「ねぇねぇ。ゾロって何色が好き?」
「あぁ?」

 目の前の席に座していた女が唐突にそんな事を聞いてきた。
 意味が分からないと睨み返したが、女は全く怯んだ様子を見せず、ニコニコと笑い返してくる。
 演技でもなんでもない、本気で今この瞬間が楽しいのだと言わんばかりの笑みに、ゾロは眉間に深い皺を刻み込んだ。
 この女が船に乗り込んできたのは、数ヶ月前の事だ。
 立ち寄った島で暴漢に襲われていた彼女を助けたのだが、それで惚れられたらしく。その日の内に、海賊船だと分かっていながら乗り込んできた。何が何でも自分の嫁になるのだと、言い張って。
 そんな彼女を、ルフィは好きにさせている。ゾロの嫁になると言うのが夢ならば、夢を叶えるために頑張ればいいと言って。だからといってゾロに何かを言ってくるわけでもない。
 一度、彼女を嫁にしたら良いと思っているのかと問いかけた事があるのだが、なんで自分にそんな事を聞くのか分からないと言わんばかりの表情で、したければすれば良いだろうと言われてしまった。
 多分、彼は本気でそう思っているのだろう。
 だが、自分が彼女を嫁にする事など一生無い事も、分かっているのだろう。

「――――そんなもん知ってどうすんだよ」

 吐き捨てるように、言葉を返す。興味が欠片もない人間相手に会話をするのは、億劫でしょうがないのだ。邪険な態度になるのは致し方ないだろう。
 そんな態度を示すゾロに、余計なちょっかいをかけてくるものは居なかった。昔からの仲間以外には。
 だが、女はゾロの態度に怯みもしないで言葉を返してくる。

「好きな人の事はなんでも知りたいのよ。いざって時に好きな色の一つも知らないのは問題だしね」
「どんなときだよ……」

 ニコニコと楽しげに返してくる彼女の言葉に、深く息を吐き出す。
 好きな色を知らないと問題になる時とは、どんなときなのか。想像もつかない。

「ねぇねぇ。いいじゃない。ソレくらい教えてよ!」

 仲の良いカップルならば、こんな時に腕に縋り付いてお強請りでもしてくるのかも知れないが、さすがにそこまでする勇気は無いのか。彼女は口調だけ甘えるように問いかけてくる。
 多分、何かしら答えないとずっと同じ質問を続けられるのだろう。
 ソレは正直ウザイ。とっとと要求を満たしてやった方が良いだろう。そう判断し、ゾロは開きたくない口を無理矢理開いた。

「そんなもんねぇよ」
「ないの?」
「あぁ」
「一つも?」
「くどい」
「ふぅん………」

 納得していないような顔だったが、ゾロが本気で睨み付けた事で更なる追求は無くなった。これ以上しつこくしたら、ゾロがこの場を立ち去ると覚ったのだろう。
 そもそも、彼女と差し向かいで座り続けてやらねばならない義理はない。やりたい事もなかったのでラウンジで適当に時間を潰していたところに彼女がやってきて、勝手に目の前の席に座り、べらべらと喋り倒していただけなのだから。

「じゃあさ、嫌いな色ってある?」

 ゾロの機嫌を本気で損ねたくはないが、何かしら言葉を交わしていたいのか。彼女は先程とは若干違った問いかけを寄越してきた。
 その問いに、ゾロはピクリと眉を跳ね上げさせた。

「嫌いな色………」

 ボソリと呟いた途端、脳裏に四つの色が駆け抜けた。

 ギリリと、奥歯を噛みしめる。
 常に眉間に刻まれている皺は、常以上に深くなった。
 全身から発せられる気配がどす黒くなった事を覚る。
 溢れ出す殺気を、止められない。

 ゾロの気配が変わった事に、素人ながらも気付いたのだろう。先程まで満面の笑みを浮かべられていた女の顔が恐怖に引きつった。そして、恐る恐る名を呼んでくる。

「ゾロ………」
「失せろ」

 呼びかけをかき消すように容赦なく殺気を叩きつけながら命令すれば、女はビクリと身体を震わせた。顔色は一気に青ざめ、椅子の上から転がり落ちる。そして、這うようにその場から逃げ去っていった。
 そんな女の姿を追う事もなく、ジッと一点を見つめ続ける。
 何処ということもない。たまたま目が向いただけの、壁の一点を。
 その視界に、先程脳裏に浮かび上がった四色が入り乱れるような錯覚を覚えた。
 忘れたくても、忘れられない色だ。
 毎日のように、夢に見る色だから、忘れられるわけがない。

 一番良く覚えているのは、最後にソレを見た日の事だ。
 金色の滑らかな髪の色も。
 いつも着ている黒いスーツの色も。
 彼の身体を沈めた真っ青な海の色も、いつもと同じなのに。
 
その白い肌だけが、いつも以上に白かった。


 血が通っていない色。

 生きていない色。


 何度も目にした事がある色なのに、初めて目にしたような衝撃を感じた。
 見慣れた金色も、黒色も、見慣れない白色も、見慣れた青色に吸い込まれていく。
 それを、ただただ見送る事しかできなかった。
 引き留めたところで、どうする事も出来ない事は分かっていたから。
 傍らにあるのが当たり前だったモノが、当たり前じゃなくなる事を止められなかった。
 自分の力の無さを、嫌という程痛感した。

 ギリリと、奥歯を噛みしめる。
 あの時感じた悔しさが、こみ上げてきて。

「――――ゾロ」

 先程女が転がり出て行った扉が開き、違う女の声が聞こえてきた。
 振り返らなくても、その声が誰のものなのか分かる。
 いつも強気な声を発している女にしては、力無い声だったけれども。

 かつかつと、硬いヒールの音が近づいてくる。
 ゾロが発しているどす黒いオーラに怯むことなく、真っ直ぐに。
 そして、温かな感触が肩に触れた。

「いつまでもそんなんじゃ、悲しむわよ」

 気遣うような声で告げられた言葉には、主語がない。
 だが、何を差しているのかは、嫌という程よく分かる。

 拳を強く握りしめた。
 そうしないと、何を口走るか分からなかったから。

「悲しませりゃいいんだよ」
「――――馬鹿」

 吐き捨てるように告げた言葉に、ナミは小さく罵りの言葉を返してきた。そしてスルリと、細い腕が首筋に巻き付いてくる。
 ギュッと、頭を抱き込まれた。
 後頭部に柔らかな感触が当たる。
 その感触に、フッと息がこぼれ落ちた。


 らしくない。

 自分も、ナミも。


 そう、思って。
 それでも、ナミの腕を振り払おうとは思えなかった。
 気心の知れた仲間の体温を、感じていたくて。
 一番感じたい体温を感じる事は、もう二度と出来ないから。
 その代わりに。
 彼の代わりなど、誰にも出来ないと、自分が一番良く分かっているけれども。

 スッと、瞳を閉じる。
 ほんの少しだけ、過去に逃避しても良いだろうかと。一番楽しかったときに思いを馳せても良いだろうかと、誰にともなく、問いかけながら。




















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《20080525》





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