆れたように軽く頭を叩いてきたフリックだったが、どうやら運んでくれる気はあったらしい。太いビクトールの腕を掴むと、引き上げるようにその身体を持ち上げた。
「ほら、足くらい動かせ。じゃないと床に転がすぞ。」
「・・・・冷たいこと言うなよ、フリック・・・・・・・」
 言いながらフリックの手首を捕らえたビクトールは、彼の身体をベッドの上に引き倒した。
「・・・・・っ!ビクトールっ!いきなり何を・・・・・・・っ!」
 抗議の言葉を発してくるフリックの口を己の口で塞いだビクトールは、塞いだだけでは満足出来ず、その口内に己の舌を侵入させ、フリックの舌へと絡みつかせた。
 執拗な口づけを与えまま引き倒した身体の上に馬乗りになったビクトールは、フリックの存在を確かめようと、口付けたまま両手を彼の頬へと伸ばした。そして、その手をゆっくりと首筋に落として行き、服の上から彼の引き締まった身体のラインを撫で下ろす。
 ビクトールが与える緩い刺激にビクリと身体を震わせたフリックを宥めるように軽い啄むような口づけを繰り返したビクトールは、フリックの身体から力が抜けたのを見計らってシャツの裾をたくし上げる。
 その行動にビクリと身体を震わせたフリックの反応になど構いもせずに滑らかな手触りの肌を撫で上げた途端に、フリックの抵抗が始まった。
「ちょっと待てっ!ビクトールっ!」
「待てねーよ。どれだけおあづけ食らってたと思ってんだ・・・・・・・・飢えて死にそうだぜ、俺は。」
「嘘をつけ。俺が居ない間につまみ食いくらいしてただろうがっ・・・・・・って、本当に止めろっ!俺にその気は無いっ!」
 まくり上げようとしたシャツを、フリックが必死に元の位置に戻そうとする。おかげで彼のきめ細かい白い肌にまだお目にかかっていないビクトールの機嫌は、恐ろしく速い速度で悪くなっていった。
「・・・・・・・してねーよ。俺にはお前だけだ。何度も言ってるだろうが。」
「だから、それが嘘だと言ってるんだ。」
「何を根拠に。」
「五月蠅いっ!自分の胸に聞いてみろっ!」
 怒鳴るようにそう言われ、ビクトールはハタと気が付いた。確かに一度だけ、フリック以外の人間とイタしたのだ。あの情の欠片も見られない男、ヴァイスと。
 だか、彼の外見がフリックとうり二つだったためか、はたまた他の要因があったのか、その記憶はフリックとやったような気分のモノになっていたのだ。
 とは言え、思い出してしまったので旗色が悪い。この場をどう切り抜けようかと悩んだビクトールだったが、所詮酔っぱらい。ろくな案が浮かぶこともなく、結局適当に誤魔化す事にした。
「・・・・・・なんだ、嫉妬か?可愛いところがあるなぁ、フリック。大丈夫だ、俺が心底愛してるのはお前だけだからな。」
「誰がするかっ、そんなものっ!良いから放せ、このデブ熊っ!」
「てめっ・・・・・!デブでも熊でもねーっての。何度言わせんだ、こらっ!」
 互いに怒鳴りあったあと、無言で睨み合った。
 一歩も引かないと、その瞳に決意を込めて。
 どれぐらいそうしていただろうか。大変珍しい事だが、先に折れたのはフリックの方だった。
「・・・・・分かった。お前が溜まっているって事は、よーく分かった。」
「溜まってるからじゃなく、お前が相手だから・・・・・・・」
「分かった分かった。お前が俺の事を思う気持ちはよーく分かった。だから、ここは妥協案を出してやる。」
「妥協案?」
 突然の申し出に首を捻るビクトールの目の前で、フリックは真剣な面持ちで頷いた。
 思ってもいなかった言葉を。
「ああ。今日は口でやってやるから、入れるのは無しだ。」
 そう言いきられ、ビクトールはしばし時の流れを忘れてその場に固まった。
 フリックは今、なんと言っただろうかと、考えながら。
 今まで何度となく身体を重ねてきた。その時にビクトールがフリックのモノを銜えた事は何度もあるが、フリックがビクトールのモノを口にした事は今まで無かった気がする。少なくても、今は思い出せない。
 だから、この提案は大いに捨てがたかった。こんなチャンス、二度と無いかも知れないから。だから大変捨てがたかったのだが、だからと言ってすぐに乗る訳にはいかなかった。
 なぜならば、フリックがいきなりそんな提案をしてきた理由が良く分からなかったから。
 フリックが甘い言葉を吐くときは大抵何か裏がある。寂しい事実ではあるが、それは間違い無いことだ。それで何度も痛い目を見ているのだから。
 ビクトールは隙を見せないよう十分に注意しながらフリックの青い瞳を見つめた。
 その心の内を探るような眼差しに、フリックは苦笑を浮かべながら言葉を発してくる。
「実はまだ身体が本調子じゃないんだよ。だから、今お前の相手をしたらしばらく仕事が出来なくなると思ってさ。」
「・・・・・・・そうか。」
 そう言われて思い出したが、彼は怪我をしていたと言うことだった。ならば彼の言葉はもっともなモノ。
 惚れた相手に苦痛を与えてまでやる気はない。ここは理解の有る所を示すためにも、フリックから承諾の言葉を貰えるまで大人しく待とう。
 そう考えたビクトールだったが、それでまたひと月もふた月も放置されては敵わないと思い、一応聞いてみる事にした。
「で?大体どれくらい後なら良いんだ?」
「そうだなぁ・・・・・・・・・」
 呟いたフリックは、何かを思い出すように遠い目をした。
 そして、その外れていた焦点を再度ビクトールに戻すと、短く告げる。
「一週間って、所だな。」
「待てるかっ!バカヤロウっ!」
「うわっ!」
 フリックの隙を付いて一気にシャツをたくし上げたが、素早く元に戻されてしまった。
 が。
 その一瞬でビクトールの目に焼き付いたモノがあった。そこに有るはずの無いモノが。
 驚きのあまり固まるビクトールの下で、フリックがたくし上げられた裾を抑えながら、多少引きつった笑みで問いかけてくる。
「・・・・・・・・・見たか?」
「・・・・・・・・・見た。」
「・・・・・・・・・そうか・・・・・・・・・・」
 呆然としつつも素直に頷けば、フリックも小さく頷き返してきた。
 そして、これ以上無い程真剣な眼差しで告げてくる。
「・・・・・・・忘れろ。」
 その言葉にも、ビクトールは素直に頷いた。
「・・・・・分かった。」
 が。
「なんて言うわけねーだろうがっ!」
「うわっ!」
 これもまた火事場の馬鹿力と言うのだろうか。滅多にないフリックの隙を再度付き、力任せに彼のシャツを引きちぎった。
 そこに現れたモノを隠そうとするフリックの腕を押さえつけ、ランプの光に照らされたモノに、改めて視線を向ける。
 それは、ちょっと前に目にしたモノ。
 アレよりも少々色が薄くなっていたが、描かれているモノの形はそっくりそのまま同じだ。
 白い肌に絡みつく、無数の蛇の入れ墨は。
「・・・・・・・・・・・・・・フリック。」
「・・・・・・・・・・・・・・なんだ?」
 問いかけると、フリックは視線を合わせようとしないながらも言葉を返してきた。だからビクトールは、再度問いかける。
「・・・・・・・・・・・ソレは、なんだ?」
「あぁ〜〜〜。まぁ、見ての通り、入れ墨だな。」
「いつからそんなもん、つけていやがるんだ?」
「一・二ヶ月前くらいかな。」
「何のために?」
「それは、企業秘密だ。」
「じゃあ、ヴァイスとお前の関係はなんなんだ?」
「さぁな。そんな奴、会った事も無いから聞かれても困るな。」
 あくまでもしらばっくれようとするフリックに、ビクトールのこめかみには青筋が浮かび上がった。
 怒りのために。
 その沸き上がった怒りを握りしめた二つの拳に宿したビクトールは、それらをフリックのこめかみへと突き当て、力一杯押しつけてやった。
「誤魔化すんじゃねーーーっ!この、オオバカ野郎っ!」
「イタタタタッ!止めろっ!この馬鹿力っ!」
 当然の事ながらフリックの口からは抗議の声があふれ出したが、ビクトールはそんなことに構わず、更に力を込めていく。
「だったら吐けっ!吐いて楽になってみろっ!」
「うるせぇっ!俺に指図すんな、このデブ熊っ!」
「デブじゃねーっ!筋肉だっつってるだろうがっ!」
「どこがだよっ!腹の肉なんてブヨブヨしてるじゃねーかっ!」
「してねーーーーっ!触ってみやがれ、ホラっ!」
「誰がそんな弛んだ肉に触るかよっ!」
「こんのヤローーーーっ!言わせて置けばーーーっ!」
「・・・・・・・・話の方向がずれて居るぞ。」
 怒鳴り合う二人の間に割ってはいるように、星辰剣の冷ややかな声が室内に響き渡った。
 言われた二人はハッと意識を引き戻し、宙に浮く剣へと視線を向ける。
 そんな二人の様子に呆れ気味に息を吐き出した星辰剣は、フリックの方へと視線を向けてゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「大体、青雷の。言い逃れ出来る状況ではあるまい。己の武器をしっかりと持ったこの状況でな。それは、どこから手に入れたものなのだ?」
「・・・・・・・・・あっ!」
 星辰剣の言葉で初めてフリックがオデッサを腰に差している事に気が付いたビクトールは、ばつの悪そうな顔をしているフリックを睨み付けた。
 その視線に小さく舌打ちしたフリックは、深々と溜息を吐いた後、降参するように大きく両手を広げて見せた。
「分かったよ。認めるよ。俺とヴァイスは同一人物だ。・・・・それで気が済んだか?ビクトール?」
 投げやりな言い方にカチンと来たが、今ここでその態度に怒りを表したら話が進まないだろうと、怒鳴りたい気持ちをグッと堪えた。
 そして、押し殺した低い声で問いかける。
「・・・・・・・・本当、なのか・・・・・・・?」
 その問いかけに、フリックは馬鹿にしたように鼻で笑い返してきた。
「認めなかったら認めろと騒いで、認めてやったら認めてやったで嘘付くな、とでも言う気か?」
「いや、そう言うわけじゃないんだが・・・・・・」
 いまいち実感がわかない。フリックの身体に刻まれている入れ墨が二人が同一人物だという証拠ではあるのだが、それだけではいまいち信じ切れないものもあるのだ。
 そんなビクトールの胸の内を読んだのだろう。面倒くさそうに顔を歪めたフリックが、小さく呟きを漏らした。
「まぁ、あっさり信用されたら変装した意味は無いんだけどよ・・・・・・・・」
 そこで一旦言葉を切ったフリックは、小さく息を吐き出すと、未だに己のことを組み敷いているビクトールの顔を見上げてきた。そして、彼にしては酷薄な笑みをその面に浮かべてみせる。
「でも、それが事実だぜ?」
 その声は、今までと全く違う声だった。フリックの声よりも高い声。つい最近聞いたことのある、男の声。
 その声で、フリックが尚も言葉を綴る。
「てめーは散々俺に情がないとか言ってくれたけどよ。フリックとお前は違うんだ、とかほざきながら。でも、同一人物なんだよなぁ〜これが。」
 クククっと喉の奥で笑うフリックの様子は、最近見慣れたモノの態度にそっくりだった。
「・・・・・・だったら、目の色はいったい・・・・・・・・」
「それは最重要機密だから詳しい事は教えてやれないが。まぁ、簡単に言うと目の中に色の付いたガラス板を入れて、見ための色を変えてたんだ。」
「目の中に・・・・・・・ガラス板ぁ?」
 それはどう考えても危険な行いな気がしてならないのだが、フリックは少しも危険を感じている様子はない。
「で、髪の毛は染めて付け毛をつけた。それだけだな。大したことはしてない。」
「・・・・・・その声は、どうやって変えてるんだ?」
「どうもこうも、変えようと思ったら変わる。別に薬に頼っているわけじゃねーからな。他に質問は?」
 からかうような笑みを浮かべて見つめ返してくるフリックの言葉に、ビクトールはまとまらない頭で必死に考えた。他に何か引っかかっていたモノは無いだろうかと。
「・・・・・なんだって、剣を使わずに素手で戦ったんだ?」
「共通点を少しでも減らしたかったんだよ。『青雷のフリック』が剣を持たずにフラフラしてるなんて、誰も思わないだろ?この同盟軍にだって、俺が体術に長けている事を知ってる奴はそういないわけだし。」
「・・・・・・・そうだな。俺も、知らなかった・・・・・・・・」
 剣を使わなくてもそこそこ強いとは知っていたが、蹴り一つで人の骨を砕く程の腕を持っているとは、思ってもいなかった。
 そんな思いが顔に出ていたのだろう。フリックはニヤリと、口角を引き上げる。
「これからは気を付けろよ?武器なんか持って無くてもお前の息の根を止めることなんか、俺には子供の首を捻るのと同じくらい、簡単な事なんだからな。」
「・・・・・・・子供の首を簡単に捻ったりするなよ。」
「するかよ。俺は別に殺戮をしたいわけじゃねーんだからな。」
 ビクトールの突っ込みに、フリックは不快そうに顔を歪めた。そして大きく息を吐き出すと、それまでの高めの声とは違う、聞き慣れた落ち着きのある声で続けてきた。
「大体、シュウにこの仕事を回されなかったら、俺だってこんな面倒くさいマネをしなかったんだよ。」
 そう言いながら、フリックは未だに自分の事をベッドの上に押し倒しているビクトールの胸を軽く押してきた。拘束から逃れるために。
 それを向けられた瞳と胸に当てられた手で悟ったビクトールは素直にフリックの身体の上から自分の身体を退かしながら、問い返す。
「シュウから?」
「ああ。同盟諸国の中にハイランドの高官と通じている奴がいるようだから、そいつ等を探しだして秘密裏に始末しろって、命令。」
 手近な椅子を引き寄せて話し込む体勢を整えたビクトールに向かいあう形でベッドの端に座り直したフリックが、サクリとそんな言葉を発してくる。
 その言葉に、ビクトールの眉間には自然と皺が寄っていった。
「・・・・・・なんでシュウがお前にそんな命令するんだよ。」
 フリックにそんな仕事は向いてないだろうに。そう思って発言した言葉だったが、その言葉はフリックによって軽く交わされた。
「俺が諜報活動も暗殺業も出来る事を知ってるからだろ?」
 当然のように言われた言葉は、ビクトールには信じられなかった。今まで彼にそんなことが出来るとは思っていなかったから。
 その思いは顔に出ていたのだろう。フリックは小さく笑みを漏らした。
「初期の解放軍での俺の主な仕事はソレだったんだよ。まぁ、解放軍に入る前にその手のスキルを身につけてたからなんだが。」
「・・・・・・・・・知らなかった・・・・・・」
「そうだろうな。サンチェスだって知らなかったと思うぜ?知ってたのは、オデッサとハンフリーくらいだったかな。」
「ハンフリーも?」
「ああ。何かあったときにフォローしてくれる奴は必要だろう?アイツは口が堅いし、信用出来るからな。それがどんな経緯か知らないがシュウにも知られててな。その手の仕事は色々と面倒くさいし、出来ればやりたく無い仕事だったんだが。まぁ、成功報酬が良かったから引き受ける事にしたわけだ。」
「成功報酬?」
「ああ。」
「・・・・・・・・何を貰う気なんだ?」
「それは、秘密だ。」
 ニッコリと、とても嬉しそうにそう返された。話す気は全くないと言いたげに。
 そう言えば、フリックの死がチッチの口から告げられる一週間程前に彼が随分と嬉しそうにしていたときがあったが、この話はその時にされたのだろうか。だとすれば、随分と長い間フリックとシュウに謀られていたと言うことになる。それが、なんだか面白くない。
 敵を騙すにはまず味方からという言葉はあるが、それを実戦されるとなんだか凄く腹が立つ。
 とは言え、そんな愚痴をフリックに零しても馬鹿にされるだけだろうから黙っておく。変わりに、次の質問を口にした。
「・・・・それでなんで、違う名前名乗って変装なんか・・・・」
「いつもの格好で出歩いてたら俺だってモロバレだろうが。」
 馬鹿にしたようにそう返してきたフリックは、更に言葉を続けてくる。
「どこの街に俺の顔を知ってる奴がいるか分からないし。念には念を入れて変装したわけだ。お前等も騙せたんだから、敵の目に止まることは無かったぜ?お前等がアソコに飛び込んでこなけりゃ、この仕事はもっとスムーズに終わってたんだよ。こんな派手に俺が死んだって発表したり、集団戦をかましたりしなくてもよ。・・・・・・ったく。余計な手間かけさせやがって・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・スマン。」
 睨み付けられて思わず謝ってしまったビクトールに、フリックは深々と息を吐き出した。
 そんなフリックに、ビクトールは気になって仕方の無かったことを問いかけた。
「ソレにしたって、なんでワザワザ死んだなんて事にしたんだ?最初から足の骨を折って療養してるって事にしておけば・・・・・・・・・」
「お前が向かえに行くと騒ぎ出すだろ?」
「・・・・・・・・・・じゃあ、兵集めに出掛けてて帰りが遅れてるって話にするとか・・・・・・・・・」
「時間がかかりすぎてるから俺も行く、とか言い出すだろ、お前が。」
「・・・・・・・・・・ぅ。」
 返される言葉は確かにそうなので、ビクトールは何も言い返せない。と、言うことは、フリックが死んだ事になっていたのは自分のせいなのだろうか。
「その通りだ。お前がいなけりゃ、もっとスムーズに仕事が出来てたんだよ。本当、良い迷惑だよ、お前は。」
「ううっ・・・・・・・・」
 疑問が顔に出ていたのだろうか。ビクトールの心の声に答えるようなフリックの言葉に何も言い返せなくなったビクトールだったが、このまま凹まされて話を終えるのもなんだか悔しくて、話題を変えてみる。
「・・・・・・・・そうだ。お前と一緒に遠征に出た奴ら。あいつらはどうして死んだんだよ。あいつ等も実は死んでないのか?」
「いや、あいつらは全部俺が殺したぜ。」
 サラリと返された言葉に、ビクトールは目を見張った。
「こ・・・・・殺したって・・・・・・・・?」
「ああ。全員ハイランドのスパイだったからな。だからあいつ等を引連れて遠征に出掛けたんだが。」
「スパイ?五人もか?」
「ああ。・・・・・・やばいよな。いくら結成したてだからといって、ゴロゴロスパイを野放しにしてる本拠地っていうのはよ。まぁ、今回の件で一掃出来たから、ひとまず安心だが。」
「スパイが・・・・・・・」
 軍の幹部としての自覚があっただけに、そんな重大な事実を知らされていなかった事に少々プライドが傷つけられた。
 そんなビクトールの心情に気付いたのか、フリックがさり気なくフォローの言葉をかけてくる。
「気にするな。その事を知ってるのは俺とシュウ位なものだから。チッチにだって知らせてないんだぜ?」
「・・・・・・お前に慰められると、余計に傷つくぜ。」
「・・・・・・・・なんだ、それは。失礼な奴だな。」
 ムッと頬を膨らませるフリックの様子に、ビクトールは軽く口元を緩ませる。だがすぐに顔を引き締め、問いかけた。
「じゃあよ、チッチが見たお前の死体ってのは、なんなんだ?」
「アレは俺に背格好が似た奴に少々手を加えさせて貰ったんだよ。」
「・・・・・・・それって、まさか・・・・・・・・・・・」
 イヤな予感に顔が強ばってくる。そのビクトールの表情の変化に、フリックはその先の言葉を牽制するように言葉を発した。
「言って置くが、わざわざ死体を作るようなマネはしてないからな。丁度良い死体があったんだよ。そいつの髪を染めて身体に傷跡作って。まぁ、顔はどうしようもないからちょっと潰させて貰ったが、無駄な殺しはしてない。嘘じゃないぜ?」
「・・・・・・・・そうか。」
 その言葉にホッと息を吐き出した所でふと、思い出した。
「なら、『ヴァイス』が言ってたことは嘘だったのか?」
「何がだ?」
「お前が人質取られて無抵抗で殺されたって言う話だよ。」
「ああ。あれは本当の事だぜ。」
「・・・・・・は?でも、今お前・・・・・・・・・」
 なんだかとっても矛盾のあるフリックの言葉に首を傾げて問いかければ、彼はニヤリと、口の端を引き上げた。
「スパイ連中を殺した後にそいつ等が来たんだよ。まぁ、来るように罠を張っておいたんだけどな。」
 そう答えたフリックの顔は、やたらと嬉しそうだった。その嬉しそうな顔のまま、彼は言葉を続けてくる。
「で、適当にやられた後に仕込んでおいた仮死状態に陥る薬を使って奴らに殺されたように見せかけてやったんだ。」
「なんだってまた、そんなめんどくさそうなことを?」
「作戦が失敗したときの保険にな。奴らに攻撃する理由を作っておかないとマズイだろ?まぁ、おかげで今回役に立ったわけだけどな。」
 ニコリと無邪気に笑いかけられたが、言葉にはとてつもなく邪気が込められている。自分に向けられた嫌味というレベルの話ではない、邪気が。
 そんなフリックの様子に、ビクトールの背中に冷たい汗が伝い落ちた。彼は、こんな男だっただろうかと思って。こんな、人を貶めることに楽しみを見出すような男だっただろうかと、そう思って。
 その疑問は顔に出ていたのだろう。フリックが口の端を引き上げ、ジンワリと瞳を細めて見せた。
「こういう計画を立てて実行するのは結構好きなんだぜ?相手が自分の思い通りに動くと、面白いだろ?思い通りにならなかったらならなかったでまた、楽しいし。」
「・・・・・・・お前・・・・・・・・・」
「そんな奴だとは、思わなかったって?」
 言おうと思っていた言葉を先に言われ、ビクトールは口を噤んだ。だが、そこで話を止めるわけにも行かず、小さく頷き返す。
「まぁ、な。」
 その返答に、フリックはククっと喉で笑いを零した。そして、短く言葉を返してくる。
「だからお前は夢見がちだって言ったんだよ。」
 それは、ヴァイスに言われた言葉だ。本拠地に戻ってきた時に、酒場で。自分の言葉に大笑いしていた彼に。
 あの時も笑われた意味が分からなかったが、今もそう言われる意味が分からない。何が言いたいのだと瞳で問いかければ、フリックは鼻で笑いながら言葉を返してきた。
「言って置くが、俺はお前が思っているほどキレイな人間じゃない。色々汚いことをして生きてきたからな。必要だと思ったら女だろうが子供だろうが、容赦なく殺せるぜ?まぁ、必要なきゃ殺しはしないが。」
「・・・・・・お前の考えも、『ヴァイス』と違わないって、事か?」
「大体はな。違いと言えば、俺は無抵抗な奴を殺す趣味は無いって事くらいかな。」
「どういう意味だ?」
「俺に殺気を向けない奴とは戦う気が起きないって事だよ。戦う気が起きないなら、殺す気も起きない。そう言うことだ。」
「俺はって・・・・・・『ヴァイス』はお前だろ?」
「俺だけど、俺じゃないんだよ。」
「・・・・・・・・・何言ってんだ?お前・・・・・・・」
「まぁ、分かってくれとは言わないけど。俺には俺の事情ってモノがあるんだよ。あまり詮索するな。」
 頭上にクエスチョンマークを飛び回らせながら問いかければ、鬱陶しそうにそう返された。なんだか良く分らない。分からないが、珍しく彼が自分の事を語ってくれているこの状況が少し嬉しくなってきた。その内容は、少々物騒だったけど。
 同じ事をヴァイスが口にしたら気分が悪いだろう事も、フリックが口にするとそう神経に引っかからないのはなんでだろうか。彼に心底惚れているかだろうか。それとも、気付いていないだけで心のどこかで分かっていたのだろうか。フリックが、こういう男だと言うことを。
 胸の内でそんな事を考えていたビクトールに、フリックはからかうような瞳を向けながら問いかけてきた。
「で、他に聞きたいことは?」
 言われ、しばし考える。今なら色々答えてくれそうだから、この機会に聞きたかったことを聞いてやろうかと、そう思って。
 だが、こういう場面になるとろく言葉が思い浮かばないモノなのだ。だから、近場の出来事で気になっていた事を口にした。
「あ〜〜。じゃあさ、あの戦場で燃やされたお前の生首はなんだったんだ?アレもどっかで調達してきた違う死体の首か?」
 その問いかけに、フリックは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「何言ってる。俺と同じ顔の人間がこの世にゴロゴロいるわけないだろうが。あれはもしもの時の為に用意しておい作りもんだよ。シグマが作ったんだ。」
「シグマが?」
「ああ。手に取ってみたらバレタだろうが、遠目で見た限り俺にそっくりだったぞ。あいつ、手先器用だからな。ちなみに、この入れ墨を入れたのもシグマだ。」
 言いながら己の身体を指さすフリックの指先につられるようにその蛇に視線を落とし、問いかける。
「・・・・・・・これ、落ちるのか?」
「ああ。特殊な薬液に全身を浸しておけばな。一応お前と別れた後に薬液に浸かってはいたんだが、時間が足りなくて中途半端な落ち具合のままなんだ。あと一週間も浸かっていれば綺麗に消えるぜ。」
「・・・・・・なるほど。それで、一週間待てと言ったのか。」
「そう言うことだ。」
 頷くフリックの言葉で、なんとなくだがこの事件の全貌が見えてきた。
 が、分からない事もある。
「・・・・・なんで全身に入れ墨なんか入れたんだよ。」
「あ?そりゃあ、『ヴァイス』だからだよ。」
「なんでだ?」
「なんでって、必要だから。」
「・・・・・・・・・わけわかんねぇ・・・・・・・・」
 低く唸る様に呟けば、フリックは説明するのも面倒だと言いたげに息を吐き出し、小さく首を振った。
「とにかく、そう言う決まりなんだよ。演じる時の気分の問題だ。それに今回は身体の傷を隠すっていう理由もあったからな。必要のあるものなんだよ。」
「・・・・・そう言うもんなのか?じゃあ、あいつは?シグマってのは、ありゃ何者だ?」
「あいつは俺の・・・・・・・・・・」
 言いかけて、フリックは口を噤んだ。
 言うべきかどうしようか迷うように。
 その空気に、ビクトールはカチンと来た。
「なんだよ、あいつは。お前のなんだってんだ?」
 不機嫌も露わに詰め寄れば、しばらく迷っていたフリックがようやく口を開いた。
「そうだなぁ・・・・・・・影みたいな奴・・・・・かな。」
「・・・・・・はぁ?」
 素っ頓狂な声を上げて問い返せば、フリックは薄く笑って返してきた。
「分からなければ良いさ。」
 それだけ言うと、フリックは軽く首を傾げて見せた。
 そして、瞳を細めて笑う。
「・・・・・・・・・で?やるのか?」
「あん?」
 問われた言葉の意味が分からず訝しげに問い返せば、フリックはクスリと息を漏らしてきた。
 そして、短く答える。
「さっきの続き。」
 言われ、小さく息を飲む。
 まさか彼からそんな誘いをしてくるとは思っていなかったから。
「・・・・・良いのか?」
「コレを見られたからな。もう断る理由は無いよ。お前にその気が無いって言うなら、それでも良いが?」
「・・・・・・・ンな事、言うわけねーだろうが。」
 笑みの混じる声でそう囁き、フリックの肩に手を伸ばした。そして、彼の身体を引き寄せるようにしてゆっくりと唇を触れあわせていく。
 それだけで熱を持ち始めたビクトールの身体に気付いたのだろう。小さく笑みを浮かべたフリックが、ビクトールの頬に手を伸ばしてくる。
「・・・・・・ついこの間やったばっかなくせに、随分と元気が良いんじゃないのか?」
「お前がいれば、俺はいつでも元気になれるんだぜ?」
「・・・・・・・・・言ってろよ、馬鹿熊が・・・・・・・・」
 クスクスと笑いを零すフリックの腕が首に絡みつく。
 その腕に引き寄せられるようにして、ビクトールはフリック身体をベッドの上に押し倒した。
 至近距離で見つめたフリックの青い目に、引きつけられる。心も、身体も。目が離せなくなりそうな程に。
「・・・・・・・・・・・・・・フリック。」
「なんだ?」
「愛してるぜ。」
 絶対に返して貰えない愛の言葉を囁き、口付けた。
 上辺だけの言葉すら返してくれないけれど。
 それでもこの青い瞳は自分のモノだと、そう思って。
 この瞳が。
 この男が。
 この存在が。
 傍らに居るだけで十分だ。
 本気でそう思いながら、ビクトールはうっすらと蛇の入れ墨が浮かび上がる白い肌を撫で上げた。
 こんな奴らに奪わせたりするモノかと、胸の内で呟きながら。







                   《終》





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20061008up






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