アンヌの取り仕切る酒場に足を踏み入れると、そこには日が落ちて大分経つというのに活気が満ちあふれていた。その活気に圧倒されながら、誰かと約束して酒場に来たわけではないジョーは、どこの席に着こうかと店内へと視線を向けた。
少し前では考えつかなかった情景。グラスランドの民と、ゼクセンの民が肩を寄せ合って酒を酌み交わす情景がそこに広がっている。
何の気負いも無く、ギスギスした空気もない。旧知の仲であるかのような、そんな自然な関わり合いがジョーの目の前にある。
その事に、なんとなく頬が緩んだ。今この時だけで消えてしまう情景なのかも知れない。だが、手を取り合って戦ったという確かな事実が出来れば、この先の関係も少しは変わってくるのでは無いだろうか。
例えこの先袂を分かつことが出てきても、以前のように、鉄頭だ、蛮族だと、お互いをただ種族が違うという理由だけで切り捨てることは無くなるだろうと、そう思う。
そんな考えに浸りながら店の入り口に立ちすくしていたジョーに、店の喧噪の中でも通りの良い声がかけられた。
「こんばんわ。珍しいですね。お一人で酒場に来られるなんて。」
その声に視線をそちらへと向けると、声の主はカウンターに一人で座っていた。アンヌが目の前にいる様なので、彼女と話をしていたのかも知れない。ジョーは親しげに声をかけてくる人物に、観察するような視線を向けた。
ダックである自分にはあまり興味が無いことではあるが、「人」の基準で言えば見目の整った男であるのだろうと思う。
線が細い、繊細な顔立ち。サラサラと音がしそうな程真っ直ぐに伸びた灰色がかった緑の髪が、白く細い首筋を覆っている。そして、その整った面には決して女性的ではないのに、どこか柔らかな印象を受ける笑みが浮かんでいる。思わず、引き込まれてしまうような、そんな笑みが。
どこかで会った気もするのだが、何故か思い出せない。自分を見つめる瞳には親しげな色があるので、面識があるのだろうと思うのだが。
なんとか思い出そうと考え込むジョーに、彼は微笑みを絶やすことなく言葉をかけてきた。
「誰かと待ち合わせをしていらっしゃるのですか?」
「いや、そんなことは無いが。」
「では、ご一緒しませんか?一人で飲むのは、味気ないものだったのです。」
「・・・・そうだな。」
男の提案に、ジョーは小さく頷きを返した。話をしていれば、彼が誰だったか思い出せるかも知れない。
そう考えたジョーは、彼の隣の席へと腰を下ろした。そんなジョーの応対に、男は嬉しそうに笑みを深めて見せた。その笑みに、ジョーは思わず視線を反らせてしまった。どうしてかは、分からないが。
「何を飲む?」
そんなジョーの反応に気が付いているのかいないのか。アンヌが気さくに声をかけてきた。いつもと変わらぬアンヌの対応に気持ちを落ち着けたジョーは、飲み慣れた銘柄を注文をする。品はすぐに手渡された。それに口を付け、身体の中に液体を流し込んでいく。
じんわりと内蔵に染み渡るアルコールに、身体が熱を持っていく感じがした。その感触を楽しむようにうっすらと瞳を閉じていたジョーは、自分に注がれている視線に気が付いた。
「・・・・なんだ?」
「いえ。どうやって飲むのか、気になって。」
ジョーは、ニッコリと笑いながらそう返してきた隣に座る男の言葉に首を傾げた。何を言われたのか、分からなかったのだ。
「どうやってって・・・・何がだ?」
「だから、あなたが。」
重ねられた言葉を聞いても、良く分からない。
再度問いかけるように彼の瞳を覗き込むと、男は先ほどから変わらぬ笑顔のまま言葉を足してくる。
「その嘴でしょう?普通のグラスから、我々と同じように飲むことが出来るのか、気になりましてね。・・・・どうやって飲んでいるんですか?」
「どうやってって・・・・別に、普通だぞ。見たとおりだ。」
「確かに、飲んでいる姿は拝見致しましたが、どうも納得出来ないんですよねぇ・・・・。」
軽く腕を組み、右手の指を顎に当てて首を傾げながら考え込む男の姿が、ジョーの記憶のどこかに引っかかった。
この仕草を、どこかで見た気がするのだが。
記憶を引き出そうとしているジョーの事など構いもせず、考えることを止めたらしい男がニコニコと微笑みながら顔を寄せてきた。
「ちょっと、触っても良いですか?」
「は?」
「嘴に。」
「・・・・別に、良いが・・・・。」
屈託無い笑みは子供のようで、なんとなく断れない。断れないが、積極的に許す気にもならず、自然と言い方はぶっきらぼうなモノとなった。そんな快いとも言えない頷きに、男は嬉しそうにジョーの嘴に手を伸ばしてくる。
優しいタッチで撫でられてくすぐったかったが、なんとか堪える。ここで笑い出しでもしたら、ダッククランの威厳が無くなってしまう。そう思って。
そんな事を考えながら与えられる刺激に耐え忍んでいたジョーに、男が更に問いかけてきた。
「ダックの人達は、キスとかするんですか?」
「は?」
「だから、キス。」
何をどうしたらそう言う方向に話が向くのだろうか。脈絡のない問いかけに、どう返答したものか悩む。
キスと言うのは、人間達が唇を合わせて愛を確認する行為の事だろう。それと同じ意味合いの行為はあるが、それとまったく同じ行為というのは、身体構造の関係上難しくはある。
どう言って説明したものかと悩むジョーの顔を覗き込んでいた男が、不意に距離を縮めてきた。
何事だろうかと彼の動きを目で追っていたジョーの視界に彼の端正な顔が近づき、嘴の根本に柔らかい温かさを感じた。どうやら口づけをされているらしい。いったい、何を考えてこんな事をしているのかと戸惑うジョーの事など構いもせず、男はその薄い唇から紅い舌をチラリと覗かせ、嘴の端をゆっくりと舐め上げた。
その感触に、ジョーの背筋に電気が駆け抜けた。
くすぐったかったわけではない。いや、確かにくすぐったい感じがしないでも無かったが、それだけでは無いと思う。なぜそんな感じがしたのかは分からないが、なんだか凄く、動揺する。
そんなジョーの反応など気にもせず、男が呟きを漏らした。
「・・・・あまり、楽しくないですね。」
どこか不愉快そうに呟いた男は、縮めていた距離を戻し、先ほどまで座っていたイスに座り直した。
楽しくないという言い方はどうなんだろうかと思ったが、ここで騒ぎ立てるのも大人げない。ここは黙ってやり過ごそうと、ジョーは考えた。今口を開いたら動揺のあまり声が震えそうなので喋りたくなかっただけだという意見もあるが、それは考えないで置く。
何事もなかったように酒の入ったグラスに手を伸ばしたジョーは、中身を一気に煽った。体内に流れ込んできた液体のおかげで、少し心が落ち着く。その事に、ジョーは隣の男に気付かれぬようにしながら、ホッと息を吐き出した。
そんなジョーに、男が再び問いかけてくる。
「それって、どうなってるんですか?」
「え?」
「その手。・・・っていうか、翼?」
「どうって・・・・・。」
「触って良いですか?」
「・・・・・・あ、ああ。」
ニコニコと笑いかけてくる男の願いは先ほどと同様になんの繋がりも無かった。展開について行けず頭を捻っていたジョーではあったが、男の言葉には思わず頷きを返していた。何故か、彼の言葉に逆らえないのだ。
彼に近い方の手である左手を彼の方に伸ばしてやれば、彼は興味津々と言った様子でその手を触ってくる。
「・・・・へぇ・・・・。アヒルとは、違うんですね。」
「そりゃあ、違うさ。俺たちはダックだからな。」
「アヒルとダックは違うんですか?」
「・・・・・・・・同じだと思っていたのか?」
あんな家畜と自分たちが同じだと思っていたのか。この男は。
彼の問いかけにカチンときつつも、平静を装って問い返す。問い返された彼は、何かを考えるように顔を顰めてみせた。
「・・・・・・・・・・・大きさは、違いますよね。」
「・・・・・・大きさだけじゃなく、根本的に違うだろう。アレと我々とでは。」
「食べられませんか。」
「・・・・・・・・・・食うな。」
なんなんだ、この男は。
微妙に会話が成り立っていない気がする。怒るよりも呆れる心の方が大きくなるという物だ。
もうなんでもやってくれと言う心境になっていたジョーの手を、男はしつこいくらいにまさぐっていた。
そんなにも不思議なのだろうか。ジョーにしてみれば、羽を纏っていない彼等の身体の方が不思議なのだが。
「ダックの人は、どうやるんですか?」
「・・・・・何をだ。」
今度は何だ。この手でどうやって服を着るんだとでも聞いてくるつもりか。
何の脈絡もない、いきなりの質問にも慣れたジョーは、投げやりに問い返しながら酒を口に含んだ。そんなジョーに、男は軽い調子で単語を一つ、寄越してきた。
「セックス。」
「ごふっ!!」
言われた言葉に、口の中に入っていた液体を全て吹きだしてしまった。
「な、何をいきなりっ!!」
「ああ、アヒルだから、交尾ですか?」
「アヒルと言うな、アヒルとっ!」
「前々から気になっていたんですよ。羽が生えているとは言え、いつも下半身むき出しで歩いていらっしゃるし。発情期とか、大変じゃないですか?」
ジョーの言葉になど耳を貸した様子もなく、男は真剣な眼差しで問いかけてくる。
なんなんだ、こいつは。いきなりそんなことを聞いてくるだろうか、普通。初対面の相手に。と考え、思い直した。
自分は忘れているが、この男は自分と面識があるような態度を最初から取っていた。と言うことは、突っ込んだ話を出来る位に親しかったのだろうか。しかし、それだけ親しかったら忘れることはないだろう。
考え込むジョーの事など無視して、男はドンドン話を進めてくる。
「やっぱり、アヒルのような求愛行動を取られるのですか?性交渉も、子孫繁栄のためにしかやらないんでしょうかね。発情期って、あるんですか?」
「・・・・・・・・・・あのな。」
「そうですよな。ありますよね、発情期。人間のように年がら年中発情期だったら、女性の方達も気が気じゃ無いでしょうからねぇ・・・・。何しろ、下半身むき出しにして歩いていらっしゃることですし。」
「・・・・・・・・・・・・おい。」
「そういえば、子供は卵から孵るのですか?」
「・・・・・・・・・・・だから・・・・」
「いい加減そこまでにして置いたら。」
どう言い返せば良いのかと言葉に困っていたジョーに、カウンターの中から助けの手が差し伸べられた。
その声にすがるような視線を向ければ、アンヌは男に向けていた呆れたような顔を苦笑にかえ、ジョーへと視線を向けてきた。
「ゴメンネ、軍曹。ちょっとこの人、酔っぱらってて。」
「酔っぱらってるって・・・・。これで?」
言われた言葉に視線を男に向けたが、ジョーの瞳に映る男にの顔には酔いの色など微塵も浮かんでいなかった。
確かに酒臭さは全身から漂っているが、その顔つきは酔った者特有の崩れたものではなく、理性の色を伺える程にしっかりとしたものだ。多少会話がかみ合ってはいないものの、言葉に乱れもない。顔色も、酒が入っているとは思えないくらいに白いのだ。
そんな観察するようなジョーの視線に晒された男は、イヤそうに顔を歪め、アンヌに向かって抗議を始めた。
「酔ってなんかいないぞ。俺はまだまだ飲める。」
「たしかに、まだまだ飲めるでしょうけど。既に明日の記憶の保証は出来ない状態だと思うわよ?」
「・・・・イヤな奴だな。」
「お褒めにあずかり、光栄ね。・・・・ってわけだから、まともに相手をしなくても良いわよ。あまり深く関わると、いくら軍曹でも食べられちゃうわよ。この男に。」
その言葉に背中に冷や汗が伝い落ちた。
彼は本気で自分たちを食用鳥と思っていたのか。
震え上がっているジョーの様子など気が付かなかったのだろう。アンヌは視線を男に戻し、意地の悪い笑みを向けていた。
「何しろ、今日はオトモダチと喧嘩して、機嫌悪いみたいだから?いつにも増して見境無いみたいよ?」
「・・・・・・・・・・五月蠅いな。あんな奴、友達でも何でも無い。」
からかうようなアンヌの言葉に、男は不愉快そうに顔を歪め、視線を避けるようにそっぽを向いてしまった。
そんな彼の態度に小さく笑いを零しながら、アンヌが更に言葉をかけた。
「じゃあ、恋人?」
「・・・・・・・・・・・・そんなわけ、あるか。」
地を這う位に低められた声でそう呟いた男は、目の前にあったグラスの中身を一気に煽り、追加を注文する様に空いたグラスをカウンターの上に叩き付けた。
呆れたような態度を取りながらもアンヌが酒を出しているので、まだ飲めると言う言葉は本当なのだろう。
限界だと思ったら、アンヌは酒を出しはしないから。
先ほどまで上機嫌だった男とは思えないくらいに不機嫌なオーラをその全身から漂わせ始めた男から、視線が外せなかった。
食われるのはイヤだが、逃げ出そうという気も起きてこない。そんなジョーの心を感じたのか、男が再びジョーに向かって問いかけてきた。
「・・・・・・・・・人間と、出来るんですか?」
「何を?」
「だから、セックスを。」
まだその話題が終わっていなかったのか。
一瞬言葉を失ったジョーの事など気にもせず、男は喋り続けてきた。
「・・・・・・・やれたとして、生まれた子供はどんな風になるんでしょうかね。雑種の犬みたいに、頭は父親似で身体は母親似とかになって、顔は人型で身体はアヒルとかになるんでしょうか。それとも、形は人間で、全身に羽が生えてたりするんでしょうかね。」
「・・・・・・・・・あのなぁ・・・・。」
「見たことないから、やはり子供は出来ないと言うことでしょうかね。」
「・・・・まぁ、聞いたことは無いな。」
「試したことは無いんですか?」
「何を?」
「人間とセックス出来るのかって事を。」
「・・・・そんなこと、あるわけ無いだろう。」
「そうですよね。一発大当たりで子供が出来ちゃったら、その子の将来が心配ですしねぇ・・・。」
何を納得したのか分からないが、男は大きく頷きを返してきた。カラヤの民と長く共に過ごしているが、彼等はそんなことを聞いては来なかった。こんな事を聞かれたのは初めてで、少し困惑する。
これがゼクセンの民の思考なのだろうか。随分と変な事に突っ込みを入れてくる。とは言え、さすがにこれで終わりだろう。何かに納得しているようだし。
そう思ったジョーであったが、予想は当たらなかった。
「生殖器って、どこに付いてるんですか?」
「え・・・・・?」
「人型の人と同じなんですか?それとも、アヒルと同じなんですか?」
そんなことを聞かれても、マジマジと人様のモノやアヒルのモノなど見たりしないので良く分からない。
「いや、それはちょっと、良く分からないが・・・・。」
素直にそう答えれば、男はニヤリと笑い返してきた。それは、新しいおもちゃを見つけた子供のような、獲物を見つけた肉食獣の様な、そんな笑み。
その笑みに、背筋に冷や汗が伝い落ちる。
「じゃあ、調べてみて良いですか?」
「え・・・・・・・・・・ええっ!!」
「大丈夫です。私はその手のモノは見慣れてますから、どこがどう違うか、克明に教えて差し上げられますよ。」
クスクスと笑いながら男が身を寄せてくる。そして、男の細く長い指がジョーの嘴に伸ばされ、優しく撫で上げたと思ったら頬を伝い、胸元を辿ってむき出しの腹へと伸ばされていく。
その動きを目で追う内に、動悸が激しくなってきた。硬直して動けないジョーに、男はクスリと笑みを漏らす。
笑みの形に固定された唇が嘴に近づいてくる。
自分はこの場で食われて死んでしまうのではないか。そう思いながらも、逃げる事など出来はしなかった。
身動きすることも出来ず、迫り来る男の白い面をジッと見つめ続けていると、いきなりその顔が遠のいていった。
「ちょっと、いい加減にしてよね!人の店のカウンターで、男をたぶらかさないで頂戴!そういうことは別のところでやってって、いつも言ってるでしょうっ!」
男の襟首を掴んでそう怒鳴っているアンヌの様子に、自分が彼女に助けられたのだと言うことを察する事が出来た。
未だに続く動悸をなんとか抑えようと小さく深呼吸を繰り返すジョーの耳に、男の声が聞こえてくる。
「分かったよ。そう怒るな。」
苦笑を浮かべながら引っ張られた事で締め上げられた首筋をさすっていた男が、深呼吸を繰り返しているジョーへと視線を戻してきた。
「じゃあ、ジョルディ殿。行きましょうか。」
「い・・・・行くって、どこに?」
「外に。私の部屋には、アホが一人居座っているんでね。申し訳ないですが、初体験は野外で実戦です。」
「な・・・・何?」
「でもまぁ、それはそれで燃えますかね。」
ニコニコと、屈託のない笑みでそう言う男の姿に、治まりかけていた動悸再び激しくなってきた。
「どこが良いでしょうかね。色々知ってはいますが・・・・。やはり、水辺の方が落ち着きますか?それなら・・・・・。」
「す、すまん!用事を思い出した。俺は、これで失礼する!」
「え?」
キョトンとした顔で首を傾げる男から目を反らし、ジョーは慌てて懐から酒代を取り出した。それをカウンターに置くと、早足で店から飛び出した。
一歩店から足を踏み出したジョーは、何を目指すでもなく、星空の下を走り抜けた。
深夜の冷たい空気が、混乱したジョーの心を静めてくれる。
酒場から湖の畔まで全速力で駆け抜けてきたジョーは、なんとか平常心を取り戻し、水辺に適当に腰を下ろすと、深い息を吐き出した。
「く・・・・・食われるかと思った・・・・・。」
本気でそう思った。彼の目はそれくらい真剣だったのだ。
今までにこんな怖い思いをしたことは無い。そう思うくらい、さっきのやり取りは怖かった。
「・・・ゼクセン人は、怖いな・・・・・。」
もう一度息を吐き出したジョーは、しばらくの間その場から立ち上がることが出来なかった。
やはりゼクセンの民とは仲良く付き合えないかも知れないと、そんなことをボンヤリ考えるジョーの身体を、月明かりが優しく照らし出していた。
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鴨
このページのどこかにもう一つ入り口があります。
相も変わらずエロではありませんが。