【37】
衝撃の事実を知らされ、メリー号には一部を抜かして激震が走り抜けた。その後微妙にギクシャクした空気が流れていたのだが、順応力の高い人間ばかりが乗っている船だ。数日後にはそんな空気は一切なくなり、サンジが船を降りる前と寸分違わぬ日常が繰り広げられていた。
その象徴とも言うべき怒声が、青々と広がる空の下に響き渡る。
「てめーーっ! 今日という今日は勘弁ならねぇっ! 息の根止めてやるっ!」
「ソレはこっちの台詞だっ!」
怒声と共に激しい争いの音が甲板から沸き上がった。ウソップの悲鳴も。
長閑な空の下には不似合いの殺伐としたBGMに、ナミはそっと苦笑を漏らした。
サンジが船に戻った後何故かなりを潜めていた、船を壊さん勢いで繰り広げられる喧嘩が復活したのだ。本当にこいつ等は男同士で子供を作るくらいに愛し合っている奴らなのかと首を傾げたく成る程、彼等は本気でやり合っている。
喧嘩が復活したのは、秘密が無くなってサンジの気持ちが楽になったからだろう。ゾロも、モヤモヤしていた気持ちがなんなのか分かってスッキリしたから、以前のようにサンジにちょっかいを掛け始めたに違いない。
彼等にとって、喧嘩はスキンシップの一種なのだろう。互いに遠慮するものがあったときには、そう言う些細なスキンシップを図ることすら躊躇われていたと言うことか。
「意外に繊細ねぇ……」
似合わないけど、と、誰に告げるでもなく呟いたナミは手にしていた本のページを一枚めくった。
以前と同じ状態に戻ったのは、二人の喧嘩だけではない。サンジの髪も、前と同じくらいに短くなった。
不慮の事故で短くなったそれをクルー全員が惜しんだが、当のサンジは軽くなったと喜んでいた。
だったらなんで伸ばしていたというゾロの突っ込みに、サンジは願をかけていたのだと答えた。生まれたとき身体の弱かった双子が、無事に育つようにと。
だから切れたと言うことは願いが叶ったと言うことだから、もう伸ばす必要が無いのだと、笑いながら語った。
なのでクルーは皆、それ以上なにも言わなかった。むしろ、短い方が見慣れていたので、こちらの方が違和感がない。サンジの長い髪が失われたことを嘆く者はすぐに居なくなった。
ただ一人を、除いて。
「のばしてっ!」
「嫌だ」
「のーばーしーてーーーっ!」
「嫌だって言ってんだろうが、このクソガキっ!」
今日も元気に、セイはサンジにまとわりつくようにして懇願している。髪を伸ばせと。
切れたときに半狂乱になった程だ。余程思い入れがあるのだろう。
「まぁ、確かに切るのが勿体ないくらい綺麗な髪だったけど……」
船縁に近い位置に立てたパラソルの下にデッキチェアーを置き、読書に勤しんでいたナミは、ギャーギャーとわめくセイの様子を見ながらボソリと、言葉を漏らした。
昼食が終わり、おやつまでまだ時間があるというこの時間を、親子で過ごす時間に設定したらしい。四人は甲板に出て来ていた。ゾロはともかく、サンジは一日中立ち働いている。子供の相手をする時間はさほど取れ無い。唯一と言っていいこの家族団らんの時間に毎日毎日同じ事を言われて少々ウンザリしているらしい。返すサンジの語気は日に日に荒くなっていた。
そんなセイとサンジのやり取りをゾロとリョクは今まで見守っているだけだったが、何日も続いているからか。はたまた違う理由があったのか、ゾロが唐突にセイを擁護し始めた。
「伸ばしてやりゃぁ良いじゃねーか。髪くらい」
ゾロがそんな事を言い出すなんて、全く予想していなかったのだろう。サンジは一瞬驚いたように目を見張った。だがすぐに嫌そうに顔を歪めて言葉を返す。
「やだっつってんだろ。面倒臭いんだよ、手入れが」
「じゃあ俺が手入れしてやる」
「――――ざけんなよ、クソミドリ」
「じゃあ、オレも短くするっ!」
「「「ソレは駄目だ」」」
父と母と兄から揃って駄目出しを食らったセイは、グッと言葉に詰まった。
そんな親子の会話を眺め見ながら、ナミはボソリと呟いた。
「別に切らせてあげても良いのに」
セイの髪の毛だって手入れが大変なのだから。なんでそんなに切ることに反対するのだろうか。
「変なの」
変と言えば、サンジの「一番のレディ」はどこに行ったのだろうか。船に戻ってきた当初に自分達に告げたあの、「一番のレディ」は。
まさかあの発言もウソだったのだろうかと思ったが、女性に関する事でウソを付くような男ではないだろう。
ではそれはゾロの事だったのだろうかと思ったが、それこそ有り得ない。いくらゾロに惚れているとはいえ、アレを「レディ」というのはかなり無理があるだろうし。
「誰のことなのよ、アレは………」
納得がいかないものを感じて首を傾げている間にも、親子のじゃれ合いは終わらなかった。
「なんで切ったらだめなんだよっ!」
不平を訴えるセイに、ゾロは真面目な顔でキッパリと言いはなった。
「似合うから」
そんな答えを放ったゾロの腰に、サンジが鋭い蹴りを叩き込んだ。
どうやらゾロは油断しまくっていたらしい。ゾロは小さな悲鳴を上げ、数メートル横にすっ飛んでいった。そんなゾロの姿を、サンジは呆れたような表情で見送っている。
ナミの目には鋭い蹴りに見えたが、サンジ的には答えになっていない答えに対する突っ込みを入れる程度の蹴りだったのだろう。
「――――気ぃ抜いてるからだ、アホ」
馬鹿にしているのが半分。呆れが半分の声でそう告げたサンジは、それでゾロへの興味が失せたと言わんばかりに視線を子供へと戻した。それと同時に、甲板にひっくり返っていたゾロがその場に立ち上がる。
「――――てめぇっ! クソコック!」
「お前、身なりがそうだし、口調もそうだろ? 髪くらい長くしておかねぇと可愛さが半減しちまうだろ。だから、駄目だ」
立ち上がったのと同時に放たれたゾロの怒鳴り声など完全に無視して、サンジが諭すような口調でセイに語りかける。その言葉に、セイはふて腐れたように頬を膨らませた。
「――――別にかわいくなくても良いもん」
「なに言ってやがる。お前が可愛くなくなったら、誰が可愛くなるって言うんだ」
「ナミさんとロビンちゃん」
「あのお二人は美しいんだっ!」
真剣な表情で、重大な間違いを指摘していると言わんばかりに語調強く宣言するサンジの姿には、親としての威厳はない。
ナミはフッと息を吐いた。この船で育つあの子供達は、どんな大人になるのだろうかと、少々どころかかなり心配になって。二親が揃っているのだから自分はそんなに手を貸さなくても良いかと思っていたが、まともな大人に育って貰うためには、多少なりとも彼等の教育に首を突っ込んだ方が良いのだろうかと、真剣に悩む。
そんなナミの思いを知ってか知らずか、サンジは真面目な声で子供に語りかけている。
「将来的にはお二人のような素敵なレディになるのが、お前の目標だぞ」
「なに言ってんの。オレのもくひょうは、母さんみたいなかっこいい男になることだよっ!」
「あ〜〜………それは嬉しいが、根本的に無理だろ、それは」
「むりでむちゃな事をしてオレ達をうんだのは母さんだろ。だから、オレも母さんみたいな男になるんだっ!」
「――――寂しいことを言うのは止めてくれ」
力強く宣言するセイに、サンジはもの凄く悲しそうな顔で答えている。
そこまで尊敬されてて何が不満だと言うのだろうか。ナミは首を傾げた。
ゾロも不思議に思ったのだろう。家族の傍らに戻ったゾロは、ナミの心を代弁するように突っ込みを入れていた。
「別に良いじゃねーか。自分を目標にして貰えるなんざ、親にとっちゃ嬉しい事だろ」
言いながら、黙って事の成り行きを見守っている様子のリョクの頭を叩く。どうやらリョクは自分を目標にしてくれているものだと判断しているらしい。
そんなゾロの態度に、リョク本人は嫌そうに顔を歪めていた事は、黙って居てやろう。
ゾロは気付いていないようだったが、サンジはリョクの反応に気付いたのだろう。チラリと視線を息子に流した。だが何も言わずにゾロへと視線を戻し、キッパリとした口調で告げる。
「嬉しくても駄目なモノは駄目だ」
「そうだぞ、セイ。折角可愛いんだから、もっと女の子らしくしてろよ」
キッパリと言い切られたサンジの言葉に、たまたま傍らを通りかかったチョッパーがそんな言葉を挟んできた。
その言葉に、ナミとゾロはピキリと固まった。そして、言葉の主であるチョッパーへと視線を向ける。
「――――なんだって?」
絞り出すようなゾロの声に、問われたチョッパーはキョトンと目を丸めた。
「なにって、何が?」
「だから、セイが、女だって………」
「はぁ? なに言ってんだ、ゾロ」
心底不思議そうに首を傾げたチョッパーは、こともなげに言い放った。
「どこからどう見ても女の子だろ」
「いや………」
そう見えなかったから驚いているのだが。
飲み込まれたゾロの言葉は、そんなところだろう。ナミも同じ言葉を胸中で呟いたのだから。
チラリとサンジを見れば、彼は呆れたと言わんばかりの顔でゾロの事を見ている。
「そりゃあ、口調も態度も乱暴だけど、骨格は女の子だろ。匂いだってそうだ。気付いてなかったのか?」
呆れたと言わんばかりのチョッパーの言葉に、セイの身体をマジマジと見る。確かに、同じ年のリョクよりも骨格が華奢だが、比べる対象がしっかりしすぎているのだろうと思っていた。例え髪が長くても、声が高く可愛らしくても、サンジにそっくりな顔で似たような口調と乱暴な態度で出られたら、女の子だなんて思えるわけがない。
だが、そう言われて納得出来る部分もある。
「成る程。一番のレディの意味が、ようやく分かったわ」
小さく息を吐きながら、そっと囁く。スカートの話も、ようやく理解出来た。
ナミは席を立った。親子と船医の会話に加わるために。
「女の子っぽい服が欲しいなら、私のお下がりを上げるわよ」
「本当かい、ナミさんっ!」
歩み寄りながら発した言葉に嬉々として返してくるサンジに、ナミは緩く笑みながら頷いた。
「ええ。サイズが合わないのはウソップに直させましょ」
「素晴らしい提案です、ナミさんっ!」
ナミの突然の提案に諸手をあげて喜ぶサンジに、セイは複雑な表情を浮かべていた。
サンジが喜ぶのは嬉しいが、スカートは履きたくない、というところだろうか。
別にスカートだけが女の子の履くモノではない。パンツにだって十分に可愛らしくなるものはあるのだからソレをあげても良かったのだが、折角だから履かせてやりたい気分もあるので、黙っておく。
「じゃあ、早速クローゼットを漁ろうかしら。セイ、いらっしゃい。一応、好みに合わせてチョイスしてあげる」
ナミに誘われ苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたセイは、一度サンジへと視線を流した。そして深々と息を吐き出し、頷く。
「――――分かったよ、もうっ!」
どうやら母親には弱いらしい。
ナミは苦笑を浮かべながら、近づいてきたセイの頭を叩いた。
「ナミさ〜〜〜ん! ありがとうっ! 愛してるよ〜〜〜〜!」
「はいはい」
背後からかけられたサンジの声に、ヒラリと右手を振って返す。その直後にゾロの不機嫌そうな声が聞こえ、サンジの怒鳴り声が聞こえてきた。どうやらいつもの社交辞令的愛の言葉にゾロが嫉妬したらしい。狭量な男だ。
フフフッと小さく笑いを零し、傍らを歩く子供へと視線を流した。
この子程ではないが、メリー号に乗り込んだとき、自分達はまだ子供と言って良い年頃だった。その仲間達が一〇年近くたった今でも共にいて、その仲間の子供まで生まれて、共にいる。
「素敵な船よね」
素直にそう思う。
この船の仲間は間違いなく、家族だと言い切れる。長い間共に過ごしたからではなく、その繋がりの深さから。
サラリとしたセイの髪を撫でる。なんだと問うように上げられたセイの瞳に、微笑みかけた。
皆を結びつけてくれた海と同じ色をした瞳に向かって。
END
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《20080429》