迷路と迷宮とダンジョンと
いわゆるダンジョンRPGについて考える…もしくは、FAREWELL, MY Lovely Dungeon

ダン「ようは、中を歩き回った時に、部屋ごとのイベントがバラバラではなく、一貫している"何か"があればストーリィなのだよ」
リンス「つまり、ダンジョンを歩き回った時に、そのダンジョンを造った人の目的が…気持ちが分かってくるとか…」

迷宮探偵ダン&ジョン(1993年 RPGマガジン12月号)


 ・迷路と迷宮

迷路は、パズルに分類される事が多く、ひと頃、アトラクションとして実物の等身大迷路が流行った時期もありましたが、程なく消えました。ミラーハウスがかろうじて残る程度でしょうか。対して迷宮は、実際には一本道で、複雑なルートをたどりますが、迷うことはありません。世界一有名なクレタの迷宮も一本道でした。中世ヨーロッパでは宗教要素が強くなり、12の同心円で造られた迷宮が教会にありました。これらは、巡礼の代用とか、イニシエーション、迷宮の奥地に行って一度死に、迷宮から脱出することでまた生まれる。と言う意図があったとされます。

ここにすでに答えがあります。

元来迷路はアトラクションであり、脱出ないし出口にたどり着く事が目的である。ということ。そして、迷宮には、制作者ないし依頼者の意図が含まれ、迷宮への進入、脱出に、それ以上の意味があると言うこと。ではないかと。

ただ、複雑怪奇な密閉通路を進むだけのシロモノは、単なる迷路ゲームであり、迷宮、ひいてはダンジョンと呼ぶためには、その迷宮、ダンジョンに挑む理由、奥地へ進む目的が必要であると同時に、ダンジョンの歴史(いわれ、成り立ち)、すなわち物語が必要なのではないかと。

80年代だったかと思いますが遊園地のアトラクションとして巨大(等身大)迷路が一時期流行したモノの、長くは持ちませんでした。ルートの変更が可能とは言っても、やることは同じで、さしたる変化ではない。一度やってしまえば、もう満腹になる人がほとんどでしょう。対して、本来迷宮と言える一本道で有りながら、物語性を高め、イベントと連携した本格派お化け屋敷は今も続いています(富士急の戦慄シリーズとか)。夏の林間学校の肝試しでさえ、目的がある(墓なり、旧校舎はダンジョンで、スタンプなりロウソクに点火なりが目的となる)訳です。

2010年ぐらいでしたか、ホテルの一室を使った脱出ゲームが流行と日経新聞にも出ましたが、アレも、謎解きがあるから受けるわけで、Aの鍵を見つけたら、Bの鍵のヒントが見つかり、Bの鍵が見つけたら、Cのヒントが…と連鎖していく物語性がある故。と私は思います。

それがなければ、ただのペンシルパズル、紙で行う迷路パズルに過ぎず、この手合いは、3D画面よりも、2Dサブマップを見ながら移動するようになっていくのが特徴です。クロスブラッドも、デビルサマナー(キョウジ編)も、気がつくとワタシはメイン画面は見ずに、2Dサブマップで移動してました。反面、真女神転生3やeverblue、ソウルハッカーズでは3D画面メインで移動していました。

そもそも、迷路の楽しみ方は、2Dであったり、庭園の生け垣迷路のように、壁は低めに作ってあり、あそこ(出口)に行きたいのに、上手くたどり着けない。と言うことが遊びの要素で、そもそものゴールが見えない認識できない等身大、巨大迷路は最初のコンセプトからずれており、それが廃れた理由ではないかと思います。

迷宮やダンジョンには、目的地があり、そこに行く為にわざわざ危険を冒す。もしくは、危険を冒してでもたどり着くべき理由がある。と言うことが冒険心に火を付けるわけです。このことこそが、迷路とダンジョンを分ける要素と思う次第です。


意図と言う物語

建物には意図があります。住居だったり、工場だったり、倉庫だったり。生活動線、仕事動線を無視した建物が住みにくい、働きにくいように、ダンジョンもその住人や設計者、依頼者の意図が必ず反映されます。それを読み解くのも、ダンジョン攻略の一つです。カルト教団の本拠地に踏み込んだらもぬけの殻、本尊の裏に秘密の通路があり、本尊に敬意を持っていない(金儲けカルト)である事が伺えたり、モーテルのシャワールームの底が抜けて、一人旅の人間を行方不明にしているとか。

建物に込められた意図、それが物語となるはずですし、謎解きにもなるはず。そして、物語を読み解くことが、ダンジョンの攻略となるのです。Vampire The Masquersde BLOODLINEの序盤に、幽霊屋敷の探索があります。屋敷に近づくと、門灯が突然破裂し、中に入れば、悲鳴や斧を持った中年男性の姿、逃げまどう女性を追えば、角の先に姿は無い。新聞の切れ端から、一家惨殺があったことを知り、奥へ進むにつれて、新聞の続報でさらなる凄惨な事件を知り、そして真相へ…とつながるから、先へ進みたくなる。

迷路だけが横たわっていて、スイッチ押して、クイズに答えて、ゴールの地点についたら、縁もゆかりもない「手配異形」がいて、倒してお終い。こんなモノは、物語ではありません。物語でないのだから、シナリオでもありません。

ダンジョンRPGと名乗るのならば、最低限、ダンジョン一つ一つにしっかりとした物語を持たせ、謎解きを行わせるべきです。また、ターンテーブルや落とし穴、不可視のテレポーターなどは、意味無く置いてあるべきではありません。特に、視覚的に変化のない床なのにテレポーターと、落とし穴を組み合わせて、正解ならテレポーターで先へ進み、間違いなら落とし穴で振り出しに戻ると言うのは、最悪最低の仕掛けです。50%の運試し。符丁なり、謎かけナリがあって、ちゃんと解読すればすんなり進めるならともかく、なんのヒントもなく、50%のギャンブルを続けさせるのは愚の骨頂。

見張りが立っていれば、そこは重要なモノが置いてあると推察できたり、隠し扉の先に置いてあるモノのに意味を持たせるだけで、ダンジョンは生きてくるのです。

地下三階のスイッチを押して、一階の扉のロックを外し、扉の先にある落とし穴で二階へ行って、ボスを倒す。のではアトラクションにすぎません。ストーリー重視のフィールドタイプではそれでも構いません(フィールドタイプの2Dダンジョンは、海や河と同じで、しょせん障害物にすぎないのです)。が、ダンジョンを売りにしているものが、それでは、ペンシルパズルの迷路本のデジタル化にすぎません。

デザインの面からも意図は必要で、金持ちの豪邸に忍び込んだのに、中は20×20の迷路になっていたら興ざめです。ただの迷路なのに、ドアプレートだけ「トイレ」とか「会議室」だけ書いてあるのは、すべっているのを通り越して、シュールです。さらに、ドアプレートだけつけて、中に何のイベントもないともなれば、本当にすべっているとしか言いようがない。

PCゲームのラプラスの魔では、食堂では亡霊が食事をしているし、遊戯室では、トランプに興じている。それぞれイベントがある。迷宮クロスブラッドでは、仮眠室、トイレ、などドアプレートがあるだけで、何もないのだ。

TRPGでの実例
まず必要なのは、ダンジョンに向かう理由。つまりは、導入部。ここをおざなりにすると、まず盛り上がらない。

ついでダンジョン。自然洞窟なのか、人の手が入っているのか、もしくは、建造されたモノなのか。
素材により、構造は異なる。自然なら、高低差はあっても階層はない。人の手が入っている場合も、階層はないが、簡単な穴をほって、秘密の隠し場所や、罠があるかも知れない。建造されたモノなら、意図があって立てられたはず。

目的を達成して終わり、では芸がないので、さらに一手間かけるのが普通。それはダンジョンを出てからだったり、インディ・ジョーンズのように、入手後にどでかい罠が発動したり、大量の敵に追われたりでも良い。

RPGマガジン 1992/6月号のストームブリンガーリプレイを例にみてみよう。

導入部:みすぼらしい男が、古地図をパーティーに売りつけようとする。それは、ダルジ族(すでに滅びた部族)の公文書で、巨大建築を立てるというモノと、その設計図とわかる。ついで、巨大な宝石を付けた神像が設置されていることが分かり、一攫千金を目指して出かけることになる。

ダンジョン:目的の建造物は半ば埋もれており、逆に言えばいままで荒らされていないことになる。神殿内部は、部屋よりも通路が多く、通路は複雑に折れ曲がっている。部屋には、蜘蛛やトカゲなどがレリーフされた扉があり、中には妖魔がいる。

神殿の最奥には封印された石棺と、警告の文句がある。

神像に埋め込まれた宝石を取って行くと、像の重心がズレ倒壊し、その衝撃で閉じこめられると同時に辺りが倒壊してしまう。脱出路を切り開いたら、衝撃で崩れた扉から抜け出した妖魔との戦闘、そして終わったと思わせておいて、封じられていた主が姿を見せる。

と言う展開。正直に言うと、テーブルトークでは特に凝ったシナリオでもない。北川直氏らしい(と言うと失礼だが)、やや戦闘よりのシナリオと言える。デーモン6体と主でで、計三戦行っており、まぁ、ダンジョン構造そのものには仕掛けがほぼ無いので、バランスは取れている。トラップやら仕掛け満載で、三戦もやったら、8時間はゆうに喰うだろう。

ダンジョンRPGを名乗るのであれば、最低限、このくらいのシナリオ(ひいては、ダンジョンへの物語付与)は組んで欲しい。繰り返すが、迷路を駆け抜ける途中で、敵をひき殺しても、なんら楽しくないのだ。

ちなみに、skyrimにも似たシナリオがある。竜の言葉を覚えるために、敢えてドラゴンプリーストを復活させる必要があり、わざわざ封印を解いて回るダンジョンがあった。

ダンジョンの良さとはなにか

緊張感である。

とこれは断言できる。敵地の最奥で、魔法もHPも(もしくは弾も薬も)残り少ない、行くか戻るか。探索間もなく、思わぬ痛手を受けた、安全に帰るためには、帰還アイテムが必要だが、高価なので、今使うと大赤字。使うか否か。正面から押し入るか、隠密でやり過ごすか。囚われの人がいる、助けたら連れていく必要があり足手まといは確実だ、助けるか、否か。等々。

緊張感は、選択の連続である。選択肢のない選択だが。行くか戻るかは、とりわけ分かりやすく、トルネコやシレンなどで、良い武器が手には入って、コレだけでも確定するか、もう少し行くかとか悩んだ人は多いだろうし、入ってすぐに、おにぎりをデロデロにしてしまい、どうするか悩んだこともあるだろう(そのうち、落ちてるだろうと思ったら、そう言う時に限って落ちてないマーフィーなんだよね)。と思う。

日本の、自称ダンジョンRPGは、この緊張感。と言う要素を忘れているか、気がついてないかのどちらかで、迷路作りに腐心したり、アイテム集めばかり設定している。ように思う。

ダンジョンの良さをもう一度、見つめ直して欲しいモノだと、心より思う。

初稿2012/04/23


戻る