デザイア


当時は、マルチキャラクターシステム。とか言って、同じ事件を別キャラクターでプレイし、別の視点から事件の真相を知る。と言うシステムで画期的とされたシステムだった。イヴ−バーストエラー−など、シーズの定番システムとなったほどだ。別段、このシステムに異存はない。

問題は、シナリオである。

タイプ分類はあまりしたくないのだが、分類するならば、ハインラインの『夏の扉』に代表されるような、タイムパラドックス物。と言うことになる。この手のプロットで、一番重要なのは、発端となるきっかけである。

ワケも判らず事件が進展し、その事によって主人公に災いが訪れる。しかし、そのきっかけを起こしたのは、実は自分自身であり、事態を好転させるために必要な事だった。と言う結末で「ああ、なるほど」と言う事になる。

この手のシナリオは、起因にこそ比重というよりは、起因こそ全てなのだ。

しかし、このデザイアのパラドックスの元。ティーナは、一体ドコで生まれ、両親は誰で、どうして時間の無限環に取り込まれたか、全く説明がされていない。妖精か、精霊か、その類なのだろうか。

幼いティーナはどこから来たのか、マルチナの娘が死んだときから、始まっているとすれば、自分自身を産むことになるのか。それとも、マルチナが飛ばされたとき、副作用で、若返っているか。だとしたら体細胞に異常がある。と言うのもつじつまが合うワケか。しかし、エレナは成長しなくなったんだよなぁ。

起因もなく、結末もない、ただの無限環に閉じこめられた救いのない、救われない人々の物語。それが、デザイアである。

もう発掘級の作品なので、誰も知らないかも知れない。最近のリメイク(と言うより再販)ブームに乗って、また市場に流れているかも知れない。だが、禁断の血族から始まるこの会社、ゲームとしても、物語としても駄作なのである。いわゆる抜きゲーで。当時から、私の評価は、CGだけの会社であった。

ただし、シーズウェアって、人物のかき分け、性格描写が、ずば抜けて高い。故にキャラ萌えを発生させやすいので、ちょっとした、まともなストーリーがあれば非常に良いゲームに化けるのである。これと同じ現象を起こしたのが、トゥハートや、カノンとかである。シナリオは崩壊しているが、キャラ萌えで保たせているに過ぎないのだ。

私は、このデザイアに、感動よりも怒りを感じた。そーじゃない。絶対に、そうじゃない。そうでは、いけないんだって言う怒り。

今でも思い出すと、腹が立つ。人間はそうではないはずだ。マコトにも、カイルにも、マルチナにも、大きなティナにも。明日を信じないモノには、未来はない。たとえ朝を迎えても、それは明日ではない。

楽観的と言われても、そうじゃなきゃ、いけない。何しろ、明日が確実に来るかなんて、誰にも分からない。何秒後かには、俺は死んでるかも知れない。時間の連続性なんて、いつ切れるか分からない。

それが事故であり、事件である。それを本能的に知っているからこそ、明日を信じなきゃいけない。大きなティナも、明日を信じて、アルと一緒に装置の中に入って欲しかった。明日を信じないモノには、未来はない。たとえ朝を迎えても、それは明日ではない。昨日と同じ今日だ。

酔生夢死でも、
(2001/11/15)で、似たようなことを書いているな私は。私にとって、明日を信じること。それが救いなのかも知れない。


悲劇的結末について

凄惨な結末、アンハッピーエンド、そんな事で終わるから、悲劇なのではない。それはただの残酷劇である。と私は思う。だからと言って、無邪気に、無意味に「めでたし、めでたし」で終わることを是とも思わない。

やるせなさと、無力感で事件の結末を迎えたとしても、物語の結末は、未来を感じさせる物であるべきだ。人々は救われなくても構わない、ただ、物語に救いの見える、救いを感じさせるモノであるべきだ。その僅かに表現された希望や、救いの見える結末が、シナリオ、ストーリー全体の余韻となるのでは無いか?。感動を呼ぶのではないか?。

エンドロールの「to be contineued....forever」って、言うのが気に入らない。

ハッピーエンドもいらないし、悲劇的結末でもかなわない。だけど、救いのない結末はいらない。誰も救われない結末など、バッドエンドと言う以外ない。希望を残して終わることが、作者の使命だと思う。

マルチナとアルが「もう一度会える」と言うのも、ほのかな希望ではあるが・・・あきらめに似た希望は、絶望と呼ぶのだ。と思う。悲劇的結末とは、やるせなさを残すべきであり、絶望感を残すモノではない。デザイアの結末では、絶望しか残らない、登場人物全てに絶望だけが残されている。それはやはり、絶望劇で、悲劇ではないと思う。

繰り返しになるが、登場人物は救われなくても、観客には何か救いを感じさせる。それが悲劇だと思う。ただ救われない終わり方をするだけなど、全くの無意味だ。

もしかしたら、マコトが装置を完成させることで、全てが好転するかも知れない。と言うことに救いを見いだせ。と言うのかも知れないが、マコトの目的は、カイルである。ティーナとアルが閉じこめられた時空の狭間に接続することが目的ではない。それに、アルとティーナを救い出したら、装置の存在そのものが消え失せてしまうかも知れない。だから、私は装置は完成しないと考える。だから、救われない。

…そう、何か違和感を、悲劇モノのクセに、悲劇らしくない、違和感が分かった。誰も、自分が悪いと思ってないんだ。自分が正義だと思ってるんだ。ピカレスク(悪役主人公)でも、エンディングに怒りを感じたことはない。なぜなら、彼らは自分が悪であることを知っているから。悪であることを知りつつ行動しているから。

世の中の最大の悪党は、正義である。これを信じ、疑わないモノは、正義の名の下に、どんな悪党も思い浮かばない残虐な行動をとる。眉一つ動かさず。罪悪感よりも充実感を感じながら。だから、このゲームの登場人物は皆、悪党である。

私が推奨できる悲劇は、OVA「機動戦士ガンダム0080ポケットの中の戦争」である。一級品の悲劇であり、切なさと、やるせなさと、無力感に満ちた結末であるが、どこか清涼感さえ感じさせる、不思議なエンディングである。アル(奇しくも、主人公の名前が同じだ)の涙に、何か希望を感じさせるエンディングなのだ。

ガンダムだから、アニメだから、と避けていた人は、一度見て貰いたい傑作である。


キャラクターの矛盾


マルチナ
マルチナほどの聡明な人ならば、最後の手紙にもっと書くべき事があるはずだ。成長した自分がどこの国にいるか、どこの場所に出たか。いつの時代に出たか。それを伝えれば、迎えに来てくれるハズなのに・・・あ、時間軸がずれてるのか。

しかし、巨大装置を完成させて、運命を変えようとしようとしている割には、運命の流れを変えまいとしている点も多い。本棚の書物とか。初等物理だけではなく、初級のロシア語などを混ぜていれば、だいぶん運命は代わるのではないだろうか。一緒にポッドに入るという選択肢もあるし、ポッドの開閉機構を強化しておく、と言う手もある。本棚に武器を隠しておくこともできる。

なにより、単純に抜け出したければ、自殺という手もある。が、自殺できないほど、アルに会いたいのだろう。そこが感動のポイントかも知れないが…どうしても、行動主旨に矛盾が多く、また無駄が多い。時間という神の領域に手を出そうというモノが、これほど愚かで良いのだろうか?。


カイルとマコト
マコトとカイルへの怒りがまたこみ上げてきた。このやり場のない怒りはどこへ。マコトシナリオなんだが・・・・いや、腹が立つというか、嫌悪感というか・・・カイルもマコトもアレはないと思うぞ。やってて、キレそうになった・・・カイルにも、マコトにも。カイルの言い分は非常に矛盾している。人間って、そうじゃないだろ?。って俺は思う。まあ、単に俺の倫理観と合わないだけの話だと思うけど・・・まぁ、ここまで感情移入させたのだから、向こうにしてみれば、してやったりと言うトコかな(笑)。あー、でも、これ書いてたら、また腹たってきた。

私は男なので、何とも言えないが、レイプ犯が二枚目でテクニシャンだったら、女性は惚れるのだろうか?。私の知っている女性は皆、肉体的な繋がりよりも、精神的な繋がりを重視する。男性はセックスが目的であることが多いが、女性には課程であり、途中経過でしかないのだ。

例えSMだとしても、サドとマゾの間に、恋愛関係以上の信頼関係がなければ、成り立たないはずで、相手が誰でも良いから、痛みが欲しいのは、マゾではなく、痛覚嗜好癖とでも言うべきだ。

百歩…一万歩ぐらい譲って、被害者心理により、カイルのことを良い人と思いこむ、防御反応が働いたとしよう。これは籠城時人質となった人によく起こる精神状態で、異常な環境から逃避するため、犯人を、優しい良い人だと思いこむのである。ストックホルム症候群というらしい。

これが働いたとして、レイプされたと言う精神的苦痛から逃避するために、カイルを良い人と思い込み、自分が好意を持っていると思いこんでいるのならば、軍人(諜報員)であるカイルは、ヤルだけヤって、搾り取るだけ搾って、マコトを捨てるだろう。なお、悲劇的ではないか。

別段これが、ヤルだけの抜きゲーならば、文句はないのだけどね。



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