ヤギと育てた安心みかん&レモン本文へジャンプ
健康な作物は健康な土づくりと根っこづくりから
    〈低農薬で有機みかん栽培〉

 
       『ヤギさんのいるみかん園』

−堆肥でみかん園の土作り(微生物を増やし)をして,しっかりと根がはるように取り組んでいます−

■ヤギのふんは,黒大豆のように小さく丸い形で,家畜の中では最も水分が少ない(50〜60%)ので堆肥作りで水分調整の必要がなく,短い期間で堆肥ができます。沖縄や奄美大島でも,ヤギ飼育と果樹生産を組み合わせて有機栽培に取り組み,堆肥化した「やぎふんで土づくり」をすることによって味のよい柑橘類を生産しています。
堆肥は,ヤギのふんや食べ残しのえさ(草,枯れ葉,小枝や野菜)を含むものと草木灰をまぜて利用しています。

◆具体的には,季節に応じて11月〜4月頃は気温が低いので,やぎのふんなどはみかん園に直接まいたり,みかん園の横に積んでおいてから草木灰とまぜて土にすきこみます。暖かくなる5月〜10月には,ふんなどを一輪車で集めて発酵堆肥にします。堆肥の原料は,ヤギふん,雑草(窒素),米ぬか,野菜くず,おがくず,わら,小枝(炭素)などを堆肥場(コンパネで囲い,地面にブルーシートをしく)に入れます。上にブルーシートでおおい,ホークでまぜ空気を入れて発酵させます。それを,4月頃まで寝かせてから使用しています。
 
広島県のみかんの起源 (『広島県庁農林水産部農産課及び広島県の果樹来歴書』より)
 『広島県農業発達史第二巻』によると,みかんの発祥は天文年間(1537年)に安芸の国の住人木村道禎が讃州(香川県)から小ミカンの苗木を求め,安芸郡蒲刈島の向村に殖栽。その後永禄年間(1558年〜1569年)に安芸郡下蒲刈村(現下蒲刈町)へ増殖したのが始まりとされている。
 香川県から小ミカンを入手となっているが,香川県では小ミカン伝来の歴史にかんする記録なく,入手の検証は出来ない。また,安芸と有田を比較すると,小ミカンの安芸への伝来が事実とすれば,八代から有田への伊藤孫右衛門による小ミカン伝来は天正2年(1574年)なので,広島県への小ミカン伝来は有田より37年ばかり早いといえる。しかし,安芸の国においては、天文年間以降の小ミカン栽培の広がりはなく,元和5年(1619年)に紀州藩から移封された浅野長晟が紀州から「紀州みかん」を取り寄せて増殖を勧めている。このことは,紀州有田への小ミカン導入が安芸より遅かったにしろ,
元紀州藩主の浅野公が安芸藩の農家の活性化のために紀州みかんを導入したことは,その時代(江戸初期)には紀州蜜柑が大変優れていたことの証明となろう。つまり,伊藤孫右衛門や有田の人たちの品種改良が九州や四国より進んでいたことの証明でもある。
 
広島県における温州みかんの本格的な栽培は明治27年頃からである。導入の最初は文改元年(1818年)。豊田郡大長村の秋光彦左衛門が栽培したとなっている。広島においては,小ミカンの伝来が有田とあまり時間のズレがなく,また,九州に近い地の利から温州みかんも江戸時代末期には伝来があったと思われるが,江戸時代においては産地的生産にまで至らず自家用としての栽培に留まっている。広島でのみかん栽培が盛んになるのは,明治36年の青江早生品種(大分県北海部郡青江で発見された普通温州の枝変わりで,わが国最初の早熟みかん(通称早生みかん)の導入からである。
 ミカンサビダニ  レモンには潰瘍病が
無農薬でみかんづくりをしてきたが,「サビダニ」と「潰瘍病」が復活してきました。これまで忘れられた害虫と病気です。私の父は長年,農業委員としてみかん栽培を研究し,地域の農家の方と共にみかん栽培に関わってきました。
サビダニが発生すると『みかんが全滅する』と語り,臭いのきつい石灰硫黄合剤を散布してミカン園を守ってきましが,ミカンサビダニはとても小さいので,被害が出るまで分からないことが多い恐ろしい害虫です。サンマイト水和剤が薬剤として効果が高いそうですが,使用はしていません。

「ヤギさんのいる菅原オレンジ農園」のみかんは,農業委員としてみかん研究家として生きてきた父が亡くなってから,もう何年もみかん販売はしていません。
それは,農薬や化学肥料は一切使わないため品質がそろわず,商品作物として出荷できないからです。農園のミカンは毎年,秋になると気さくな仲間や私の教え子たちが島へ遊びにきた時,自由にみかん狩りを楽しんでいます。フルーティないい香りがします。

幻のみかん 小林みかん − 「たかしのミカン」
柑橘は種類によって,「香り,酸味,甘味,旨み,後味,喉越し」がみんな違います。
     
■偶然にも,息子のたかしが見つけたので『たかしのミカン』と命名。珍しいミカンで,私たち家族だけの贅沢なプライベートみかん。家では半分に切ってからスプーンですくって食べたり,しぼってジュースにして飲んだりしています。

■小林柑は,
夏みかんと温州みかんの接ぎ木雑種の品種で,今から50年ほど前に植えられましたが,生産量は少なく,今では地元でもめったに手に入らない希少なみかんです。見た目は夏ミカンみたいですが,半分に切ると実が赤く,味は少し大味なミカン味でジューシーで,食味も絶品です。

稀少木なり「安政柑(あんせいかん)

見て楽しみ、食べて楽しむ
     

広島県因島市田熊町有金栗の岡野末吉氏宅で発見され,安政年間(1854〜1859年)に生じたと伝えられています。重さ約600g〜700g。形は偏球形〜球形,表面は少し平滑で果皮色は濃黄色です。果肉の色は山吹色で肉質は硬く,果汁は比較的少なく,熟期は3月下旬〜4月上旬が美味しい。近年は,生産量はきわめて少なくなり,貴重な柑橘のひとつになりつつあります。

■我が家の安政柑は「無農薬・有機栽培」で育てた安政柑なので,
安政柑の皮を煮詰めた和菓子が作られています。


柑橘の中でも,安政柑は多くのGABA(ギャバ)が含まれていると言われています。ギャバは,血圧や中性脂肪を下げ「肥満の防止」に役立つうえに,皮膚に潤いを与えるといわれています。お味は,果肉は甘さが強く,ちょっぴりほろ苦い,さっぱりとした風味がありクセになります。

■皮がとても分厚いので果実の胴回りに輪切り状の切り目を入れ,上下のお椀を取るように剥くと楽です。ほんのりと独特な香り。果肉の食感はサクサクし,さっぱりとさわやか,独特の香りが最高でお勧めです。

■我が家では正月に,「安静」という意味で玄関に飾っています。

上野早生/興津早生/宮川早生 −旬の喜びいっぱいつまったおいしさ−
     
みかんは,収穫される時期によって早い品種から極早生(ごくわせ),早生(わせ),中生(なかて),普通みかんに分けられます。極早生の収穫は9月〜10月,早生は11月〜12月前半,普通みかんは12月です。極早生と早生はすぐに収穫しますが,普通みかんはすぐに出荷(しゅっか)されるものと倉庫に一時保存,予措(よそ)貯蔵(ちよぞう)してから出荷します。品種には,石地,日南1号,宮川早生,南柑20号,大津4号,青島温州などがあります。このほかに,最近は,津之望,津之輝,西南のひかり,はれひめ,南津海,はるひといった新しい品種もあります。 
 百年小みかん −下蒲刈島といえば「葉つきみかん」
     
■広島県のみかん栽培は,江戸時代の1537年ごろ,呉市下蒲刈町で栽培されていた「小みかん」に始まったといわれています。みかん畑の多くは,海のそばにあり,石垣のあるだんだん畑になっています。ミカン畑は太陽の光と海からの反射された光に暖められた石垣の石によって土があたたかさを保ち,木が育ちます。だから,あまくておいしいいみかんができるのです。

■広島県の島しょ部は,一年を通して温暖で晴れの日が多く,畑の土は水はけがよく,栄養分を多くふくんでいるので,おいしいみかんができる環境にめぐまれています。そのため,明治維新をへて1900年ごろからさかんに栽培する農家がふえはじめたそうです。

■ミニヤギの後ろの小みかんの木は,百年以上も前に植えられた我が家自慢の小みかんの原木です。下蒲刈の小みかん栽培は歴史が古く,かざりもののミカンとして正月に売られている『葉つきみかん』としても有名です。

■私が子どもの頃は,収穫した小みかんを家に運び,畳をあげてそこに山積みをして貯蔵していました。そして,「みかん船」にのせて量り売りをしていました。
デコポン(不知火)−皮がでこぼこして,むきやすくて,大変甘い糖度13〜14度にもなる
     
ポンカン(太田ポンカン)
12月の終わりから収穫。糖度11〜12度と甘く,皮が柔らかく香りが良く食べやすい。独特の香りが生きています。
     
みかんの木は,種をまいて育てるのではありません。まず,カラタチというみかんの仲間の種をまいて,カラタチの木の根元がえんぴつの太さぐらいになったところで,味のよいみかん品種の枝や芽をくっつけ,苗木をつくります。

■この苗木を2年間ほど育てた後,みかん園に植えかえます。みかん園に苗木を植えてから4〜5年ぐらいでみかんがなりはじめ,10年ぐらいからたくさん実るようになります。

■みかんの木は90年ぐらいたっても実をつけることがありますが,もっとも多く実をつける木は
15年〜30年ぐらいたった木です。それから少しずつおとろえていくので,だいたい30年をすぎたころから新しい木に植えかえます。