【36】

 サンジは自室のベッドに突っ伏していた。
 皆の前で二人の関係を暴露された恥ずかしさと、場の雰囲気に流されて適当に言ったとしか思えないゾロの告白に対する怒りが複雑に絡んだ気持ちが吹き出しすぎて、憤死しそうだ。だが死ぬわけには行かない。子供達はまだ小さいのだ。いや、例え自分が死んでも皆がちゃんと育ててくれるだろうとは思うが、成人するまでは近くで見守っていたいと思うのが親心というモノだろう。
 等という事を考える事で沸き上がった複雑な感情をやり過ごそうとしていたのだが、あまり上手く行っていない。どうしても、先程のゾロの言葉を反芻する事に意識が向いてしまう。
 沸き上がるモノ中には、怒りだけではなく喜びもあるかもしれない。言われたときは驚きすぎてそんなに感じていなかったが、時間が立つにつれて、怒りよりも喜びの方が強く沸き上がってきている感じがする。
 なにしろ、あんな告白をされるとは思っていなかったから
 ゾロとの付き合いは、酔った弾みで始まったことだ。その日はしこたま酔っていたらしく詳しい経緯は覚えていないが、下らない勝負をふっかけて負けたことに端を発していたような気がする。
 一度やったことで手軽な相手だと思われたのだろう。それ以来、身体の付き合いに誘われるようになった。
 鍛錬して酒を飲む意外眠りこけている彼と違い、自分は毎日忙しい。一々付き合っていたら身体が保たない。そう思いながらも、何故か高頻度で付き合っていた。
 自分の気持ちに気付いたのは、いつだっただろうか。
 アラバスタを出て、いくつかの冒険をして、戦って、見知らぬ街を訪れて。
 その街で、ゾロが娼婦と共に宿に入る姿を見たときだったかも知れない。
 彼の相手が自分だけではないのだと思ったら、妙に悲しくなった。悲しみよりも、怒りの方が強かった気がしないでもないが。
 女の方が良かったのかと。それでもロビンやナミに手を出せないから、航海中は自分で間に合わせていただけなのかと。本人には言えない詰問を胸中で繰り返していた。
 本人には向けられない詰問を何度も繰り返した結果、そうなのだろうと、結論づけた。
 自分で言うのもなんだが、見目はそう悪くない。幼少時の栄養不足がたたっているのか、筋肉が付き難い身体は、ゾロのように男臭さが全面に押し出されて居ないから、男である事に目を瞑れたのだろう。
 そんな結論を導き出した途端になんとも言えないむなしさが胸をしめたが、そんな理由でも船上では自分を求めてくる事が嬉しくもあった。
 だが、そんな付き合いを不毛なモノだと思ってもいた。自分達の付き合いは、なにも生み出しはしない。精神的にも、肉体的にも。ただただ、欲をはらすための行為をしているだけなんだと、思っていた。
 そんな時に、例の薬を貰ったのだ。
 衝動的に飲んでしまったが、しばらくの間なんの反応も無かった。
 忘れ去った頃に、命が宿った。
 ソレを知った途端、一も二もなく産もうと思った自分に苦笑が漏れる。そんなに「形」が欲しかったのかと。
 船を下りるのは、かなり迷った。降りたら最後、グランドラインを駆けめぐるメリー号のクルー達とは、二度と会えなくなるかも知れないから。その可能性が極めて高かったから。
 だが、腹の中で自己主張を始める子供達の存在を日に日に強く感じるようになって、決意が固まっていった。
 そして船を下り、出産したのだが……………



「なんだって、今頃………」
 枕に顔を埋め込みながらうなり声をあげる。
 彼の事は、今でも好きだ。離れていた分、思いは強くなったかも知れない。
 だが、素直に喜べない。離れていたときに色々ありすぎて。もっと早くに言ってくれていれば、もっと違っていただろうにと思ってしまって。
 子供を産んだ事は後悔していないけれど。
「おい、クソコック」
 不機嫌そうな声がノック変わりだったのだろうか。返事を返す前にドアが開かれた。
 気心が知れた仲間しか居ない船だ。鍵などと言う上等なモノは付いていないので、部屋に入るのは簡単だ。例え鍵があったとしても、馬鹿力の彼は無理矢理進入してきただろうが。
「――――なんだ、クソ剣士」
 この状況でノックをしろと怒鳴り返したところで、ゾロが己の行動を反省する訳がない。サンジは発しかけた文句のかけた言葉を飲み込み、ゾロに負けないくらい不機嫌な声で言葉を返した。
 その言葉に答える声はない。変わりに、ズカズカと遠慮無く近づいてくる足音が耳に届いた。
 あっという間に傍らにやってきたゾロはドカリとベッドの端に腰掛け、なんの躊躇いもなく。むしろそうする事が当然の事だと言わんばかりの態度で、枕に顔を埋め込んだサンジの頭に手を伸ばしてきた。そして、銃弾に吹き飛ばされ、中途半端な長さでバラバラと背に流れる金糸に、指を通す。
「――――長い髪に触りたかったな」
 サンジに告げたと言うよりも、思わず漏らしてしまったという感じの呟きが背中に落ちてきた。その声に、馬鹿にするような口調で返す。
「だったらセイの頭撫でてろ」
「てめーの髪じゃねーと意味ねーだろ」
 サラリと告げられたゾロの言葉が耳朶を打った途端、熱が引き始めていた顔に再び熱が沸き上がってきた。
 なんなんだ、こいつは。
 告白した途端に妙に甘い台詞を吐きやがって。
 マリモのくせに。
 調子にのんじゃねーぞ、この野郎。
 そんな言葉に俺が絆されると思ったら大間違いだクソヤロウ。
 らしくないゾロの行動と言動に動揺したサンジは、その動揺を押さえようと内心でゾロを罵倒し倒した。
 すぐ傍らに本人が居るのだ。直接言えば良いだろうと言われそうだが、火が出そうなくらい熱くなって居るのだから、今の自分はもの凄く紅い顔をしている事だろう。元々肌の色が白いために、赤面している事はモロバレだ。そんな顔を、絶対に見せるわけにはいかない。今のゾロならば、「なんだ、照れてんのか。可愛い奴め」くらいの言葉を吐き出しそうだし。そんな事を言われたら羞恥のあまりに憤死してしまう。自分が死ぬ前にゾロも殺さずには居られない。
 そんなわけで、サンジはより一層強く、枕に己の顔をめり込ませた。とっととこの場から立ち去れクソヤロウと、胸中で何度も唱えながら。
 と、なんの前触れもなく唐突に、身体をひっくり返された。
 予想外の出来事に思わずキョトンと目を丸めてしまった。そんなサンジの反応が面白かったのか、逃げられまいとするようにサンジの身体の上に乗り上げてきたゾロの口元に薄い笑みが浮かぶ。
 それを目にした途端怒りが全身を駆けめぐり、眦が一気につり上がった。
「――――てめっっ!」
 目の前に居るゾロの顔を睨み付けながらなんのつもりだと怒鳴りかけた言葉は、一瞬で切り替わったゾロの真剣な眼差しで遮られた。真剣というか、真摯というか。強いのに、どこか弱さも感じる眼差しだ。
 そんな眼差しは今まで一度も、自分に向けられた事がない。自分以外の誰かに向けられているのも見た事もない。その眼差しに驚き、叩きつけようと思っていた罵詈雑言は一気に霧散し、頭の中が真っ白になっている。
 沈黙が落ちた。嫌な感じの沈黙ではないが、妙な重さを感じる沈黙が。その沈黙を破るように、ゾロが真剣な声音で語りかけてくる。
「俺は真剣だ。嘘は言ってねぇし、その場の雰囲気に流されたわけでもねぇ。自分で言った言葉の責任は取る。撤回なんてしねぇ」
 そこで一旦言葉を切ったゾロは、再度サンジの瞳を覗き込んできた。
 そして、短い言葉を口にする。
「返事」
「――――あ?」
「だから、告白の返事。よこせよ」
 瞳は真剣だが、口調はどこか拗ねた感じがするものだった。
 そんなゾロをポカンと見上げれば、彼は僅かに頬を赤らめた。そして、視線を反らす。
「――――言われねーとわかんねーだろうが」
 ちゃんといわねーなら、好きなように解釈するぞ、とぶっきらぼうな声で告げてくるゾロの様子を、呆然と見つめる。
 その場の雰囲気に流されての告白だと、思っていた。じゃなかったら、自分の物だと思っていたモノが他人の手で弄ばれているのを見て子供じみた独占欲を感じでもしたのかと。
 だが、今のゾロを見る限り、気持ちが自分に向いているような気がする。ゾロの事だ。流されただけなら、そんな風に照れた様子など見せないだろう。無駄に強気な態度に出てくるに違いない。
 ジワリと、胸の奥から温かいモノが沸き上がってきた。
 彼の言葉を信じて良いのだと。本当に自分に気持ちを向けてくれているのだと、素直に思う事が出来て。
「クククッ……」
 沸き上がってくる笑いをかみ殺す事が出来ず、小さく肩を揺らした。本当は馬鹿笑いしたい所だったが、今の状況でそれはさすがに不味かろうと、笑いを最小限に治めたのだが、それでもゾロは気に入らなかったらしい。いや、気に入らないと言うよりも、突然笑い出した意味が分からなかったのかも知れない。ゾロは眉間に深い皺を刻み込んだ。
「――――んだよ」
 ふて腐れたような声には、微かな不安の色が滲んでいる。サンジが笑い出した事で、「NO」と言われる可能性もあると気付いたのかも知れない。
 そんなゾロの反応にまた笑いが浮かんできたが、なんとか堪えて自分の身体の上に乗り上がっている男の顔を見つめ直した。
「てめぇ、いくつだよ。ガキみてーな顔してんぞ?」
「――――うるせぇよ。おら、さっさと言え」
「せっかちな男は嫌われるぜ?」
 クククッと喉の奥で笑いながらゆっくりと腕を伸ばしたサンジは、ゾロの頬に手を添えた。
 そして、軽く瞳を細める。
「好きじゃなかったら、ガキなんか産まねーよ」
「サンジ………」
 そうしようと思った訳でもないのに甘く柔らかな声音になってしまったその言葉に、ゾロの瞳が軽く見開かれた。そんなゾロにニコリと笑いかけた後、すぐさま意地の悪い笑みを浮かべ直した。そして、いつも通りの口調を心がけて言葉を続ける。
「てめーから告白してきたんだ。この先一度でもよそ見したら、蹴り殺すぜ?」
「――――望むところだ。てめーも、変な男に身体触らせてみろ。細切れにしてやるからな」
「男限定かよ」
 じゃあオレは浮気し放題だな、と内心で呟きながら言葉を返したら、不機嫌そうに顔を歪めたゾロが直ぐさま首を振り返してきた。
「いや、女もだ」
 その言葉に嫌そうに顔を歪めて返せば、眉間に寄せた皺にくちづけを落としてくる。
「てめーの身体は、誰にも触らせねぇ」
 真剣な。それでいて甘さを感じるゾロの呟きが、唇に落ちてくる。そして、少しかさついた唇がゆっくりと触れてきた。
 船に戻ってきてから初めてするゾロとの口づけに、めまいを感じる。ただ触れあっただけの、子供のような口づけなのに。ただそれだけの接触が、もの凄く嬉しくて。
 一度離れた唇が、再度落ちてくる。今度は、深く交わるように。息をつく間も無いくらい、激しく。
「フッ………んっ…………」
 その間にシャツの上から身体をまさぐられ、自然と甘さが滲む声がこぼれ落ちた。
 そんなサンジの反応に手を止め驚いたように目を丸めたゾロだったが、すぐさまその顔に意地の悪い笑みを浮かび上がらせた。そして、からかうような口調で問いかけてくる。
「――――感度良くなってんじゃねーのか? 誰に開発されたよ。それとも溜まってんのか? ガキと一緒の部屋じゃ、抜くに抜けねぇもんなぁ?」
「うるせぇ。くだらねーこと言ってると蹴り殺すぞ、こらっ!」
 ゾロの言葉に一瞬身体が強張ったが、すぐにギロリと睨み付けた。蹴り殺す気満々で。
 実際に右足を持ち上げゾロを蹴り上げようとしたのだが、そんな反応が返ってくるのは予想していたのだろう。素早く伸びてきたゾロの手でその動きは封じ込められた。
 サンジが発した殺気のせいで甘やかな空気が一瞬で消え去ったが、それくらいでへこたれるゾロではない。
 逆にもの凄く嬉しそうに、楽しそうに笑みを浮かべながら言葉を返してくる。
「――――相変わらずの喧嘩っぱやさだな……まぁ、そんな所にも惚れてんだけどな。お前は? 俺のどこに惚れてんだ?」
「んなっ……!」
「言えよ。俺ばっか言ってンのは不公平だろうが」
「ダッ……誰が言うかっ! だいたい、てめぇになんて惚れてねぇんだよ! 誰がてめぇみてぇなむっさい男の事が好きになるかってんだっ! 俺は、お美しいレディが好きなんだよっ!」
 まさかこの状況でそんな事を問われるとは思っていなかったので軽く動揺したサンジは、条件反射でそう言い返していた。
 途端に、ゾロの眉間に深い皺が刻み込まれる。
「――――てめぇ、さっきの今で」
 不機嫌も露わな呟きが落とされ、見つめる眼差しに険が帯びた。だが、ここで喧嘩したら先の行為に進めないと思ったのだろう。一度眉間に深い皺を刻み込んだ後、深く息を吐き出した。
 それで気持ちを切り替えたのだろう。不敵な笑みを浮かべ直したと思ったら、鼻先で笑い返してくる。
「まぁ、いい。それは後でじっくり聞き出してやるよ」
「誰が教えるかっ!」
 条件反射でそう怒鳴り返した瞬間、その口振りではゾロに惚れていると言っているようなモノだと気づき内心で舌を打つ。
 チラリとゾロの様子を窺ってみたが、その微妙な言葉に気付かなかったのか、突っ込み返してくる気配は見えない。ならばこのまま誤魔化してしまえと、噛みつくように口付けた。
 まさかサンジからキスを仕掛けてくるとは思っていなかったのか、一瞬目を見張ったゾロだったが、すぐにその目元を綻ばせ、サンジの頭にその大きな手のひらを添えた。そしてより深い口づけを返してくる。
 ゾロの身体がサンジの身体の上に落ちてきて、頭に添えられていた手が背中に回り、互いの身体をより密着させようと力を込めてくる。
 抱きしめてくる腕の強さが、筋肉の硬さが、その身体の重さが。自分よりも高い体温が、心地良い。
「ゾロ…………」
 口づけの合間に熱に浮かされたような声で名を呼ぶと、ゾロが至近距離で瞳を覗き込んできた。なんだと、問うように。
 その瞳に向かって微笑んだ後、厚い筋肉で覆われた背中に両腕を回した。
 肩口に顔を埋めて、抱きしめる。
 絶対に手に入らないと思っていた。
 いや、別に彼は自分のものになったわけではない。だけど、今までのような曖昧な関係でもない。子供が出来たからではなく、気持ちが繋がったから。
 離れる前より、離れていたときより、ゾロが好きだ。そう、強く思う。
 そんな事を軽々しく口にしたら絶対に図に乗るだろうから、絶対に本人には告げないけれど。
「サンジ?」
 抱きついたまま動こうとしないサンジを不思議に思ったのか、ゾロが名前を呼んでくる。そんなゾロの声に肩口に埋めていた顔を上げ、男臭い顔を見つめる。
 ニコリと、笑いかけた。
 でもまぁ、偶には。
 ナミとロビンに告げる1000分の1程度には、口にだしてやっても良いかと、思いながら。
 ゆっくりと口を開く。
 素直な気持ちを、告げるために。











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《20080429》