ジンギスカン・シローの地元テレビ局の取材や、新聞記事をご覧いただけます。
中央部が盛り上がった鉄板の上で、羊肉と野菜を焼き、タレをつけて食べるジンギスカンは、北海道の名物料理として一般的に知られている。だが、その発祥地には諸説があり、山形市蔵王温泉もその一つ。同市半郷の線専門店「ジンギスカンシロー」の2代目、斎藤恒夫さん(80)は、「蔵王温泉発祥説」今に伝える数少ない伝承者だ。
斎藤さんによると、日本綿羊協会の理事だった伯父が大正初期、オーストラリアから生きた綿羊の輸入を開始。以後、蔵王温泉周辺の農家では、羊毛による収入増に加え、畑に使う肥料を得ようと、綿羊飼育が盛んに行われた。しかし、第二次世界大戦後、化学繊維の登場で羊毛の価格は急落。農家は綿羊を持て余すようになったという。
一方、戦時中は中国に出征していた斎藤さんは戦後、シベリアに抑留され、終戦から2年後の1947年に帰郷。仕事を探していた折、蔵王温泉を含む旧堀田村の村長になっていた伯父から、「羊肉料理をやってみないか」とアドバイスされた。
伯父は戦前、綿羊輸入のために世界各地を視察。モンゴルでは、現地の人々が熱した鉄かぶとの上で羊肉を焼いて食べるのを目にしていたという。斎藤さんは、伯父の助言をもとに山形市内の鋳物業者に中央部が盛り上がった鉄鍋を特注。料理名を「ジンギスカン」と名付けたのも、ほかならぬ伯父だったという。
その後、蔵王温泉が観光地として知られるようになると、地域を挙げてジンギスカンを名物にしようとする取り組みが始まった。1959年のインターハイでスキー会場になった時は、ずべての旅館でジンギスカンが提供された。
選手たちは初めて口にする羊肉料理に「うまい、うまい」とかぶりついたという。斎藤さんは、「ここで振舞ったジンギスカンが各地に広まっていった。ジンギスカンは戦後の蔵王の味なんです」と強調する。
3代目の恒晴さん(57)によると、現在はオーストラリアから輸入した用肉を使用しているが、肉の柔らかさは好評。店内の食事用だけでなく、販売も行っている。このほか、野菜は自宅の畑で採れたキャベツやタマネギを使用。秘伝のタレは、54年の開店当初から作り方は同じで、今も変わらない”元祖”のアジを提供している。