◆ 湖沼での釣りから・・・

        沼にずるずると両足が・・・背筋が寒くなったHOTOKE沢の釣り

釣りの中で一番最初に始めた小川のように流れのある場所のマブナ釣りは、センスが無いせいでなかなか上達しませんでした。一回の釣行で3、4尾も釣ればいい方で、どうにも魚信にうまく合わせられないことが原因でした。そんなとき、釣歴50年以上を誇る叔父貴に教えられた釣りが、安いブランコ式のヘラ浮子を使ったオリジナル釣法でありました。これは、OMONO川などの比較的大場所の淀みや池沼でのマブナ、コイ釣りに最高の威力を発揮してくれました。なんと、わたくしの一回の釣行での釣果は、ポイントさえ良ければ従来の10倍以上にあたる30尾から40尾ほどにもなったのであります。

その日の季節は初秋、自宅から15分ほどのところのHOTOKE沢公園にある自然の沼を利用した農業用ため池での釣りでした。ここにはかつてコイが放流された経緯があり、今でもけっこう良型が釣れるほか、マブナなども数が出るとの叔父貴情報でありました。しかも、今は水がはずされ、絶好の条件とのことです。天気も良く、周辺が公園になっているせいもあって家族連れでナベッこ(いもの子汁)を囲む人たちもたくさんいます。もちろん、釣れる!というウワサを聞いてか釣客も数人いて釣糸をたれています。

わたくしも、空いているポイントに入り、いつものオリジナル仕掛けを準備、エサをこしらえ1投、2投とエサを打ちました。この釣りではこまめにエサ打ちすることが好釣果につながります(この釣り方での経験は、それから10数年後に始めたヘラ釣りに大いに役立ちました)。20分ほど経つと浮子がもぞもぞっと反応しています。魚が寄ってきたようです。数分後、魚信はもぞもぞっからツン、食い上げなどの本魚信に変わり、5寸から8寸ほどのコイやマブナが釣れ始めました。周囲を横目で見ると、確実にわたくしの釣果が他の釣り人を圧倒しています。フフフ・・思わず出る含み笑い。しかし、でっかいドジョウやだいだい色のフナなどへんなものも釣れてくる日でもありました。

数時間後、薄暗さを感じて辺りを見まわすと釣り人はわたくし一人です。あんなにいた家族連れももういません。帰らなきゃ・・と立ち上がったときです。釣座を水が落ちたあとの沼の壁面にとっていたわたくしは足をとられ尻もち。・・と、そのまま沼に引きづりこまれるように滑っていきます。やばい!と思って力んでも身体は止まりません。そのうえ土の壁面ですから捕まえる草もありません。わたくしは、両手の指を熊手のように立て沼へと向かう自分の身体を止めようと試みましたがダメです。いよいよ長靴を履いた両足が水に入り始めました。わぁー!。しかし、HOTOKE沢の仏の加護か・・いよいよ長靴全部が沼の中に引きづりこまれると思った寸前、ついに身体が止まりました。わたくしは軽く深呼吸し、慎重に身体をねじらせ四つんばいになり、また爪を立て、まるで臆病な熊のように静かに堤体まで這い上がりました。・・助かったぁ!振り返ると、沼の壁面にはわたくしの滑ったお尻の跡の両脇には5本ずつの爪の跡・・。背筋はゾー・・。そのあと、とるものもとりあえず、バタバタと家路に急いだということは言うまでもありません。あーほんとに怖かった!!。(皆さん、このHOTOKE沢の沼は危険ですので釣りはやめた方がいいです。・・いろんな意味でアブナイと思います。・・ブルッ!)

【 仕掛け 】 ⇒ 竿はマルホンで買った2間半の本間竿。ミチ糸は銀鱗3号。ハリス2号。浮子は市販のブランコ式ヘラ浮子。ハリは鮒バリ5号。三又を使い、一方にネリエ(ミドリ)と一方にキジ(ミミズ)。


        なぜ置き竿に来るのか・・・釣りの最中、用足しには要注意

さまざまな釣りをしていて不思議に思うことが多くあります。そのひとつに「置き竿に魚がかかる」ということがあります。海でも、川でも、湖沼でも(さすがに渓流釣りではありませんが・・)、何故か置き竿に魚が来るという経験は誰にでもあるのではないでしょうか。叔父貴に教えてもらったブランコ式ヘラ浮き仕掛けでマブナを中心に好釣果を続けていた頃のことです。

車で30分くらい行ったところのTAM川の近くに大きく深い砂利穴があり、ここに良型のマブナが多くいるということで通っていた時期がありました。砂利を採取した後の穴と言うにはあまりにも大きい池沼で、周囲は軽く100mを超えていたかと思います。ここにはマブナのほか、1尺5寸から2尺ほどの大型コイも多く、中には3尺を超える大物もいるというウワサでした。わたくしは、あくまでもマブナの数釣りが好きでしたから、そんな大型のコイにはあまり興味が無かったのですが、職場の上司でわたくしの弟子を名乗っておりましたTOBさんはその話しを聞いて大乗り気でありました。このTOBさんは、師匠のわたくしと違ってただただコイの大物一筋の釣人であったのですが、当時まだ尺物すら釣ったことがないのでありました。その日の土曜日も、好調にマブナを上げるわたくしの傍で、TOBさんは相変わらず2.7mのリール竿を使いブッコミ釣りをしています。夕方、そろそろ納竿かと思った頃です。TOBさんの竿先の鈴がチリリーン、チリリーンと激しく鳴りました。待望の魚信です。しかし、そこにTOBさんの姿がありません。TOBさーん!来たぞ!!という声にTOBさんが高い草の陰から飛び出してきました。幸い魚はバレておらず、釣り上げると立派な尺ゴイです。わたくし「どこ行ってたんスかあ?」、TOBさん「いや、ション便!ビックリしたあ・・ハハハ」。

それから1週間後、また2人で砂利穴に釣行です。TOBさんの今日の釣り座はわたくしの対岸、駐車場の近くです。数時間後、見るとTOBさんがまた竿を竿掛けに立て掛けたまま20mほど先のところで立ちション便をしています。わたくしが「また、来るんじゃないだろうな・・」と思っていたまさにそのとき、いきなり竿掛けがガタンと倒れ、2.7mのリール竿がずるずると引きずられていくのがわかります。TOBさんは用足しもそこそこに大慌てで竿を追いかけ、すんでのところで竿をキャッチしました。しかし、慌てていたせいか、ドラグ調整が上手くいかなかったのか必死のファイトにもかかわらず痛恨の糸切れです

なんで竿から離れると魚がくるんだあ?」とへたり込むTOBさんでありました。しかしTOBさん、その後の釣行で魚信がなくなるとワザと竿から離れ用足しに行くのはいったい何故?

【 仕掛け 】 ⇒ TOBさん仕掛け。竿はSAT釣具店から買った1980円のセットのリール竿、2.7m。ミチ糸、ハリスは不明。スイコミ仕掛けでエサはミドリと大ゴイ。


        人目を忍んでゴミ箱あさり・・・なんでヘラが釣れないんだ?

本格的なヘラブナ釣りはここ数年のことですが、この釣りを始めたのは磯の上物釣りに夢中になっていた頃ですからもう10数年以上も前のことです。自宅から10分ほどのところにIIDA沼というOMONO川の残存河川がありヘラブナが放流されています。車で乗りつけ、その場所ですぐに釣ることができる手軽な釣り場です。ただジャミが異常に多く、そのジャミの中からカッツケで本命を釣り上げるのがここの醍醐味だ・・と常連の釣り師が言っておりました。

前にも書いたとおり、ここに行った当時は磯の上物釣りに夢中になっていた頃ですから仕掛けにもエサにも無頓着で、O市内の釣具店から10尺のグラスのヘラ竿を購入し、店主がすすめるバラケマッハと藻ベラを持って気まぐれに出かけたのが最初でありました。理由は、黙っていれば毎週土日の2日とも磯に出かけかねないわたくしに、週1回の釣行を義務づけましたカミさんへの対応策?(どうしても2日間竿を持ちたい、1時間でも釣りをしたい・・という)であったように思います。 さて、いそいそと出かけ、端っこに釣り場を構えて初のヘラブナ挑戦です。まず、折りたたみのイスに座り、竿掛けを地面に差し、釣具店の店主に教えられた仕掛けをこしらえました。この時点で、自分の釣りの格好が周囲の人たちとかなり異なることに気がついていたのですが、まあ気にしないことにしました。さて、エサです。 なんといってもバラケマッハと藻ベラしかありませんから均等に入れてよく練り込み、しかもエサ持ちがいいように硬めにエサを作りました。思えばすごいエサです。し、しかし、なんとこのエサでけっこう釣れたのであります。ホントです。最初の1時間か、1時間半くらいはそれなりの釣果があったのであります。しかし、多くの釣り人を魅了して止まないヘラブナ釣り、そうそうマグレが通用するわけはありません。2時間ほど経つと沼のジャミの半分は自分のところに集まってきたかのような状態になり、ウキは電動式の玩具のように動き回ります。ヘラブナ釣りどころではありません。「お〜お、集めたなあ!」、「ジャミもすごいが、ヘラもけっこういるなヤ」、「エサだな・・」といった声が後ろの方で聞こえます。

結局、2時間ほどの釣行のつもりが約5時間(午後1時から6時)強の釣り、しかもその日のIIDA沼の最後の釣り人になっていたのでありました。釣果はさんざんでありました。釣り師のプライドがとても傷つけられたような気がしました。・・おかしい、絶対エサに関係があるんだ!!と直感したわたくしは、誰もいなくなったIIDA沼の数箇所に置いてある鉄のゴミかごを見て歩き、一番多く捨ててあるエサのカラ袋を確認して歩いたのでありました・・。

【 仕掛け 】 ⇒ 竿は10尺、グラスのヘラ竿。ミチ糸は1.5号、ハリス付きの改良ヘラバリ4号。エサはバラケマッハと藻ベラ。ウキ下20cmほどのカッツケ釣り。


        厳冬のワカサギ釣り・・・マキエにグレパワー

東北の雪国と言えばなんといってもワカサギ釣り!と思われる方も多いかと思います。しかし、いかに雪国とはいえどこでもワカサギが釣れるとは限りませんし、内水面であればどこでも氷上の釣りができるというものでもありません。わたくしも奥羽山脈の麓にあって、どうせ雪国に住んでいるのであればワカサギ釣りをしてみたいと思っていたのですがなかなか著名な釣り場へなど行くことができずにおりました。ところがある冬の日、何気なく地元新聞の釣り欄を見てみると「Y市のUSI沼でワカサギ好釣!」の活字が・・。ええー、ウソ!USI沼ってウチから20分ほどのあのUSI沼??

・・というわけで、わたくしはさっそく土曜日、紅サシと3間ほどの万能竿を持ってUSI沼に出かけたのでありました。行くと数人の釣り人がいます。USI沼はすっかり表面が凍っていて、その氷上に穴を空け、陸からその穴に朱色の玉ウキを浮かべての釣りをしているようです。近くの釣り人に「新聞を見てワカサギを釣りに来たんだけどどうですか?」と尋ねると、釣り人「ダメ、ジンケン(オイカワ)とタナゴばっかり。ワカサギは2、3匹しかきてないよ」との答えです。へえ、ホントにワカサギが釣れるんだあ・・とわたくし。その釣り人の話しでは、氷上の穴はそれぞれにコンクリートブロックにロープをつないだものを投げ込んで空けるのだそうです。そんなものが必要だなんて思ってもみなかったものですから、とりあえず1つだけすでに空いている穴で釣ってみました。・・まったく魚信なし。よしっ!

そこで、わたくしは車に戻りトランクを物色・・確かあったはずだけど。あった!・・それは磯の上物釣りで使っているマキエであります。包装紙が緑色、その名も"グレパワー"であります。これをスーパーの袋に入れて水を少し加えマキエを作り、先ほどの氷上の穴めがけて投げ込んでみました。・・と数分後、待望の魚信です。合わせてみるとかすかな手ごたえがあり、タナゴが釣れてきました。外道とはいえサカナが釣れて思わず頬が緩みます。それからグレパワーの威力かけっこう魚信が続き、数十分後、待望のワカサギが釣れました。わずか数センチの魚体ですが生まれてはじめてのワカサギのGETです。やったー!!

結局この日釣れたワカサギは7尾でしたが、初体験とあって大満足の釣りとなったのであります。この7尾のワカサギがから揚げとなり、夜の食卓にあがったことは言うまでもありません。う〜ん、充実!!

【 仕掛け 】 ⇒ 竿は18尺、グラスの万能竿。ミチ糸は1号、ハリス付きの袖バリ。エサは紅サシ。ミチ糸の中間に朱色のセルロイド玉ウキ。マキエには丸九のグレパワー。入門本にも書いてあるとおり頻繁にタナが変わるので小まめな調整が必要。


        屈辱の7回連続ボウズ・・・T川の池に魚信なし

またまた真冬の話しであります。隣のO市に"T川の池"というヘラブナの釣堀があることを聞いたのは3、4年ほども前のことでしょうか。これがなかなか繊細で面白いとの話しでしたので、釣具を車に積んである日曜日にいそいそと出かけてみました。釣堀ですからもちろん料金があります。1日1,000円でありました。釣堀にはもう7、8人の釣り人が糸を垂れています。しかもほとんどの人が、釣り雑誌でしか見たことない小さな一人用のテントに入っての釣りでありました。へえ〜、こんなことしてホントに釣ってんだ。あ、釣れた!、あ、あっちも・・よっしゃあ、やってみよう!といったわけでわたくしも一番手前に釣り座を設けました。

この日は幸いに風もなく、雪もちらちら降ってくる程度の釣り日和。準備をしながら周囲の様子を見てみると皆さん意外と短い竿を出しています。少し離れた両脇の釣り人に「すんません、始めてきたんですけど・・何尺ですか?」と尋ねると、片方の釣り人が9尺、もう片方の釣り人が10尺とのことでした。そこでわたくしも10尺のカーボン竿でチャレンジです。よくよく観察しているとどうやらみんな底釣りをしているようです。なるほど、なるほど・・なんか面白そうだぜい(ゾクゾク・・)。 ・・しかし、9時半頃から始めて3時間、昼もとうに過ぎたというのにわたくしのヘラ浮子はピクリとも動きません。「今日はあんまり食いがよくないからナー」といって声をかけてくれる隣の釣り人も、20分くらいの間隔で竿をしならせています。

結局、その日はあえなくボウズ・・いやそれどころか釣堀"T川の池"に通えども、通えどもまったく魚信というものがありません。結果、なんと釣行7回を重ねてもヘラブナの魚影を見ることはありませんでした。屈辱の7連続ボウズであります。そして、それからがわたくしの本格的なヘラブナ釣りの始まりであるといっても過言ではないような気がします。ヘラブナに限らず、多くの釣り人を魅了して止まない釣りにはそれなりの理由があるのだと改めて思わずにはいられない思い出でありました。

【 仕掛け 】 ⇒ 竿は10尺、カーボンのヘラ竿、かちどき。ミチ糸は1.5号、改良スレバリ2号。バラケとグルテンのセット釣り。浮子は小春4号。


        ITIZYO木の鯉釣堀・・・磯釣りの合間に毎週通う

OGA磯での上物釣りに夢中になっていた頃、同時に隣町のITIZYO木の鯉釣堀に通っていた時期がありました。自宅から約10分くらいの低い山間にある釣堀でした。その頃のわたくしは、本当であれば週末の休日すべてを磯釣りに充てたいくらいの勢いでありました。しかし、いくらなんでもそれはカミサンはじめ家族が許しませんでしたし、毎月のお小遣いもとても持ちやしません。ところが、わたくしの釣りバカの虫は「ツリテッテテ・・、ツリテッテテテ・・!!」とせわしなく頭の周りを飛び回っています。毎日毎日思うことは・・ああ〜あ、サカナ釣りしてえなあ〜。釣りは悪魔の趣味−とはよく言ったものです。 そんな時、自宅を訪れた叔父が出された煎茶をすすりながら「この間、ITIZTO木の釣堀を見に行ったらよー、まあ飽きもせずにあんなプールみたいなところで釣ってるもんだ。常連になると休みの日には一日中釣ってるって話だ」。わたくし「ええっ、ITIZYO木に釣堀あんの?」、叔父「おお、オメエ知らないのか?」、わたくし心の中で「へえー、釣堀かあ・・ふ〜ん」。磯に行くのは土曜日。よーし!次の日の日曜日、覗いてみっか、フフ・・」。

そして日曜日、前日の上物釣りの心地よい疲労を感じながら、予定どおりお昼過ぎにブラリとITIZYOU木の釣堀に出かけてみたのでありました。もちろん、カミサンには内緒です。ちょっと買い物に行ってくる・・てなことでも言ったのでしょうが、今ではもう憶えておりません。舗装道路から細い砂利道を30mほども行くと小さな小屋があり、行ってみるとそこが管理人室兼受付け兼釣り人の休み場となっており、その奥にちょうど小学校の25mプールをひと回り小さくしたような池があって、なかなか大した釣堀となっていたのでありました。けっこうこの辺は車を走らせたりしてたのに、気づかなかったなあ・・まっそれもそうか、看板一つ出ていないんだから。

釣堀は、半日いくら、一日いくら・・とかなっていたような気がします(もう数年前にその釣堀は廃業してしまいました)が、もう忘れてしまいました。半日で500円くらいだったでしょうか。対象魚は尺から尺5寸ほどの鯉であります。常連の人はマイロッドで釣っているようですが、2間ほどのグラスの貸し竿も置いています。わたくしはその貸し竿を50円かそこらで借り、エサのスイミー(マルキュー)を買い求めて初挑戦してみました。やってみると、叔父の言葉とはうらはらにこれがけっこう面白い!魚信も繊細ですし、四角いプール状の生け簀とはいえちゃーんとポイントがあって底は微妙に高低があります。どうやらコツは、エサの大きさとポイントを小まめに変えて歩くことのようでした。初日は、やっとの思いで1尾をゲットし、自宅裏の湧水池に放したような気がします。ただ、その後は持ち帰らず帰り際に検量、獲物1キロ当たり100円かそこらのサービス券をもらっておりました。

・・かくして、わたくしの週末のライフスタイルは、土曜日にOGA磯で上物釣り、日曜日は2、3時間ほどこの釣堀で鯉釣りとあいなり、これが2年間ほども続いたのでありました。

【 仕掛け 】 ⇒ 竿は2間、カーボンの万能竿(貸し竿)。ミチ糸は5号程度で、鯉バリ18号程度。エサはスイミー。浮子はヘラウキか棒ウキ。


        尻を半分出しての沢エビ採りたらい1つの大豊漁・・美味

釣りとは言えないのでありますが・・、平成3年のことであったと思います。当時の部署の上司が、わたくしに最初に釣りの手ほどきをしてくださったFUKさんでありましす。この上司のFさんは釣りはもちろんのこと、山菜採りはプロ並みの人なのでありますが、ある日のこと・・「IKEくん、明日1時間ほど休暇をもらってエビを採りに行かないか?」とFUKさんがわたくしの耳元でささやきました。わたくし「エビっスか・・なんのエビっなんスか!?」、FUKさん「なんのエビっていうか・・ほらクロ森山の上の沼、あの沼、今水を落としてるんだ」、わたくし「ほう、ほう」、FUKさん「この日曜日にドジョウ網を持って行ってみたんだヨ」、わたくし「それで、それで」、FUKさん「そうして沢水が流れ込んでいる筋のところにそのドジョウ網を掛けて見ると・・」、わたくし「・・みると!?」、FUKさん「沢エビが採れる、採れる!しかもこれが蒸して食べると美味このうえもないんだ!!」、わたくし「やったー、行きます!!」。

・・というわけで、次の日、午後5時までの勤務のところを1時間休暇をとり、FUKさんに案内してもらってクロ森山の沼へ行ってみたわけであります。いつもは、沢水を満々に湛えている沼の水はすっかりなくなっています。そしてよく見ると、沼の一番低いところに向かって幾筋もの沢水が流れ込んでいます。FUKさんを見ると、そう、あの沢筋に沢エビがいるんだ−とばかりにウン、ウンと頷いています。さっそく、特長を履き、ドジョウ網を持ち、FUKさんから借りたけっこう大きな魚篭を腰に下げて沼の中に入っていきました。FUKさんは、自分は十分日曜日に採ったから・・ということで沼の辺でわたくしの様子を見ています。

「あんまり長い距離追わないで、3mほどくらいずつでいいからなあ!!」続けて、「両手で掃くように追ってえー!!」。その助言を受けてやってみると、まあ、1cm以上の大型の沢エビが取れること、取れること。そうして1時間半くらい経ち、辺りが薄暗くなりはじめるまでわたくしの沢エビ漁?は続きました。もう魚篭にはびっしりと沢エビが詰め込まれています。遠くでFUKさんが「おーい、もういいだろう!魚篭も重いんだろう!?トレパンが下がって尻が半分見えてるぞう!!」と叫んで笑っています。

自宅に帰り、沼のゴミを取るため、水を3分の1ほど入れたタライに魚篭から沢エビを出してみると・・なんと一杯分もあったのでありました。夜、カミさんから蒸してもらい、食すると・・これは旨い!ほんとうに美味しかったのでありました。(後日談:わたくしが沢エビ採りをしている間、FUKさんは水がなくなった沼の周辺で螺貝をス−パーの袋3個分ほども拾っていたことを翌日聞いたのでありました。FUKさん、やはり只者ではない。


        足元でじっと待機していたブラックバス・・待ちくたびれてかスイ〜ッと

ヘラ釣りはまだまだ始めて5、6年の若輩者。しばらくは隣市の管理釣り場に通って腕を磨いて?いたのでありますが、その管理釣り場の会員の皆さんから「いやあ、そろそろ野釣りデビューした方がいいんじゃないの?」というお誘い(本当は、ほとんどプレッシャーあるいは強制)に観念し、近くの湖沼やダム湖に出かけ始めたのが3年ほど前のことであります。重い腰を上げていってみると、これがけっこう難しく、また難しさゆえにとても面白いことを知りました。・・そりゃあそうですよね、数多の釣り人を魅了し、釣り会の多くは"研究会"とまで称し、全国組織まであるヘラ釣りなのですから。

そんなわけで野釣りに出かけるようになって程なく、知り合いのヘラ師MAKOさんに連れられてNANGAダム湖に釣行したときのことであります。先客1人の横に入らせてもらい、2人で釣台にまたがり釣始めて1時間・・ついにウキにサワリが。わたくし「MAKOさん、サワリが出ましたよ。寄って来てるみたいですよ」、するとMAKOさんも「うん、オレにも魚信があるよ。そろそろ来るな」。わくわく・・。数分後・・よしっ!とばかりにMAKOさんの和竿が弧を描きました。見るとなかなかの良型です。それからまもなく、またしてもMAKOさんに・・。う〜ん、来てるんだけどなあ・・きちっとした魚信がないんだよなあ・・。するとMAKOさんが「おい、キミの竿先のあたりを見てみろ」、わたくし「ええっ?」、MAKOさん「ほら、足元・・」と言って指さしたあたりの水中を見ると、なんと恐ろしくでかい、尺5寸はあろうかというブラックバスがじいっとわたくしの方を見ているのです。MAKOさん「ここには、あんなバスがやたらといて、小ベラやジャミは全然いないんだ。今も我々が放流するヘラブナを狙ってるんだよ。だから放流するときは気をつけてな」、わたくし「は、はい!」。

・・とはいうものの、気をつけようにもヘラブナはわたくしの竿にまったく乗りません。しばらく待機していたこの大型のブラックバスも待ちくたびれたのか、すいーっとどこかへ泳いでいってしまったわけであります。なんと辛抱のないブラックバスだ!

【 仕掛け 】 ⇒ 竿は玉成14.1尺、。浮子は歩1.05g。釣り方、仕掛けはバラケ−グルテンのセット釣り。


        玉網も持たずに大物鯉と初対決・・世の中そんなに甘くはありません

"NAGANの砂利採り穴"という釣り場がありまして、ここを紹介されたのはわたくしが釣りを始めて2、3年ほどしか経っていないころであります。砂利採り穴でありますからもちろん立ち入り禁止なのですが、ここにはフナはもちろんのこと、近くの元養鯉場から逃げてきた3尺クラスの巨鯉も入っているという噂でした。そして、わたくしはそれがほぼ間違いのない事実であることを知っていました。なぜなら、わたくしの傍らで釣っていた釣り人が一発で3号ほどのミチ糸を持っていかれたところも見ていますし、竿かけを倒し、リール竿がずるずると引きずられていったところも目撃しているからです。姿は見ていませんが3尺クラスの巨鯉は確かにいるようでありました。

 その日、砂利採り穴で竿を出していたのはわたくし一人でした。釣り座は折りたたみ式の腰掛けでしたが、下地が崩れて水の中に引きずられていくような気がします。それでも良型のマブナが面白いように釣れました。そして、そろそろ引き上げようかな…と思っていたそのとき、ひょいと魚信に合わせたところ、かつて経験したことのない強い引きです。わあーすげえ!!グラスの万能竿を両手で支え、格闘すること5分…ついに力尽きて上がってきたのは体調が1尺5寸を超えるくらいの丸々と太った鯉でありました。3尺クラスの巨鯉ではありませんでしたが、わたくしにとってはそれに勝るとも劣らない価値ある釣果です。

…しかし、そのころのわたくしは玉網というものを持っておらず、手づかみにするしかこの鯉を手中に納めることはできないのでありました。慎重に、慎重に水際に引き寄せ、サカナの近くに右手を差し伸べたその瞬…バシャ、バシャ!!…哀れ初の大物はスウイーッと水底へ。まあ、釣りをしているとよくあることなのですが、だからといって平気なわけはなく、今でも思い出すたび悔しいことこのうえないというのが本音なのであります。


        SYOZI爺との出会い・・ええー、仲が悪いのかい!

様々な事情があって、今では自分の主流となっているヘラブナ釣りの師匠は隣市の管理釣り場"玉川の池"の主であり、管理人でもあるSYOZI爺−推定80歳前後−であります。この腰の曲がった小柄な爺さま、聞くと若いときには競馬の騎手をしていたのですが、規則違反をしてやめてしまったという経歴の持ち主で、気性は荒く、口も悪い、仲間の悪口も平気で言いふらす爺さまでありまして・・。しかしヘラブナ釣りの実績は素晴らしく、若い頃は県内外の大きな大会を制すること1度や2度ではないほど腕のよい一流のヘラ釣り師なのです。しかし、今ではもう第一線から退き、若い頃からの趣味で集めた紀州の和竿を愛し、玉川の池で毎日のように竿を垂れております。

この爺さまとの出会いは、もう5年ほども前であります。ヘラ釣りを始めたばかりのわたくしは、これも隣市のFURU釣具店という写真屋さんと兼業している釣具屋さんにお世話になっておりました。その頃は、まったくというほど釣果が上がらず、店主のFURUさんに仕掛けや餌のことを、あれやこれやと尋ねまくっておりました。これにはいくらわたくしが客とはいえ、FURUさんも閉口したのでしょう、「IKEさん、まず世の中に釣れない餌なんて売ってないって!ただ、どんな状況で、どんな風に釣るかで釣果が変わるくらいで・・」、う〜ん、世の中に釣れない餌は売ってないかあ〜、なるほど!考え込むわたくしを気の毒に思ったのか続けてFURUさん「じゃあ、野釣りもいいけど、玉川の池に行ってみたらどう?」、わたくし「タマガワノイケ?」、FURUさん「なに、知らないの?市の外れに玉川の池っていう管理釣り場があるんだよ」、わたくし「へえ〜、知らなかったなあ・・」、FURUさん「それで、そこにSYOZIさんっていう腰の曲がった達人の爺さまがいるから、その人から習うといい。声をかければ必ず教えてくれるよ。SYOZIさんの特徴?行けばすぐわかるって!」

そんなやりとりがあって、わたくしは釣具屋の店主の言うとおり管理釣り場の玉川の池に行ってみると・・確かにありました。そういえば月間○×とか、◆△専科とかいう雑誌で似たような釣り場を見たことがあります。さてSYOZIさん、SYOZIさんはと・・見まわしてみると、真中の桟橋のたもとで背中をまるめ、竿を出している小さな老人がいます。周りの風景と同化しているようにも見え、注意しないとつい見逃してしまいそうな感じです。"よしっ!"わたくしは思い切って近づき「あのう〜・・」、すると真っ黒な顔をした爺さまが怪訝そうにわたくしを見上げ「ああ、入場料か?どれ、一日でも半日でも千円だ」、わたくし慌てて「ああっ、すみません!はい千円・・」とお金を渡しました。「好きなところで釣れ!」と爺さま。わたくし「は、はい。実は・・SYOZIさんですよねえ・・釣り方を教えてもらいたくって・・」、爺さま「ああ?」、わたくし「あのう〜素人なもんで、できればヘラ釣りを教えてもらいたくって・・」、爺さま「・・いいけど・・隣に座れ!」、わたくし「あ、ありがとうございます!じゃあ、お言葉に甘えて・・、実はFURU釣具店からSYOZIさんから教えてもらうように言われてきたんですよお(ニコニコ)」と言いながら爺さまの隣に腰をおろしたとたん、爺さまの顔がみるみる鬼の形相になり「FURU〜!!!あの釣具屋あ〜、あるもんじゃねえ!」と怒声。あまりにも突然でビックリ仰天しているわたくしに「ちぇっ!まあ仕方ねえ、教えてはやるけどよお!あのFURU〜!!」。後で常連の釣師たちに聞いてみると、SYOZIさんとFURU釣具店さんは大の仲良しだったのでありますが、2人のちょっとした誤解が原因で今は極めて深刻な冷戦状態にあるとのことでした。それを聞いてわたくしはもう一度「ええっー?!」と仰天。参ったな〜。口の悪いあの爺さまも爺さまだが、仲違いしている人を紹介するFURUさんもFURUさんだよなあ〜。

こんな出会いで始まった爺さまとの交遊。以降のわたくしの釣りに大いに影響と趣を与えてくれたのですが、このSYOZI爺・・昨年の5月に他界されました。もちろんFURUさんとも仲直りして・・。かなり寂しくなりましたが、これからもちょくちょくSYOZI爺の話しをすると思います・・心から冥福を祈りながら。


        1本だけ買おうかなあ〜和竿・・カミさんも勘違いして大応援

玉川の池にヘラ釣りに行きますと、常連釣り師のほとんどが和竿を所有し、これで釣りをしております。初めてこの管理釣り場を訪れた頃は、その値段や特徴を聞いてまさに仰天。「な、なんでそんな高価な…、しかも重い…、数釣りをすると曲がる…そんな竿を、釣って食するわけでもないヘラ釣りのために大枚をはたいて使わなきゃいけないんだ??」とまったく理解できなかったとしても、常識的に不思議じゃないようなあ〜と今でも思っているわけであります。…が、ヘラ釣りを始めて5年目、なぜかわたくしの家にも十数本の紀州の和竿が置かれているわけでありまして…。え〜、やっぱり釣りは悪魔の趣味、究極の道楽とでも申しましょうか…。

あるとき、「なにも竹でなきゃヘラが釣れないわけじゃあねえ。カーボンでもなんでもいいに決まっているべえ。ただ、どんな道具でも大事にしなきゃいけねえぞ」と釣り場でSYOZI爺。「そうだよなあ。あくまでも竿は釣るための道具だよなあ〜。要は腕が第一さ」とわたくし。しかし、そうは言ってもわたくしとて釣り歴20年超、年間50日以上の釣行を続けている者でありまして、その和竿というものに興味がないわけではありません。隣のSYOZI爺に何気なく「ところで、和竿っていくらくらいするものなんスかあ?」と尋ねてみますと、「ああっ?安いのは尺単価4、5千円からあるべえ。高いのは…そりゃ、際限無しよお」、わたくし「えっ、尺単価…スカ?」、SYOZI爺「おう、そんだから…尺単価で5千円なら10尺竿で5万円ていうヤツよ。まあ、ここら辺じゃ尺1万円くらいが手ごろだべえ」。わたくし「尺単価1万円?それじゃあ10尺で10万円、15尺で15万円?!」。ひえーっ!こりゃあ驚いたぜい!!まあ、雑誌とかじゃあ読んだことがあるけど…はあ、ホントにそういう人たちっているんだなあ…(感心)。

竿をたたんで帰えろうとしたとき、SYOZI爺「ちょっと待て!確か竿のチラシが来ていたから見てみれ、ほれっ!別に買えって言うんじゃねえぞ!」と自分の道具入れの中から大きめのチラシを渡されました。家に帰って風呂に入り、晩酌をしながら夕食をとりながらSYOZI爺からもらったチラシを見ているとカミさん「これこれ、食事中にチラシなんか見ないでよ!」、続けて「えっ、何見ているの?竿?今やっているヘラ釣りの?どれどれ…5千円、9千円…買うの?」、わたくし「ええっ?う〜ん、まあ興味本位で1本くらい買ってみようかな…。買ってもこの5千円の10尺竿くらいかなあ…」、するとカミさん何を思ったか「ええ〜、5千円?ずいぶん安いの選ぶじゃない。せめて1万2、3千円くらいのでもいいんじゃない。カンパしてあげようか?」と愛想よくニコッ!わたくし「ええっ?」、カミさん「磯釣りの竿やなんかに比べたらずうっと安いじゃん!」…こりゃあ、完璧に勘違いしているわ。これが1尺あたりの単価なんて言えねえよなあ…ハハハ(苦笑)。そしてその後、わたくしがこっそり貯金をおろし、水連作10.1尺、高野竹の和竿を手にするのにさほど長い時間を有しなかったことは言うまでもないのでありまして…。


        知らず、知らずに夏から秋へ・・得意のマッシュコンブも季節に勝てず

春、夏、秋、冬…なんの釣りでもこの"季節"を無視してよい釣果を得ることはできないということは釣りの世界では極めて常識的かつ重要なことであります。ところがこの季節のつかみ方の基準をどこに置くかによってずいぶんと釣果に差が出ることも事実です。

ヘラブナの管理釣り場であるT川の池でもなんとか人並みあたりの釣果を得ることができるようになった頃の話であります。10月に近い時分で、その年のわたくしは、マッシュコンブというエサを覚え、T川の池に通う釣り人の中でもかなりの数を釣り上げることができるようになっておりました。「おいおい、IKEちゃん本当かよ!?」、「自分ばっかり楽しむっていうのはどういうこと?!」、「そのマッシュコンブ、どこに秘密があるのか教えろって!」といった周囲の声に、わたくし「いやあ〜、別にそんなことないッスよお〜、まぐれ、まぐれ、キャハハハハ…!」てな具合いでありまして。いずれ、このエサのどこが他の人と違うのか、実は自分でもよくわからないというのが正直なところでありました。周囲を見ると、みんなジャミにエサを払われるため、ダンゴエサを止めてコンブエサにしているのですが、そうなると今度はウキが忙しなく、そのうえ釣れても型が落ちて子ベラばかりという状況です。

ところが、わたくしのマッシュコンブはジャミに翻弄されず、しっかりと深ダナをとらえて良型を寄せてきます。ヘラ歴20年、30年…半世紀といった釣師相手にしてわたくしだけがモッコ、モッコという感触を味わう優越感…思わず"キャハハハ…!"と笑うのもしょうがないと言えばしょうがない…しかし、これがそんなに長く続くわけもありません。夏の盛りを終えて季節は残暑も厳しい初秋へ…よっしゃ、今日もマッシュコンブでいきますか!と意気込んでT川の池に釣り座を設け、仕掛けを投入…ええっ!?あれっ?釣れません。お、おかしいなあ…。1時間、2時間…と時間が経過しても先週までの5分の1ほどの釣果も得ることができません。混乱。そこへベテランでマッシュコンブの基本をわたくしに伝授してくれたMAKOTさんが寄ってきてひと言「IKEクン、釣れねえべ!もうマッシュコンブじゃダメだ、季節が変わってきたんだ。ダンゴにして!」、わたくし「ええっ、だってまだ夏並みの残暑ですよお〜(さらに混乱)」、MAKOTさん「じゃあ、そのままやってみればいい。でも、IKEクン、キミちょっと鼻声じゃあないのか?」、わたくし「えっ?…ああ、最近暑いとはいえ朝夕めっきり冷え込むじゃないスか。それでか少し風邪気味なんス…」、MAKOTさん「なっ、そうだべ!」、わたくし「…ん?ああっ!」


        懐かしいニジマスの釣堀・・餌のつけ方ひとつで懐も痛まず

もう10年ほども前になるかもしれません。町内の東部、まさしく奥羽山脈のふもとに当時のR町が出資して作った第三セクターが運営する温泉施設がありまして、そのさらに山側には町内の土建屋さんが営業する釣堀がありました。魚はニジマス、ヤマメ、イワナの3種類です。ヤマメやイワナはなかなか釣るのが難しかったのですが、ニジマスはあまりにも簡単に釣れすぎるというか・・・もちろん子どもたちは大喜びであったのですが、釣りの後に秤にかけて精算するお父さんやお母さんの顔からは笑顔が瞬く間に消え、一様に「ええっ!?」という驚きの表情を浮かべた後、財布から千円札数枚を出すことになるというのが見慣れた光景でありました。

 わたくしも当時小学生だった娘と近所の同級生であるETUちゃんを連れて何度かこの釣堀に行きました。でも、周りの親御さんたちのようなへまはしませんでした(エヘン!)。初めてこの釣堀に行ったとき、5分もしないうちに名案がわたくしの頭に浮かんだのであります。しかも、子どもたちが大喜びし、結局30分以上も遊んで釣り上げる魚は1人必ず2匹という秘策です。

タネ明かしをしましょう。決して仕掛けに手を加えるというものではありません。鍵は餌にあるのです。堀のニジマスは餌不足のため一気に仕掛けを飲み込みます。そこであわせると普通のつけ方では十中八九サカナは餌をひと息に飲み込み、見事上あごの奥にヒット!!というわけです。しかし、これを・・・です。この餌をハリよりも1.5倍くらい大きくつけると・・・仕掛けに魚信は見事に出るものの、いくら娘たちが慌ててあわせてもサカナの口には引っかからず「ああ〜、惜しいなあ!また逃げられた!!ようし、今度こそは!!ねえ、お父さん、早く餌をつけてよお〜!!」・・・となるわけです。そして、娘たちがそろそろ飽きてきたかなあ〜というところで、「ああ、わかった、わかった!」と言いながら餌を小さくハリにつけるわけです。・・・もちろん見事にハリ掛かりです。こうして、子どもたちは存分に楽しみ、わたくしも懐を痛ませることなく子どもたちの子守りができたというわけでありまして・・・。


        可哀想な2人の少年たち・・竿をまたがれるとサカナは釣れない

もう20年近くも前のことになるかもしれません。わたくしが未だ渓流釣りに夢中になっていた頃のことです。町立児童館の女性指導員さんに頼まれ、小学生を対象とした釣り教室のセンセイをやったことがあります。釣り場はR町の東部、奥羽山脈の裾野に近いYUD砂防ダムであります。ここには地元の内水面漁協(わたくしも組合員の1人であります)でイワナ、ニジマス、コイ、ヘラブナなどを放流している人気の釣り場です。ふだんは遊魚料が必要なのでありますが、珍しく物分りがいい漁協の支部長さんが「おめえ、そりゃあ将来の釣り師育成のためだあ、タダでいいに決まってるべえ!」とわたくしの申し出に快諾、この報告に女性指導員さんも「わあ〜助かる、予算もあまりないし!」と大喜びであります。

そして当日。R小学校の5、6年生10人ほどが現地に集まりました。始まりの会で女性指導員さんから紹介をいただき、そしてわたくし「みなさん、おはようございま〜す!わたくしはIKEといいます。今日は参加してくれた全員がサカナを釣ることができるようにお手伝いしたいと思いますから、よろしくお願いします!!」とあいさつするとみんな元気いっぱいに「よろしくお願いしまあ〜す!!」

さて仕掛けづくりです。みんなにはわたくしが昔得意だったネリエサとキジ(ミミズ)をミツマタに下げて釣るウキ釣りです。みんなボウズだったら可哀相だし、釣りのセンセイという責任感もあって事前に試釣もしていましたから「まあ、みんな1匹くらいだったらきっと釣れるはずだ」と少し自信もありました。数十分後・・「わあ、ウキが動いた!」、「うあっー来た、来た!!」という歓声がちらほら聞こえてきます。

少し経ってわたくし「お〜い、みんなその場所で聞いてくださ〜い!だんだんサカナが近づいてきたようです。ネリエサがサカナを呼ぶ役目をしていますから、あまり待ち過ぎないようにして、ネリエサを何度も付けて仕掛けを振り込むようにしてくださ〜い!」、子どもたち「はあ〜い!」、続けてわたくし「それと、歩くときは竿をまたがないようにしてくださ〜い!特に女の人に竿をまたがれると、その竿の持ち主はその日サカナが釣れないといういい伝えがありますから気をつけてなあ!!」、「はあ〜い!!」。また夢中になって子どもたちが釣り始めました。

・・とそのとき、子どもたちを乗せてきた児童館専用のマイクロバスにジュースを取りに行っていた女性指導員さんが「みんな釣れてる〜?はい、ジュース飲んでえ!」と近づいたそのとき「わあ〜!!FUZI先生(女性指導員の方の名前です)、オレの竿またいだあ!!」、「わあ、オレのもまたいだあ〜!!」と2人の少年が悲鳴にも似た声を上げました。駆け寄ってみると、どうやら女性指導員のFUZI先生がジュースを渡そうとして2人の子どもの竿をまたいだようです。「あ〜あ、オレ今日ボウズだよお」、「わあ〜、オレもだあ!」と天を仰ぐ子どもたち。傍でFUZI先生がオロオロ・・。「大丈夫だよ!1回ぐらいまたがれたって釣れるから!」というわたくしの慰めも功を奏さず、ナントその日、その2人の少年たちだけがボウズという可哀相な結果になったのであります。

皆さん、竿をまたぐと釣れないっていうのはどうやら迷信ではないようであります。


        偉大なるヘラ釣りの師匠・・SYOZI爺からの教え

地元の大きなヘラ研の草創期の釣り師であり、全県はもちろん、東北レベルの大会でも優勝したことがあるという超名人であったSYOJ爺に師事してからというもの、この数多の釣り人が愛して止まないというこのヘラ釣りにどんどんのめり込んでいくのを自覚するようになりました。

それにしてもこのSYOJ爺、なかなかの経歴の持ち主でありまして・・・。学生の頃は小さな身体ではあったものの破天荒で、焼け火箸を持って体格の大きい同級生とケンカしたもんだとか、その小さな身体で騎手をやっていた経験もあり、地方競馬でそこそこ勝っていたところ八百長がバレて(確かに本人はそう言っておりました!)競馬の世界から追い出されたとか、銀行から借金をして大金を懐に高価な和竿を一気に数本現金買いしてビックリされたとか、日頃からあまりよく思っていなかった釣り師が大会で民家に排水をしばらくの間流さないよう頼み込んでその家の配水簡口のそのすぐ傍に釣り座を設けていたのを見つけ、その民家にこっそり行って、家人に"もう汚水を流してもいいから"と言ってやったとか、オレは野釣りでも車が汚れるようなところでは釣らないとか・・・とにもかくにも口から告いでてくるのは驚くようなエピソードばかりでありました。そうそう、御歳はというと、おそらく80歳ちょっと前くらいだったと思います。

このような話は、毎週末、地元で唯一の管理釣り場であるTAM川の池で、SYOJ爺と並んでヘラ釣りをしているときに全て聞かされたところなのでありました。爺の自宅の裏手口がちょうどこの池に接しており、夕方、釣り終えると腰を曲げながら池の真ん中の桟橋を通って自宅へと帰って行くのでありました。

わたくしにはそれぞれの釣りに師匠と呼ばせていただいている釣り師がおり、少なからずその影響を受けつつ自分なりの釣り方を作り上げてきたわけでありますが、他の釣りに比べてこれほど影響を受けた師匠も珍しいように思います。中でも、"和竿であろうがグラス竿であろうが、自分の釣り道具を大切にすること"と"常に工夫を怠らず研究を続けること"の2つは決して卒業することのない教訓となっているところです。


        釣り道具はきれいに、ていねいに・・しかし爺は釣り池に空き缶をポイッ!

数多の釣り人を魅了して止まないヘラブナ釣り。わたくしもこの釣りを主に大小の沼や管理釣り場に通い始めてもう10年近くにもなりました。それでも50歳を超えてみると、なかなか上達しない未熟な自分の腕前にイラつくことも、焦ることもなくなったような気がします。1尾が釣れればそれでいい・・などというのは絶対に嘘だ!!と思っていた40代前半までの自分が懐かしく思います。

この日も師匠のSYOJ爺と並んで釣りをしていると、「オレももうじき80歳だあ。やっぱり歳をとるとおとなしくなるもんだなあ〜」と爺。「いや、けっこう今でもきかねえ(標準語でいうと「気性が荒い」かな?)じゃあねえかあ。」とわたくし。爺「まさかやあ!若い時分はこんなもんじゃなかったでい」、「そうだったべなあ〜、見てりゃあわかるよ」とわたくし。爺「しかもワルだった」、わたくし「へえ、そうかあ〜」などという他愛もない会話をしながら二人で玉川の池のコンクリートという場所でのヘラブナ釣り。いろんなことを教わったのですが、中でも竿はもちろんのこと、釣りの道具を丁寧かつきれいに扱う様子には日頃から本当に感心し、自分も見習わなきゃいけないなあ〜と思っておりました。

そうこうしているうちに陽が傾き、納竿の時間となりました。「来週も来るか?」と爺、「ああ、たぶん来ると思う」と答えると、「そうか、またいい場所を見つけておくから」と爺。よし、帰ろうと立ち上がろうと思うとSYOJ爺がしゃがみこんで飲んだ缶コーヒーの空き缶にカポカポと水を入れ始めました。ほう、しっかり空き缶も水ですすいで自宅でゴミに出すんだなあ〜と感心していると、そのまま水の入った空き缶を池の中にポイッ!「あっ!?」と驚くわたくしの方を見て、爺「こうやっておきゃあ、わからねえべ。こんなもん底釣りしていても引っかかってこねえ」、続けて「オレは聖人君子じゃねえ」とわたくしの方を見てにやり。・・この爺、やっぱりかなりひねくれてるぜ!?


        遂には漁協の組合員に・・初めての釣り会で3位に入賞!

マブナ釣りをしてる頃ですから、それこそ釣りそのものを始めてまだ2、3年ほどしか経っていない頃だと思います。釣りに夢中になり、道端に立てられた赤白の工事用ポールを見ただけでヘラウキのトップに見えてしまうほどの熱中ぶりでありました。その頃初めて知ったのが、川や沼で釣りをするためには遊魚券というものが必要だということでありました。

町内に1件だけ釣具やエサを扱っているSUZUK銃砲店さんに行ってみると、1日券で500円、年間券は3,000円ということでありました。もうすでに顔なじみでしたから「へ〜、釣り券が必要なんだ?知らなかったなあ・・」と声をかけると「へへ・・、まあな。タダで釣ってたな!」と悪戯っぽく笑いながらオヤジ殿。「じやあ、年間券買うかな」、オヤジ殿「おう、毎度あり!」といったその後で「IKEさんよ、あんたこれからもけっこう釣るんだろ?その熱中ぶりじゃ」と言うオヤジ殿に「うん、まあね」、と、オヤジ殿「じゃあ、SENBK内水面漁協の会員にならないか?」、「ギョ、漁協!?」と素っとん狂な声を上げるわたくしに「ああ、最初に7,000円ほどかかるけど、あとは年間の遊魚券と同じ3,000円を年会費で払ってくれればいいから。これは誰でもなれるって話しじゃないんだが、ちょうど権利を返した組合員がいてな」、それを聞いたわたくしは心の中で「漁業協同組合の組合員か・・なんかベテラン釣り師のようでカッコいいなあ・・」と興味津々。そこにすかさずオヤジ殿「まあ、ムリにじゃあないから。ほかの人でもほしいって言う人はけっこういるし・・」、慌ててわたくし「い、いや組合員になります!」、ニヤリと笑ってオヤジ殿「おう、毎度あり!」。まだまだ安月給で7,000円の急な出費は痛いと思ったのですがその場で話しが成立し、ポロリと財布に入っていた10,000円を出したわけであります。次いでオヤジ殿「ところで近く組合員に登録されるということで、今度の日曜日にYUD沢ダムで釣り大会があるんだが出てみないか?」、「ええー、大会ッスかあ?」、「おう。なあに組合員の親睦会だア。出ろ出ろ!会費は1,000円、懇親会が2,000円だからちょうど10,000円な!」、「ええっ?・・は、はあい!」。

ということで迎えた日曜日。早朝6時にYUD沢ダムの北側奥の道終点に集合。参加者は20人ほどでありました。「どうも、新しく入ったIKEといいまあす!」と自己紹介。みなさん気軽に声をかけてくれ、世話話をしていると釣具屋のオヤジ殿が「それじゃあ、釣り場はダム周辺だけな。お昼12時までここに集合だ。総重量で決めるからヨロシク!対象魚はサカナであれば全部OK!!じゃあ、がんばって!」。わたくしは集合場所の対岸にまわり、釣座を設け、その頃絶対的な自信を持っていたミミズとネリエサの両エサ釣りで、ブランコ式のヘラウキをぶらさげての釣りであります。竿はグラスの3間竿で底釣り。30分ほどで魚信が出始め、型は小ぶりでありましたがマブナ中心に数が揃い、ナント3位に入賞です。立派な額縁に賞状をいただき、賞品の洗剤までいただきました。その日の夕方から始まった懇親会でも有頂天のわたくしが嬉しさに任せて深酒をしてしまったのは言うまでもありません。そのときの賞状は20年以上もわたくしの寝室に大切に飾っておいたわけでありまして・・。


        和竿を見る爺の目の確かさ・・淡々と良い仕事をしてくれる12尺

ヘラブナ釣りの和竿を10本ちょっと持っています。当然?のことながら、竿の出来栄えや素材の良し悪しなどまるでわからないままに買い始めたのでありまして・・。「どうしてそんな高価なものを・・」とよく尋ねられるのですが、強いてそのきっかけはと言えば、たまたま通い始めた玉川の池で釣りするヘラ師の皆さんのほとんどが和竿を使っていたことでありましょうか。ヘラブナ釣りのときは竹の竿で釣るのがけっこう一般的なんだ・・みたいな気持ちなのでした。(まあ、考えてみるとわたくしの持っている和竿の尺単価は、5,000円から8,000円くらいが中心ですから、ちょっといいカーボン竿とさして変わらない値段なんじゃないでしょうか?!)

和竿選びの指南はもちろんヘラ釣りの師匠SYOZ爺であります。この師匠の目は本当に確かなものであったんだなあ〜と亡くなって数年経つ今になってつくづく思います。こんなことがありました。3、4本の和竿をそろえたあたり、夢坊さん作の12尺1寸の段巻(高野竹)を購入しました。これまでで一番高い尺単価です。細身でやわらかく、握りもとてもきれいで気に入って使っておりました。SYOZ爺も「まあ、いい方だべ」と評してくれました。そして1年ほど経ったある日、出張の帰り、就業時間も過ぎていたことから玉川の池にちょいと顔を出すとSYOZ爺「おう、いいところさあ来た。オメの話しをしてたところだ」、わたくし「はあ?」、爺「オメ、確かID釣具のほかにKOSHI亭からも竿買ったときがあるべ?」、少し胸騒ぎを感じながらわたくし「ああ、あるけど・・」、爺、にやりと笑って「あそこに夢坊の12尺がある。あれはいい竿だ。買え!」、わたくし苦笑しながら「ええっ?」。その頃のわたくしは13尺や14尺といった持っていない長さの竿に興味がありましたし、第一夢坊の12尺だったら既に持っています。わたくしは即座に「要らないよ」と断りました。すると爺「なして?」その声には明らかに怒気がこもっています。しかし、ここはいかに師匠の進めであれど言うことをきくわけにはいかないと気持ちを強く持ち「だ、だって、12尺はもう持ってるし、しかも同じ夢坊だ。買うんだったらほかの長さを買う」と返すと爺、目つきを変えて「なら、もうええ!あんないい竿なかなか出ねえ、オレが買う!!」と怒り出してしまいました。傍にいた馴染みのHAYTさんが見かねて「IKEさん、オレも見てきたがあれは買い得だ。値段も尺単価の計算なしで1本○△×円で爺が交渉した。どうだ?」、それでもどこか釈然としないわたくしでありましたが、値段の安さも手伝って「あ、ああ、そうスかあ〜。わかった、SYOZさん買う!」ととうとう承諾したわけであります。それを聞いて爺「そうかい!」とにやり。

そして現在、あのときSYOZ爺から勧められた夢坊の口巻12尺はわたくしの釣行に欠かせない竿となっているのであります。サカナに振り回されず、しっかりと胴にのせたまま底の方からもっこ、もっこと力強く水面に引き上げ、玉網に寄せてきます。KAI沼やYABR沼の強い引きに対しても淡々と仕事をするこの竿はわたくしにとってまさに名竿、愛竿であります。爺、良い竿をありがとさん、あんたの目はやっぱり確かだ!


        ネリエサで寄せてキジで釣る・・釣り初めの頃、師匠に習う

わたくしには何人もの釣りの師匠がおります。そのうちの1人がMUTO叔父であります。この叔父、やたらと広範囲にわたる趣味を持っており、例をあげると万年青、さつき等の盆栽、ボウリング、ゴルフ、ゲートボール等々。しかもそれぞれ半端な入れ込み方ではなく、例えば万年青などは信じられないほど値のはる作品?を育て上げたり、ボウリングのアベレージも200点近いところまで腕を磨いたり、ゴルフにいたってはもうちょっとでシングルプレーヤーに仲間入りしそうな腕前でありました。(お断り:ここで表現が過去形になっているのは、叔父はすでに故人となっているからです)

そして、その趣味のひとつにもちろん釣りも入っているわけであります。分野としてはあくまでもマブナ釣りであります。かつてはヘラブナ釣りもやったらしいのですが「やっぱり楽しいのはマブナ釣りよ」といってはばかりません。わたくしが釣りを始めたと打ち明けると、大そう喜んで「おれが教えてやるから、次の休みに必ず連絡をよこせな」といった感じで一緒に釣行となりました。

当日・・向かった先は川ではなく、郡内を流れるTAM川近くの大きな砂利採取後の沼(わたくしたちはこれを砂利採り穴と呼んでいました)でありました。聞くと一番深いところで電柱1本以上もあり、大水が出たときなどこの砂利採り穴に多数の川魚が入っているとのことでありました。

ここで初めて叔父に習った釣り方がとてもユニークでありました。それまでは、道糸の上から順にセルロイドの玉ウキ、道糸とハリスの結び目があって、二股に分かれ、片方にナス型オモリ、もう一方にはエサのミミズを刺すという地元では極めて一般的な仕掛けだったのですが、叔父に教えられた仕掛けは全く別なのです。まずウキはヘラウキ、こんなウキがあるのを初めて知りました。次に道糸とハリスの連結には三つ又という接続具を使い、そのすぐ上に板オモリをつけます。そして2本のハリスの1本のハリにはミミズ、もう1本のハリにはネリエサ(みどり)をつけるのです。これでタナをとりネリエサでサカナを寄せながらミミズで釣り上げるというものでした。

釣りを初めて2、3か月しか経っていない本当に釣り初めの頃なので、その仕掛けのもつ意味について大いに感心したのを憶えています。もちろん、この日の砂利採り穴の釣りも思わぬ大漁となったことはいうまでもありません。

釣れるには理由があるし、釣るためには工夫がいる・・そんなことをこの叔父が教えてくれたように思います。その意味で(この釣りからはずいぶん離れているわけですが)わたくしの原点にあるともいえますね。


        最初で最後かもしれない大物ヘラ・・OSAZAW沼で40cm

寒の釣りを除くとヘラブナはやっぱり野釣りの方が面白いような気がします。あっ、これは人それぞれの好みでしょうから悪しからず・・。さて、わたくしのヘラブナ釣りですが、初めの4、5年はちょくちょく登場の玉川の池から一歩も外出せずに楽しんでおりました。まあ理由は二つあって、一つに師事していたSYOJ爺が高齢で一年中この管理釣り場で釣っていたためで、もう一つの理由は単純に場所も知らないし、野釣りの作法?も知らなかったためでありました。ところがSYOJ爺、さらに高齢となり残念ながら体調をみながらの釣りとなってしまったことから思い切って・・と近場中心に野釣りを始めたというわけであります。

記念すべきその日は野釣りを始めての1年目の5月、釣り場はOSAZAW公園の沼でありました。堰堤側は地元のベテラン釣り師数人がどっしり陣取っておりましたので、わたくしは道路からすぐに降りた小さなワンド近くに釣り座を設けました。竿は玉成作11尺の3本継ぎで、細身の総高野竹です。中には野釣りで和竿は使わないという方も何人かおりますが、わたくしは和竿しか持っていない(3、4本のカーボン竿は持っています・・)もんですから迷わずこの竿を出しました。底を狙ったセット釣りです。

わたくしが思う野釣りの魅力は「数が出ない」ことと「引きの強さ」です。特に数が出ない釣りはヘラブナ釣りに限らず大好きです。カタを見るためにはどうしたらいいのか・・考えよう・・想像しよう・・と手探りでエサや仕掛けを調整していった末の1尾は格別ですよね。

この日もそうでした。周囲の釣り人はそれなりに竿をしならせています。わたくしもボウズではないにしても上手く食わせることができません。3時間も経ったでしょうか。さっきまでいくらかあったサワリさえもほとんどなくなりました。サカナが離れたのか・・いや、それとはちょっと違います。磯で言えば潮目の具合、渓流で言えばその渓相、川で言えば淀みにできた渦流・・なにかの予感を感じます・・ちょっと、名人っぽく書き過ぎですね−苦笑−。

ホントに小さかったのですがくんっという鋭い魚信にしゅっとアワセをくれてやると・・グググッ!・・えっ、鯉??い、いやでも・・。 大きな野ベラが玉網に入りました・・でかいっ!!計ってみると40cmちょうどです。散歩していたおじさんも立ち止まって「大きいヘラだねえ」、わたくし「すみません、見てください!40cmですよね?!」、おじさん「うん、40cmちゃんとある」と太鼓判。そのあと、釣友のMAKOさんに電話で報告。MAKOさん「おお、そうか。OSAZAWには40cm超が入っているのはみんな知ってるからね。よかったな!」。

ただ、それ以来40cmの大物には巡り会えていないわけでありまして・・。


        ガンガン釣ってくれ、壊れたらすぐ直すから!・・竿師玉成の言葉でファンに

ヘラブナの和竿というか、紀州竿をいくらか持っているのですが、中でも好きな竿は"玉成"です。もとより素材の良し悪しや調子、張り具合、造作、塗りなどといった専門的なことは全く分からない(今もわかりません−苦笑−)まま集め始めた和竿ですが、尺単価がそこそこで求めやすかったことや"玉成"さんがわたくしと同い年であることに親しみを感じたのがきっかけです。 でも、はじめ11尺1本しか持ってなかった竿を数本に増やし、竿掛け、玉網の柄と敢えて"玉成"作にこだわって揃えていったのはこんなことがあったからです。

十数年前、隣市の旅館で行われた小さな展示会。そこで初めて"玉成"さんに会ったのですが、印象としては正直「ああ、この人か〜。ちょっと無愛想な感じだなあ」と思いました。このときは確か"魚心観"さん、"夢坊"さんも来ていたような気がします。会場でウキを1本くらい買い足そうかなくらいに思って見ていたのですが、師匠のSYOZ爺が背中から「IKEさんよお、オメ、長竿持っていねえべえ?」、ビクッとして振り向き「えっ、あ、まあ…でも魚心観の13尺なら持ってる」と答えると案の定「そうだべ、うん、じゃあ、そこの14尺はどうだ。んだ、その玉成だ」。「このところ懐も寂しいし、ここでの長竿購入はキツイなあ〜」と心で呟きながらも一応手に取ってそろりそろりと継いでみました。そうでもしなければSYOZ爺に「なに、おめえ!手に持ってもしねえで何がわかる!!」と怒鳴られるのがオチです。やはり初めての長さでかなりの重量感ですがこの長さは欲しい長さです。「どうだ?!」と爺、「ん、ああ、まあいいね」とわたくし、そこへ我が意を得たりと爺が間髪を入れず「買え!」。

「いやあ、でもなあ…、う〜ん」と煮え切らないわたくしでしたが、長さに惹かれて「うん、じゃあ買おうか〜」と複雑な気持ちで決断。複雑な…とはもちろん欲しいものを手に入れた嬉しさとこれから代金を捻出しなければならないという億劫さです。と、そのときです。"玉成"さんが少し離れたところからわたくしの傍に正座のままにじり寄ってきました。きっと自分の竿を買ってくれた客に対する型通りのお礼だろうと思っていたのですが…。「(ところが、購入に対するお礼は"どうも"の一言だけ。ただ、そして続けて)ガンガンやってください。壊れたらすぐに直しますから!

ガンガンやってください、壊れたらすぐに直しますから…この言葉がわたくしの釣り心を大いに刺激しました。これまでのわたくしは、高価でしかも自然の中で採取された竹を素材としている和竿、紀州竿はそろりそろりと慎重に…それこそ腫れ物にでも触るような扱いで使ってきたのですが、作者の"玉成"さんはガンガン使えと言ってくれたのです。しかも、壊れたらすぐに直すと。

この日を境に和竿を管理釣り場だけで使っていたわたくしは、なんか吹っ切れたような気持になり、野釣りでもこれを使うようになりました。「よくこんなところで竹を使うねえ。壊したりなんかしたらもったいねべ!」と心配してくれる人もけっこういます。でもわたくしは平気な顔でこう答えます。「いやあ、でもやっぱせっかく手に入れた釣り竿スから。ヘラとガンガンやることにしてるんス。壊れたら竿師が直してくれますから!

そんなわけで、数本持っているカーボン竿は釣り小屋の奥にしまったままです。ただ、もちろん竿を乱暴に扱うことはしません。大事に使います。でも釣竿は釣竿です。恐る恐る使っていてもしょうがないという気持ちでヘラと勝負、勝負です。もちろんそれは鯉鮒竿でも、磯竿でも、渓流竿でも同じことが言えます。

そんなわけで、わたくしは"玉成"作が大好きになったのです。ただ、今は住宅ローンや大学生への仕送りなどでひっ迫したふところ状態にあり、紀州竿を買い足すなんてことはとてもできない状況なんですけどね。−汗・苦笑−


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