書斎から

第1時限

1999年4月24日(土)はれ...."余計な一言"


(15)よさこい騒乱まつり(6月19日)

(14)ウソップ物語より「退職したロバ」(6月6日)

(13)出た!新刊(5月29日)

(12)トリプル・ボギー(5月26日)

(11)今でも笑える40年以上前の出来事(5月20日)

(10)余計な一言(4月24日)

(9)フランスのすずめと日本のカラス(4月12日)

(8)オレァ よっぱらったダ(3月27日)

(7)地下鉄車内での”海割れ現象”(3月13日)

(6)本の裏表紙(3月6日)

(5)Walk don't run(2月28日)

(4)常夏の職場(2月13日)

(3)パチンコ屋にて(2月6日)

(2)この犬はりこうなのかバカなのか(2月6日)

(1)泥縄式・場当たり政策がまたひとつ(1月31日)

よさこい騒乱まつり
新緑の広がりが日に日に増す札幌では、祭が立て続けに催されて大変パワフルなエネルギーに満ちている 感じがあり、不況風など表面上は吹き飛んだ感がある。
二つの祭があったわけであるが、一つは”よさこいソーランまつり”でもう一つは”北海道神宮祭”。
”よさこい・・”は数年前に発生したと思ったら、爆発的に盛り上がった言わば新興祭であるが、TV局 などが協賛しているせいか、必要以上の加熱ぶり。熱しやすく冷めやすい我が民族、ブームで終わらせな い工夫と努力が必要です。

話は変わって、最近パチンコ事情。朝の通勤時に町中のパチンコ店の前を通って、最近気づいたことである。 私の知ってる風景と何か違う、開店を待って店の前に並んでいるのは若者ばかりなのである。私が知ってい る朝の風景は、おじさん、おばさん、そして若者チラホラだったのに・・・・・。
おじさんも居ることは居るが、完全に浮いている。その日が特別な日だったわけでも、その店に限った現象 でもない。注意して見ると毎日同じで、他の店も同じ傾向である。
これも若年者への雇用不足の顕われなのか?

ウソップ物語より「退職したロバ」
先ごろ長い会社生活から退職した、元課長さんがいました。
この会社、昔は半官半民ともいわれて、なにやら分かったような分からないような立場から、完全民間企業に 転換しました。
社員の心の切り替えも大変でしたが、管理職の中でも最前線に立つ課長さんたちは、それはもう大変でした。
なのに、この元課長さんは何もしません。部下がいなくて、自分しかいないのに、鳴ってる電話にすら出ません。
”課長たるものデンと座っていればいい”といったような、昔ながらの意識だったのでしょうか。
日本ではどこでもそうかもしれませんが、一度管理職になると、よほどの”そそう”でもしない限り、落とされる ことはありません。そう、何もしないのだから”そそう”もありません。
そんなこんなで退職をむかえ、子会社に厄介になることに、あいなりましたが、・・確かに厄介でした。
子会社は、退職OBを何人もかかえていますが、一人一人に稼いでもらわなくてはやってゆけません。ここでは 元課長もヒラも平等なのです、相変わらず何もしない元課長はとうとう追い出されてしまったとさ。

出た!新刊
私にとっての”新刊日照り”が続いていた。と言っても、要は自分好みの新刊が出ないといった意味に 過ぎないだけのことである。
これはと思って買った本も、読んでる途中で投げ出すものが多い日々が続いた。
でも、But,ようやく出た・・・、私の大好物が出た。それも一度に3冊も!!。
1冊目はスティーブン・キングの”ローズ・マダー”上下(新潮文庫)
2冊目もキング作”ザ・スリー”(角川文庫)
3冊目はディーン・R・クーンツの”奇妙な道”(扶桑社・文庫)である。
店頭で見つけた時には、よだれをふきながらわしづかみにして、内容など見もしないでレジに直行 した次第である。でも困った、迷う、どれから読もうかと。私にとっては、メイン・デッシュが 3皿並んだみたいなもので、まさに至福のひとときです。

トリプル・ボギー
先日あまりに乱雑になってきた、CDを整理していた時のこと。ジャズCDの中で全く同じアルバム がダブッているのを発見した。これらは高校時代からの友人Yからもらったもの。
Yは時々CDをダブッて買ってしまうため、その「おこぼれ」を私が頂戴しているのだが、枚数 にして40枚にもおよんでいた。私の中でダブッたということは、同じCDをつごう3枚も買った ということである。これは”トリプッた”と言ってもいいのではないか。

Yは高校時代からジャズを聞いていた私に影響され、ジャズを聞くようになりオーディオも そろえてきた。だから私を師匠とあがめ、当時は師弟関係(?)だった。
ところが、レコード、CDに湯水のごとく金を使うYに対し、私はアンプ、スピーカーが立て続けに 壊れて、しばらく空白時期があった。そうすると形勢はいつのまにか逆転してしまい、ハード(オーディオ) もソフト(CD)も私のはるか上をいくようになっていた。
まあダブッた話では私も人のことは言えない。文庫本を買って読んでいるうちに、「なんか聞いた ことのあるストーリーだな」と思い、もしや!と本棚を調べると同じのがちゃーんとあると いうことが時々ある。これも買う前によく見れば分かることなのだが、改題した上に表紙もリニュー アルしてあたかも新刊のごとく、店頭に並んでいるものだから仕方ない。

今でも笑える40年以上前の出来事
ゴールデンウィークも終わってしまい、つぎの連休は夏までないなあと、こぼしが入る最近である。 ひょっとすると5月病かななんて、バカを言え!、仕事がしたくないだけなのに。

自分の幼き日の記憶というものは、大部分が忘却の彼方へいってしまうものであるが、時に写真の ひとコマのように鮮明に残っていることがある。私が4,5歳だった頃と思うが、父親の自転車に 乗せられて走っていた。場所は大変広い公園の林の中の結構広い道路である。
虫採りに向かっていたようで、私は虫採り網を横に突き出し、網に風がはらむのを楽しんでいた。
無論、父親の背中で前は見えない。
父はひたすらペダルをこぐ、・・・と、突然手から網が消えた。
自転車を止め、二人で後ろを見ると、対向して自転車に乗ってたどこぞのオヤジが私の網を 被ったままこっちを見ているのである。(・・そのゾッとするほどのおかしさが鮮明)
虫採りの前にオヤジ獲りしてしまった!。
事の次第に気づいた父は、平謝りしてたけど、その顔には笑いをかみ殺してたのがアリアリ。

余計な一言
我が職場の最若手である、YとNの二人が飲み会の後、ラーメン屋に行った時の話。
カウンターについて、隣り合った女性二人連れがギョーザを食べていたので「ここのギョーザ美味しい んだよね」というと、「よかったらどうぞ」とおすそ分けをもらったことや、女性達が大坂からの 観光客ということで話がはずんだそう。食事も終わり、さあ出ようかという時、こんな会話があった。

Y:”どうですカラオケでも行かない?”

女性 「え、どうする?」「行こうか!」

N:”なんも、しないからぁ”

女性 「・・・・」「ぁのぅ、私達あした早いし、眠いから帰ります」

後日、職場でこの話を聞き、女性達が行きかけてた意志をなぜ翻したか、意見が二つに分かれた。
一つは、「何にもしない」という言葉に下心を察知した。
二つ目は、「何にもしない」ならつまらないから、帰って寝たほうがいいと思った。
さあどっちでショー。


フランスのすずめと日本のカラス

シャンソンといえば、いろいろと歌手の名前が浮かぶが、やはり大御所は薄幸の歌姫エディット・ピアフ であろう。
我々が今聞けるのはCDでしかないが、いかんせん録音が古くて、良さが半減といったところか。 シャンソンと聞くと何かえらく日本人と隔絶した音楽だと、思い込んでいる人がいるようであるが、 これがどうして、日本の歌曲と相通じるものがある。薄暗いアングラぽい酒場を舞台に黒一色のさり げない衣装の歌い手が、アコーディオンだけの伴奏で歌う。こんなコンサートを聞いてみたい。
このピアフPIAFとつづり、”すずめ”の意味があるそうだ。そういえば日本には ”ひばり”という大御所がいましたね。

私の生まれて初めての外国がパリであって、その時の話であるが、かのルーブル美術館へ行った ものの、入場待ちの行列にたまげてしまってあきらめ、すぐ近くのセーヌ河畔に出た。すると川の 向こう岸にはオルセー美術館がデンと構えているという、美術に造詣が浅い!私でもそのロケーション に、思わず見とれていました。と、突然上空が騒がしくなってきたかと思うと、何と今まで見たことも ない数のスズメが乱舞しており、私達も取り巻かれてしまった。一瞬あのヒチコック監督を連想したの だが、すぐそばに餌付けしているじいさんがいたのであった。もうそのスズメじいさんの肩で も頭でもスズメはとまる。野生のスズメがあそこまで慣れるとは・・・・。
ところでフランスのスズメはフランス語でさえずるかと、よく聞いたがやはり日本語でさえずってた。(?)

不気味さの代表格としてのカラスは、よく頭がいいと言われるが、それだけでなく人間のいやがる事を 知っての上で行動している節がある。通勤途上でのこと、歩道の真上を電線が平行している場所でギャー ギャー騒がしいので、上を見るとカラスが3羽ほど電線にとまっている。
なにやらイヤーな予感。カラスの真下を通らぬように歩いて行くと、私の真横にビチャー と爆弾が落ちてきた。予感は的中!・・あんなもの頭に命中してたらどんなことになったやら・・でも、 なんか狙われたようで、それ以来「頭上の脅威」には警戒を怠らない。

オレァ よっぱらったダ
この3月末の週末に二日続けて宴会に恵まれた(?)。一晩目は職場の退職者の激励会を、ホテル で行ったのであるが、これが2時間立席パーティ方式で、終わる頃には腰がうずき出した。ここで ホテル側に少し要望をしたい。なんでもいいから、会場を貸して酒食を供すればいいというもの ではないだろう、会場を歩きまわれる設定にすれば、腰への負担も軽減する。なのに、相も変わ らぬ結婚式の披露宴スタイルなので、出席者は例の円テーブルの淵に、へばりついているしか ないのである。

まあこの二晩は、春休みと転勤異動が重なってススキノの人出はすごかった。居酒屋もスナック も押すな押すなの盛況ぶりで、それは年末の忘年会シーズンを上回るものであった。
ということで、ようやく帰宅の途についた地下鉄の中の出来事。終点の一つ手前の駅で停車する と「センセ!着きました、降りますよセンセ!」と、座席に座って熟睡している中年同僚を若手 同僚が揺り起こそうとしている。・・・まったく反応なし。やっとの思いで座席から立たせた が、巨大なコンニャクを立たせたようなもので、クニャクニャと床に寝てしまう始末。
あせった若手は、そのままコンニャク男をひきずって車外へ出たが、ひきずられた方は そこでも熟睡いやもう意識がないのかと思ったが、顔にはうっすら”笑み”が・・・。電車の 運転手も心配して降りてくる始末だった。
あぁ、どうやって帰ったのか・・人事とはいえ、お疲れさまでした。

地下鉄車内での”海割れ現象”
最近、天気の良い日は、通勤で使う地下鉄駅を一つないし二つ手前で降りて歩く。二つ手前で 降りると、北の大歓楽街ススキノを突き抜けていくのであるが、朝のススキノは意外ときれい である。前夜のつわものどもの夢の後、宴の”のこりもの”が路上にぶちまけてあることが、た まにはあるものの、少なくともメイン通りはきれいなものである。

通常降りる駅は市の中心部のため、乗降が最も多い。その手前というのは当然、車内の混雑がピーク な訳で、そこで降りるのは結構難儀する。でもある日いいものを見た。若い女の子がハスキー な声で「すいませーん」と一声かけると、出口までサーと一本の通路ができたのである。
それはまるで映画「十戒」の中の”海割れ”を見る思いであり、人を思い通りあやつった女の 子は堂々と降りていった。これが混雑車内から降りるコツなんですね、無言で後ろから人を押し のけ、かき分けてくるよりお互い気持ちの良いものです。

本の裏表紙
ずぅーと昔、覚えていないくらい前から、寝ながら本を読む習慣になってしまった。そしてそ のまま寝てしまう。以前は枕灯を朝までつけっぱなしだったりしたが、最近ではお行儀が良く てそんなことも無くなった。目に悪いということは重々承知だが、もう止められない。かと言 ってソファなどに座って読むとすぐ睡魔に襲われるので、ふとんに入って読むといつでも寝 れると思うのか、これが結構もつのである。

私にとって、本を買おうと選ぶ時は、文庫本の背表紙に書いてある内容紹介が大変重要である。あまり なじみのない作者の本は、この紹介内容で買う決心をしてしまうが、いざ買って読むと裏切ら れることが少なくない。実は最近読んだ本が連続3冊裏切られたアのである。裏切られた と判定するまでは、忍耐強く、もう少し、もう一晩読んでからと抵抗を試みるが、「時間の無駄」 でもあり放り投げてしまう。文庫といえども一冊800円近い額である。腹立ちまぎれにそれらの 本を紹介してもいいが、それでは私の独断を押し付けることになるのでやめる。

でもようやく面白い本を見つけた。今読んでいるのは、ディーン・R・クーンツ作「ストーカー」。 創元社から新装版で出た本だが、元の題は「狂った追走」、最近やたら使われるストーカー に追随して改題したのだろう、本の内容とは微妙にニュアンスが違う。
ところで創元社さんもやる事がいまいちですね。この「ストーカー」と「悪魔は夜はばたく」は クーンツの比較的初期の作品として出版されていたのに、十年来、店頭に並んでなかった。クーンツ 人気が出た時期は、他社では結構力を入れていたのに、創元社さんは今ごろやって、時期を逸した 感がある。創元社には、他社には無いなかなか面白い作品があるから、もったいない。例えばフレド リック・ブラウンという作家の本格的ミステリーがたくさんあるのだが、これも埋もらされてはたま らないネ。

Walk don't run
つくづく冬の札幌での車の運転は、北国の中でも最も難しいのではないかと思う。それは雪の 多さだけでなく、路面の状態が時々刻々変わるからである。アスファルトが出てるかと思えば、 アイスバーンが現れたりと目まぐるしく変化し、気が抜けない。札幌は日中に雪の表面が解けて、夕 方には凍り付き、車に乗っていると、濡れていると思った路面がブラックアイスバーンだった ことで背筋を冷やすことがある。
2年くらい前から、タイヤにゴム製のチェーンを装着した車が増えてきている。でもこれ付けて いる車に限ってベコベコにへこましたのが多いんですね。付けてるからぶつけたのではなくて、 いいだけぶつけてから、後の祭り状態で装着したのでしょう。”近づくな!女性ドライバーと ゴム・チェーン車”(冗談です)

数年前、バスの中の出来事。乗客は混んでなくて全員が座っている状態で、バスが停留所に近づ き減速し始めた。と、後ろの席から若くない女性客がトットットとバスの減速に後押しされて駆 け足気味で前の降り口へ。床は濡れて滑りやすい状態。そこへ運転手がブレーキか加速したか、 よく覚えてないがとにかく変化があった。あとは想像どおりのことが起きたのです。そう大転倒 です。もう転んだなんて生易しいものではなく、宇宙遊泳というか、陸上の高飛びで背面飛びの まま着地した状態でした。すっくと立って降りていったが、あれは見てる方も痛かった。

実はこれ人ごとではなかった。私の靴底も張り替えしなくちゃと思っていた昨冬のこと、通勤 途上で目の前の歩行者用信号が点滅し始めたので、小走りに車道に出た瞬間、一面の氷に気づ いた。アッまずいと思った直後、背面飛びをしてしまい背中を強打。その痛いこと、 しばらくそのまま寝ていたかったのですが、信号が変わりそうだったのを思い出し、車にひかれ る恐怖から必死に起き上がりました。でも何よりも恥ずかしかった。

常夏の職場
雪祭りも終わり、ここ札幌の中心部もようやく落ち着いてきた。例年の雪祭りでは、内外から 随分と人が集まってくるが、誰が一番儲けているのか。そんなことばっかり気になって仕方ない。

私の職場はワンフロアー170人という大所帯である。オフィスとしては、そう狭くはないが、 もうひたすら実用一点張りで、同じ部なんだからいっしょにいるというだけ。”事務所砂漠”な んて造語を進呈してやりたい。
更に室温がメチャクチャ暑いことが「砂漠化」に拍車をかける。朝の出社時がちょうど良く、そ れから時間を追う毎にうなぎ上りに上昇していく。これは一人一台のパソコン配備のため、出社 社員分のパソコン+共通パソコン+プリンター、コピー機、ほかの機器が発する熱によるのである。

この真冬の北国でうちわや扇子がパタパタしているのは、異様な風景である。パソコンも寿命が 早いだろうネ。

パチンコ屋にて
最近の話。久しぶりにパチンコでもと、パチンコ屋に行って台を見て歩いていた時、お客の中の 奥さん風の女性の耳に光るものを見つけ、イヤリングかなとよく見ると違う。パチンコの玉が耳 の穴につっこまれているのである。”たません”いや耳栓にしているのだろうけど、いやーたま げたネ、ちょっと見るとその筋のプロみたいだもね。ありゃーやめた方がいい。・・
昔は男性に結構いた、中には百円玉を耳に入れて貯金箱状態にしている人もいたけど、・・・まあ とにかくあの玉は、パチンコの穴に入れるもので耳の穴に入れるものではないの

この犬はりこうなのかバカなのか
昔私が勤め始めた時、家にりこうなのかバカなのか分からない、1頭のコリー犬がいた。 ある冬の朝、仕事に行こうとバス停へ向かって歩いていると、後ろにヤツがついて来ているの に気づき、あわてて連れて帰り、引きずっていた鎖を杭に通して、バス停へ向かった。すると間 もなくまたヤツが追ってくるではないか。
どうしてあの長い杭から鎖が抜けるのか?、今度は様子を見ることにした。するとヤツはすぐ 実演を始めた。杭を中心に積もった雪が「すり鉢」状になっているのだが、そこをヤツはぐる ぐると回り出した。そのうちに鎖の輪がだんだん上にきて、ほどなく抜けてしまうのであった。 フッフ、私の前で実演するとはバカなやつ。
どうでもいいけど、この日は遅刻だった。

またこんなこともあった。すぐ近所に農業試験場の広大な草原があったので、思いっきり遊ばせ てやろうとヤツを連れ出した。そこへ行くには、丸太を渡してある小さな堀を超えなくては行け ないが、ヤツは恐がって渡らないので私が重い体を抱いて渡り、自由にさせた。わずかな時間走 りまわっていたと思う間もなく、あれだけ嫌がっていた丸太橋を一気に渡り、どこへともなく走 り去ってしまうではないか。残された私は口”あんぐり”で呆然と見送るだけ。しばらくして、 ご帰還あそばしたヤツは悪びれた様子もなく、満足気に口から残飯をあさった匂いをプンプンさ せていた。
やっぱり無味乾燥な草原より、嗅ぎ慣れた人里の方がいいのかなア。

泥縄式、場当たり政策がまたひとつ
公的年金の支払い開始年齢が65才に先延ばしされるのに伴って、公務員が60才で退職後、 更に5年間65才まで雇用するように、国家公務員法を改正するという。

こんなバカな話が通るのか?この実質定年延長策は、当然のことながら公務員の若年者雇用 に影響するだろうし、大手企業には形を変えた定年延長策を採用する会社が出るだろう。
「年金支払い開始を60才のままに戻すことで”三方一両損”となり丸く収まる」と考える のは、私だけだろうか。そのためには、職を持つものが多少金銭的な負担増を余儀なくされるだろう。 しかしながら、この不況の時代を乗り越えるには、何とかの一つおぼえの公共事業により一部のゼネコン 関連会社を太らせるだけの政策や、思いつきで商品券をばらまく政策よりは納得いくのではないですか。
イギリスでは5年という期限付きながら、若年層を公務員として雇用する失業対策をとっているのが、 日本と対照的ですね。

誤解のないようお断りしますが、私は年配者をはじき出して若年層へ職をと主張しているのではなく、 60才定年を迎えた方達には「ご苦労様でした、後は私たちに任せてください」と、安心して年金生活 に入っていけるシステムにする方が、雇用すなわち景気の活性化になるのではないかと考えているのです。
このままいくと日本の労働年齢層のバランスは、高齢者が働き、若年・中年層が失業というアンバランス が生じてくるのではないか。

目先にとらわれて、すぐ効果が上がるが、またすぐ”しぼむ”これが今までやってきて、またやろうとしている こと。効果は2〜3年かけてじわじわ効いてくる政策が現在、求められているのではないか。頼みます よ、議員センセ、あなた方は私たちの代表なんですよ。