葛葉ライドウVSアバドン王

悪魔との会話、そして合体という二大要素さえあれば、クォリティの高い作品が作れると証明した。
−成沢大輔(女神転生ファンブック邪教の館倶楽部/真・女神転生if…への評価)


 

アクションバトルのライドウシリーズ第二弾。前作も決して不出来ではなかったものの、様々な詰めの甘さが重なって、今ひとつ (メインストーリーは崩壊レベルでしたが)な仕上がりになっていたわけですが、今作は、システム、シナリオ、脚本(セリフ回し)、すべてにおいてハイレベル。傑作というには、パンチ力に欠けますが、良作、優秀作であることに間違いはない。

にもかかわらず、市場の反応が今ひとつなのは、金子さんのキャラ絵が、アニメ調でない。という点でしょうかねぇ。あと、イベントシーンでもポリゴン丸出し。どうにも、世の中は、と言うかゲームマニアとアニメマニアは、ほぼイコールで、アニメ調でないと、無条件で評価が下がる傾向にあります(逆に言えば、キャラ絵がキレイならば、評価が上がる。 あんなシナリオとシステムのP3がなぜにあんなに高評価なのか。とかね。)正直なところ、アバドン王のイベントムービーとかが、副島絵だったら、もっと評価あがっていたんでしょう かねぇ?。まぁ、そんなライドウは嫌ですが、バリバリのアニメ絵だったら、せっかくの大正怪奇浪漫な雰囲気が台無しですしね。

店によっては、ペルソナ3以下の値段で売られているアバドン王をみると、世の中間違っているとしか…逆に考えれば、お手頃価格で傑作がプレイできるワケなんですけども。
 




さて、今作の目玉システムである、MAGスケジューリングバトル。この出来が、予想以上にすばらしく、また、悪魔召喚士という設定とも、見事にかみ合っている力作。前作では、ただひたすら単調な殴りだけのアクションであったのだけれども、今作においては、MAGスケジューリングを考えて戦闘しないと、雑魚相手にも手間取るため、高レベルのでのダレが存在しない。

MAGスケジューリングバトルというのは、まぁ、かみ砕けば、敵の弱点属性を付いた後、攻撃することで、マグネタイト(一般的なゲームで言うMP)が吸収、回復できるというシステム。仲間の特技は、このマグネタイトを消費して行うため、MAGの回復を考慮しないで戦っていると、回復魔法すら使えない状況に陥ったりするし、考慮しておけば、強力な魔法を絶えることなく打ち続けることが出来たりする。高レベルでの単調化を防ぎ、かつ、低レベルでも上手く立ち回れば、ボスをも倒せてしまうという、非常に奥行きのあるシステム。この システムの完成によって、たぶん、ライドウシリーズは、ようやく軌道に乗った 、つまりはシリーズ化に耐えうると考えて良いだろう。

そしてもう一つは、原点回帰とも言える姿勢が見えること。ペルソナ3や超力兵団など、悪魔との会話を廃していく方向に走っていたのだが、今作において、ようやく、悪魔との会話戦闘が復活。この会話で仲魔にすると言う画期的かつメガテンの根幹を成すシステムなくして、メガテンたり得ることなど出来はしない。

また、前作では殆ど意味がなかった悪魔合体も、今作においては、やり込み要素になりえるクォリティ。前作においては、魔法の継承すら困難(スキルスロットの空きがない悪魔が多かった)で、合体で作る意味は、連打で仲魔にしなくても良い。と言った具合でしかなかった。今作では、通常の魔法などのスキル継承にくわえて思い出特技という趣向が加わり、いわゆる特性を付与できるようになり、合体を繰り返した仲魔であればあるほど、特技を多く保つ。つまり強い仲魔に出来る。という仲魔に愛着感じてくださいというシステム。逆に言えば、強い仲魔を作るために、逆引きで、思い出スキルを収集していくというやり込み要素にもなっている。

さらに、原点回帰の方向性として、選択肢の選択によって、属性変動があり、それによってシナリオが変化する。と言う真1の頃に戻ったかのようなシナリオ。そもそも、メガテンの骨子は、プレイヤーの属性によって、未来、すなわち結末が変革するという、真1などが 登場した頃には、すばらしく斬新で重厚なシナリオであった。つまりは、レールに沿って、物語を傍観するのではなく、物語にプレイヤーが関与していくという、ゲームのあり方を示したのが真1であったと。

シナリオに関しては、ライトな冒険活劇ノリであった超力兵団に対して、因習残る山陰を舞台にした、怪奇浪漫なノリになっており、この点でも、悪魔召喚士という設定にキチンとマッチングしている。前作では、大風呂敷を広げすぎてしまい、シナリオに矛盾どころか、崩壊していたわけですが、今作では、ポイントを絞り、地域も狭まった(と言っても、帝都の外に出られるので、エリア的には広くなってはいるのですが)反面、シナリオ密度はかなり深くなっており、本作を良作たらしめています。 属性によって、細かい会話のやりとりが変わっていくので、かなり作り込みを感じ取ることが出来ます。

また、遊び心の面でも、前作や、旧メガテンシリーズの設定を利用して、上手く遊んでおり、歴代のプレイヤーなら、ニヤリとするポイントがたくさんあります。かといって、前作のように、メインシナリオの根幹部を真1の設定に、おんぶにだっこという事はなく、知らなくても楽しめますし、逆に過去作に興味がわくかもしれません。と言うか、むしろ前作、超力兵団は無かったことになっているのではないかという、空気さえ感じます。捜査会議の会話の中で、前作ネタはキノセイか?みたいな落ちになっているあたりに。

ただまぁ、惜しむらくは、謎になってない謎で、引っ張ろうというところが一カ所あり、シナド関連で、ちょっと頭をひねるところがあります。

謎になってない謎。というのは、「神の婚礼」というキーワードに対して、ゲイリンやゴウトが、まったく予測すら出来ない。という事。そもそも、神との婚礼といった場合、殆どは、生け贄とか人身御供を意味し、比喩や符丁として扱われる事が多いのです。デビルサマナーという、そうした超常体との対決を職務とするものが、そうした因習行事において「神との婚礼」と言った場合、生け贄であると間違いなく察知するはず。そしてそれは、弾のセリフ「デビルサマナーなら、化け物に嫁に行かされる茜を助けてくれよ」と言う問いに答えに窮すると言うシーンでも明白。

でまぁ、本当の神性との婚姻の場合は、生け贄であり、神性として扱われる部族相手ならば、文字通り嫁(と言う名の人身御供)に出しているわけです。よくあるのが、不漁続きの漁村で、村娘の一人が海神と結ばれ、その婚姻の返礼として、村で魚が捕れるようになった。と言う民話は、ごろごろしています。これは、海神に生け贄を捧げるという事を正当化するための説話であると考えられます。また、鬼退治もの定番として、鬼や妖怪に娘を差し出すことを嘆いているところに、英雄が現れ、退治するという話。スサノオとオロチの説話も今パターンですが、これも、生け贄や人身御供の隠語としての婚姻に当てはまるでしょう。

そもそもにおいて、山中他界観をもつ日本人は、里以外、つまり山に住むものは、神か妖怪か物の怪か、として敬う反面忌避してきたわけです。祟り神を正しくまつるというのは、すなわち、祟り神を怒らせない。という事で、疫神が起こらなければ、本来起こるべきだった疫病が発生しなくなると言うことであったり、もっとポジティヴな思考だと、疫病の王である疫神の加護があれば、疫病が寄ってこない的な発想が根底にあるわけです。

略奪なんかで、根こそぎ持って行かれるぐらいなら、一定量を納めることで納得してもらおう。と言う姿勢でもあり、鬼と記載される場合の実情は、山賊であったり、山の民であったりすることが多い。

山の民と言うことで、先人なんですが、作中でも語られているとおり、異能集団は山、つまり異界に追放されている事が多い。と言うよりも、山に収容されていると言う方が正確か。鍛冶など、里にいるより山にいる方が原料の調達も簡単だし。イッポンダタラという悪魔が登場しますが、実は彼らは、逃げ出さないように、足を切断された、鍛冶師である。と言う説もあります。

とはいえ、当時の技術を考えれば、片足で鍛冶をおこう事は難しく(槌をふるうにも、片足では踏ん張れない)、捕囚の証と言うよりは、特異能力者の欠損という古代風習のが濃厚と思われます。ようは、人ならざる能力を持つものは、何かが多い、または欠けている。とするもので、遠くは、オーディンが片目と引き替えにルーン文字を読めるようになったりとか、鍛冶という魔法(当時の技術水準から逸脱した技術)を持つ彼らにも、当てはめられても当然かと。 東洋では、欠損は零落に繋がることの方が多いので、神から零落して妖怪になったという感じでしょうか。突き詰めれば、今ほど、用具が充実していないため、片手片足を失うような事故が多発しており、鍛冶師の多くはそうした負傷をしていたのかもしれません。 その欠損を、神の座からの転落と揶揄したのかもしれません。

異邦人を、異形つまり鬼として迫害するのは、古代では珍しくないわけですが、自分たちから見て、オーバーテクノロジーを持つが故に、自分たちより下位に置くことで、自尊心を満たしていたのでしょう。

神の存在が、それほど信じられなくなると、山人たちは、動物へと転化させられていきました。たとえば、鶴の恩返し。お礼にと、機を織るワケですが、機織りも、立派な技術ですし、高く売れた。と言うのも、おそらくは、異文化の技術がそうさせたのだと考えることも出来ます。

次いで言うならば、動物婚や妖怪婚は、異種族との婚姻であることが多く、この場合の異種族とは、山人を指します。多くの説話では、山で、動物を助けたら、その動物がお礼にやってきて、ついには結婚、子を儲けるが、ふとしたことで正体がばれ、山に帰っていくという。山人であると発覚し、山に返された。と見るべきでしょう。これは、山人の女性が嫁入りした例ですが、逆に、里人の女性に、山の男性が通った場合、妖怪や悪神として退治される話が多く、これは、男系の男子優先が長く続いている証拠でしょう。つまり、里人が父親なら、子も里人だが、山人が父親なら、子も山人という発想です。
 


話がだいぶ脱線しました。シナリオ全般を見ても、人捜しという簡単な事件に端を発し、運喰い虫というオカルト事件へ発展、その手がかりを求めて因習残る山陰へ。そして、世界を、揺るがす事件に。と言う発展性もすばらしく、この先どうなるんだろうと、久々にわくわくしながら、進めることが出来ました。個別の事件と思わせながらも、根底で一つにつながっていくあたり、なかなかやるなぁ。と思わせるシナリオ力です。

突きつけられる選択肢、ひいては属性の変動も、安っぽいヒロイズムではなく、正解はない、だけど、間違いもない。と言うような問題と解決方法突きつけられる、大人のゲームでありました。 己を殺して、他者の幸せを望むのか、己の幸せのために、他人を踏みつけるのか。アバドン王のテーマは、ここにあると思います。青臭い理想論を叫んで終わるライトノベルとはダンチさんです。まさしく、生き様が、属性として確立していく。そんな課程を体験することが出来ます。

また、シナドとの対話において「ライドウの視線を通じて、この景色を見ている」と、直接、プレイヤーに問いかける手法は、モニターの中の出来事、つまりは、舞台と客席という絶対に崩せない境界ではなく、プレイヤーとキャラクター視点の同一化を明言したものと言えます。フェイブル2など、プレイヤーの軌跡が物語に。と言うタイプのゲームが増えてきて、ようやく、ゲームとはプレイヤーとキャラクターの視点が同一として描かれるべきと言う自論が認知されてきたと言うことでしょうかねぇ。

単発クエストというか、サブクエストである、各種依頼も、ちゃんと探偵している依頼などもあり、悪魔会話から依頼が発生するなどの趣向も十分。こっそりと、属性にも関与しており、作りの丁寧さを感じ取れます。

で、問題点というか、すこし首をかしげるのが、シナド関連なんですけども、言わんとすることは分かるけど、なんかよく分からないという。詳細は、ネタバレエリアで書きますけども。こう、イメージとしては、「噂が現実になる」と言う着想は面白かったけど、着陸地点が定まらず、胴体着陸したら、爆砕しちゃったペルソナ2ほどではないですが、運喰い虫で、少し大風呂敷を広げすぎて、やや軟着陸した感じを受けています。問題のある着陸ではないのですが、それまでのフライトが絶妙なほど上手かったので、余計に荒さが目立つという感じ。

まぁ、とりたてて、矛盾などはほとんど無いですし、私にしては、珍しく、ネタバレクレームエリアや、こうした方が良いんじゃない?ってのは、かなり短くなると思います。んー、矛盾というか、運喰い虫に運を食われて、お祓いで回復するっていうのは…まぁ、ゲームシステム上仕方ないんですけども。そんなあっさり払えるのならば、葛葉とヤタガラス総動員で払うとか、出来そう。ぐらいでしょうかね。

あとはまぁ、おおむね予想通りの展開でしたので、コレは一本取られた。という、どんでん返しと言うか、予想外の展開が無かったのが、不満と言えば、不満ですかねぇ。そのため、ややパンチ力というか、インパクトに欠ける感じがしています。これで、パンチ力があれば、間違いなく傑作だったのですが。

P3のレビューに書いたのだったかな。アトラスに思い出して欲しいこと。のほぼ全てが、盛り込まれており、盛り込まれた作品の出来がよい。というのは、うれしい限りです。まぁ、自分好みのものになるのだから、当然と言えば当然ですが。

あ、ライドウと言えば、麻雀なわけなんですが、コレ、実は意味があります。実は1920年代に、オリエンタルブームから、麻雀が世界的に大流行し、原料である牛の骨が足りなくなったぐらいです。で、20年代の日本というと、丁度、大正時代なんですねぇ。まぁ、スタッフが意図して入れたのかどうかは分かりませんけど。

システム的な欠陥というか、作り込み不足として、今作では、武器タイプが、刀、槍、斧となっているのですが、まぁ、斧はともかく、刀と槍の区分がイマイチ。

槍は、前方のみだが、攻撃回数が多い、刀は、全周に攻撃が出来る、斧は溜が居るけど大ダメージみたいな特性なんですが、ライドウの戦闘システムでは、まず、敵に囲まれるとか、同時に複数の敵を攻撃する。と言うシチュエーションが無く、刀でも槍でも、単体のみになりがち。と言うか、この特性が出る強攻撃が、MAGの消費量とダメージの採算が取れてない。

面白い試みであったものの、今ひとつ練り込み不足かなと。槍がスピードタイプってのも、私は嫌いなので、槍は、遠距離に、ほどほどの大ダメージが出せる。突き→払いの二回攻撃のみ。刀が現状の乱舞系。斧のガードクラッシュって感じだと、良い感じになると思うのですが、どげなもんですか。




 

 
マニアクスシナリオは捨てて良い出来なので、音楽CDのが良いと思います。













さて、ネタバレエリア突入します。











実は、シナリオ関連において、謎の部分とか、納得行かないところって、あんまり無いんですよね。シナドの存在そのものが、やや曖昧。というぐらいで。おそらくは、シャドウの集合体、というか、集団的無意識でかつシャドウ(心理学用語のね、スンゴイかみ砕くと、負の意識)であろうシナド様が目指す世界とは、結局のところ、感情は不要、魂の抜け殻のごとく、生活すべし。と言う、極LAW(厳密にはdark−law、我がの独善的な法律を押しつけての 独裁的な支配)なんですけども。

元来、lawサイドの思考を突き詰めると、意志決定権を放棄し、その責任から逃げ出したい。という潜在意識にたどり着くわけで、一神教の、すべては神の御心のままに。というのは、神がすでに設定したものは、変えようがない。それが宿命というあきらめにも近いわけで。すべてを神にゆだねると言うことは、すべての責任を神に投げ出すという事でもある。と。

自己を捨て、社会という他者に奉仕すると言うのも、社会生活を重視するlawの美徳でもあるのですが、シナドにはそうした面が見られないので、DARK-LAWだなと。

まぁ、ムリにあげるとすれば、弾のアバドン王計画と、サイファー氏のプロジェクト、そしてシナドの便乗と、三軸が絡み合っているので、ちょっとわかりにくいかなと。ラストダンジョンでの魔人ラッシュで、辰巳の悟りが、今ひとつわからんなぁ。ぐらいかなぁ。アポリオンとシナドの関係も今ひとつ。 別に、アポリオンはシナドの使い魔というワケではないと思うので、弾のアバドン王計画に便乗する形で、無限奈落を残したんであろうと。

ラスダンの弾と茜もちょっとかわいそうっちゃ、かわいそう。あれだけ見栄きって、飛び込んだのに、やっぱり、負の部分に負けて、巨大化してライドウに挑むと言う。まぁ、人の心は、かくも弱いものなんですけどね。

私にしては珍しく、脚本、セリフに関しても、特に不満に思うこともなかったですし。 逆に考えさせられる出来のシナリオは、ものすごい久しぶりです。他人のため、社会システムを維持するために、己を殺すのか、己のために、結果として他人を踏みつける。どちらかをしなければ、幸せが掴めないとするならば、どうするべきなのか。

答えのない問題です。攻略本とか、攻略サイトを見ながらの作業プレイでなく、自分自身に降りかかったならば、どう答えるか、どう答えを示すのか。「ライドウを通じて、この景色を見ている人たち」に、ライドウを通じて己の生き様を示してもらいたいと思います。




…なんか、ヘヴィな〆に耐えられない。先人の住居って、ノクターンの地下道のマネカタ街に似てるよね。水路を挟んで、上下二階建て通路。どちらも、迫害されている。ノクターンのスタッフが絡んでいるのかしら。そういえば、プラス版を買ったので、ノクターンマニアクスクロニクルエディションもプレイしたんだけど…追加シナリオ、ダメダメすぎ。ぐだぐだ通り越して、グズグズといか、ぐにゅぐにゅというか。光と闇の悪魔って、なんだそのわかりやすい二元論持ち込みは。せっかくのメガテンワールド台無しだ!。ライトノベルに墜ちるな!。マジデ、ノーマル版買うんだったと後悔しております。サントラの方がよっぽどいい。

あと、あれだ。歌舞伎のように名前を引き継ぐのなら、屋号あった方が良いのではないかと。葛葉"信田屋"ライドウ。葛葉"桔梗屋"ゲイリンとかね。まぁ、どうでも良いネタ。最近のケータイは、もうポケットロン(トロン=コンピューター)だよなー。ケータイでDDS走りそうだ。ケータイで悪魔召喚するジュヴナイルとか思ったら、デビサバ発表されて、やるなアトラスってなもんです。
 



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