ネクロノミコン

そは永久に横臥せしも、死せるにあらず。死もまた死せるものなれば。


ラブクラフティアンからは、意外と評価が高く、傑作、名作。と諸手をあげて、賛同される作品です。

が、とんでもない。翻案と銘打っているならばともかく、まんま『インスマスを覆う影』のプロットの移植を移植しただけの盗作まがいの作品であり、コレが完全なるオリジナル。と言うのならば、ディズニーの「アトランティス」でさえ、オリジナル作品と言えるでしょう。

ナニより、ネクロノミコンを単なる一族の歴史書扱いにしていた記憶もあり、このネクロノミコンを、オリジナルの世界観を活かしたと言うならば、映画「キャプテンスーパーマーケット」や「マウスオブマッドネス」でさえ、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(以降HPL)の世界観を正確に再現した。と言えます。あれにも、ネクロノミコンが出てきますからね。

ストーリーは、憶えていませんし、思い出すために再プレイしたいとも思いません。主人公は、インスマスを覆う影と同じく、一族の歴史を紐解くために、先祖の故郷、アーカムを訪問します。そこで、自分の出生の秘密と、アーカムの街の秘密を知る。HPLの小説そのままです。ただ、インスマスをアーカムと置き換えただけです。

ギルマンハウスと言った、原作を読んだ事のある人がニヤリとする容易もしてありますが、進めるに連れてニヤリとするより怒りがこみ上げてくる仕掛けになっています。変にクロスオーバーさせて、チョイ役なのに、堂々と「レスリーニールセンの裸のローマ帝国」と言う様な売り込みと同じです。同人小説で、良く知った名前が出てきて、ニヤリとするにすぎないのです。

換骨奪胎、翻案、テーブルトークのシナリオ、として提出されたのなら、私は良くできた話だと、諸手をあげて褒めるでしょう。同人でもです。ですが、まごうことなきプロの作であり、形と技法はどうあれ、創作で糊口を凌いでいる人のするべき事ではありません。

コレだけ、プロットを丸写ししておきながら、シナリオ構想にン年とかンヶ月と言うのであれば、創作の資質はないと言って良いでしょう。その証拠に、レッドゾーンブランドは、企画と構想年月の割に、ゲームの評価は低く、結果を残せていません。

こんな同人作に毛の生えたような作品を推奨する眼しか持っていなければ、同人会場は宝の山でしょうね。そして、そこから新人を発掘して、デビューさせる事が流行った時代もありました。同人から、プロになって何人の人が残っているでしょう。パロディをやらせれば、そこそこだが、オリジナルでは…そんな現状ではないでしょうか?。

作り手も、雑誌の記者も、元を正せば一ユーザーであり、一読者です。素人の時から、正しい批評、批判能力がなければ、スポンサーとの問題を踏まえた雑誌を担当したとき、どうなるのでしょうか?。

しかし、ラブクラフティアン…特に、原作、小説のみでしか知らず、ダーレス設定を好む人には、概ね好評です。好みの単語が出ているから、面白いと思いこんでいる哀れな人たちでしょう。面白い作品と良くできた作品は、別物ですし、盗作と本歌取りは、似て非なる物です。

同人レベルならば、換骨奪胎や、登場人物の名前を置き換えただけの物語でも、かまわないでしょう。現に、ほとんどのクトゥルフ関係の同人は、名前を置き換えただけだったり、手垢で真っ黒になった、エントロピーの象徴としてのサタンや、アンゴルモアの大王の変わりに、クトゥルフや、ニャルラトホテプを使っているにすぎません。

まぁ、ラヴクラフトも、エントロピーの大王として、グレートオールドワンを生み出したのであり、小説家としては、三文の部類に入ってしまう人ですから、仕方のないことかも知れません。同人の元祖みたいな人ですし、HPLは。

繰り返しになりますが、ネクロノミコンは、同人レベル。そう言うことです。しかも、固有名詞を差し替えただけの悪辣な作品で、翻案や本歌取りなんてとても言えない、盗作まがいの作品です。HPLへのオマージュ作と言えば聞こえは良いのですが、尊敬・敬意どころか、ヒットしたブランド名に頼り切っている、詐欺にも思えるモノではないでしょうか?。

真のオマージュ、敬意とは、その人の作品を越えることです。その人の模倣を続けたのであれば、どんなに極めても、師の99%までしか到達できず、越えることは絶対にありません。

岡本太郎さんも言っていましたが「ボクはピカソを超えてやると思った。普通の人なら、ピカソになりたいと思う、ピカソのようになりたいと思うのですが、ボクは違った」。キュービズムを志す人は沢山居ます。しかし、ピカソと並び称される人は数少ないです。それは、ピカソを終着点としたか、通過点にしたかの違いです。

このネクロノミコンは、どうでしょうか。「インスマスを覆う影」を、HPLを越そうとしているでしょうか?。私は、絶対に評価してはならない作品の一つだと、今も確信を持っています。


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