最近は、あまり見かけなくなりましたが、一頃、シナリオの裏設定や、事件の詳細をおまけモードで語る、解説する。と言うのが流行りました。大遭難やシグマハーモニクスとかですね。
特に違和感を感じてないユーザーもいるようですが、シナリオライターというか、文章で創作表現している人間にとって、これほど恥知らずで、情けない手法はない。と断言できます。事件の詳細や、設定というモノは、本編で語るべき事であり、その解明こそが、大きく盛り上がる瞬間だからです。
たとえば、本編中では、密室トリックも解明できず、犯人の動機も特定できず、ただ閉じこめられた極限状態から脱出した。それで終わる小説は、誰が見たって駄作でしょう。そして、巻末の袋とじに、トリックや動機を解説していたら、恥の上塗り以外何物でもありません。動機もトリックも、本編で解明されるべき事柄であり、それが出来ていない物語など、評価の対象外と言えるでしょう。
事件の発端とは、物語の終着であり、どうして今回の事件が起こったか?と言うことを求めるのが、大抵の物語における筋というモノです。殺人の動機が解明されなければ、どうして殺人事件が起きたのか?と言う謎は、投げっぱなしになってしまうわけですから。たとえそれが快楽殺人犯の思いつきであっても、単なる通り魔でも、動機が語られなければなりません。
そうした事を本編に織り込めず、そして、織り込めなくても良しと出来るのは、書き手として、基本的なことが欠損しているとしか、言いようがありません。
たとえば、大遭難では、星間連絡船が事故を起こすことはない。とさんざんふっておいて、本編では何も語られず、得意げに、おまけモードで、実は事故の原因は…と語ります。見ているこちら側が恥ずかしくなるような事態と知って欲しいモノですわ、ホントに。
さて、ではなぜ、こうしたおまけモードでサブストーリーやシナリオの裏話が語られる様になったかというと、ゲームの視点は、基本的に主人公視点で語られることが多かったわけです。最近は戻りつつありますが、一時は本当に三人称視点でゲームシナリオ書いてるモノが、多々ありました(得てして、そう言う書き方している方が、おまけで裏設定語っていたりするわけですが)。
つまり、主人公が見聞きした情報、見聞きできる範囲での情報、それがプレイヤーも得られる情報であって、その情報でシナリオを進行させていたわけです。ちゃんとしたライターならば、主人公からは見えない動きもキチンと筋道立てており(と言うか、筋道立てているから、ちゃんと物語全体の整合性がとれる訳ですが)、全体の整合性を高めているわけです。ペルソナ3の場当たり行動を繰り返すストレガの面々は、キチンとサイドストーリー作られているんでしょうかねぇ?
で、やっぱり、しっかりと練って書いたものならば、見せたいのが書き手のサガ。プレイヤーから見えないところでの動き(活躍)も見せたい。と思うわけですよ。自分の書いた世界の深さも誇れますしね。で、そこで、取られた手法が、サブストーリーとして、おまけモードで見せる。と言うことだったわけです。つまりは、帝国を裏切って、主人公の味方になった男が、なぜ裏切ったか?みたいなね。まぁ、もちろん、この程度の裏話だと、本編に組み込むべきですけど。少なくとも、舞台裏を表に出す行為であり、得意げに語るようなモノではありません。
そうした土台を知らずに、裏設定を後から語る場だ。と表層理解した極みが、おまけモードで裏設定どころか、物語のキーまでも語ると言う、恥知らずな行為になっているのだと思います。
そもそも、設定資料集というモノも、絵に関する設定資料ならともかく、文筆面の設定を公開するのは、しかも、公開を前提にまとめているとなれば、これはもう勘違いの極みと言えるでしょう。文筆面での設定資料は、おおむね、創作メモであり、絵コンテや、ネーム段階の漫画であり、一部のマニアや、創作手順を学びたいと言う作家の卵ぐらいしか、用がないシロモノのハズです。
設定集や解説本がなければ、理解されないと言うモノは、すべからく失敗作と言っていいと思います。
そもそも、三人称視点で語るゲームシナリオという存在が、その場で裏設定を暴露しているようなものなんですけどね。良くある「一方その頃…」ってやつ。コレをやると、プレイヤーに全体の流れを見せることは容易になりますが、不必要な先の展開を見せることにもなりますから、興味の喪失につながり、RPGだとそこに到るまでのダンジョンが、完全な作業になる危険をはらみます。つまりは、ダンジョンの先に何があるか分かっているので、この先に何があるのか?と言う期待もドキドキ感も無くなるわけです。
極端な例で言うと、探偵が聞き込みしている最中に、「一方その頃」で、トリックを仕掛ける犯人を描いたら、とてもつまらないですよね?。刑事コロンボのように、最初にトリックを全部見せてしまうとつまらない。と言う人は結構いますが、一方その頃、で便利に語ることは、それ以上に無粋なハズなんですが。と言うか、刑事コロンボは、コロンボがどうやってトリックを解くか、犯人に近づくのか、犯人の嘘を見破るのか。を見せているわけで、従来の推理モノには当てはまらないのですが。
まぁ、まだ、「一方その頃」といっているのは、本編中に語ろうと努力しているわけで、その努力すら諦めたのが、おまけで設定を語る行為と思って間違いないでしょう。サイドストーリーの名前通り、本編を語る上で、横に置いておかれた物語な訳ですから、それが無いと、本編が理解できないなら、そちらが本筋でしょうに。
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