旅の方向性

だが、この些細な相違は、やがて大きな問題に発展することになった
−ロバート・M・パーシング『禅とオートバイ修理技術』より


◆旅に関わらず、世の中の出来事のほとんどは、気持ち次第で、事の善し悪しが決まってしまいます。つまり、あこがれの異性と出掛けるなら、そこらの児童公園でもディズニーランドに見えてくるでしょうし、大の苦手の人と行くなら、どんな場所も牢獄となってしまいます。

バイク旅は、気ままである一方、旅をするだけで、かなりのストレスを抱え込みます。その劣悪な環境にさらされるが故に、本性が剥き出しになります。その証拠に、表面だけのつき合いしかない知人と出掛けると、親友になって戻ってくるか、険悪になって戻るかのどちらかです。まぁ、そうまでハッキリと意思表示しないまでも、心の中で、コイツとはもう行かねぇ。と心の中で誓ったりします。確実に(体験談)。

では、なぜそうも如実に隔絶させてしまうのか。それは、根幹にある旅の方向性や、考え方の違いによるものです。つまりは、経営者気質の人間と、芸術家気質の人間とが、心の底からつきあえないがごとく、です。まぁ中には、芸術家気質の経営者や、経営者気質の芸術家もいますので、一般論と言うことで、ご了承願いたいと思います。

おおざっぱに大別すると、旅を、移動しているときと認識するか、止まっているときと認識するかで、決まると思います。

細かく行くと、時間に対する基本姿勢や、生活における基本姿勢の違いも影響するのですが、これらは誤差の範囲内で、引き金にはなっても、決定打にはなりません。いわば、個性として許せる範囲なのです。

さて、移動している時を旅と認識するか、止まっている時を旅と認識するか、についてですが意味は字の通りです。乱暴な言い方をすると、後者のグループには、バスのパック旅行を好む人があげられます。つまり、移動時間は、無駄な時間と考えており、観光地や観光スポットにいる間を旅と考えている人のことです。バスガイドの指示が出るまで、景色を見ることはなく、食べたり飲んだりしているような人です。

私は、そう言うのは、旅行と呼び旅とは思わないのですが。

ココでは、便宜上、移動中をも旅と認識する人を旅人(たびにん)止まっている間を旅と認識する人を旅行者と呼びます。旅と旅行の差違もこの分け方に準拠します。


◆旅人は、観光地でもそれなりに楽しめるのですが、観光地よりも、観光地の前後にある自分好みの風景を見つけだす方に楽しみを憶えます。観光地から、はなれ、ふらりと立ち寄った(迷いこんだとも言う)何気ない場所に、美しい風景を見つけだしたりするコトに喜びを憶え、路地裏の名もない神社に立ち寄ったりします。

反面、旅行者はバイクで行ったのにも関わらず、わざわざ駐車料金を支払い、団体旅行客の行列に混じって、観光地を歩き回り、記念館や資料館を巡り歩きます。観光案内や、ガイドブックは手放しません。また、ルート設定も判りやすい幹線道路から離れることもありません。

誤解無きように言っておきたいのは、別にどちらかを持ち上げ、片方を貶しているわけではありません。


◆上記にあげたとおり、あまりにも求める方向性が違う、違いすぎるのが、お解りいただけるかと思います。これでは、どうしたって、気持ちのいい旅が出来るわけがありません。どちらかが、血を吐くような思いで、堪え忍ぶしかありません。

まぁ、大抵、旅行者は鈍感で、感性に欠ける場合が多いので、我慢するのは旅人の方でしょう。私の場合もそうでしたし。

旅人の場合、気ままな旅を好むので、ほとんどの場合ソロライダーになっていきます。旅先で、一緒に走りませんか?、なーんて言う人は旅行者が多いはずです。マスツーリングも理解できないものですね、私にとっては。バイクの機動性と自由度を自ら放棄するのなら、マイクロバスでも借りた方が、地球と他の車やバイクのためになりますヨ。ソロライダーは、群れると言う動物としての本能が壊れている人たちなのかも知れません。

話がそれましたが、バイクで旅に出る。と言うのを趣味にしている人は少数です。ですから、職場や学校で見つけると、つい嬉しくて仲間意識を持ってしまいます。それは構いません。バイク仲間であることは間違いありませんから。しかし、そこから、旅の方向性が同じかどうかも、確かめる必要があるかと思います。また、移動のペースが同じか、嗜好と思考が似ているか、と言うのも重要なポイントです。

旅に出る。と言う行為には、解放を求めて。と言うのが少なからず、含まれているハズです。開放感を求めていったのに、逆にストレスを抱えるなんて、つまらない。どころか、ダメージ二倍です。繰り返しになりますが、旅行者には、鈍感で感受性の低いタイプの人が多いです。貴方が、もしくは貴方の同行人が、ストレスを抱えているとか、我慢しているなんて、考えてもいません。自衛するしかないのです。

観光地を巡ったり、ガイドブックに従うのも、一つの方法で、なんら卑下するつもりもありません。ただ、求めるモノが違いすぎるのです。胃がもたれてつらい人に、脂っこいモノを食べに誘っているようなものなのです。

私が、ココで述べたいのは、そうしたタイプの違い。求める方向性の違いを認識することで、互いに妥協点が見いだせるのではないか。と言うことです。双方の嫌な面でなく、良い面を見ることが出来、双方共に学ぶことが出来るのではないか。気の重い旅行を、楽しみな旅に切り替えることが出来るのではないか。

……ま、実際問題として、旅人の方は、一人の方が気楽で楽しいので、つき合いを止めてもまったく支障が無いどころか、嬉しくてしかたないのですが…旅人の方、相手を傷つける結果になっても、本心をうち明けるべきだと思います。それは、なるべく速い方が良いです。我慢の限界になってから言うと、恨みからもの凄いコト言ってしまいますから(体験談です)。

私は、旅行者タイプのライダーだ。と言う人は、雑誌のメンバー募集にでも応募して、マスツーリングに入れて貰うのが、一番解決法かも知れませんねぇ…それか、貴方の同行者を気遣ってあげて下さい。彼は、観光地に興味がないのかも知れません。合流場所を決めておいて、自由行動にしてみませんか。


◆ちなみに、私の理想とする多人数でのツーリングは、現地集合、現地解散です。

ゆったりと来たい人は、迷いにくい幹線道路を団体でのんびりと来ればいいし、峠で少し遊びたい人は、峠の多いルートを、観光したい人は観光ルートを、林道好きは林道を。それぞれのルーティングで来ればいいのです。そして、それぞれの土産話、良いカーブの峠や、絶景の林道、観光地の話を肴に一杯やるのです。

んで、翌日は、肴にした話に乗ってみるのも良し、さらなる新規ルートを切り開くも良し。良いなあ…こう言うの。

でも、旅行者タイプは、こういうスタイルは嫌いなんですよ。随時ベッタリと伴走してないと「一緒に行く意味がない」とか言ってたしなぁ。私にしてみれば、ドコも変わり映えのしない幹線道路を、車の渋滞と排気ガスに巻き込まれて走る方が、よっぽど無意味なのだけど。



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