平成18年9月号より

 

               選者の歌

 

桑岡  孝全 大阪
ジーンズに金色の靴そぐわぬをそぐわしむるよわかき齢は
次に痛まば抜かれてしまうひだり下奥の一本いとおしむなり
二十年ほどまえまでなるか時に聴きしLP高橋竹山のゆくえ
見失える子機は鞄にありて鳴りぬ手帳と共にしまえるらしき
鉢に得て日にひとたびと限らるる食(じき)に生きにし釈迦牟尼一行
井戸   四郎 大阪
自転車に縋りて歩む夕暮れの我のさびしき影を問われぬ
川沿いの板敷き歩道に自転車を置きて灯ともるべンチに憩う
平成南海地震の予知はわが知らず安政大津波慰霊碑文読む
雷の鳴る昼過ぎの雨にどくだみの十字の白花みな横伏しぬ
駐車場の出口にはびこるどくだみの芯立つ花の咲きよそおえり
裏道にならぶ鉄工所の一軒髪白き夫婦か作業している
五十余年前あこがれし早春歌の近藤芳美ついにみまかる
土本   綾子 西宮
下げ髪の少女が祖母となるまでの長き交わりおろそかならず
弱き視力嘆く少女と子の病憂うるわれと心かよいき
若き日の嘆きよろこびつつむなく語りくれにきこのわが前に
招かれて長門の海を山を見てフクに足らいきはるかなる日よ
つぎつぎに絵本抱えきてこの吾をもてなしくれきおさなご綾子
夕支度ととのう待ちて幼子とレンゲ田に花を摘みて遊びき
かの幼が佳き人を得て双生児の母となりたるまでのとしつき
               高槻集
奥村    広子 池田
亡き夫が戸口にて子に物言えば急ぎ開けんとして夢さめぬ
一人部屋に移れど入院続く夫と信じておりぬ息子もわれも
あっけなく空に消えしと思うかな七日七日を僧の誦経す
鈴木    和子 赤穂
夫の葬り終えたる後のわが眠りひたすらなるを覚めて寂しむ
わが夫の住まわぬこの世となりましたいつの間となく桜散り敷き
わが思いは亡き夫にのみかかわりて孫を守りつつ今日の炊事す
松野    万佐子 大阪
のみを手に岩を砕きて成りしというこの北欧の草原の春
山の影見るなきフィンランドの平原に木々より低き家々の建つ
天井にはる銅板とひびきあう石の御堂に聞くシベリウス
             9月号作品より              順序不同
遠田     寛 大阪
何処より来て何方へ行くならんふける齢の命を恃む
「おい」によりて事足る暮らし二人故にある蟠りはタブーになりぬ
後藤    蘭子
家跡の窪みは風呂の焚口か薪をつぎつつ読みし吉屋信子を
家跡に木高くあふれ咲く馬酔木ひと枝折りて挿す父母の墓
上野    道子
手術後のレントゲン写真にうつる足鋭く二本の金具入りたり
わが歩み見る積もりらしさりげなく夫はわれより少し後れて
菅原    美代 高石
まだわれに土練る力残れるを子の仕事場に来ては確かむ
晩節は清くありたしさはあれど明日吹く風をわれは知らなく
高間    宏治 小金井
従順な水牛なれど身を沈める池の場所とりに争うらしき
牛車曳くと池より出される水牛の素直に出てゆくは憐れなるもの
森田    八千代 篠山
肌寒く終らん春か融雪剤が橋のたもとに置かるるままに
つつがなく生れし仔鹿か母のあと田植のすみし山裾を行く
藤田    政治 大阪
一日一日をゲーム感覚に過しつつ八十路の坂をわれは超えたり
パソコンの起動まともなる二三日わが脳内も滞るなし
上野    美代子 大阪
せせらぎと蛙の声の占むる闇蛍は小さき命を点す
川田    篤子 大阪
亡き母の介護ベッドによる窪み畳に目立たずなりて淋しき
浅井  小百合 神戸
下蔭に藪柑子暗く群れおりて夏至の真昼が音も無く過ぐ
春名    久子 枚方
ふるさとは山間のまちおりたてる無人の駅に草の匂いす
中原    澄子 泉佐野
雨の降る一日を夫と家居して庭さきに咲く紫陽花がよし
増田    照美 神戸
病院の宿舎に住みてお互いの希望の未来を日々に語りき
安田    恵美
はからずも形見となりし小梅ひと木父逝きてより実る年月
金田    一夫
吃水の次第に上る黒き船丸太を数多周囲に浮かせて
梅井    朝子
紫陽花の深まる蒼に雨の降り癒えざる弟の常ならぬ夏

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