松澤芳宏の絵画一覧 Paintings List of Yoshihiro Matsuzawa 風景画を中心にしています。 この作品は数10年前に飯山市秋津農業団地センターに寄贈し、そこの所蔵となっております。
昭和59年の2月、約1週間ぐらい雪が降り続き、2月9日の積雪量は251cmにも達しました。こ
れは飯山地域気象観測所で、観測史上2番目の多雪であるとされています。この降雪の最中、本町より鉄 砲町が見える路地をスケッチしました(瑞穂保育園にあり)。私がスケッチしていると、何日も続いた雪 がようやく晴れる兆しがみえ、西の空に僅かな光が見えてきました。晴れ間を迎える雪国の、我々の待ち に待った瞬間です。
「雪晴れる街」の作品は、スケッチをもとに構図を練り直し、また、晴れ間をみて活動する人々の暮ら
しを込めて描いた作品です。豪雪は大変ですが、私にとっては、神が授けてくれた嬉しい画題でありまし た。 (追記)、この絵「雪晴れる街」は2024年10月より飯山市美術館の所蔵となりました。ご鑑賞下 さい。 春への日ざしの絵は、現中野市・北永江の斑川(まだらがわ・はんがわ)の辺りを描いたものです。この
界隈は高野辰之の作詞の原点となっている所です。後方段丘上に北永江の集落がありますが、主題がぼけ るので省きました。川の色が澄んでいないのは、雪解け水が大地を溶かし、泥にまみれて勢いを増してい るからです。こんな風景に暖かい春への期待があります。 (追記)この絵「春への日ざし」は2024年10月より飯山市美術館の所蔵となりました。ご鑑賞下 さい。 中野市長丘丘陵の田麦付近の残雪の絵です。残雪が形づくる造形のおもしろさは、ほんの一瞬です。バ ックの飯縄山もタイミングよく現れました。 平成5年ごろ、私が飯山市の春栄堂仏壇工場に働いていたときに、従業員一同で制作した赤富士の壁画 です。現在の中野市豊田の民家に飾られています。図案は私が、葛飾北斎の図を参考に考え、作図も私が 担当したものです。 注文主と社長の発案で、このような珍しい作品が完成しました。下地の金箔の光が透明な色のニュアン スを微妙に変えています。位置と光の方向で色が変化します。
この絵は中野市から見た高社山です。西日を受けた冬山がピンクに染まることがあります。その山は冬
でも暖かく見え、堂々としていて、古くから信仰の山であることがうなづけます。
人は山に何かの気持ちを託すのでしょうか。若い時にこの絵を描き始め、悪戦苦闘、蒔絵の経験を生か
して、漆も使ってみました。30年以上も描き続けてやっと筆を置いたのがこの絵です。なんとばかげた 話ではありませんか。
この年は前年の豪雪とはうって変わって暖冬そのものでした。晴れ渡った空に白い妙高山が印象的でし
た。前景の木々の間に、うっすらとした雪がありますが、それを表現するのが至難の業でした。描きすぎ ると、絵が硬くなるので、このくらいで止めましたが、私の実力では表現しきれませんでした。
もう皆さんお気づきでしょう。なんと馬鹿なサインをしているのかと?。しかし考えてみてください。
西洋の画家が自国の文字で本名でサインしているのに、日本人が英語でサインをする。おかしな話ではあ りませんか。同時に日本画家が画号を持ち、本名以外でサインする。これもおかしいのです。美術界自体 も昔ながらのサインの呪縛から解けないのです。
私は自分を宣伝するわけではなく、西洋画も日本画も区別はないという持論から、こういう本名の漢字
でサインしているのです。題名を入れるのも、どこか南画の詩の挿入に似ています。これでよいではあり ませんか。私のサインがおかしく見えるのは、いままでの日本の画界の既成概念があるからです。 よく日本画・洋画の違いが話題になることがあります。この絵の場合は、洋画・日本画・工芸の材料を 駆使しましたので、正確にはどの分類に収まるのか分かりません。しかし、本来は日本画・洋画の区別は なく、絵は絵であるのです。 ただ、絵は画家の環境によって、個性が出ます。そこにかもしだされる風景が、東洋画の伝統で、線描 き表現による古来の日本画的イメ−ジに近い場合は、日本画の印象がより強くなると思います。
中野市若宮から見た春の景色です。白いりんごの花が、控え目ですが妙高山の残雪とマッチしていまし
た。柔らかい春の陽射しが注ぎ、穏やかな気分になります。
この絵は少年時代に駆け巡った田草城のイメージ図です。もちろん、実際の風景とは違いますが、田草
城を北側の宝蔵谷(江戸時代に法蔵とも記す)から俯瞰したものです。史料にはほとんど登場していない 謎の山城で、それだけにその解明に魅力があり、私の歴史研究の原点でした。 左方の小さな集落が田草 村であり、すでに天文七年に磯辺勝願寺門徒の道場がありました。そのことが、田草城を紐解く鍵となっ ています。旧静間村の西方山中のこの景観は、営々として続いていた谷水田の開発の、先祖の労苦を物語 っています。25年以上前から書き続け、やっと完成したこの絵に、歴史性を感じていただけたら幸いで す。
自宅前からの晩秋の高社山の絵です。黄色・紫・赤・青・緑、さまざま色が朝の光の中で競演します。
久しぶりに、水彩画のオ−ソドックスな表現を試みました。やはり、この方が絵がすっきりとするようで す。 想を基に、解りやすく完成イメージを描いたものです。 総目次に戻る
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