一言で言ってしまえば、80年代に戻ったかのような、シナリオもどきと、システム。フロッピー時代のアリスソフトがこんなゲームをよく出してましたなぁ。
惑星間航行船の事故で、無人惑星に放り出され、そこから脱出をはかるという設定。ランダムマップを歩きながら、地形ごとに得られる物の異なる食料、物資を集めつつ、食料から食事を作り、物資から機材を作り、脱出を試みる。
と言う、これの売り口上だけをみると、遊び甲斐がありそうで、何度もプレイできる感触を受けます。
が、ラーメンに例えると、背脂の浮いたしょう油豚骨。胃袋にドシンと来る重さと濃さを期待して、さー喰うぞ。と一口スープをすすったら、お湯寸前の薄味。麺を食べれば、伸びる寸前で腰が無く、チャーシューだけは、ゴムのように固い。そんな感じでした。気持ち的には、二度と来るかこんな店。
薄味の理由としては、まず、能動行動が出来るようで、出来ることはほとんどない。イベント消化しないと、好感度は上がらない。ひたすら、食料と機材を回収して、話しかけて好感度上げるだけの単調な完全なる作業プレイ。そして、イベントらしいイベントは、ほぼ無いので、プレイの単調さに拍車をかける。例えば、好感度上昇イベントとして、期日までに、アレを作って。とか、最前半以外無くなる。
シナリオと言うには語弊のある、単なるイベント集。本当に、ただ脱出するだけで、伏線のように、星間航行船の事故は、まずあり得ない。と言っておきながら、作中でその謎を解く。どころか、触れる事もない。おまけコーナーの解説ゾーンで、事故背景を解説するという、卑怯にもほどがあるやり方が横行してますなぁ。このやり方 は、言ってしまえば巻末の袋とじで「トリックの解説」をしている推理小説のようなもの。読者への挑戦状みたいな作りならまだしも、本編内では、犯人から逃げるのに手一杯で、動機もトリックも解明しない探偵に意味があるかというと、まったく無い。ライターとして恥ずかしくないのかなぁ。 シグマハーモニクスもそうなんだけど、作中で、設定説明できないなら、シナリオライターを名乗るなと言いたいほど。物語的な盛り上がりもなく、伏線も消化されず、謎らしい謎もなく、ただイベントを消化するだけ。こんなので、腰のある麺になる訳がない。
おまけに、二人で脱出するもよし、惑星に骨を埋めるも良し。とか言う割りに、それらの終わり方に、なにか特徴があるかと思えば、全くなく、ただの能動的に選べるバッドエンド (ゲームオーバー)でしかない。パートナーを選んで、現地で家庭を築く。ぐらいのエンドは用意しようよ、マジで。こんな物をマルチエンドとして主張するなら、もう一度、勉強し直した方がよい。真説猟奇の檻の1か2。河原崎家の一族1あたりは、マルチエンドかつルートの選択が多彩で、教材たり得る出来。本当に、この辺りは、しっかり 勉強して欲しい。
褒めるべき所は、へんなサバイバル本の丸写しセリフが全くない事。ここは、共感もてた。この手のサバイバル物だと、受け売りの知識を自慢げに披露するタイプは少なくないので。おまけの楽屋裏で、水の確保にも四苦八苦して、合間にHなコトするゲームやりたい?。見たいな事を言っているのですが…水の代わりに資材なだけで、そのままのゲーム作りなんですけど………
補注:なぜかは知らないが、オマケコーナー等で「そんなゲームやりたくないでしょ」と言っている人に限って、そんなゲームを作っている不思議。フーリガンでも「無意味は選択肢は作りませんでした」と言っていたのだが、2-3個無意味な選択肢があったりする。
そして、単調なマップ移動と、イベント起こすために、執拗に会話を繰り返し、同じマスにNPCを呼び寄せる。加えて、何日か周期でベースキャンプに呼び戻されるので、開拓作業の作業感は非常に高まる。とてもじゃないが、何度も繰り返し楽しめるってレベルじゃない。味のない固いゴムのような肉をカジカジやらされている感じ。
シナリオになってないシナリオも問題で、トリオンは、絶対に遺跡起動のキーとして、作中に登場させるべきであり、というか、トリオンこそが、古代船の航行ユニットのコアであり、AIに近い存在。だからこそ、同型本体のある惑星にジャンプすべく、事故を起こした星間船の航行ユニットに侵入したが、現代船のユニット側が過負荷に耐えられずオーバーロードして爆発し、事故へ。そして、事故寸前に、かろうじてジャンプだけはさせた。とすれば、伏線になるうえに、全ての事件が一本に繋がるじゃないか。
最悪、このくらいの謎解きは含ませないと、シナリオとしての盛り上がりが全くない。というか、シナリオとして成り立たない。各NPCとの絡みも非常に薄く、各人の悩みとかなんとかを打ち明けつつ、うち解けつつ、恋仲になるとか言う描写もなく、単に快楽用つーか、肉出てきたオナホ扱いという 、どう見ても強姦なのに、なぜか許しちゃう(はぁと)。さらに相手は惚れてくれちゃうと言う。なんだ、この掘り下げ力の無さは。そして都合の良すぎる設定は。というか、こんな設定、ホントに80年代の設定だよね。アリスのランスシリーズとか。個別エンドもないしねぇ。
システム的にも、ほんとにできる事は限られていて、単調。せめて、好感度が一定なら、こちらからHに誘えるとか、ミズンの所に、通って種付けしまくるとか、なんか行動に幅が欲しい。ノルマイベントも中途半端だしなぁ。好感度が上がるほどに、勘九郎を自分の物だとアピールするために、無理難題を押しつけてくるとか、なんかイベント無いと単調すぎる。
シナリオ的、システム的に、本当に、本筋は単調な一本道、尚かつ、盛り上がりもなく、謎すらなく、小難しい条件を探して、レアなイベント探し。と言う、2000年代を象徴するゲームですなぁ。コンシューマーは、ムービーに頼り、エロゲーは、原画師の人気に頼る。本来の意味のやおい(やまなし、オチ無し、意味無し)のレベルに後退しております。ゲームというか、創作界における大暗黒時代ですな、2000年代。 しかも、これでシナリオに定評があるって看板だったりして、SNSで酷評したら、信者に噛みつかれたけどまぁ最後は、捨て台詞で根拠のない勝利宣言と共に去っていく、その手の人のいつものパターンでしたが。
ゲーム界におけるルネサンスが必要なのかも知れない。まともな本を読んで、ちゃんとした知識を身につける以前に、ちゃんとしたゲームとは何か。と言うモノをもう一度考えなくてはならない。最近の大学では、ノートの取り方や、リポートの書き方という講義が必修となっている大学もあると聞く。ほんとうに、知恵の低下は甚だしい。どこぞの教授も、ペーパーテストには強いが、発想力や独創性、研究力のない二流学者ばかりになりつつあると嘆いていた。
さて、ルネサンスと言うには、歴史の浅いゲーム界ですが、私が知るゲーム界の黄金期は90年代半ばであろうか。特に、96-97年あたり。この時期は、限定された容量(CD1から2枚だったか。これより以前はフロッピィディスク5枚とか言う時代)、ムービーなど入れよう物ならハングしてしまう事必須の低いマシンスペックをいかに克服し、ゲーム性を成立させつつ、何でユーザーを魅せるかといえば、物語で魅せる必要があったため、創作面への努力が最大限に必要とされた時代であった。
過去の叡智をみよ、安易なムービーに頼る事をやめ、シナリオで魅せるのだ。過去から未来を学ぶ事が歴史の根幹である。キャラが立っているから、話が転がるのではない。話が巧みだからこそキャラが立つのだ。平易な物語では、キャラの立てる場所など半畳もない。声も同じ。声は肉付けに過ぎず、骨格のないキャラに肉だと付かないのだから。
願わくば、古代の叡智を観照されんことを。それこそが、知識への門の案内人であり、冥夜を照らす灯りであり、門を開く鍵となろう。その鍵は、誰しもが手にしていることを思い出して欲しい。
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