本文へジャンプ下蒲刈島の海
下蒲刈町のボラ網漁  
 大地蔵の『ボラ網小屋』想う
大地蔵の尾ノ鼻,岬の突端には,かつて『ボラ見張り小屋』が建てられていました。当時は,イワシ漁やボラ網漁が盛んに行われ,地域の人々は総出で舟を出し,網を張り大漁でにぎわったそうです。しかし,海の環境変化からか,四国の沖から瀬戸内海へと回遊して来るボラやイワシの群れもやがて姿を見せなくなり,ボラ網小屋もなくなりました。島独特の漁法,文化として見直されるといいですね。 
平成22年10月,上黒島に訪れたところ,ボラの大群が沖の浅瀬に集結しているのを発見!海面付近に群れで真っ黒になるくらいの大群が集結する場所がみられました。このボラの大群の実態は定かではありませんが,上黒島・下黒島,下蒲刈島の海洋調査が急がれます。新たな発見が期待できそうです。 
  私が小学生の頃,船に乗って上黒島にあったお宮や水田,下黒島にあるイモ畑に行く途中の海で,船にスナメリが寄ってきた思い出があります。スナメリのエサとなるボラが多くいるからでしょうか?しかし,1970年代に入ってスナメリは姿を消しはじめました。そして,そのエサとなる『ボラ』は,産卵の時期やどこに移動して産卵するのか未だ謎につつまれています。産卵時期の10月から翌年1月まで,どこかにある産卵場所へ旅立つため,大きな群れとなり移動するそうです。
 島の海洋資源を守るには…
下蒲刈町の大地蔵地区では,漁場機能を回復させ,漁場を守ろうと,藻場の保護や魚礁の設置,自然石の海中への投入設置(築いそ)など,漁場の整備や漁場環境の維持・保全,海底清掃や干潟造成の実施により,「守り,作り,育てる漁業」に取り組んでいます。しかしながら,海岸生物の減少か?食物連鎖の関係から漁業にも影響を及ぼし,漁獲量は減少しています。海底の生物の実態や生息地の調査が急がれます。
また,大地蔵地区の正面に位置する上黒島・下黒島には,産業廃棄物の最終処分場があります。上黒島の95%はごみ処分場の敷地で「ごみの島」となり,大地蔵からはその様子は見えません。東京の廃棄物処理業者が平成元年から当時の採石場跡に鉱さいや工場から出る汚泥,熱処理でにした家庭ごみを今も島に埋め続けられています。焼却灰鉱さいを埋める管理型処分場は,構造や排水基準に厳しい規制があり,本来なら有害物質の流出はありえず,地面の底に敷いたシートは100年以上持つ。」と説明されているようですが,島の中央に断層があり,断層部分にしかれているシートが破れたら…。という心配もあります。定期的な環境調査はなされているのでしょうか?「瀬戸内法」(瀬戸内海環境保全措置法)は,環境悪化が深刻化した1973年に瀬戸内住民と行政の共同によって議員立法として制定されました。1950年代後半から経済成長と開発ラッシュで,遠浅の海は埋め立てられ,藻場や干潟が減少していきました。瀬戸内法施行後,減少はしたのものの,1975年から1995年の20年間に約13,000haの海域が失われてしまいました。また,埋め立て場は,産業廃棄物の捨て場として,香川県豊島に約50万トンもの産業廃棄物が不法投棄されたニュースは有名ですが,広島県呉市下蒲刈町上黒島と下黒島には,150万トンの産業廃棄物が持ち込まれていると言われています。ゴミの島となって,あれから23年の月日がたっています。今では,かつての島の面影や形,山の高さも変わってきています。安芸灘震災や東日本大震災の教訓は今後,どう活かされ,未来に生きる子どもたちにつなげていくのか懸念され大きな問題です。