カノン/ONE


知人が勤めている会社の作なので、あまり、けなしたくないが…知古だからとて、容赦はせぬ。
まぁ、知人と言っても、そんなに親しい知人ではないので(笑)。

たまに飲みに行ったり、遊んだりするだけ。二人キリじゃないよ。


ONEとカノン。私は、カノンは、ONEの続きだと思ってました。だって、主人公とヒロインの性格は、全く同じ。進歩ねぇな、おい。と思ったものです。

ゲーム的にも、問題のあるシナリオで、最初から攻略本とセットで買って下さい。と言わんばかりのモノ。かつて、同級生2をノーヒントで、いずみとのハッピーエンドに持ち込み、知古の賞賛を勝ち得た私ですが、このゲームはギブアップです。フラグ分岐の推察すら出来ねぇの。

この会社の特徴として、まぁ、バッドエンドだったからかも知れませんが、突然、なんの脈絡もなく、背景設定が語られ、突然終わりを迎えることでしょうね。は?コレで終わるの?。突然そんなこと言われてもなぁ。って、思ったものです。

エヴァンゲリオンが流行していた時勢だからでしょうか、不条理エンドが流行っていたような感じです。観客に理解させる必要はありませんが、納得させることはシナリオライターの義務だと、私は考えます。打ち切りエンドに近いような、不条理エンドは、失敗作と言えます。

こういうエンディングパターン、もう廃れてしまいましたしね。まぁ、それ以前に、ハッピーかバッドか、考える以前に、トゥルーエンドなのか、フラグが立たず終わらされてしまったのか、それさえも判断がつきにくい困ったゲームではありました。


ONE

どっちだったか、忘れたけど…つーか、似通っているから見分けがつかなくなるのだけど…突然(ゲーム内時間で4、5日経って)、父親失踪、妹は癌。母親は新興宗教に走って、一家離散してたのよ。って設定を吐露されて、ゲームオーバー。も、何とも言えないわ。不幸自慢?。

つまるところ、自分の存在が消えてしまうと言うのは、面白いテーマだけど…展開が突然すぎるかな。脈絡がないというか…妹が病死するところからと、ソレまでの生活に、あまり接点がないんだよね。壮絶なプロローグって、感じでさ。何が本編なんだか。
まぁ、バッドエンドだったから、こんなもんかも知れないけど。

伏線もなく、ネタふりもなく、突如として暴露されてもなぁ…いくらバッドエンドだからって言っても、もう少し考えて欲しいと思う。

で思い出したのが、岩泉舞短編集1「七つの海」の中の「ふろん」と言う話。コレを思い出した。

名前を忘れられた主人公の話なんだけどね。意味論にも通じるところある話。名前がない→じゃあ、存在してないの→存在しないと言うことは死んでるの?→でもボクはこうして存在しているのに。って、話。

一度目のプレイでは、繭バッドエンドコース(と考えたのは、Hシーン未通過だからだ)。二度目のプレイで意図的に茜を避けてみた。すると繭が出て来ないわ。1月3日でゲーム終わるわ…わけわからんのぉ。

うーん、ひょっとして一本筋…のワリにCG回収してないからなぁ…とりあえず出演者はそろえなきゃいけないのかな…なんつーか、カノンも、ONEもホワイトアルバムも、この後、ストーリーはどう展開して行くんだろう。とか、考える必要が全くなく、ひたすらダラダラ進む。
そして突如、舞台裏を見せられ、エンディング…打ち切り漫画のよう。

ちなみに、PC版をプレイする前に、知人からPS版のONEの初回限定版の新品を捜すように頼まれ、発見したときに、PS版のパッケージを見て、すでにシナリオを見切っていた事実(笑)。パッケ絵を見て「同一人物の過去と現在か」って直感してた。やり込んでないから、正解かどうか知らないけど。


カノン

描写力は、酷いね。戦闘シーンの描写なんか、位置関係とか全然理解できなかった。あと、設定の甘さね。見えない魔物が、ただの剣で斬れるのか?。とか色々あるが、三日間の木刀の素振りで、魔物のとタイマンはれたら、天才剣士だ。

私は、小学五年で、柔道を始め、入門二ヶ月で試合に出たわけだが、初陣の相手は、小4女児。結果は引き分け。週に二日。3から4時間の練習、師匠の元で体系的に練習して、コレである。私の当時の身長はすでに160センチを越しているにもかかわらずだ。

三日の素振りで、人外のものと実戦なんて…まず、無理だ。しかも、素振りで腕だけが痛くなってるところを見ると、腕だけで振っている。

例えば、全く野球経験のない高校生が、一日十二時間、バットで素振り練習を続けたとしても、たった三日で、全力投球のランディー・ジョンソンからホームラン…いやクリーンヒットを打て。と言うのと似た条件で、まず無理。軍隊の特殊部隊隊員でさえ、軍用犬との戦闘は避けたいと思うほど、動物の戦闘力は甚大だ。ましてや、魔物クラスになったなら、まず手が出るものではない。

安穏と暮らしていた高校生が、実戦を迎えたら…気迫に飲まれ、動くことすら出来ないだろう。充分とは言えないが、ベトナム戦争時、初陣の兵士が、戦闘が始まると物陰に隠れたまま動かなくなったり、小便を漏らしたり、と言うのは日常だったらしい。もちろん、即戦力の人間もいたけれど。

まぁ、仕方ないか…基本的に、パソコン業界は理系だ。ブリバリの格闘家/スポーツマン、シナリオライターってのも、少々怖い気がするし。その辺の感覚を持っている人間の方が少ないのだろう。間違っていることさえ、気がつかぬのかも知れない。

ゲーム時間で一週間分ぐらいのプレイで、あゆと真琴の関係わかったしなぁ。一つの魂から、遊離した二人。少なくとも、あゆの捜し物が、真琴であるのは間違いないだろうし。

まぁ、狂言回しというか、会話の妙もイマイチ。もう一押し、オチの部分が足りないところもあった。

ただ、あゆの「うぐぅ」絶品だ(笑)。でも、同型のキャラ多くない?。天然ボケ娘ばっかだし。ディアレストバンパイアにもいたけど、エヴァのアスカ顔は、えーかげんに止めて欲しいぞ。つーか、正規の発売は、エヴァ人気絶頂の頃だったんだろうか。


補足
レイ・ブラッドベリの「しぬときはひとりぼっち」を読んで、思い当たったことがあります。

幻想文学には、論理性はさして必要ないのではないかと。また、理屈無しで発生した事態だからこそ、怖いのでないかという事です。

クトゥルフで言うならば、ニャルラトホテプが、一人の男を破滅させるのに理由はいらないって感じで。その理由の無さ、理屈のなさが、また恐怖の対象なのかなぁとか考えたり。

昨今の若者というか、若年層の猟奇犯罪に、警察やコメンテーターが、執拗に理由や動機の解明にこだわるのも、
そうした、理屈や理由の無い行為が、怖いからなのだろうか?。私には、彼らを理解するのに「やりたいからやった」と言うので十分なのだが。

十月の国からやってきて、十月の国に帰る。理由はそれだけで、ええんかなと。思ったら、このONEとかカノンが理解できた気がします。

「みずうみ」と同じで、ただ向かうから来て、一緒に向こうへ還る。
それだけの話なんやねー。

エヴァンゲリオンから始まった不条理エンド(と私は呼んでいる)ものも、ブラッドベリ的な幻想物語として認識すれば、理解できるなーと。

けど、叙情譚としては成立するけどゲームとしてはどうなんだろ?。動機や理由が解明されないと、探偵小説やゲームとしては成り立たないと思う。


総括

ともかくも、この二つを世紀の名作。として信奉している人が多いのが不思議だ。このことは、個人の価値観なので何とも言えない。私が、恋姫を信奉しているようなものだろう。このことは強くは言えない。

私がやり込まず、まともなエンディングを見て無いからだろうか?。しかし、エンディングを見ようと、努力させ、またこの先どうなるんだろうと、思いを馳せることが出来なかったことも事実。先を見たいと思えないならば、それはゲームとして、物語として失敗と言わざるを得ない。

物語にメリハリが無いから、だらけている印象を受けるし、伏線の張り方がなっちゃいないから、先を見たいと思わないし、突然、ふってわいたようなオチの付け方のような印象を受ける。なにか前フリがあれば納得できるが…犯人が、脈絡もなく自首してくるミステリーの様なものだな。

そもそも、ゲームの主人公と、プレイヤー(ユーザー)は同一のハズだ。主人公の過去が、どんでんがえしや、ストーリーのキーに出来るのは、物語から観客は外野にいる、映画や小説においてのみだ。

ゲームでは主人公は、自分自身であり、自分の過去を知らないことが、まず異常。突然、過去の記憶を思い出し、「実は、父さん失踪、母親は宗教に逃避、妹は病死してました」と語られたって、何の感慨もありません。それどころか、その記憶は、間違いなく人格形成上、多大な影響を及ぼした経験であり、それを知らずに主人公として、行動できるわけがありません。まぁ、ノベルゲームと、銘打っていることを考えれば、選択肢のある小説。と言うスタイルに文句を言うののは、お門違いなのかも知れませんが。

ともあれ、やるドラ。なんて馬鹿げた事を自慢したゲームが滅びたように(そもそも、ゲームの存在そのものが、疑似体験なのだから、ゲームに対する認識を間違えている。ゲーム、特にAVGは誕生した瞬間からずっと、やるドラだったワケで)、テレビドラマや、舞台、映画、コミック、小説。これらは、どんなに感情移入しても、観客として、物語の外に存在しているからこそ、成り立つ表現技法。

それを理解せず、映画の技法をゲームに持ち込んだゲームは、全て失敗している。自分(プレイヤー)が蚊帳の外において行かれるゲームならば、映画を見た方が良いと思いませんか?。

ゲームの制作に携わる人は、ゲームの表現技法を考えて欲しいものです…つーか、昔の方がスキルフルで、考えていたんじゃないかなぁ?。今は、マシンスペックが上がって、映像表現と同じ技法が取れるからだろうか?。


想像できる範囲としては、はじめて触れたゲームだから、比較対象が少なく、良質なゲームと感じられた。と言う線が濃厚。この会社の前身、つーか、リーフから独立したメンバーが参加しているのだけど、リーフの作でも「痕」がよく推賞されているが、私は「雫」の方が好きだ。

「雫」は、PILcaSEの「犬」、「無題」と並ぶ、真の狂気を的確に表現した作品だと思う。犬や無題には劣るけどね。「痕」はベタネタ。オカルト・ホラーのアマチュア研究家である私にすれば、なんの感慨もない。ぶっちゃけて「痕」は、吸血鬼に置き換えると、ゴロゴロしてる話でしょ。それを和風に、鬼にしたのが、生命線だった訳ですから。

詰まるところ、ノベルゲームと言うジャンルを切り開いた。と言う評価をされるリーフだろうけど、実際は「弟切草」の方が、先なわけで、会社の人間も気にしてましたわ。定着させた。が正解。しかし、このシステムの安易な模倣が増加したため、ゲーム業界のレベルを落としたのも事実。

ノベルゲームは、シナリオとプロッティングがまずけりゃ、ただの紙芝居だし、ゲーム性なんて無いわけで、安易に理解したゲーム会社が、模倣しては消えていきましたなぁ。ゲームブック世代(我々の世代だ)が考えそうなシステムではあったけど。久しぶりに、ゲームブックをやったら、まんまだったわ。ノベルゲームは、電脳ゲームブックだ。


こういう言い方は、大変失礼だとは思うが、雫のシナリオライターさんと、私の思考・嗜好は、よく似ている。実際、雫は、自分の文章かと思っちゃったほど。狂気の再現で「赤・赤・赤」と単語を続けられて、やられちゃったと思った(私は、赤、紅、朱と漢字を変えてた)。

ホワイトアルバムでは、ブラウニングを登場させてるし。まず、ブラウニングが何者かを知っている人は、英文学で、イギリスの詩を専攻している人ぐらいなものだろう。岩波の「傑作詩選」に一つだけ載ってます。詩というモノは、韻が命綱なので、日本語と原語が並列されてないと無意味と考えます。原語がドイツとかフランスとか、読めないと無意味ですけどね。

雫のシナリオライターさんが、リーフに残ったのか、出ていったのか知らないけれど、リーフ系のシナリオライターとは、近似値であるがため、近親憎悪かも知れない。と考えるのは失礼な話だけど。

ん〜、それを差し引いても、物語にも引き込まれないし、先を知りたいとも思わないし、どういうオチを付けるか見たい。とも思わない私は、枯れてしまった人間なんでしょうかね。

to heratも、適当にやっていたら「まるち」シナリオに初っ端から突入し、エンドを迎えましたが、ベタネタじゃん。あの手の心をもったアンドロイド試作品ネタの王道中の王道。もっと小説読もうぜ?。ライトノベルとか、日本の推理小説もどきとか、しょっぱいのでなくて、ちゃんとしたヤツ。



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