日本に数カ所あるピラミッドの一つ。ただし、一番知名度が低いであろう場所。
もちろん、エジプトや中南米にある様な、石積みの物ではなく、自然の山である。が、人工的に作ったかのように、側面からみれば、きれいな二等辺三角形をしており、明らかに異彩を放っている。
昭和9年に、酒井勝軍(さかい・かつとき)によって、ピラミッドとして開闢。ちなみに、登山口から少し離れたボックスには、役所の作ったパンプがあるのだが、「かついさ」とルビが振られているが間違いである。修正されたかも知れないけど。
とは言え、この酒井勝軍。日ユ経綸(けいりん)論の旗手であるので、その論説には、あまり信用がおけない。と言うことをお忘れなく。古史古伝のうちでも有名な竹内文書に啓発され、この葦嶽山を始め、飛騨高山、十和田湖周辺、早池峰山などに、巨石遺跡を相次いで発見する。
山岳崇拝は、日本に始まったことではないが、信仰対象となりうるような、単峰(富士山のような単独の山)のない地域では、石を積み上げて、人工の山を作った…のが、エジプトピラミッドである。と言う論を展開する。
まぁ、荒唐無稽な話ではあるが、葦嶽山山頂で太陽石や、向かい側の山から石組みの拝殿を見つけたりと、そのフィールドワークと事実は信用できる。少なくとも、信仰対象であったことには間違いがない。日本から世界に出たのか、世界から日本に入ってきたのかはともかく、信仰形態や儀礼様式の酷似。というのは見逃せない事実だとおもう。
ピラミッド造営にかかる有名な逸話『高貴な人種が東方の日出ずる国から奇怪な方法で現れピラミッドを建造した』と言うモノがあり、実際に、プトレマイオス朝の歴史書に記述されている。この東方はメソポタミア辺りの技術者たち。と言うのが通説になっているが、コレを極東、日本にまで求めたのが、酒井勝軍先生と言うわけ。
なお、余談ではあるが、エジプトのスフィンクスの足の部分には、歴史を覆してしまう重要な記述があるため、エジプト政府が調査を妨害しているらしい。と、エジプト大学に留学し帰ってきた友人が言っていた。その内容が、ピラミッド建設には、日本人が関与しているかも知れない。と言うモノだった。
私としては、縄文式土器が南米で数多く発見されていたり、エジプトとインドが海運貿易をしていたりと、古代世界もそんなに狭くなかったと信じている方だが、樹木に恵まれ土地に済む日本人が、巨石の建造物に深い知識があったとは思えない。まぁ、だからこそ、超古代文明の遺産。と言うことになるのだろうけど。
と言う、事前情報を踏まえ、葦嶽山へ行ってみましょう。
中国自動車道、帝釈峡ICから車で7分程度です。
登山道…と言うより、きつめの遊歩道と言った感の道が整備されており、ハイキングよりの登山が楽しめるので、地元の家族連れが登っていたりしますが、日本ピラミッドなんてこたぁ知っちゃいません(笑)。
霊峰…と呼んで良いのか分かりませんが、訪れたときの印象は、浮ついたような違和感を覚えています。京都や、天理市と言った宗教都市とも言える場所で感じられる、ある種、冷たさと疎外感を感じさせる物です。両市も葦嶽山も、神聖さや、神域を感じさせるほどの物ではないのですが。
霊能者ではないので、うまく認識できませんが。生活感の無さと言うか、生命活動の稀薄さ。に通じるものだと思います。…まぁ、誤解されるコトを前提に言うのならば、ワザと見つけにくくしているような、結界が存在しているかのような印象です。地祇をちゃんと祀ってないのかも知れませんが…
登山道の入り口は、少し奥まったところにあり、物理的にも見つけにくいかもしれません。五感のみで活動している一般の人の方が、逆にあっさりと見つけてしまうかも知れません。
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