選者の歌
桑岡 孝全 | 大阪 |
ジーンズに金色の靴そぐわぬをそぐわしむるよわかき齢は | |
次に痛まば抜かれてしまうひだり下奥の一本いとおしむなり | |
二十年ほどまえまでなるか時に聴きしLP高橋竹山のゆくえ | |
見失える子機は鞄にありて鳴りぬ手帳と共にしまえるらしき | |
鉢に得て日にひとたびと限らるる食(じき)に生きにし釈迦牟尼一行 | |
井戸 四郎 | 大阪 |
自転車に縋りて歩む夕暮れの我のさびしき影を問われぬ | |
川沿いの板敷き歩道に自転車を置きて灯ともるべンチに憩う | |
平成南海地震の予知はわが知らず安政大津波慰霊碑文読む | |
雷の鳴る昼過ぎの雨にどくだみの十字の白花みな横伏しぬ | |
駐車場の出口にはびこるどくだみの芯立つ花の咲きよそおえり | |
裏道にならぶ鉄工所の一軒髪白き夫婦か作業している | |
五十余年前あこがれし早春歌の近藤芳美ついにみまかる | |
土本 綾子 | 西宮 |
下げ髪の少女が祖母となるまでの長き交わりおろそかならず | |
弱き視力嘆く少女と子の病憂うるわれと心かよいき | |
若き日の嘆きよろこびつつむなく語りくれにきこのわが前に | |
招かれて長門の海を山を見てフクに足らいきはるかなる日よ | |
つぎつぎに絵本抱えきてこの吾をもてなしくれきおさなご綾子 | |
夕支度ととのう待ちて幼子とレンゲ田に花を摘みて遊びき | |
かの幼が佳き人を得て双生児の母となりたるまでのとしつき | |
高槻集 | |
奥村 広子 | 池田 |
亡き夫が戸口にて子に物言えば急ぎ開けんとして夢さめぬ | |
一人部屋に移れど入院続く夫と信じておりぬ息子もわれも | |
あっけなく空に消えしと思うかな七日七日を僧の誦経す | |
鈴木 和子 | 赤穂 |
夫の葬り終えたる後のわが眠りひたすらなるを覚めて寂しむ | |
わが夫の住まわぬこの世となりましたいつの間となく桜散り敷き | |
わが思いは亡き夫にのみかかわりて孫を守りつつ今日の炊事す | |
松野 万佐子 | 大阪 |
のみを手に岩を砕きて成りしというこの北欧の草原の春 | |
山の影見るなきフィンランドの平原に木々より低き家々の建つ | |
天井にはる銅板とひびきあう石の御堂に聞くシベリウス | |
9月号作品より 順序不同 | |
遠田 寛 | 大阪 |
何処より来て何方へ行くならんふける齢の命を恃む | |
「おい」によりて事足る暮らし二人故にある蟠りはタブーになりぬ | |
後藤 蘭子 | 堺 |
家跡の窪みは風呂の焚口か薪をつぎつつ読みし吉屋信子を | |
家跡に木高くあふれ咲く馬酔木ひと枝折りて挿す父母の墓 | |
上野 道子 | 堺 |
手術後のレントゲン写真にうつる足鋭く二本の金具入りたり | |
わが歩み見る積もりらしさりげなく夫はわれより少し後れて | |
菅原 美代 | 高石 |
まだわれに土練る力残れるを子の仕事場に来ては確かむ | |
晩節は清くありたしさはあれど明日吹く風をわれは知らなく | |
高間 宏治 | 小金井 |
従順な水牛なれど身を沈める池の場所とりに争うらしき | |
牛車曳くと池より出される水牛の素直に出てゆくは憐れなるもの | |
森田 八千代 | 篠山 |
肌寒く終らん春か融雪剤が橋のたもとに置かるるままに | |
つつがなく生れし仔鹿か母のあと田植のすみし山裾を行く | |
藤田 政治 | 大阪 |
一日一日をゲーム感覚に過しつつ八十路の坂をわれは超えたり | |
パソコンの起動まともなる二三日わが脳内も滞るなし | |
上野 美代子 | 大阪 |
せせらぎと蛙の声の占むる闇蛍は小さき命を点す | |
川田 篤子 | 大阪 |
亡き母の介護ベッドによる窪み畳に目立たずなりて淋しき | |
浅井 小百合 | 神戸 |
下蔭に藪柑子暗く群れおりて夏至の真昼が音も無く過ぐ | |
春名 久子 | 枚方 |
ふるさとは山間のまちおりたてる無人の駅に草の匂いす | |
中原 澄子 | 泉佐野 |
雨の降る一日を夫と家居して庭さきに咲く紫陽花がよし | |
増田 照美 | 神戸 |
病院の宿舎に住みてお互いの希望の未来を日々に語りき | |
安田 恵美 | 堺 |
はからずも形見となりし小梅ひと木父逝きてより実る年月 | |
金田 一夫 | 堺 |
吃水の次第に上る黒き船丸太を数多周囲に浮かせて | |
梅井 朝子 | 堺 |
紫陽花の深まる蒼に雨の降り癒えざる弟の常ならぬ夏 | |