そこに居たのは十代の後半位までだ。
 飛び出すように村を出たは良いものの、ガキ扱いされてろくな仕事にありつけず、その日食うのも難儀しながら持てる力を振り絞って生きていた頃、ちょっとした切っ掛けで知り合った男に誘われてとある組織に身を寄せていたのは。
 そこでは様々なことを教わった。剣での戦い方は勿論のこと、体術も槍術も。弓にナイフに滅多に使うことのない特殊な武器の取り扱い方も一通り。村でも学んでいた事もあったが、村で学んだこと以上の技術を身につけることが出来た。
 気配の消し方に読み方。暗殺術に兵法に一般的な書類の作り方。裏帳簿の付け方や隠し方。人間の心理について等、実技以外の様々なことも教わった。それが、そこに属するために必要な知識だったから。
 戦い方や知識面だけではなく、物の考え方にも多大な影響を受けた場所だった。一番多感な時期に過ごした場所だったからかも知れないが、何よりも、そこのトップに立っていた人間が共感出来るものの考え方をしていたからかも知れない。勿論、共感出来ない部分もあったのだが。
 そんな、第二の故郷とも言うべき場所を脱したのは、まだ10代の頃だった。それ以上、あそこに居る意味は無いと思ったから。
 ただ脱するだけではなく、その組織のトップを葬り去り、重要な書類を全て焼き捨て、自分を追ってくる危険性がある者達を一掃した。片づけて置いた方が後々厄介なことにならないだろうと思う奴もいたが、仕事に出ていてその場にいなかった奴等はわざわざ探し出して片付けることはせず、そのまま放置して置いた。追いかけてきたら、その時に迎え撃てばいいだろうと思ったので。生き残った者達の中で、自分に手傷を負わせられるだろう者は、一人しか居なかったから。
 その一人が、今目の前にいる。
 フリックはさり気なく身体を緊張させていた。どんな攻撃をどのタイミングで仕掛けられても直ぐさま反応出来るように。
 男は暗い路地の奥まった場所にある酒場にフリックを招き入れ、店の最奥にある座席に腰掛けた。男の動きに従うように、フリックは男の前の席に腰を下ろす。そして、言葉を促すように男の顔を見つめた。
 だが、男はニコニコと機嫌良さそうに微笑むだけで、何かを言ってこようとはしない。
 フリックの眉間に軽く皺が刻み込まれる。警戒心は徐々に増していく。この男は微笑んでいる時が一番怖いのだ。彼の笑顔は、相手を油断させるために浮かべているものだから。
 スッと、フリックの瞳が細まった。その瞳に宿る剣呑な光に気付いたのだろう。男がより一層笑みを深くした。そして、嬉しそうに言葉をかけてくる。
「元気そうで安心したよ。」
 その言葉に、フリックは鼻で笑って返した。そして、言葉を返す。
「いつから見ていた?」
「ひと月くらい前だね。」
 ニコリと微笑みながら答えを返してきた男の言葉に、フリックは気付かれないように小さく舌を打った。
 その頃はベッドの上から起きあがれない状態だった。仕掛けられていれば反撃をしていたが、良くて相打ちだっただろう。体力が落ちている時は常よりも神経が過敏になるというのに、男の存在にまったく気付いていなかった。目の前の男は記憶にある頃よりも腕を上げたらしい。自分も腕を磨いては来たが、今は万全の体調ではないから、正直どこまでこの男とやり合えるのか分からない。
 やはりあの時、探し出して仕留めておけば良かったか。
 今更言ってもしょうがないことを胸の内で呟きながら、フリックはほんの少しだけ身体を引いた。怪しい動きがあったら、攻撃される前に仕掛けようと。
 そんなフリックの考えを読んだのだろう。男はじわりと口端を持ち上げた。そして、降参するように両手を上げてみせる。
「最初に言ったとおり、お前とやり合う気はない。仕事は関係なく、個人的な用件でお前と接触したんだからな。」
「個人的?」
「そう。前から言ってるだろ?俺は、お前に惚れてるって。」
 気安い口調でそう告げてきた男は、戯けるように片眉を持ち上げてみせた。そして軽く首を傾げてフリックの顔を見つめてくる。
 そんな男の顔を、冷たい瞳で見つめ返す。戯れ言よりも本題に入れとその眼差しで告げながら。
 無言の要求を察したのだろう。男は口端を引き上げて笑みを深くしながらテーブルの上に両肘を置き、組んだ手の上に顎を乗せて軽く首を傾げた。そして、僅かに瞳を細めて楽しげに言葉を発してくる。
「頭が亡くなったあと、残った左足が組織を引き継いだが、所詮左足だからな。ろくに機能しなかった。だが、ネームバリューがあるからそれなりに仕事が舞い込んできてね。それを片付けるのに躍起になってる。これ以上信用を落とせないってな。報復行動に出ようにも、お前とまともにやり合える奴は残っちゃ居なかったし。下手にちょっかい出して本当に潰されるよか、お前の事を忘れて組織の形を保つ方が自分達の為になるって判断して地道な活動をしているのが、今のうちの現状だ。最近耳にしないだろう?」
「ああ。」
 確かに、自分が所属していた頃には色々な場所で耳にしていた組織の名を聞く機会が殆ど無くなっている。しかし、しぶとく残っているのならば、体勢を整えた後に遅ればせながら報復行動に出てくる事も考えられる。
 そうなった時、一番やっかいな相手になるのは目の前の男だろう。それよりも何よりも、此処で見逃して余計な報告をされるのも鬱陶しい。消えかけていた火に油を注ぎかねないから。いや、報告はとっくのとうに行っているのだろうか。
「お前のことを知っている奴は、もうアソコに居ないぜ?」
 楽しげな男の言葉に、フリックは鋭い視線を向けた。その視線を真正面から受け取った男は、怯えた様子もなく弾んだ声で言葉を続けてくる。
「お前と面識のある奴等は少しずつ俺が始末していったからな。左足も、もうこの世に居ない。今はお前が知らない奴が頭についているよ。」
「・・・・・・・・・なんでだ?」
「お前が生きているのを知ったからな。」
 問いに、男はニヤリと口角を引き上げた。そして、フリックの青い双眸を覗き込んでくる。
「俺は楽しいことが好きだ。お前と同じでね。お前と居たら、あそこに居た時以上に楽しい人生が送れると、直感で思った。最初に会った時からそれは思っていたんだけどね。俺は、その直感を信じている。」
「・・・・・・・だから、奴等を殺して俺に付くと?」
「そう。」
「あの男を殺した俺にか?」
「うん。俺は、強い人間が好きなんだよ。お前に殺されたって事は、あの人がお前より弱かったって事だろ?だから、その事は全然気にしてない。お前に殺されて、あの人も本望だっただろうと思うし。あの人も強い人間が好きだったからさ。」
 そこで一旦言葉を切った男は、ニコリと屈託のない笑みを浮かべて寄越した。そして、短く告げてくる。
「だから、俺を雇ってよ。」
 言葉の響きは軽いが、向けられている瞳は真剣そのものだ。真っ直ぐにフリックの青い双眸に向けられている。
 その瞳を、見つめ返した。
「・・・・・・・・お前に報酬を払う余裕は、俺にはない。」
「俺にとっちゃ、お前の命令を聞くことが報酬みたいなもんだ。そうすることで、お前との繋がりが深くなる。俺はお前の一部になれる。これ以上望むものはないよ。」
「良く言う・・・・・・・・・・・」
 熱の籠もった男の言葉に、フリックはフッと口元を緩めた。
 そして、視線を僅かに反らす。
「俺が断ったら、どうする気だ?組織に戻るのか?」
「お前は断らないよ。」
「大した自信だな。」
「それだけの力は、持ってるからね。」
 男はジンワリと瞳を細め、口端をゆっくりと引き上げる。言葉は軽くても、揺るぎない自信が身の内から満ちあふれていた。
 確かに、男の腕は立つ。彼以上に有能な人間を、フリックは知らない。男の力があれば、今後の活動も何かと楽になるだろう。自分が指示しなくても、ある程度の情報を運び込んでくるだろうし。
 扱い方を間違ったらかなり危険な生き物になることは間違いないが、上手く使えばこれ以上ないほど使い勝手の良い生き物だ。
 フッと、息を吐いた。個人個人の関わりが気迫だったアノ組織の中でしつこいくらいに自分にちょっかいをかけてきた男だ。ここで否と言ってもしつこく迫ってくるだろう。お互いに課せられたものがない状況だから、昔よりもなお一層しつこくなる気がする。
 無駄な問答を繰り返す趣味は、フリックにはない。
 ジッと、男の瞳を見つめ返した。そして、鋭い光を放ちながら告げる。
「手を噛んだら、始末するぞ。」
「分かってるよ。」
 フリックの言葉に、男はコクリと頷いた。そんな男に、フリックはフワリと柔らかく微笑みかける。
「シグマ。」
 ピクリと、男の肩が揺れた。
 その動きを視界にいれ、ジンワリと瞳を細める。そして、短く告げた。
「それが、お前の名だ。」
 その言葉に、男は・・・・・・・・シグマは、ニコリと微笑み返してきた。


















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【20040930UP】














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