蔵王ジンギスカンの元祖

諸説もありますが、現在のような鉄鍋を使って調理するジンギスカンは、蔵王温泉で誕生したといわれております。

ジンギスカン発祥の地「蔵王」

羊

綿羊飼育の地「蔵王」

大正時代初期に、当店初代「斎藤恒夫」の伯父「斎藤忠右衛門」は日本緬羊協会の会長を務めていました。オーストラリアから生体輸入を始め、県内はもとより県外にも緬羊飼育を勧めていました。

昭和の初期、当地山形では羊毛生産のため、各農家において緬羊が多数飼育されていました。 「斎藤忠右衛門」は日本緬羊協会の会長としてモンゴルに渡り、緬羊飼育の技術交流の折、中央が盛り上がった円盤状の鉄兜に羊の肉をのせて焼いた料理を目にしていました。

綿羊飼育から羊料理への転換

当店初代「斎藤恒夫」は、シベリアに抑留されて昭和22年10月にようやく帰国を果たし、堀田村に戻りました。そこで当時堀田村村長をしていた伯父の忠右衛門に「羊料理をやるよう」勧められました。

戦後、ビニールなど化学繊維の普及に押されて羊毛が暴落し、行き場のない羊を持つ農家を救済する必要があったからです。

モンゴルの料理を参考に研究

モンゴルの鉄兜で焼く羊料理を参考に、山形鋳物工場に鉄鍋の製作を依頼しました。多少癖の有る肉を美味しく食べる工夫を重ね、独特のたれも完成させ、当時(昭和24年)新日本観光地百選山岳の部1位に選ばれた蔵王温泉の名物料理に、とギンギスカンが考えられました。

鉄鍋も改良に改良を重ね、蔵王温泉の各旅館の女将さんたちにタレの作り方を教えるなどして普及にあたり、広く食べられるようになって来ました。

モンゴルの料理を参考に研究

昭和34年の国民体育大会冬季大会では、献立メニューに入り、スキー選手から好評で、選手の多くの方は肉と鍋を購入して帰り、これでジンギスカンが全国に一気に知られる様になりました。

メディア掲載情報ページの、新聞記事もご覧下さい。

ジンギスカン発祥の地「蔵王」

ジンギスカン鍋は山形鋳物工場で製作されました。身近な工場で、後の改良には大いに貢献してくれました。

初期の鍋(昭和23年頃から)
初期の鍋(昭和23年頃から)
表面が平たく焦げ付き易く、隙間が有り、油が炭火に当たり煙が多く発生しました。
中期の鍋(隙間が有る)
中期の鍋(隙間が有る)
表面に凹凸が出来、焦げの対策をされ油の流れを考えたが隙間は有り、煙の発生は止められず。
中期の鍋(隙間が有る)
現在の鍋(隙間が無い)
改良を加えられ、煙対策で隙間は無くなり煙りは激減しました。