サークルメイト
(18禁98、リメイクはwin版)
ぼんびぃぼんぼん。と言う会社だったけど、リメイクのwin版は、別の会社から発売されていた。98版は随分と古いゲームで、発売は何時だったかな。ともかく、ふらりと立ち寄ったソフト屋で目に留まり、そのまま購入。当然、発売されてから、かなり日が経っていたので、新品ながらけっこうな割引がされていた。
ソフトハンティングは大成功。知人、友人に勧めまくり、軒並み好評を得て、眼力を評価されたものだ。つーか、勘で買ったゲームにハズレがないのが、私なんだけど…期待して買うと外すんだ。ともあれ、これも地に埋もれた名作の一つだと思っている。
さて、内容は、と言うとホームから飛び降り自殺したサークルメイトの謎を追うミステリータッチのサスペンス。と言いたいのだけど、実はあまり追わない。主人公は、ただの高校生で、よくある探偵モノの様に警察はお人好しではない。サークルメイトの死に疑問は感じていて、自分なりに調査はするのだけど、その程度の調査モノ。
ひたすら、主人公を含めた登場人物にモラルや良識が存在せず、かと言って殺伐とはしていない。自分達が異常性癖であることは認識していて、それでもなお、そんな自分が好きだと言い切っている点に、清々しささえ感じさせるのではないかと思う。自己の特異性、異常性を認識し、それに溺れることなく、社会とつき合っていける。立派だと思う。
所詮、モラルや良識なんて、自分を押し殺すための言い訳や、偽善に過ぎず、自分の欲望を押しとどめるタメの薄っぺらな扉でしかない。性産業やアダルトビデオのシチュエーションだって、実はそうしたアンモラルなシチュエーションばかりが受ける。それを望む自分を差し置いて、このゲームのシチュエーションに首を傾げるならば、自分を偽っている。
主人公の恋人(ヒロイン?)もまた、その理性の扉を壊しかけていた。そういう事に気がつかずにプレイしていると、インターミッションで妙なオヤジの出てくる、奥様サスペンス劇場もどきの駄作。と言う評価に落ち着く。
どんなアンモラルで背徳を行っているかは、プレイして貰うとして、もう一つ、評価できる事がある。密かに主人公は超能力者だ。私と同系列の受信のみマインドリンク能力者、俗にエムパスと呼ばれる能力者だ。他人の感情が流れ込んでくる事に苦悩、苦痛を憶えたり、病院をたらい回しにされて、精神病院に落ち着いたりとか、現実に超能力者がいたら味わうであろう疎外感を上手く表現している。
そして、主人公も自分の能力を疎ましく思い、性癖も異常である自分を嫌っている。エンディングの解釈は、色々あるだろうし、98版のマニュアルにも、これだけアンモラルな事をしておいて、実はテーマが愛でしたと言うつもりはない。と書いてある。
私は、彼が自分の能力を認め、自分を認め、自分を好きになれた結果ではないかと思う。「これでいいんだよな」と呟くのも、自分を好きになって良いんだよな。と言う事だと思う。そもそも、主人公が調査を始めたきっかけは、もしかしたら自分が追い込んだのではないか。と言う強迫観念からだったのではないか…そんな気さえする。
知人、友人に勧めるときにも、レビューという形は取らず、ただ「面白さは保証する」と言ってやらせていた。言葉にすると、価値が下がってしまうような気がしていたから。私という通訳を通さず、直接メッセージを感じ取って欲しい。早朝5時に電話がかかり「サークルメイトCG100%達成」と報告してきた友人もいた。私は、脳が寝ていたので、リアクションが取れず、友人は悲しげな「あ」と言う声を残し、切ってしまった…すまん…つーか、そんな早朝からリアクション取れるか(笑)。
ただし、今プレイするとさすがに古さは隠しきれず、CGも当時は上手い方だったのだが、現在では下手な部類に入れられてしまうだろう。パソコンのスペック差もあるのだけどね。
一つ一つの事を考えながらプレイすると、これほど深いゲームはなく、ただ物語を追うと、火曜日の奥様サスペンス劇場並みのストーリーでしかない。お持ちの方は、今一度、考えながらプレイして欲しいと思います。
98版とwin版の違いは、青少年保護条例の影響で、学校の校門から、年齢を特定する文字が消えていたり、かなみのセリフが変わっていたりするぐらいで、あとはほとんど同じでした。
マニュアルを見るために98版のパッケージを取り出したら、アンケートハガキが入ってた。当時はまだ、文章を書いてない頃で、上手く思考をまとめられなかったからなぁ…出しておけば良かった…元ぼんびぃのスタッフ見ていたら、感謝してます。こんな良い作品を出してくれて。
オカルトではないのだけど、超能力について。
欲しがる人は多いと思うけど、実際にあると不便この上ない。スプーンを曲げるようなPK(サイコキネシス)系ならば、まだ良いだろうが、ESP系のテレパスやエムパス、サイコメトリーなんて、ろくな事はない。流入する感情を、自分で遮断できれば良いが、それが出来るなら、受動系の能力は覚醒しない。相手の動向にびくつきながら、人間関係を構築するような人間でないと、受動系能力は発現しない。
相手を傷付けているのでは…と脅えながら暮らしている人だ。もしくは、感受性が豊かすぎて、共感しすぎてしまう。と言うパターンもあるだろう。ゲーム中でも語られるが、他人の意識が流れ込んでくると言うのは、とても不快で、映画「スキャナーズ」で「額に目をかいていれば、奴らは脳に入って来れないんだ」とスキャナーズが証言するシーンがある。
私も、尖った鉛筆を眉間に突き刺す。そうすることで、頭の中の霧が、抜けていくのだ。眉間には何かがあるのかも…って、アジナーチャクラ。チャクラ6があるのだけど(笑)。
ちなみに、サイコメトラーエイジは、サイコメトラーではない(笑)。アレはもうテレパスです。物や場所に残っている残留思念や、魂の緒をたどるのがサイコメトリー。相手と意識をつなぐなちゅーねん(笑)。主人公だから、活動的なのはしかたないと思うけど、実際に、サイコメトリーやエムパス能力者は、内向的で人付き合いが苦手な人でしょうね。見たくもない他人の心を見てしまう人たちが、外向的な訳ないし、おいそれと人を信用できるわけもない。
自分の能力を認め、自分を好きになり、自分の能力をコントロールできるのかも知れない。不思議体験アリビリバボーに出てくる、中年女性の霊能者のように…あの人は本物だと思うわ。
時にテレ(遠距離)のパス(意志疎通)ならば、電話も十分にテレパシーなんだよね(笑)。ちなみに、テレパシーは発信(自分の感情を相手に伝える)、エムパシー(エンパシー)は受信(相手の感情を読みとる)と言う分類があります。
加えて、思考を読みとることは誰にも出来ません。多分こうしたいんだろうな、と言う漠然とした意識や、感情ならばキャッチできます。と言うのも、脳の神経回路パターンは個人で異なるし、思考に利用する基本言語も違います。共通言語で思考しないと、テレパシーと言えど、異文化コミュニケーションは不可能なんですね。
では、なぜサイコメトリーは起こるのか…体験上、感情だけならば感じ取れます。ドラマ「ミレニアム」のフランク・ブラックの様に、映像まで見ることが出来るかどうか…ただ、私が感情を拾ったときも、感情が色として見えたので、高位の能力者なら映像が見えるかも知れません。視覚だけは、どんな脳でも共通に認識できますから。ミレニアムが好きなのは、フランク・ブラックがちゃんと受動能力者しているからです。そのシーンの映像と感情は感じ取れても、犯人の心理までは分からない。そんな不完全な物ですわ、超能力なんて…存在有無を議論する価値もない物ですよ。
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