【1】
「ゾロ、ちょっとこっち来て!」
船尾でのトレーニングを終え、ラウンジで水の一杯でも飲もうと歩を進めていたゾロは、船首の方からナミに呼ばれて視線を向けた。そして、眉間に深い皺を寄せる。船首に居たのが、ナミだけではなかったので。
なんとなく嫌な予感がしたので近づきたく無かったが、ここで無視したら後が怖い。深々と息を吐き出したゾロは、覚悟を決めて船首へと歩を進めた。
「――――何の用だ?」
「いいから、まずは座りなさいよ」
命令するような強い口調で言われ、ゾロは小さく息を吐き、ゆっくりと腰を下ろす。立ったままで居ようとしても、絶対に力ずくで座らせられることになるのは、経験上分かっているので。
腰を落ち着けてからザッと回りを見渡してみれば、そこにはクルー全員が揃っていた。いや、全員ではない。ラウンジに籠もり夕食の準備をしているであろう、サンジの姿がない。
何故彼はこの場に呼ばれていないのだろうか。不思議に思い、内心で首を捻る。そんなゾロの胸の内など読み取る気も無いのだろう。ナミが唐突に切り出してきた。
「何をあげたらいいと思う?」
「あぁ?」
主語の無い問いかけに、思いっきり顔をしかめた。そんな話の振り方で答えられるわけがないだろうと、内心でかなりバカにしつつ。
ゾロのメッセージを正確に受け取ったのだろう。ナミの全身を険悪なオーラが覆った。だが、ここで騒いだら話が先に進まないと思ったのか、険悪なオーラをほんの少し緩和させた。そして、不機嫌そうにしながらも言葉を足してくる。
「サンジ君の誕生日プレゼントよ。もうすぐでしょ、彼の誕生日」
「――――あぁ、そう言えば」
言われ、今日の日にちを思い出しつつ、呟くように漏らした。今日が何月何日かなんて事は意識しないで生きているからか、自分の誕生日すら人に言われるまで思い出せないのだ。人の誕生日など、すっかり忘れ去っていた。だが、何かにかこつけて宴会を開く宴会好きのクルー達は仲間の誕生日をしっかり記憶していたらしい。
今は二月中頃だ。三月頭にあるサンジの誕生日が迫っている。盛大に祝おうと思っているのならば、そろそろ下準備を始めねばならないだろう。何しろここは、何が起こるか分からないグランドラインだ。いつ次の島に着くのか、正確には分からない。誕生日付近で上手く船が陸に着くと保証は、全くないのだ。運悪くどこにもたどり着けなかったら、何も買えなくなってしまう。
誕生日の日にちは忘れていたけれど、早めに行動してプレゼントを用意しようと思うクルー達の心情は理解出来た。だが、何故そこで自分に彼へのプレゼント内容を問うのかは、分からない。彼とは決して仲が良いとは言えない自分に問う意味が。
ナミの考えを読むために、彼女の瞳をジッと見つめた。その視線を真っ向から受け止めたナミが、小さく鼻で笑い返してくる。
「他のみんなにも聞いたの。でも、なかなか良い案が無くって。だから、あんたにも聞いたの。採用出来る意見を言いそうに無いけどね」
「――――そう思ってるんなら聞いてくるなよ」
バカに仕切った表情でキッパリと言い切ってくるナミの言葉にカチンと来て、思いっきり彼女の顔を睨み付けてやった。
その顔は、そこらの海賊でもびびって腰を抜かす程凶悪な顔だったと思う。だが、ナミは少しも怖がった様子を見せずに言葉を続けてくる。
「下手な鉄砲数打ちゃ当たるって言葉があるでしょ。で、あんたは何が良いと思う? ちなみに、今回はみんなでお金を出しあって、大きいモノを買おうかと思ってるんだけど」
どうだろうかと問いかける様子を見せながらも、彼女の中では決定された事なのだと言う事を感じ取り、軽く息を吐き出した。
彼女に逆らうのは、自殺行為に等しい。ここはさっさと何かしらの答えを口にした方が、早く解放されるだろう。そう判断し、ゾロは暫し視線を天に向けた。何か無いだろうかと、考えながら。
「――――鍵付き冷蔵庫じゃねぇのか? 年中騒いでるだろ」
「チョッパーとウソップも言ってたけど、そんなモノを買うお金なんか無いわよ。もっと安くて、それで居てサンジ君が喜ぶモノ!」
考えに考えて発言した言葉は、あっさりと却下された。そのすげない態度にかなりムッと来たが、一々腹を立てていたら精神が持たないと平常心を心がけ、再度考え込む。
「――――じゃあ、食い物」
「食い物って、食材のこと? それは喜ぶだろうけど、食べるのは私たちでしょ。プレゼントする意味がないわ」
「煙草」
「消耗品じゃ味気ないじゃない」
「ライター」
「もう持ってるでしょ。二つもいらないわ」
適当に彼が身につけているモノを上げていけば、次々と却下されていく。自分の意見など聞く価値も無いと、言わんばかりに。
そんなナミの反応の仕方に、何故わざわざ呼びつけてまで自分に考えさせるのだと、怒りがジワジワと浮かび上がってくる。
発言が全て却下されるのならば、自分がこの場に居る必要は無いだろう。これ以上の意見など、自分には無いから。
意見を全く言わなかったわけではない。言うだけ言って採用されなかっただけなのだから、この場から立ち去っても怒られはしないだろう。そう勝手に判断し、腰を浮かしかけた。
だがそこで、動きを止める。脳裏に金がかからず、それで居て確実にサンジが喜ぶ『プレゼント』の存在が思い浮かんできて。
ニヤリと、口端を引き上げる。そして、からかうような口調で告げた。
「お前等二人がキスしてやりゃぁいいんじゃねぇのか? アホ見たく大喜びするぜ、あの野郎ならな」
「――――何言ってンのよ、あんた」
ナミとロビンの顔をチラリと流し見ながら発した言葉に、ナミは不愉快だと言わんばかりに顔を歪めた。だが、考える余地がある提案だったらしい。軽く曲げた人差し指の関節を己の唇に当てながら、思案するように黙り込む。
ナミの隣に座っていたロビンは、ナミが思案している様をしばし見つめていた。だが、ナミが直ぐさま言葉を発しないと判断したのだろう。楽しげに瞳を細めながら、言葉を返してくる。
「私はそれでも良いわよ。私なんかがキスをして、コックさんが喜んでくれるなら」
その発言に、ナミがギョッと目を見開いた。そして、恐る恐ると言った様子で問いかける。
「ロビン、本気?」
「えぇ。私には彼が何を欲しているのか分からないし。それに、キスはどれだけあげてもお金がかからないもの」
金がかからないと言う言葉は、金の亡者であるナミには魅力的だったらしい。ピクリと肩が跳ね上がった。だが、すぐには食いつかず、思案するように言葉を漏らす。
「――――確かに、元手は一切掛かってないから、お安いプレゼントではあるけど……」
どうやら、仲間以上の情が無い相手にキスをする事にはは躊躇いを感じるらしい。ナミは語尾をかき消すように言葉を発し、黙り込んでしまった。
しばしそんなナミの様子を見つめる。まだ話が続けられるだろうかと、思って。だがどうやら話はこれで終わりらしい。ナミは長考に入り、ルフィは特等席のメリーの頭の上へと飛んでいった。
そんな二人の姿を目にして、ゾロもゆっくりと腰を上げる。
「俺はもう行くぜ。プレゼントはてめぇらが勝手に考えろ」
「なによ、その投げやりな言葉は」
ゾロの言葉に、ナミがムッと顔を歪めながら視線を向けてきた。そんなナミに、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべてみせる。
「俺が何をやってもアイツは喜ばねぇだろうからな」
冗談でも何でもなく、本気でそう思って告げる。些細な切っ掛けで喧嘩へとなだれ込んでしまう関係だ。そんな相手から貰ったモノなど、嬉しくもないだろうから。
だが、ナミはそう思わなかったようだ。もの凄くなにか言いたそうに顔を歪める。そして、ゆっくりと口を開いた。
「――――あんた、サンジ君がそんな人だと、本気で思ってるの?」
問われた言葉に、直ぐさま言葉を返すことが出来なかった。そう問われたら、頷く事が出来なくて。
男に対する態度はもの凄く悪い男ではある。男などどうでも良いと常日頃から言っている。だが、言葉と態度程どうでも良いと思っている訳ではない事は、分かっている。少なくても一度自分の懐に入れてしまった人間達の事は、言う程ぞんざいに扱っては居ない。だから、自分が何かをやったとしたら、その時は散々こき下ろすかも知れないが、ちゃんと大事に扱ってくれるだろう。
そう思うのだが、そう言う男だと分かっていると言いたい気分ではない。だからスイッと視線を外し、さっさと足を踏み出す。そしてヒラリと、右手を振った。
「とにかく、プレゼントはやりたいと思った奴がやりたいもんをやれば良いだろ。お前等二人が寄越したもんなら、アイツも文句はいわねぇだろうしよ」
「それは分かってるけど。でも、年に一回の誕生日なのよ? 本当に欲しいモノを上げたいじゃない!」
歩を進めだしたゾロの背中に、ナミの声がぶつかった。だが、振り返らずに歩を進めていく。別に自分は、そんなことを考えていないので。
ナミに言ったとおりに、プレゼントなど、やりたいと思っている奴がやりたいものをやれば良いと、思っている。それで相手が気に入らなかったらそれまでだ。一度やったモノを相手がどう扱おうと、別に気にならない。知らない間に海に投げ捨てられていようと、気にならない。
いや、それはさすがにむかつくかもしれないが。
そんなことを考えながらラウンジへと向かう。話している間に、喉の渇きが増してきたために。
扉を開くと、微かにきしんだ音が響き渡った。その音を耳にしたのだろう。コンロに向かって鍋を覗き込んでいたサンジが、チラリと視線を上げてくる。そしてほんの少しだけ、首を傾げた。
「――――何の用だ?」
「水」
「冷蔵庫の中に入ってるぜ」
短い言葉に返ってきた言葉に従いズカズカと室内に入りこんだゾロは、冷蔵庫を開け、扉の裏に視線を走らせた。そして、迷い無く緑色のボトルを手に取る。
それは、激しいトレーニングで他のクルーよりも流す汗の量が多いゾロ専用のドリンクが入っているボトルなのだ。最初にトレーニング後にはその緑のボトルから水分を取れ、と言われたときには面倒臭いことをさせると思ったのだが、一度飲んでしまったらトレーニング後の飲み物はこれの他にはないと思うようになってしまった。偶に作り置きが無いときに、がっかりしてしまうほどに。
これは良いことなのか、悪いことなのか。何やら食い物を盾に飼い慣らされた感がしないでもなくて、偶に不愉快な気分にもなったりするので悩むところだ。だが、用意されるボトルを突っぱねることは出来ない。そんな事をしたら、心身共に乾いてしまう気がして。
自分の考えに、内心で苦笑を零す。やはり自分は飼い慣らされているなと、思って。
そんな事を考えながら、中身をコップに注ぎ入れる事無く、ボトルに直接口を付けて中身をあおる。
そんなゾロの動向を確認するでもなく、サンジは鍋の中身を真剣な瞳で見つめながらゆっくりと、かき回している。その背中を見つめながら、適当な椅子に腰をかけた。
いつもだったら、汗くさい身体でいつまでもラウンジに居座るなと怒鳴ってくるサンジだが、余程鍋の中に神経を注いでいるのだろう。声をかけてくる様子はない。もしかしたら、自分の存在そのものを認識していないのかも知れない。
それ程まで鍋の中身に神経を、時間を注ぎ込んだところで、クルー達が微妙な味の違いなど理解出来るとは思えないのだが。とくに、人一倍食す、ルフィには。自分にだって、分からない。他の奴が作った飯よりも彼が作った物の方が美味いと言うことしか。
「プレゼント、ね」
鍋に向かい続ける男の背中を見つめながら、ボソリと呟いた。
人に物をやった記憶など皆無に等しいから、そんな物の相談をされても困る。人に物をやりたいと思ったこともない気がする。貰って嬉しいと思ったことは、あっただろうか。「――――何だ、まだ居たのか?」
サンジの背中を見つめながらボンヤリと自分の思考に陥っていたゾロは、不意にかけられた声でハッと我に返った。そして改めて、瞳の焦点を、いつの間にか振り返っていたサンジへと向ける。
彼は不思議そうに目を丸め、軽く首を傾げている。
そう言う表情をしている時のサンジは、妙にガキくさい。自分と喧嘩している時の彼とは別人のようだ。
なんとなく、サンジの顔を見つめる。喧嘩している時以外で彼の顔を真っ直ぐ見つめた事なんて無かったような気がするなと、思いながら。
そんなゾロの視線を受け、サンジが軽く眉間に皺を寄せた。ゾロがなんで自分の顔を見つめてくるのか理解出来ず、戸惑っているのかも知れない。
「――――なんだよ?」
「いや、なんでもねぇよ」
問いかけに軽く首を振り、ボトルの中に残っていた液体を一気に飲み干した。そして、空になったボトルをサンジに向かって突き出す。
「美味かった」
「え? あ、おう」
かけた声に、サンジは戸惑った様子を見せながらも差し出されたボトルを受け取った。そして、思い出したように言葉をかけてくる。
「ぁ、夕食までには汗流して来いよ。そんな汗くさい姿で食卓につかれたら飯が不味くなるからよ」
「おう」
普段だったら一言二言言い返す所だが、そんな気分でも無かったので素直に頷き返しておく。それが意外だったのか、サンジは軽く目を見開いた。
だがすぐにニヤリと、意地の悪そうな笑みを象る。慣れた手つきで懐からタバコを取りだしたサンジは、火をつけ、息と共に白い煙を吐き出してからからかいの色が大いに滲みだした笑みを寄越してきた。
「何だ、今日はやけに素直じゃねぇーの。なんか良いことでもあったのか?」
「んなもんねぇよ」
「そうか? にしちゃぁ、気持ち悪いくらいに素直だけどねぇ?」
「自分でも風呂に入ろうと思ってたからだ」
「ふぅん? それならそれで、入るつもりだったんだ〜〜とか言って、騒ぎそうなもんだけどなぁ?」
自分と喧嘩をしたいのか、サンジはゾロの怒りを引き出そうとするかのように言葉を返してくる。だが、今は彼と喧嘩をしたい気分ではない。なので、いつもの様に突っかからずに聞き流しておいた。
そんなゾロの反応に気勢をそがれたのだろうか。サンジはつまらなそうに顔を歪めて言葉を続けてきた。
「まぁ、良いけどな。ともかく、汗は流して着替えもしておけよ」
「分かってる」
念を押してくるサンジに再度頷き返し、ガタリと音を立ててその場に立ち上がった。そしてドアに向かってゆっくりと、歩を進めていく。
それ以上ゾロに構っている暇は無かったのだろう。空になったボトルを流しに運んだサンジは、素早くそれを洗い上げた後、冷蔵庫に向かった。そして、中身をゴソゴソと探り出す。
彼の仕事はこの後もまだまだ続くのだろう。夕食まであと数時間ある。その間ずっと、何かしら作業をしているに違いない。毎日毎日、休むことなく続けられている作業だ。それが彼の仕事であり、彼が好きでやっている事ではある。ゾロのトレーニングと同じように。
だが、自分自身が強くなるために行っているトレーニングと料理では、質が違うだろう。料理は自分のためだけではなく、人のために行っている行為だから。
ドアを開けた状態で一旦動きを止めたゾロは、しばし冷蔵庫を漁る男の背中を見つめた。
細くて狭い背中だ。パッと見、逞しさを感じ取れない程に。
「――――おい」
「うん?」
何となくかけた呼び声に、サンジは冷蔵庫を漁る手を止める事無く、言葉を返してくる。その先を続けることなくサンジを見つめ続けていたら、いつまで経っても先の言葉がかからないことが気になったのか、サンジがこちらを振り返った。
「なんだよ?」
軽く眉間に皺を寄せながらの言葉に、首を振り返す。特に何か用があったわけではないので。ただなんとなく、呼びかけてしまった。なんでそんなことをしたのかは、さっぱり分からないが。
「なんでもねぇ」
「――――なんも用が無いなら呼ぶんじゃねぇ。俺はてめぇと違って忙しいんだよ」
返した言葉に、サンジは不機嫌そうに言い返してきた。そして、大量の食材を手にして調理場へと向かう。
サンジの意識が完全に自分から反れた事を確認してから、ゾロはゆっくりとドアの外に足を運んだ。なんとなく、この場から立ち去りがたいモノを感じながら。
パタンと、軽い音を立てながらドアを閉める。
不可解な自分の行動に、心の動きに、首を捻りながら。
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