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ディエス

- a SPOON -


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 ディエスはついに家を手に入れた。家族もないのに部屋が百二十もあった。いわゆる一つの大豪邸。彼は五月の街に建てた自分の家を自分でそう呼んで憚らなかったし、人にもそう呼んで欲しがった。

彼は数十年に渡り、この時をひたすらに夢み、他のありとあらゆる楽しみに背を向けて生きてきた。酒も飲まなければ煙草も呑まず、女は吸血昆虫くらいに思っていたし、賭事などは以ての外だった。「そんなものは」と金を稼いでいる間の彼は言った、「家が完成してから、絵に描いて壁にでも架けておけばいいのさ」。じっさい完成した大豪邸の長い長い廊下には、ありとあらゆる浪費の素の絵がずらりと並んで壮観であった。グラスの中でなんとも美味そうに光る酒、紫煙棚引くロマンの塊、度を越して猥らで明け透けな姿態の女たち。よほどの禁欲主義者もここを三回も往復すれば忽ち身を持ち崩したことであろうし、逆に落ちぶれ果てた浮浪者などがここを五回も行き来すると、自分の引っ掛かってきたものの下らなさに気付いて案外と改心するかもしれなかった。

「どうしてなくなるものを求めるのだね?」というのがディエスの口癖である。「酒は飲めば終わり、葉巻は吸えば縮み、愛は惜しみなく奪うというじゃないか。形のないものよりは形のある物のほうが確かだし、長持ちもするというのは、少し考えたら誰にでもすぐに分かりそうなことだがね」。



 

 

ディエスは、物で出来ているこの世こそが全てであり、したがってあの世への信仰などは自分にとって意味も価値もないと考えている。それを聞くと何人かは「でも、お金はあの世に持って行けないと言うじゃないですか」というあの手垢のついた言葉を弄して足を引っ張ろうとしてみるのだが、ディエスによればそれは、そもそもの前提からしておかしな話なのである。

「君は分かっていないようだがね」彼はうんざりしたような眼をして言う。「私が欲しいのは金ではなくて、あくまで物なんだよ。金などというものは、物を手に入れるための只の交換媒体だ、記号にすぎん。あれに意味を与えているのは君たちで、あれを崇拝しているのも君たちだ。そうだろう?」

 すると大抵の人は続けて「でも、それは物であっても同じことでしょう」とくる。ディエスは「ほほう!」と身を乗り出し、やおら丁寧な口調になって話し始める。まるで油に浸した布に火の点いたように、一息にこれを語り尽くそうとする。

「ではあなたは、そもそも価値というものを何だと考えておいでですかな? 物はそれ自体ではただそこに存在しているだけです。それに意味を与えるのは人間の精神であり意識ですが、あなたたちが《大切なのは物ではない》と言うのがここに於いてなのだとすると、どうも道理が通りませんな! その精神や意識にしても、結局のところ人間の脳という物体の存在に拠っているではないですか?」

唾を飛ばして持論を展開する彼の様子には鬼気迫るものがあり、聞く人は空恐ろしく感じつつも、彼が何かに追いまくられているかのような印象を受ける。出しなに街へ火を放ってきた家出少年のように、予想を凌駕して燃え盛る炎を小高い丘の上から眺めている感がある。もっと燃えろ、全てを舐め尽くせと焚き付けながら、しかしその笑みはどこか引き攣っているのだ。

「そもそも、人があの世に持って行けるものなどあるのでしょうか? 私の考えでは、肉体が滅びても精神はどこかで存続するなどと世間の人が考えるのは、ひとえに精神の滅びというのが生者にとって死ぬまで目撃することの叶わない現象であるからですよ! 否、それは現象とすら言えんでしょうな、人間が現象と呼ぶのは、あくまでこの物質世界に視えるように現れ、触れるように象るものですから。それは各々の眼と理性とから物事を認識する人間存在にとって、実際のところ、或る不可能として想定される形でしか意識に現れることが出来ないものなのですよ!

眠りに就くとき、閉じられたあとの自分の眼の存在を、あなたはどうやって自らに納得させているか。それはかつて眠りから覚めたとき部屋の天井がまた見えたという経験によってであり、それを認識した今日の自分が昨日の自分と同じ記憶(を持った脳、それと繋がった眼、その視界)を有しているという自覚によってです。ここから人間存在とは現在の感覚を経験と自覚に照らして反省する生者であると言うことができますが、さて、このとき死者がなお持つという精神とは、教えて頂きたい、何のことを言うのですかな? 精神ではなく魂だと言うのであれば、それは一体どういうものですかな?

死に際しての脳の停止が何よりも先に意味するのは、精神の反省作用の消失であり、或る覚めない眠り、一対の瞼の永遠なる閉鎖ですが、実のところ、このことが描写され始める時点で、既にわれわれの視線はここまでの話を導いた者から離れ、その眼の閉じられるのを視ているまた別の意識の中へと逃げ出しています。われわれが眠りに対する意識であると日ごろ思っているものが、ついぞ眠っている人に対する意識でしかないのと同じように、われわれは生きている限り、つまり意識するということをし得る限りに於いて死そのものを意識することは不可能であり、人の死ぬことを意識することでしか死を認識できないでいるのです。……おや、すると、こう考えられますな? 人間とは本質的に生きているものであり、凡そ人間性と呼ばれるものはあの世に持って行けないものを指すのであると。人間という存在が見出し得る全ての意味は、畢竟あの世へ持ち込むことが不可能なのですよ!

死者は物体に意味を与えることが不可能なので、彼らにとって全ては無意味にただ在るがままです。彼らにとって「金はあの世に持って行けない」という件の言葉は、全くもって――その最も奥にある意味を持ってしても――ナンセンスです。そして同時に、死者は全てに対して無意味にただ在るがままです。一つの花瓶があり、その隣に一つの屍体がある、と考えるのは生者です。……お気付きですかな、どうやらわれわれは、《死》ということの唯一絶対の定義に辿り着いたようです。生物が只の物になり、人物が只の物になるということですよ

 死の世界には誰も居ません。そこは物だけの世界です。なら物好きな私はそこへ行けば良いなどと仰る方はまだ話が解っていない、そこには如何なるも存在しないのです! 死後の世界に物が在る、などということを意識し得る者が居るとすれば、それは神を措いて他にはないでしょう。死の世界の存在が物であると私が言ったのは、まさしく神によって判断されるものであるという意味に於いてなのです。神が死ねば死の世界もまた無くなり、我々は死ぬことが無くなるでしょう。者であるか物であるかを気にせず、ただこの世に在れば良いと考えるようになるでしょうから! 死体は防腐処理を施されて増えるがまま増え、しかし殖えることはなく、人類は二人の者から生まれ一人の者から一つの物になる営みを繰り返した挙げ句に全体の増加を終えるでしょう。なるほど、素晴らしい世界だ! 私は御免ですがね。……意外や、あなたもそんな世界は嫌だと仰る!

では神を呼び戻し、死体を焼却し、復活させた生者の世界から今いちど死の世界を眺めてみましょう。向こうでは、我々は認識の図式に於いて一方的にこれを被る側であることしか許されません。それまで神の存在を前提として、神が自分に似せて作ったが故に認識と判断の特権を有する存在なのであるとして自認していたわれわれは、死の時点でそれら一切の特権を神へと返還し、畜生以下の存在として以降の時間を死に続けるのです……また嫌だと仰るお積りですか? 今度はもう無理ですよ、これが神の居る世界なんですから! 在るでも無いでもないでいることなんて、いくら神でも出来ませんよ! 神が居ると思う時には死に脅え、神など居ないと思っていれば死臭に眉を顰めるのが人間なのです。それを交互に切り替えることで、まあ、死ぬまでやり過ごすことは出来ますが、それにしたって、恐怖と臭いは巡ってきますよ、昼と夜のように! われわれはただ考えないで生きているだけなのです、生きている時より恐らくは遥かに長いであろう死後の時間について考えるのを棚上げにしたまま、ただ漫然と今を消費しているだけなのです。実際のところ、人類の至高の宝は知恵ではなく愚昧なのだと私などは思いますよ! 意識が直感の精錬と思考の鋳造を経て作られる鍵であるとすれば、無意識はあらゆる形に流れ込みながら容易に鍵穴の向こうへ抜け出していく溶解鉄です。それは答えを答えとも思わず、恐怖は敏感に察知して避けながら、臭いの方は気にしないでいるなどということが出来るのです。曖昧さは全ての神を打ち倒しますよ、必ずしもあなたを救いはしませんがね。

何の話でしたか……そうです、死の世界です。眼もなく、口もなく、手も足も出ないまま、全ての死者はただそこに死んでいますが、強調しておきたいのは、その無力は剥奪ではなく返還の結果なのであるということです。

人は或る人の不在を述べて「彼は居ない」と言います。その時の《彼》とは即ち、その身体の在る所に居る人のことであり、「彼は居ない」とは「その人が居ない」という文字通りの意味と同時に(というよりも、本質的に)「その人の身体が不在である」という事をも指しています。それなのに《彼》が死した後に、変わらずそこに在るその身体――それまで《彼》と呼んでいた物――を前にして、人は同じ「彼は居ない」という言葉を、明らかに違った意味で口にするのです! そこにあるのは身体の「在る」と精神の「居る」の混同であり、また人は人間存在の本質を「在る」よりは「居る」に置いて考えるらしいという真実です。それは偏に、人が自己を自己として認識するとき、彼は「居る」からなのです。デカルトの「コギト・エルゴ・スム」は、正しくは「我思う故に我居り」と訳されるべきでした。人間は実のところ、物としての「在る」と者としての「居る」の二つの様式の併用をもってこの世に存在しているのです。どちらかが欠ければ、それはもう人間存在ではありません。

つまり人は――いいですかな――本質的には主体として他者を認識する、息をする、二つの眼を持つ者です。しかし本来的には、ただ一方的に見られる、息をしない、二つの節穴の空いたであるのです!《魂》というものはこの意味に於いてのみ存在し得るものです、つまり「人が死んでいる時、その身体に居らぬ者」を、我々は魂と呼び習わしているのです。

「自分の現存在は自分の現在の生命に限られていると思っている人は、自分を生命を賦与された無だと考えているのである」と或る哲学者は書きました。私は彼とは違う文脈に於いてですがこの考えを辿り、彼の言葉にかなりの正当性を見出す者であります。私の考えでは、人生とは《者》たる魂にとっての「根源的状態の一つの小さなエピソード」であると共に、また《物》たる身体にとっての「生という病気の状態」なのです。考えてもみて下さい、人生を生きているのは一人の人間の魂であり、やはりまた身体でもあるのです。人生は一人分の空間帯に於いて一生分の時間帯にだけ発生する、魂と物との共存現象なのです!

ここを踏まえて、人間はどちらを名乗りたがるか――つまり自分の根拠を魂と身体とのどちらに置きたいと思うかということですが、まあ、まず魂だと考えるのが妥当でしょうな。健康な人、あるいは仮病を使っていない人なら、無意味にさえ意味を見出さないではいられないものです。それは偏に、自分が身体という物に入って生きる魂であるが故です。いいですかな、そもそも人間そのものが、無意味と意味とをその存在によって結合せしめている或る究極の弁証法であり、或る究極の矛盾なのですよ! 自身を意味あるものだと考えるのも、無意味だと考えるのも、こと人間に関しては正しいのです。彼らは確かに自身の存在意義を自給自足でき、しかも同時に(自己を含めて)誰からも与えられないでいるのです。そこにあるのは特定の答えではなく唯一つの選択です。自分に意味を課すか課さないか。魂として生きて一瞬のうちに燃え尽きるか、物として死んで永遠に残り続けるかは、実は人それぞれの選べることであり、また選ばなければならないことなのです。

私の話していることを、単なる空論だと思っておいででしょうな? だとしたら、それは何故だとあなたはお考えになりますかね。それは単に、これまでこの魂と身体という人間の条件について考えてきた人々が、一様に自身の選択に於いて魂の方を人生に意味ありとする方を選んできたからですよ! そうです! 真摯に人生というものを考える者なら誰でも、生きて死ぬことを選ぶのが賢明に決まってますよ! いったい誰が、根本的に過酷なものであるこの現象界、この辛い浮世に、永久に逗留していたいなどと思うでしょう? 同時に、いったいどんな魂が、一度だけ試しにプレイできるこの人生という面白そうなゲームを素通りできるでしょうか? 全ての表象や現象、それらの起こる現実という世界は、しょせんは有限の要素によって羅列的に構成されたものに過ぎないのです。束の間だけ物理法則によってプログラムミングされたこちらの世界へやってきて、キャラクターを操作して交互に影響を――あの世では通用しない主体としての判断を――与えあう遊びに興じてみる。余りにも簡単にゲームオーバーになってしまうからこそ、始めてしまうとなかなか止める気になれない! 言うなれば人生とはそういうものです。誰かが言うように、『所詮この世は猿の夢の中』なのですよ!」

しかしそれでは、と人は言いたくなる。「ええ、勿論!」とディエスは口角泡を飛ばして喚く。「もちろん、それではわれわれが釈然としません! 振り返るとコントローラーを持った意志がいつも、いつまでも無表情にこちらを覗き込んでいる。手だけが動いて、何を考えているのかも分からない。私たちはそんなものに操られているということを惧れ、敬い、時には馬鹿らしい思いさえしながら、しかしそれでも勤勉な努力をし、他者を押しのけ、あるいは殺してしまおうとさえする――それも全て、自分が生きているが故です。人間は常に被操作者なのであって、操作者にはどう足掻いても勝てやしない。われわれは無意識の裡に、無条件に有利な別次元での価値を彼らに与えているからです。

 しかしそれは――いいですかな――あくまで自己の根拠を魂に置く者にとっての苦しみであるに過ぎません!

われわれ生者が持っており、魂が持ち得ないもの、われわれだけが関与でき、彼らの元へ決して戻っていくことのないもの――即ちこの世の物質をもってすれば、永遠に主体として存在し続けることも不可能ではありません……物の側に立とう、私はそう考えた人間なのです!

 自覚的にこの態度を取った人間は、断じて私が初めてでしょうな! 無論これまでの人々が誤ってきたという訳ではありません、寧ろこれまでは可能でなかったのが、現代に至ってようやく可能性を萌してきたと言った方が正しいと思いますよ。物の数がここまで増え、そしてそれぞれの物の内包する意味への依存がここまで高まり、人々が他の魂との会話でなくそれを介するコンピュータのディスプレイへと己の定義を頼ることに抱く違和感を刻々と薄れさせつつある今日こそ、私がこの家を建てるに相応しい時代であるのです!」

 この辺で客の大体は、いい加減に不快な気分になって席を立ち、帰ってしまう。ディエスはにやにやとその背中を見送るが、ドアが閉まってしまうと「へっ、あいつも魂が大好きだって訳か!」などと独りごちる。その顔は決まってどこかもの悲しげである。

 とは言え、彼が信奉していたのは、あくまで形而下学であった。家を持とうという信念が先にあって、先述のような理論などはなるべく薄い哲学書をまるで苦い薬でも飲むように読みながら、戯れに組み立ててみた張りぼてに過ぎない。理屈抜きに形のあるものを愛する、というのが彼の――つまる所の――本性であった。

「魂が物に対して与えられる意味には、寿命に即して求められる総量というものがあるはずなのです……」

 語られなかった持論の続きをぶつぶつと呟きながら、ディエスは家のあちこちをさまよい歩いている。使い古した歯ブラシのごとくてんでに広がった髪の毛には幾分白いものが混じり、快晴の空に似て皺一つないスーツの袖から伸びる、嵐の夜の波間のようにくすんだ色の腕は、どこかの枝をそのまま折ってきたらしいデコボコしたステッキをしっかと掴んでぶら下げている。

「そのありたけが物に注ぎ込まれるとき、その物は他の何かを……あるいは後世の誰かをさえ、向こうへ還っていく魂に代わって判断するようになるでしょうな!」

 階段や壁にステッキの先端が当たるコツコツという音が、だだっ広い家のあちこちへ隈なく響き渡っていく。それは主人の言葉に相槌を打っている。それは執事の代りであり、給仕の代りであり、番犬の代りでもある。

「実例があります。芸術家の作品というもの。彼らが残す絵画や彫刻などは、込められた思念と技術によってそれ自体の価値を我々に弥が上にも認めさせ、作者の死後もその写し身として、現世の中に図々しく残り続けます。それは今日ゲームの中にバグのような存在として発生し、後のプレイヤーたち全てに縷々と影響を及ぼしているではありませんか……」

 

 

 

 公爵ばかりが住むアパートというものがあれば、それはきっとこんな広さであろう。一つ一つの部屋は世間の豪邸と庭と領地とをすっぽり包んでしまうほど大きく、それぞれのドアは時には数十メートル、時には数マイル離れてぽつんと壁に貼り付いている。彼はいちいち全ての部屋へと足を踏み入れ、風呂であれば湯を沸かし、トイレであれば意味も無く便座に腰掛けてみ、寝室であればベッドに横たわったまま、数十分ほどむっつりと天上を眺めてみたりする。彼は思い出しては考え直し、瞑想しながら夢を見ている。何人もの想像上の彼が、様々な時代の、様々な年齢の彼が、家のそこかしこを歩き回っては記憶の中の実際の生活を、あるいはありもしなかった架空の生活を営んでいる。

そこには彼の家族もいる――かつて存在し、今は亡き、弟と妹と――それから母と。父は物心ついた時には既に居なかった。彼は四人家族の長男だった。

ある彼は、弟と談話室にいた。ディエスの三つ下だったこの弟は十歳までしか生きなかったが、この家ではもっと成長した姿をしている。ずっとこの家にいて、何ひとつ不自由せずここまで育ってきたのだ。

《ぼく好きな子ができたよ》備え付けのビリヤード台に被さったまま、球を打つのをふと止めて、弟は言う。《とてもきれいなんだ……》

「なんだい、こいつ、こんなうちからそんなふうに人を見て?」

ディエスはからかう。現実には弟が居なくなってからすぐ家族と離れて靴墨工場で働いたのだが、そんな事はまるでなかったかのように陽気な顔をしている――ここでは、彼は靴墨など一度も見たことがない。

《ちがうよ、顔じゃない》弟はむっとして応える。《とてもきれいな眼をした子なんだ。まっすぐに光る、晴れた空のように青い……彼女がどこにいても、ぼく、すぐに見つけられるんだ。まるで灯台の明かりみたいなんだ。ぼくは彼女の眼を見るとさ、いつも自分がどこにいるのか、どこを漂っているのか分からないでなんとなく不安な気でいるのが、不意にすうっと希望で照らされるように感ぜられるんだよ……》

「詩人だなあ!」ディエスは頭を振って、いよいよ愉快そうに叫ぶ。「おまえは将来どえらい作家になるよ!」

(そう、確かにあいつは小説家になれただろう)ディエスは想う。(どんな下らない本でも眼光紙背に徹して、宝石のような言葉たちを無尽蔵に諳んじて溜めていた――どんなに汚れた本でも手に入れば本当に嬉しそうな顔をした、それなのに帳面から顔を上げた母がため息の一つも吐こうものなら、それがどんなに小さくても聞き漏らさずに、どんなに大事にしている本であってもすぐに、質屋に駆けて行って曲げてきてしまった!

《大丈夫だよ》とおまえは言ったが、いったいどうしてそんなことを言えたのか? その言葉は決してそんな哀しい顔をした人間から発せられるものではないのだと、博学の筈のおまえは遂に理解しなかった……おまえが大きくなりさえすれば、あの娘はきっとおまえに惚れ込んだだろう、おまえは彼女をこの家へと迎え入れ、われわれは一つの大きな家庭を共に築いたことだろう。親類を呼ぼう、親しい者を招こう、それぞれに伴侶ができて、子どもができて、そうしたら部屋の数が足りなくなって――嬉しや、また増築だ!)

 またある時のディエスは、妹が応接間のピアノを弾くのを聴いている。工場街へ出ていく彼が最後に見た十三歳の姿で、きれいな指でピアノを弾いている(洗濯でのあかぎれや針仕事の傷にまみれた手など、どうして想像できようか!)――窓から射す穏やかな午後の光のなか、後ろに結んだ亜麻色の髪の解れ毛が、音に合わせて揺れながら細く小さく輝いている。

《こうだったかしら?》彼女は小川の水でも掬うように、ちょろりとピアノに指を躍らせた。《ほら、このまえ行った劇場の演目の、二幕目で掛かった曲よ。いろんな色のつぎはぎを当てた、ぶかぶかの服を着た女の人が、ゆかいに踊りながら、とっても楽しそうに歌っていた……》

「そんなだったな、そんなだったが」ディエスは当惑して言う。「そんな曲を覚えてどうするんだい?」

《そりゃあ、いつかはあそこで歌うためよ》妹はすまして言うと、椅子からぴょんと飛び降り、こんどは部屋の隅に立て掛けてあったヴァイオリンを持ち上げて、兄の手にぐいと押し付けた。《私はあそこで唄う人になるの! さあ、兄さん、演奏して!》

ディエスがやむなく受け取って先ほどのメロディを奏でると、彼女は自分の弓を手に取って振り回しながら、鈴のように可愛い声で唄いはじめる……。

 

 ボイルした牛肉とにんじん、

 ボイルした牛肉とにんじん、

 それがあなたの食欲のもと、

 あなたは太っていい気もち。

 ベジタリアンみたいに生きないで、

 オウムのごはんなんか食べないで。

 朝から晩までお腹はいっぱい、

 ボイルした牛肉とにんじんで!

 

 そのとき弓が壁をかすって、一条の引っかき傷を付けたとなれば、夢から覚めたディエスは応接間へと歩いて行って、全く同じ傷を現実の壁の上に再現する。弟が彼と話しながら打ったビリヤードのスコアを書き留める。彼はあらゆる生活の軌跡を――ある架空の大家族による虚偽の生活の印を――家中に付けてまわる。

それがディエスの生活である。彼はこのようにして、百二十の部屋の隅々にまで、己の想念を、視線を、そして魂の記憶を浸み込ませていく。思い出の痕跡を宿した家は遺言によって永久に保存され、その存在によって直接的に、また膨大にして詳細な家族の記録――注意深く読めばその全てが、読む者をその家の家具や壁、床や天井といったものとの関係性へと遠回しに結わえ付けようとしているのに気付くだろう――によって間接的に、家の外の世界までをもやがては家の中へと取り込んで、彼の言うように言えば「生ける後代の人をさえ判断していく」ようになる筈であった。全てはこの家の中での物語となるのである。そこに彼らが居ないということは彼らにとってのアリバイであり、ディエスが滅びることは即ち最後の証拠の隠滅を意味した。

(妹よ、……妹よ、俺がどんなにおまえを幸せにしてやりたいと思ったか! 家を出るとき、おまえが俺に送ってくれた祝福の唄が、あの朝どれほど遠くまで聴こえ続けていたことか!

 許してくれ、妹よ、思えばあの時点で、俺は弟のことをもう諦めていたのだ! だってあんなに顔が蒼く、手足は小さく痩せ細って、叡智をはち切れそうに詰め込んだ瞳だけが爛々と……あれはもう、俺たちと同じ人ではなかった! あの朝あいつが言った《大丈夫だよ》に、別れへの冷たく澄んだ覚悟が籠もっていたのに、気付いたかい、妹よ、分かっていたかい?)

 弟が亡くなった報せに驚きもせず、故郷に帰ることもせずに、妹の歌声が耳の奥から消えないようにと願いながら、ディエスは働き続けた。機械の油と錆びに揉まれ、歯車に噛み潰されながら、彼は働いた。帰るための運賃と時間などがあるならば、それは当然ながら、彼に残されたあと二人の家族の口に入るべきであった。

仲間内でストライキの話が持ち上がった。こんな労働条件下ではどのみち体にガタが来て働けなくなるだろうという同僚たちの言い分を尤もだと思いながらも、ディエスは断固として反対した。一日分でも給金が貰えなければ困るのだ、労働組合長兼現場監督はその主張を理解しつつもディエスを仕事から干し、仲間の離反を防ぐ見せしめとした。

「恨むなよ、これは労働者全体の問題なんだ。一人のために皆の暮らしを諦める訳にはいかん」労働組合長兼現場監督はそう言った次の瞬間には、ディエスのかつてなく暗い眼差しを受けて立ち竦んだ。「多数の幸福」とディエスは呟いた、「あなたたちが言うのも結局はそれだ」。

ディエスはそれから三日後に彼らの雇い主を訪ね、ストの計画を暴露した。悩んだ末の決断から先は素早く、彼は現場監督を追い出させ、そのポストに就任し、かつての仲間たちから蛇蝎のように嫌われる代わりに、幾らかましな給料を得るようになった。だがその三日のうちに、彼の耳に妹の唄声はもう聞こえなくなっていた。

 

 

 

 ディエスが記憶しながら記録しない思い出がある。

いつだったか冬の日に、黒く塗り潰された窓の外に雪が止まず降り続けていた夜、弟が本と共に街へと駈け出して行ったのを見送ってから、ディエスは陰鬱な気分で狭い部屋の中を眺めた。壁は冷たく乾いて張りつめ、床は彼の足を突き刺して、容赦なくその温もりをしゃぶっていた。

妹は薄い毛布を身体に巻き付けて、暖炉脇のロッキング・チェアの上で何やら悪い夢を見ていた。昨日までその寝顔を美しく包んでいた、絹のように滑らかな髪の毛が今は首筋までしかない。夕方ごろ彼女は、珍しく弟の本を一心不乱に読んでいたかと思うと急に家を駆け出していき、すっかり日が暮れたのち腰まであった髪の代わりに一枚の銀貨を持って帰ってきたのである。海の向こうの大陸のさる一家の物語の、四姉妹の次女が家計を助けるため髪の毛を売るくだりを読んだものらしかった。弟は素知らぬふりをして迎え、椅子を勧めて自分は本の続きを読んでいたが、姉が眠ってしまったのを認めるやすっくと立ち上がって、読み終わってもいないその本で顔を覆ったまま家を飛び出してしまった。薄く雪の積もった路地をふらふら歩きながら、弟が行き当たる街灯の全てに一度ずつ頭を打ち付けるのをディエスは見た。

妹の抱え込まれた膝から延びる小さな足の下で、母親が今にも種火の消えそうな暖炉へと手を差し伸べて温めては、永遠に終わりそうもない下請けの針仕事を少しずつ進めていたが、ふと糸を繰る手を止めてディエスの方を見ると、自分の頬をあかぎれの切れた指でつんと突いて、笑いながら言った。

「なにを浮かない顔してるんだい? 笑わないのかい」

「なにを笑うことがあるんだい」ディエスは窓の外を見ながら言った。「なにも笑えやしないじゃないか」

「笑えるから笑うってんじゃ」母親はまた縫い物へと目を戻して言った。「それこそなにも笑えやしないさ。お金のいらないこの世でたった一つのものが笑いだよ」

「でも、僕たちよりはきっと、向こうのお屋敷のお嬢さまの方がよく笑うんだと思うな」ディエスは妹を指さす。「母さんほどじゃないのかも知れないけれど、少なくとも、うちの子よりはね」

「あら、この子ったら」

 母親は布と針とを身体の横に放り捨てて立ち上がると、娘の肩をポンと叩いた。「こら、子どもが怖い夢なんか見るもんじゃないよ! スープでも飲んでから、楽しい夢を見直してきなさいな!」

 妹は眼を覚ますと、ぼうっとした顔で辺りを見回して、弟はどこへ行ったのかと怯えた声で囁いた。「何年も戻ってこないの」ディエスはハッとして窓の外を見た。闇が不意にたくさんの足を生やして、食べ物を探しながら這回る毒虫になったように感じられた。

「ばかばかしい!」母親は面白そうに笑った。「足音が聞こえるだろう? もうすぐ戻ってくるよ」

 果たして弟は直に帰ってきて、悴んだ手から僅かばかりの金を母親へと渡した。「本屋のおじさんが少しおまけしてくれたんだ。とっても面白い本だから、買いたい人が多くて困ってて、坊やが持ってきてくれたんで助かったよって言ったんだ」

「そうかい。おまえは本屋のおじさんを助けたわけだ!」母親はうれしそうに笑った。

「そんなに良い本なら、手元に置いとくのが一番いいに決まってるじゃないか」ディエスは床をにらんで言った。「おまえはもうその本が読めないかも知れないんだぞ」

「ぼく、ちゃんと話をおぼえておいたもの」弟はすこし怒ったようにそう言って、天井を見ながら本の内容を暗誦し始めたが、「プレゼントのないクリスマスなんかクリスマスじゃないわ」と髪を売った件の次女が呟く冒頭の一行を言った所でたちまち半べそをかき始めた。次にはその姉が着古した自分の服を見つめて「貧乏って本当に嫌ね」とため息をつくのだったが、それが余りに自分の現状によく似ていていかにも哀しくなったのである。

「『ところで』」その様子をじっと見ていた母親がふいに小さく笑ったかと思うと、やおら口を挟んでそう言った。「『あるところにディエスという若者がいました』」

「なんだって?」ディエスはいきなり自分の名前が出てきたので驚いた。

「『彼は親孝行で弟妹想いの働き者でした。最初のうちは家族で貧しく暮らしていましたが、大きくなると工場の監督さんになって身を立て、たいそうなお金持ちになりました』……こういうお話さ、母ちゃんは憶えてるよ!」

 なんとでたらめな嘘を言うのだろう。ディエスは呆気に取られたが、弟は手をぱちぱちと打ち鳴らして叫んだ。「そうだ! そういう話だったよ!」

「兄さんはお金持ちになるって、私も知ってるわ!」眼をきらきらと輝かせて妹もそれに和した。

「お待ちよ、お金持ちになって終わりじゃないんだ。夢はもっと大きく持つものだよ」母親は右手を差し上げると、どこか遠くからの物語の伴奏をそれで操るかのように、眼を閉じてゆっくりと動かしながら、話を続けた。「そう、ディエスは大きな家に住むんだよ。部屋の数は、そうさね、百と二十はあろうかねえ」

「食べ物がたくさんある?」弟が言う。

「もちろん、食べ物に困ることなんてないさ!」母親は両手を広げる。「豪勢でおいしい料理が――もちろん一日三回さ、ディエスが望めば何度だって――いくらでも目の前に並んでいるよ。見えるだろう、ディエス?(言われたディエスは眼を閉じて、しばらく困った顔をしていたが、やがて「うん……」と力なく頷いてみせた)テーブルにはいつも白くて美しいクロスが掛かっていてねえ、あんまり大きいので、ディエスはきょう片方の端でフレンチのフルコースを平らげたかと思うと、明日はむしょうにピロシキが食べたくなって、スプーンを持ったまま向こう側まで旅に出掛けるというふうなのさ!」

「服もたくさん?」と尋ねる妹は、そうでもしないと楽しさが自分から溢れ出てしまうというように、笑いのとけて赤くなった頬をぎゅうっと押さえていた。

「そうともさ!」母親は見えないシンバルをじゃんと一閃打ち鳴らして見せる。「おまえに腕が六本あって、足が八本、両肩にそれぞれ十七本の頭をくっつけていたって、全部の服は着れやしない!(弟が先だってその姿を考えてみたあと、気持ち悪いから想像しない方がいいと兄妹に合図した)ディエスは朝起きて、今日は何を着ようかと考える。クローゼットは舞踏会ができるぐらい広くて、色とりどりのビロードの葉っぱを付けた森のようになっているそこから家のみんながその日の服を持っていく。赤やオレンジ、黄色に黄緑、緑や水色、青、紫――まあ、七色くらいで勘弁しておくれ――どれを選ぶか考えるのが面倒なものだから、ディエスは六人いる召使いの一人に電話を掛けて言う、今日おれが着る服を持ってこい!召使いその一がへえ、何色の服にいたしましょう? と訊くと、ディエスはええい、おまえが決めてくれ! と言う。召使いその一はへえ、分かりましたと答えてから、今度は服を取りに行くために自分が着る服をどうしようか考える。そして召使いその二に電話をかけて、やい、おれの服をクローゼットから持ってこい! と言う。その一はその二よりえらいもんだから、召使いその二は自分よりえらくない召使いその三に電話を掛けて、やい、やい、おれの服をクローゼットから持ってこい……最後にディエスの所に召使いその六から電話が掛かってきて――」

「『――旦那さま、今日の私は何色の服を着たらいいでしょうか』」ディエスが言って、くつくつと笑った。

「おや、ディエス、久しぶりに笑ったね?」母親は優しい眼で彼の顔を覗き込んで言った。

「だって、めちゃくちゃなんだもの」ディエスは涙をぼろぼろと流しながらも、確かに笑っている。「じゃあオレンジ色の服でも着ろ、と僕が答えると、家のあちこちで電話が鳴って、そのつど誰かがクローゼットの部屋へ行く足音がするんだ。足音、電話、黄色にしろ、足音、電話、黄緑がいい、緑だ、青だ、足音、電話――最後に紫色の服を着た召使いその一が部屋に入ってきて、今日の服はこれになりました」と赤い服を僕に手渡す――まるで向こうのお屋敷みたいだ!」

自分の腹の辺りでふつふつと弾けるものをどうして良いのか、彼には分からなかった。それは冷静に考えてみれば、やはり到底笑えるものではない哀しさであった。なのに、その哀しさがその哀しさである故に、ディエスは笑えてきて仕方がなかった。その哀しみを笑っている自分がディエスという名前を抜けて、重力のない宙へと浮き上がり、やがて全ての人びとの――そう、工場主や地主たちさえそこにいた――朗らかな笑い声の中へと和していくのを感じた。それは人類の哀しみであり、人類の笑いだった。

「『ようやく赤い服を着て、僕がベッドから降りて立ち上がると、玄関の方でチャイムの音がする。おまえたちがやって来たんだ――僕の弟と妹、それから母さんも! 僕たちはすっかり新しい生活を始める。僕は案内する、僕たちの広い家、僕たちの明るい家、温かい家を――」

ディエスは夢中でその家のことを語り、弟妹と母親は眠りもせずに話に聴き入った。暖炉の火が程なく燃え尽きたが、彼らの眼に宿った灯りは絶えることなく、その家の姿を夜通しに照らし続けて、やがて闇を払い去る朝の白い光と一つになって、あの外まで溶け出していった。

「でも、これはやっぱりお話なんだ。嘘をついて、本当のことから逃げてるだけなのかも知れない」

 弟と妹の寝顔を見つめてディエスがそう言うと、母親は静かに暖炉へ火を熾して、鍋の中のスープを温め直した。それは昨夜の晩に残って、家族でなんとなくお互いに遠慮したままに置いてあったものだった。促されてテーブルに着いたディエスが、しかしそれに手を付けようとしないでいると、母親は彼の手に銀色のスプーンを握らせながら言った。

「人が嘘をつくことは嘘じゃないだろう。この世で本当のことはたった一つ、美しいものや大切なものはいつか必ず無くなってしまうということなんだよ。このスープもそう、あのきれいなお月様の光も、それをきらきら輝かせているおまえのその涙もそう。わたしたちにできるのは、月を見ながらスープをおいしく飲んで、泣きたければ泣いておくことだけなんだよ」

 

 5

 

ディエスの家はそうして生まれた。彼の人生は新たに創られ始めた。彼の記憶は揺りかごの中で眠る妹の寝顔と、その隣で微笑している母親の姿から始まり、それから間もなくの弟の誕生、彼ら弟妹の成長、冬の夜の暖炉や、夏の昼の食卓、そぼ降る雨の屋根を叩く音、薪が散らす火花、窓枠の向こうに光る雪と星、そして家族との取り留めもない素朴な会話の断片のうちにいつしか白く溶け出していって、また初めに戻った。日々は幾度となく繰り返されながら、徐々に細部を鮮明にし、そして存在しない未来へと少しずつ終わりを伸ばしていった。

ディエスの家は着々と仕上がっていった。部屋の内装や調度が揃ったというばかりではない。それらの物の中に時間が浸み込んで循環し、名前が独りでに反芻され、見る者の心裡にその眼差しを宿して、彼の世界を電光石火にこの家の袂へと領してしまうようになったのである。ディエスは効果が明らかになって来たのを認めると、それまで熱心にしていた家の案内を止めてしまった。私は脚が痛むので、どうぞお好きにご覧になって下さいなどと言って客人を応接間から送り出す。そして息を殺して後をつけ、獲物が家中の物々から聴こえぬ声に誘われ、視えぬ手に掴まれて彼の作ったの中へと引き込まれていくのを、にやにや笑いながら眺めるのである。客人はふと触れた階段の手摺にどこか懐かしい温もりを感じる、廊下のありふれた風景画が不意に涙で滲むのを見る、やがて饗されたパンを裂く音が病に伏せた日の粥の味となり、スープの香りがビリヤード台のフェルトの緑を想起させるようになる。彼の身体の中からあらゆる感覚の記憶が細く艶やかな糸となって呼び出され、巨大な繭と化した家の中で彼の人生そのものを融解させていく。蚕となった客人から集めた糸を縒り合わせ、全ての記憶を自らの物語の内に紡ぎ直して、家はその歴史を際限なく織り上げていく。蚕はその工程から逃れようがなかった。自己同一性の壁を根こそぎ剥がして建材にすべく持ち去ってしまうその職人は、彼が如何なる他者に対しても唯一性を保った自我を抱えて「居る」ことではなく、彼が全ての他者と同じく一人の人として「在る」ことを伝ってやって来たからである。

ディエスの家は完成した。或る巨大な語として、一人の不死身の人間が見る終らない夢として、一つの死体が獲得した双眸として、その家は遍く物事に眼差しを向け、認識し、判断し、命名した。その家はあらゆる形相を表し、色彩を纏い、目方を示し、音素を操り、芳香を振り撒いたが、それらはあくまでそこに在るのみである。それを読み取り、組み合わせ、自らの思い出に重ね合わせて自分というものが全くその家の一エピソードでしかないように感じるのは人である。彼らは光よりも速く、意識の速度で自らに侵略され、投降され、敗北される。彼らは対戦相手に剣を振り下ろして頭をかちわり、胴を切り刻み、首を城壁の上に並べて晒しながら、常に敗北の判定を受ける。不条理であろうか? しかし物を相手に闘う人などに、滑稽以外の何が見出せるだろうか。

 

 

 

絹のガウンは出来上がり、スープは完成した。家は放っておいても機能する所まで来た。ディエスに残された手続きは、調理場の成り行きを眺めることから離れ、絹のガウンを着てテーブルに着き、スープを味わい尽くして飲み干すことのみとなった。そのためにはこれを食卓まで運び、共に食する者が必要だった。ディエスは執事を置き、使用人や給仕を雇い、番犬を飼うようになる。彼らは初めこそ家全体に漂う未知の郷愁に驚き、その傷を消すなと怒鳴り声を上げる主人に戸惑うが、やがては――一人を除いては――声の網に掛かり、夢の繭に包まれ、自らせっせと糸を吐き出して館を紡ぐようになった。

 その給仕は雇われたというよりは拾われてディエスの家にやってきた。始めて主人と差し向かいでテーブルへ着き、まあ飲み給えとスープを振る舞われたとき彼女が見せた眼、つい数十分前まで路地で凍えながら大事に身体へ巻き付けていた襤褸布が今や無造作に部屋の隅のくずかごへ放り込まれ、自分がいま高級そうな暖かい着物にすっぽり包まれて豪華なイスに腰掛けている不思議をただ茫然と見つめていた満月のように円らな瞳は、家の中で仕事を宛がわれ人並みの扱いを受けながら幾月を過ごしても欠けることのないままに、ディエスの館をきょとんとした光で照らし続けていた。

「どうだね、ここの住み心地は」主のディエスは部屋の掃除をしている彼女のところで時々足を止めては、そのように尋ねてみる。「なかなかの大豪邸だろう?」

拾われ給仕はハッとしたように振り返り、おどおどした様子で「そう思います」と応える。脳裡に降り積もり、後回しになったまま掃き清められないでいると見える工場の煤煙や街路の塵どもが舞い上がり、視界を覆って彼女を大混乱に陥らせるのをディエスは眺める。

「私は人を迎えてもてなすのが大好きなんだよ」ディエスは黒ずんだ霧の中できょろきょろしている彼女を呼び寄せるかのような声で言う。「いまや遅しと待ち構え、戸口で温かく出迎えて招き入れ、明るい暖炉の傍らで談話に興じ、家族のように食卓を囲む。まるで生家に帰ってきたようだと客が言い、いつまでもここに留まっていたいとか、ずっと前からここに住んでいたような気がするとか言ってくれるのを聞くのが――あげく母親の顔が思い出せないと慌て始めるのも――私は大好きなんだよ。ねえ、ここはそんな家だろう?」

「ええ」彼女は少しく戸惑った顔をしている。「私はメイド部屋で夜ごと暖かい布団に眠り、朝の柔らかな光を受けて目を覚ます度に、自分のような者がこんなに大きな館へ上げて頂き、その主に好きなだけ恩返しをしながら日々を暮らしていることを感謝して止みませんわ」頭の中で舞い上がっていたものが話している間に落ち着いてきたらしく、これだけ一息に言ってしまった後は、その黒い瞳をじっと彼へと結んで見上げている。

 どうも効果が薄いな、とディエスは考える。

「君はここへ来る前は、どのような暮らしをしていたのかね?」

 ディエスがこう尋ねると、拾われ給仕はまた不思議そうな顔をする。

「いや、君の言いたいことは分かるんだよ」ディエスは額に汗の滲むのを感じながら言う、「この男はどうして毎日そればかり訊くんだろう、薄気味悪いやつだと、まあこのように君は思うのだろうね?」

「いえ、そんな……」雇われ給仕の頭の中で再び小さな嵐が起こりそうになるのを主は慌てて制す、「いや、いや、分かっている、私はただそれを毎日君に訊いてみたいだけなんだよ、隠居じじいがよくやるように、育てている花が美しく伸びていく様子を帳面に書き付けておきたいという訳なんだよ(ちっ、何を言っているんだ?)」

「このお屋敷に移されるまでは汚い灰と泥の上に根付いていましたので」と彼女が、こちらも慌てて話し始める。「ご主人様が後悔するような薄気味悪いものが咲いてしまいはしないかと考えると恐ろしいのですが、それではお話します。私は二歳のころ親を亡くして街の救貧院に入り(ふむ、とディエスが頷く)、そこで十年ほどパンを食べさせて頂きました。十二歳の誕生日に――友達はきっと本物の出生日に違いないと言ってくれ、院長さんは私がここへ預けられた日だと仰り、教区吏の方は私が保護された日であると教え、院の料理長さま(ふむ?)はパンを突っ込んでやらねばならん役立たずの口がまた一つ増えた日だと言いましたが――私はある本を読んでいるのが見つかって院を出されることになりました。友達がどこからか手に入れてきたのです(ふむ)、読み回しが始まって私が三人目だったのです(ふむ)、まだ読み始めたばかりだったのです(ふむ)、私と同じく救貧院にいる孤児の少年が主人公でしたが、彼は物語が始まって間もなくとんでもなく罰当たりな言葉を口にしました。恐らくはその言葉を読んだのがいけなかったのでしょう――言えません! 私には言えません!(ふむ!)それから私はさる方のお屋敷へ奉公に出され、ここで三年ほどパンを食べさせて頂きました。しかしそれから……」

「待ちたまえ」ディエスは、ここに手掛かりが有りそうだと思って口を挟む。「君が『パンを食べる』という言い回しをよく使うのが気になるんだがね。それは要するに生活することだろう?」

「生活するとは要するにパンを食べるということだという気がするのです」煤煙の向こうから怖いものでも現れて来たのか、拾われ給仕はまた少しく落ち着きをなくす。「救貧院の料理長さまがそう言っていました。おまえたちの頭の上に屋根を張ったり足に靴を履かせたりしたのがどこの誰だろうが、その足を靴に合うよう膨らませておいたり、屋根が必要になるよう墓土を払ってやったりしているのは、他でもなくパンを食べさせているこの俺なんだと言うのです。パンを食べるというのは生きものぜんぶがするどんな事よりも価値があるし、他人にパンを食べさせてやるのは人間のする中で最高の善行なんだということでした。一日に三回、食事を子供たちの皿に盛り付ける度にそう言うのです。俺は院長なんかよりも、教区吏よりもずっと大きな恩をおまえたちに売ってやっているんだ、俺は向こうへ行ったら奴らなんかよりずっと高くへ上げてもらえるだろう、おまえたちはただ飯を喰らいながらどんどん負債を大きくしているが、もしこれを踏み倒そうなんて考えたらただじゃおかないぞ……じっさいあの人は、歯向かった子どもに一週間もパンを与えないで、本当に危ない所まで追いやってしまったのです!」

「おまえはその通りだと思うかね?」ディエスは問うた。心なしか自分が苛々しているのを感じていた。

「勿論ですとも!」拾われ給仕は悲鳴に近い声を上げる。黒い煙の向こうに見えていた人影が、料理長の姿を取って現れたのだろう。「だってそうではありませんか? 食べ物が無ければ、人は死んでしまうではありませんか?」

「なるほど、それでは」ディエスは言った、「私は今のところ給仕の君に生かされて生きていることになるね」

「滅相もございません!」彼女はほとんど絶叫する。少しでもこの記憶に背くようなことを考えれば、料理長はすぐさま彼女の首を掴み、喉を締め上げて、与えたパンを取り返そうとするものらしい。

 ディエスは、どうやら少しそっとしておいた方が良いようだと思った。自分でもこのことについて考えておきたいような気がした。

「よく分かったよ。ありがとう、仕事を続けてくれ。無理はせんようにな」

 ディエスは手を軽く振って礼を表すと、青ざめた顔をした給仕を残して廊下へ出る。すぐに考え事を始めてしまったので、彼女がその背中へ小さく彼の体調を心配する声を掛けたのにも気付かない。「御主人様こそ、最近うなされておいでですから……」

「どうしたものだろう?」

 廊下を歩いていくディエスは呟いてから、間もなくその独り言に自分で首を傾げる。なにをどうせねばならないというのか? 料理長の話には一理あるじゃないか。勿論それを彼が子ども達にいばり散らすために吹聴できる謂れはない。パンの代金を払うのが彼であった訳でもあるまいし、料理長が報いとして考えている「向こうで高く上げてもらう」ということはそもそも馬鹿げている。向こうに存在するのは神と神以外だけなのであり、そこでわれわれの序列は常に最下位となるのだから。かように反証は幾らでもある。反駁は幾らでもできる。しかしそうした理論としての欠陥とは別に、彼はあの拾った下女を長年苛んで来たのであろうこの観念に、どうも好ましからざるものを感じたのである。

(生活がパンを食べることであると言うことの何がいけないのだろうか? それは正しいことだ。少なくとも間違ったことではない。問題はそこなのだ。日々を暮らすということにおいては、おかしな話だが、間違っていないことが常に罷り通るべきではないのだ。人々の間で設定された正しさを全てに於いて履行するのは神であろうが、この究極の可能性としての神に唯一不可能なことがあるとすれば、それは神として生活することであるだろう。神は生活しない。生活こそは労働や芸術と同じく、人間の専売特許たる人間的行動の極致なのだ。……だが)

 ディエスは不快の出所を探り当てた気がした。それは彼が漸く辿り着いた疑問であった。

(私はこの家をつくっている。しかしそれはこの三つの人間的行動のどれに当て嵌まるのだろう? 生活として作っているのか、労働として造っているのか、芸術として創っているのか……この手は何をしているのだろう?)

 そう思いながら見つめた手のイメージを家の空気が自動的に拾い上げて持って行き、食事というキーワードと繋ぎ合わせてある発想を連れ帰ってきた。ディエスはその足で書斎へと向かい、樹液に覆われたように黒く光る文机の引き出しを開けた。

 今では手に小さい、銀鍍金の剥がれたスプーン。

 かつて本物の銀であると心の底から信じ、家から唯一持って出てきた品を、ディエスはそっと手に取った。

都会の生活の中で夢は剥落し、中から粘液を纏った生々しい現実が這い出してじっと彼を見つめていた。自分にこれを売らせようとしなかった母親の心を、ディエスは今や知る者となった。

(本を売る弟や髪を売る妹に引き比べて、私には金になるものが何一つとしてなかったのだ。私に求められていたのは身を切る代償によっての稼ぎではなかった。当座は穀潰しとして力を蓄え、いち早く労働に赴くことで負債を返すべき立場だったのだ。そのために私はスプーンで食べ物を体に入れねばならなかった――それが上辺だけの鍍金などではない、自分の咥えて生まれてきた銀のスプーンであると馬鹿みたいに信じながら。……そして負債は永久に返済の機会を失ったのだ。私は生きねばならなかった、私は兄弟の中でただ一人、死ぬことを全く許されていなかった、それなのにだ! あんまり残酷じゃあないか、誰にとっても!)

 彼はこのスプーンを捨てるべきだろうか? 今やそれはこの家に在ってはならぬ物なのではないだろうか。この家の全ては夢であり、架空であり、一定の条件の下に等しくディエスの想念を注ぎ込まれたものでなければならなかった。それらは全てが思いこみの勝利であり、現実の価値の敗北でなければならなかった。然るにスプーンは実在しており、ディエスの歴史に触れてきて、彼の家の欺瞞を目撃し続けているのだ。主は殆ど本能的にその不都合を察知し、食器棚のこのスプーンのあるべき所には本物の銀のスプーンを置くようにしたが、それこそはこの上ないであり、紛れもない偽物であるのに違いなかった。棚から拾われ給仕が出してきて彼の目の前に置く度にあれが発してみせる輝きは、あの夜に母親の眼が反射していた月の光によく似てはいないか?

 そのスプーンは真実であった。それは偽りのないディエスの心における唯一の嘘であり、また事実のない彼の家の中に在るたった一つの実物であったのだ。

 ランプが一つ灯るだけの書斎で背中を丸めるディエスを、幾つかと一対の眼がじっと見つめ続けている。

スプーンは照明から降る黄金の光を銀色に乱反射させて、主を守るようにその眼たちを射返している。

 

 

 

使用人や給仕たちが忙しく廊下を行き来し、水の入った洗面器やタオルなどを運んでいく。何の役に立つというのだろう、早いところ拾われ給仕を呼んでこなければいけないのに。向かう先からは恐ろしい唸り声が聞こえ、何かがのたうつ鈍い震動が伝わってくる。早足に赤い絨毯を踏み締めて歩きながら、彼らは口々に家の心配ばかりを語り合っている――あの方が死んだら、僕はどこへ行けばいい? この家から出るなんて嫌だ!――私たちに出来るのは懸命にお世話をして差し上げることだけだわ、なんとしてもこの家を守らなければ! 虚ろな瞳でそのように言う者たちを気味悪そうに眺めながら、また部屋の隅では勤め始めて日の浅い連中がこのように話している――あの爺さんが死んだら、俺はどこで仕事に就けばいい? だいぶあくどいことをしてきたそうだから、外の連中はここぞとばかりに仕返しに掛かるだろう。しかも当人には一人も係累がないと来れば、それを被るのは使用人の俺たちって事になるんじゃないか――だからあたしたちは懸命にお世話をして差し上げるんじゃないのさ。首に縄を付けてでも向こうから引き戻さなくちゃ。もし死んじまっても、恩を売っておけば遺産が入るかもしれないよ!

ディエスがうなされるようになったのは、家が完成してしばらく経った頃だった。それは最初のうち遠くで鳴く虫のようだったが、次第に大きく近づいてきて、とうとうこの世のものとも思われぬ叫びを夜ごと館中に響き渡らせるまでになった。介抱の始まりから意識が取り戻されるまでの時間は日増しに長くなっていき、起き上がってもう大丈夫だと告げるとき主が自分の喉元に宛がっている手の意味を、使用人たちは漸う察するようになっていく。――どうやら呼吸を整えるためではない。内側から今にも飛び出そうとしている何かを、必死に押し留めているようなのだ。

そういえば御主人様が魘され始めたのは、ちょうどあの汚い娘が家に上がるようになった頃からではなかったこと? そうだ、あの気味の悪い娘がここへ来てからだ。御主人様の魘され方がひときわひどくなる前の日に、あの娘が御主人様と二人で話しているのを見掛けたわ。その時なにか良くないことを言ったのよ。やっぱりあの娘に問題があったんだわ。あの娘をいま絶対にご主人様の部屋へ入れてはいけない。何故だか分からないけど……何かがおかしいもの、あの娘は。

彼らは主の寝室へ近づくにつれお喋りを呑み込んで、舞台と楽屋の境目のような静寂に縁取られたドアを役者然として潜ってくる。しかし部屋へと踏み込み、寝台に横たわって呻いているディエスを見降ろす時の顔には、どうも役に関する霊感が入り切っていない。彼らは役柄に違和を感じ始めているのだ。無意識に袖を通していた衣装を脱いでみて、そこに見つけた綻びを通して家を眺める。すると不思議なことに、それまで物語を伴奏していた楽団が只のテーブルやキャビネットになり、共に楽屋を出て来た俳優たちが不気味な白い虫となって糸を吐きながら蠢いているのが見えるのである。

 使用人たちは薄気味悪そうに持ってきた物を置いて舞台から去り、請われてやってきた近眼の町医者は辺りを這い回る蚕たちに気付きもせず、患者の体を探っては首を傾げ、聴診器から流れ込んでくる物語に惹き込まれそうになりつつもその筋の破綻に眉を顰めている。

 茶番が進行するばかりである。拾われ給仕はどこにいるのだろうか?

主は呻いている。しかし聞く者は、どうもそれが彼の声なのだという感じがしない。それはディエスから聞こえる、ディエスではない何かの叫びであった。深く暗い深淵から浮かび上がり、双眸をゆっくりと開いて、それは今しも彼らを見つめ返そうとしていた。

ランプや窓がそっと黒い掌で覆われたかのように、とつぜん部屋から光という光が締め出された。暖炉の火は消えた。人々はあっという間に暗闇の中へ包まれ、各々のまなざしは失われ、とうとう這い出してきた物の腹の中で有無を言わせず一つに溶け合わされてしまった。

使用人も給仕も、運悪く居合わせた見舞客も町医者も、なにか恐ろしい感覚に駆られて叫び声を上げた。しかしそれらは言葉を結ばず、破裂音や摩擦音のままどこかへ吸い込まれていって、やがて人声や身動ぎ、衣擦れや息遣いを歪に組み直して成された語を谺として返してきた。

spoon

闇は直ちに眼窩を蚕食して、そこから有と無の混同された領土を全身へと広げていった。彼らが形による区別をなくして闇そのものとなり、自分の行動すら為されているという感覚に陥り、苦により苦しめられると同時に苦によって苦しまれるようになると、しかし闇はそこではたと立ち止まらざるを得なかった。

spoon

それは闇の勝利ではなかった。そこに敗北する光がなかったのである。それは物の勝利でもなかった。敗北する者がもう居ないのだ。そこで物は者を呼び、闇は光を求める言葉としてその語を唱えた。それこそは彼らの望む旗を――降伏のためか反抗のためかはともかく――持ってそこに立って居るはずであった。

spoon

 どこだ? 小さな音がするのが聴こえる。何かがどこかから近づいて、ここへ入ってくるのが分かる。

 なんだ? 何かが何かを辺りに撒き散らしている。刺すような痛みがある。速さ、暖かさ、眩しさ。――だ。

 だれだ? それを持って来たのは。聴こえていた音が意味を成して手に持つ物に名を還した。――スプーンだ。

 なぜだ? 彼女はディエスの元へ歩み寄ると、その手にスプーンをそっと握らせる。彼は眼を閉じたまま起き上がり――何をしているのだ――近くの壁へとスプーンを突き立てたではないか。匙は易々と壁紙へ食い込み、モルタルを削って刳り抜いていく――まるでプディングでも掬うようではないか。彼は自分の建てた家を自らの手で損ないながら、静かに頬を緩めて微笑んでいる――まるで母親に呼ばれて外遊びから帰り、食卓に着いた子供のようではないか。そしてスプーンに載った家の欠片は、主の口元へと何の抵抗も無しに運ばれていく――まるで家が者となるのを拒否したようではないか。明け渡された認識の玉座を自ら降り、一度制圧した領土を全く返還し、ありとあらゆる利益に背を向けて、おまえが生きろとディエスに宣告したようではないか。彼の微笑みはその生を喜んで受け容れたようではないか。しかしその笑みの浮かぶ頬を伝って落ちる涙は――あたかも家族のを見届ける者のようではないか?


モドル