ペルソナ3

『アレだな、てめー。RPGやるとき攻略本ごと買うタイプ。
書いてあるとおりに動いて、書いてあるとおり進んで…読んで知ってる展開を見て…
なぁんの冒険もない冒険の旅。で、それがなんか楽しいワケ?』
本多愛が真田利香に言った言葉−速攻生徒会(小川雅史/講談社)−


正直、こっちに移すか、悩んだのですが、ペルソナ2がこちらにある以上、同等ないし、以下の出来である3もこちらに無ければ公平性に反するという事で移転

移した理由として、
、ゲーム性が低い(完全な観客目線での進行。プレイヤーの選択による物語への介入性がゼロ。物語を傍観する映像作品に近い)。
,自慰行為的な独りよがりの演出過多(存在すら語られてない最終兵器をNPCから脈絡なく渡されても…)。
,崩壊気味のシナリオ(ストレガの正体、すぐ分かるやろ?。ペルソナ抑制剤なんて作れるとこ限られてるだろーし。つーか、召喚器も)。

大きくこの三つ。ペルソナ2よりも手ひどい。と思ったので。メルドルに。ペルソナ2は、最後のオチの付け方が、それまでの語りを自分で全否定していることが、不満だったけれど、ペルソナ3は、もう…根幹から間違っているとしか…

私が常々「ゲームは映画を越える可能性のある唯一の表現」と言っているのは、物語への介入性にある。

物語への介入性というのは、選択肢による物語の展開性に直結する。単純に言えば、恋愛モノで、三角関係になったとき、二人のヒロインのどっちを選ぶかは、プレイヤー次第という事。映画や小説では固定だが、ゲームでは、物語に介入出来る。これこそが、表現における次のステージだと、私は思っている。

ただし、選択肢による展開性は、必須事項ではない。実は、プレイヤー目線とキャラクター目線のシンクロ率が高ければ、つまり、物語への同化率が高ければ、回避出来る問題ではある。現状では、物語の傍観が、物語への同化と勘違いされている気がするのだが。

たとえば、同じアトラスのゲーム「デビルサマナーソウルハッカーズ」と「ペルソナ3」。実は、どちらも一本道で、シナリオの分岐はない。それでも、私個人からみても、ソウルハッカーズは名作と言えるゲームで、ペルソナ3は、駄作と言っても過言ではない。この二つの差はドコにあるか。

成沢大輔氏の言葉「クリアへの作業ではなく、プレイする楽しみ」に要約される。つまりは「やらされている。のではなく、自分でそれを選択した」と感じさせる事にあると思う。岡田COZYも「ロープレは、結局お使いを繰り返すゲーム。そのお使いを、いかにやらされてる感を感じさせないかが肝」と言う意図の発言をかつてしていた。

ペルソナ3は、と言うと「戦闘をやらされている」「イベントを見さされている」「アニメーションを見さされている」と、全てを強要されている感じさえ受ける。自己満足の独りよがりな、そして出来が良いとは言えない演出を、無理矢理見せられるのは、拷問に等しい。そして、あまりに舞台裏を見せるので、物語に対して「この先どうなるのか?」と先を見たいと感じる事がない。

対して、ソウルハッカーズは、同じ一本道のシナリオであり、お使いに駆け回るシナリオであるにもかかわらず、やらされている。と言う感触よりも、自分で選択してこの場にいる。と言う印象を受ける。このことが、大きな違いだし、これが出来ていないと、ゲームとしての最低条件をクリアー出来ていないと私は思う。

よって、ペルソナ3はゲームとしては、絶対に評価してはいけない一本であると。断言出来る。よって、メルドルへと追放する。


おそらく、このノリが良いシナリオ。と思う人もいると思うので、泡沫末端サイトの利点として、か細い反逆の狼煙を上げておこうかと。億が一、スタッフが見て、なんか感じてくれれば幸いだし。

さて、発売前の第一印象は、学園モードがマトモになったXTHでした。まぁ、それは間違っていませんでした。なにぶん、XTHは、学園らしい事はほとんどありませんので。プレイした第一印象は、大衆迎合作。クリアしたら、まさにその一言で語り尽くしてました。

便利に使用される観客視点、随所に挟まれるアニメーション、もう、某四角e社の最後の幻想のようです。アトラスは、最後の硬派だと思ってたんだけどなぁ。とどめが、最終決戦。イベントで勝手に終わります。一応操作しますが、何をどうやっても、展開は一つだけ。ゲーム性というか、ゲームとしての完成度を見た場合、ライドウ以下と言えるでしょう。

たしかに、ライドウは、メインシナリオに矛盾が多かった。一本道だった(ペルソナ3も充分一本道ですが)。しかし、ゲームの体裁はあった。このペルソナ3は、ロープレの体裁を借りた、映像作品。自慰行為のような自己満足に近い演出。

ストーリー関連での選択肢に、ほとんど意味が無く、あるのは一カ所。しかも、ご丁寧に、システムメッセージで注意が出る。コミュの方では、好感度に影響するのだが。

観客目線による緊張感というのは、ホラー映画を例に挙げると『怪物(無いし殺人者)が、納屋に潜むシーンを描く。主人公が「工具が足りないから、ちょっと納屋に行ってくる」と歩き出す』。こう描く事で、観客は、「納屋には怪物がいる」と言う事前情報によって、今後の展開を連想させる事で、恐怖させる。いわば、『知っているが故の緊張感』。

これの対極はと言うと、『知らないが故の緊張感』で、ホラー映画で例えると『突然、旧友が部屋に入ってきて「とにかく逃げろ!」と、状況を掴めない主人公を連れ出す。一段落したところで「実は…」と言ったところで、怪物が壁を突き破ってくる』。と言う感じ。観客と主人公は、一緒になって叫ぶ。これが、知らないが故の緊張感。何に追われているのか。と言う事をこちらは連想する訳。

で、ペルソナ3のオープニングイベント。主人公が寝入ったあと、真田がシャドウを連れてきてしまい、ワタワタすると言うのを見せる。観客たるプレイヤーは、状況を把握しているが故に、怖くないし、緊張感も薄れる。と私は思う。ここで、表題の言葉を思い出して欲しい。

私だったら、イゴールと夢で会合したのち、ゆかりのノックで目覚め、応対に出ると、突然揺れる建物。なにがどうなっているのか?。と言う方が緊張感がでると思うのだけど。分かっている展開、知っている展開に冒険はない。

どちらかと言えば、知ってるが故の緊張感というほど、高尚ではなく、特撮の30分戦隊物で、悪の帝国が開始早々「本日の計画」を視聴者に告げるようなレベル。

プレイヤー=主人公という立場を取るのならば、それは徹底して欲しかった。こうした、便利な視点切り替えをポンポンと行う為、テンポは非常に悪くなる。そして、演出として、他のNPCの青春ドラマ展開を延々と見せておきながら、システムメッセージで「>二人の間に何かあったようだ」ってのは、なんともはや。

チドリの尋問を例にしてみても、別段「一方その頃…」でやる必要は全くなく、登校中に「全く進展しない。君ならば…どうだやってみてくれないか」で病院に誘われて、それを聞きつけた順平が付けてきて乱入とか。連れていくかどうかの選択肢を入れとか。

知らない事での緊張感こそが、ゲームの緊張感だと思うんですよ。この先展開がどうなるんだろう。とワクワクするから、ゲームを進める。見たいのはムービーじゃない、展開なんだ。見せすぎだ、ペルソナ3は。偉人の言葉を一つ「全てをつまらなくするコツは、全てを見せてしまう事です」

全体のシナリオとしても、特にヒネリがある訳でもなく、アンゴルモアの大王の変わりに、ニュクスが来る。と言うだけの話。細かい矛盾というか、ご都合主義が随所にありすぎて、興醒めであるし(イベントだと即死扱いの拳銃も、戦闘では、カスダメージ。蘇生アイテムあるのに仲間死亡で盛り上げようとする芸の無さ)、覚醒や覚悟が、ごねてる期間がダラダラと長いわりに、覚醒の決意がベタなので、内容の割りに感慨が薄い(テキストだけを抜けば、合格点は十分に取っている内容はある)。豪華な料理も薄汚れて、割れた皿じゃ見窄らしくなるものさ。

これは、カレンダー進行。学校生活を進行の基準にした為、一日一日、なにかしらの動き、展開を見せようとした結果、非常にテンポの悪いゲームになってしまった。章の区切りが、月齢で一周としてしまったのも失策で、メインであるタルタロスの探索は、正味ゲーム期間で三日あれば、レベル上げやペルソナ作りをこなしても、到達出来る。

となると、残り25日。もっさりとした、ウダウダとした展開をみさされる訳だ。これはダルイ。何故、シナリオが瓦解しかけているかは、ネタバレエリアで書きます。

ふと、キャシャーンのアニメリメイク版のノベライズの後書きに書かれていた事を思い出した。キャシャーンのオリジンでは、一言で言うと、義憤によって自ら人間である事を捨てる。父の為、母の為、そして世界の為に、自ら進んで肉体と人である事(つまりは家族・恋人をも)を捨てる。

リメイク版も、そうした決意を持って新造人間になる設定にしようとしたところ、若手スタッフから「あり得ない」と言われ、瀕死の重傷から、どちらかというとやむなく新造人間にと言う設定になったそうだ。

ペルソナ3における、特別課外活動部の面々の、長ったらしく引きずったわりに、ベタ過ぎる覚悟も、今の若人からすれば、妥当な覚醒なのだろうか?。とは言え、風花の覚醒はテンポ良く、そもそも悟りとは、ソコにある物に気がつく。と言う事なので、まぁ、普通に見られた。ので、演出が悪いと思っておこう。


システム関連では、十分に機能しているが、細かい作りが悪い。買い物は、主人公が一人の時に行うので、新規の武具が出たときのチェックが非常に面倒だったり、仲間のステータス確認が、イチイチ話しかけないとダメだったり。アイテム総数が表示されないのに、アイテムが一杯だったら入手出来なくなる。そのくせ、アイテムは使用条件が厳しく、戦闘中にしか使えない回復アイテムは、さらにHPが減っていないと浪費出来ない。そのくせ、捨てる事が出来ない。困ったシロモノ。

ダンジョンで仲間に話しかけられる。と言うのも一応売りらしいが、話す。と言うほどの密度はない。

せめて、古のロープレ。エメラルドドラゴン並に、この階のシャドウは、電撃弱点が多いな。とか、疾風耐性おおいから、指示はよく考えてよね。とか、ぐらいまでやれば、会話と認めましょう。ちなみに、エメラルドドラゴンのパーティー会話は、つまったときのヒント扱いでした。

ペルソナが、一人一体というのも、ペルソナとシャドウと言う心理学的なとらえ方をすれば、一人一体の方が座りは良い。ゲーム的には、カキンカキンと付け替えた方が楽しいのだけども。

いっそ、メガテンの属性システムが如く、ペルソナとシャドウと言う事で、悪というかダークに偏っていくと、シャドウのペルソナを呼ぶようになるとか、そう言うのは、どーですかねぇ。

タルタロスの段階では、まぁまぁ…ちょっとぬるいけど…それなりの敵の配置なのだけども、モナドが解放されると一気に崩れる。モナドの敵は、レベルが80代でも、ワンドの8とか9のカードを引けば、二万五千の経験値がはいるインフレ。モナドがこんなに強いなら、ラスボスはドンだけ。と思ったら、スゲー弱い。ラスボスはレベル60前後とされているそうな。

モナドの解放は、ソウルハッカーズのシーアーク最上階のように、一度クリアしたあと解放すべきだ。イゴールが「あなたはまだ自分に満足していないようだ。よろしい。時をほんの少し戻しましょう。深層モナド。あの業深き場所が、あなたを満たすでしょう」とか。

二周目特典も、主人公のレベルを引き継ぐんだよ。ロープレの主軸は成長。それを廃して、どーするんだ?。仲間は初期化されているから、結局絡まれるし、何匹倒しても経験値0のまま、延々と話を進めろと言うのか。もう、この段階で、ゲームとはなんぞや。と言う事が分かってないのがバレバレ。

シナリオなんて知らん。自動生成ダンジョンと萌えキャラがいれば良い。と言う人には面白いゲームと思う。とは言っても、本家の自動生成物には劣るのですが。

シャッフルタイムという、いわばボーナスも面白いのだが、ダブルアップが発生しても、もう一枚引けるだけで、意味があるとは言えない。せめて、勝ち続けるとボーナス倍率が高くなるとか、拾えるペルソナのレベルが上がるとか、作りにくい、月、星、塔が出てくるとかなんかしよーよ。(作中では、より低レベルのペルソナが拾える。意味分からん。そして、大概、おなじカードがずらっと並ぶ)

ちょっと誉めとこうか。武器防具を入手した場合、付与効果がランダムで決まる。店で買った奴でも。そのため、弱点を消したい。攻撃を有利にしたい。と言う心理が働くのが当然。望みの付与効果が出るまで買い続けてしまう。すると金は常に足りない。と言う状況に。

終盤の金余りを回避するのに非常に上手い手で、これはプレスターン系と同じく、アトラスの主軸となるのではないだろうか。プレスターンと言えば、今回は、簡易系とも言うべきワンモアプレス。弱点やクリティカルを出せばもう一回行動。と言う物なんだけど、プレスターンと違い、無効吸収で防いでも、攻守は入れ替わらない。

簡易にした分、テンポは良いのだが、戦略に幅がない方がデメリットかと。


そうそう、音楽はかなり良いです。BGMと言うより、BGV(バック・グラウンド・ボーカル)。曲の趣味が良い。放課後のテーマが好きだー。サントラ買うかもー。エンディングテーマ好きな人が多いらしいけど、ちょっと高級気味のアニソンぽいのがなんとも。イマイチ。






それではネタバレの批評というか、クレーム準備に移ります。






























では、そろそろ。

そも今作、真のヒロインと言われているアイギスですが、私は違うと思います。真の主人公がアイギス。アイギスに主眼を置いてみると、分かって貰えるかと。後半は、完全にシナリオライターの主観がアイギスにある感じさえ受ける。アイギス絡みのアニメーションでは、ペルソナ2のタダシとタマキ並の、自慰行為的な演出が見える気さえします。

モノレールのブレーキかけは、アニメーションあっていいよな。運転室に飛び込んで、どれだ?とやってると、ファルロスがこれだよ。的なの。

よーするに、プレイヤー主人公の学園伝奇ジュヴナイルではなく、アイギスというピノキオが、人間になる物語を傍観する。という訳ですな。主演アイギス。助演プレイヤー。ってトコ。

そもそも、主人公に対する評価が、無表情、無口という勝手な設定を与えている時点で、すでに過去作をネタにした、しょーもない出来。つーか、無口な奴が、街中の見知らぬ人に、声かけまくるかぁ?。すでに、プレイヤーの存在を無視している感じがする。

ペルソナ3は、基本的に。観客目線で、裏側語っといて、知らないテイでプレイしてって無理でしょ?。一番ヒドイのは、桐条の覚醒シーンのトコで、ゆかりと桐条のやりとり延々見せておいて、>二人の間に何かあったようだ。ってシステムメッセージ…脳味噌の中身の鮮度、ちょい疑う。ライドウに頼んで、凍結してもらうか。トロトロが少しは固まるであろー。せめて、真田か順平あたりに、「あの二人雰囲気かわったなー。何かあったのか」とか言えば済むのに、なぜシステムメッセージ?。


この段階で、すでにどーしよーもなく、ライドウ以下というより、ペルソナ2以下と言う理由になりうるのですが、さらに突き詰めていくと、矛盾とまで行かない物の、ご都合主義というか、戦闘AI並に、頭の悪い美鶴が当主になって、桐条は大丈夫なのかと言う、頭の悪さが見えます。

と言うのも、ストレガがペルソナ抑制剤を使っている時点で、そんな薬剤を作れるのは、現状、桐条グループしかあり得ない。と言う事は、ストレガの発端も、桐条にあるというのは、ごく自然な推理。内部監査をせよ。もっと言うと召喚器もってる時点で…かな。チドリの召喚器を調べた時点で、わかり得ると思う。

また、幾月死亡後、目的を失ったー。と言うのだが、目の前に、影時間とタルタロスがある以上、目に見える手がかりはソコしかない。だったら、タルタロス踏破が目標で良いのではないだろうか。序盤で真田が「タルタロスには影時間を解く鍵がある」と言ってるし。また、幾月がなにかを知っていた事も事実。幾月の研究データも十分な手がかりなハズだ。ストレガは、そこからニュクスへ到達した訳だし。

ストレガの存在意義も、やっつけだしなぁ。つーか、登場の度に論旨が微妙にずれていく気が…まぁ、居なくて困るのは困るのは順平覚醒ネタ。順平覚醒にチドリを活かしたかっただけなんだろう、きっと。ここまで、全体演出を観客視点で見せたんならさ、ストレガのメディア戦略も、見せればいいのに。なんで最後だけ、急にキャラ目線なんだろうか。

細かいトリックのミスを上げれば、きりがないほどで、ラブホのトリックは、最後は鏡の中に入るべきだよね。あとは、シャワーからお湯出るのかとか。そいや、ストレガも、満月のシャドウを全部倒すとどうなるか知っていた的な言い方だとしたら、なんか行動に違和感を感じるのは私だけ?。あと、復讐サイトのことも、投げっぱなしジャーマンだよなぁ。

んが、美鶴のペルソナ覚醒って、「力を得るかどうか選択の余地はなかった」。幾月が「君たちのように先天的ではない」とか、言ってたような…12体目の満月シャドウの前では、自然覚醒みたいな事になってますが…父親のタルタロス探索について行って云々…

さらには、望月の登場で、転校転入する為には、雑多な書類が必要な訳で、そうしたモノをパス出来たのも、桐条パワーかと、思ったのですが、とくに前フリではなかった模様。

初のストレガ戦でも、ジンが「やぶれかぶれはあかん」と言って、タカヤの自決を止め、「わいらの生き様みせたる」と、海へ飛び込むのだが…矛盾してませんか?。投身はokで、拳銃はダメ?。しかも下は海。死んだと思ったバカ部に乾杯。

突っ込み役というか、解説役、進行役の仲間が存在していないために、頭の悪い集団化している気がする。刑死者プロメテウウスとかつけた、解説役が必要でしたな。

そもそも、ニュクスという名前からして、少なくとも、古代ギリシア人は、その存在を知っていたハズ。そして、過去に到来した事があるはず。それでも人間は生きている。生物の死は不可避。だからこそ、子孫を残す事で命をつなぐ。なにかのセリフであったけど、男女が一組生き残れば、オレたちの勝ちなんだ。ガンパレだったか?。ニュクスを倒せなくても、被害を最小限に出来れば…とか考える奴はおらんのかい。

振り返ってみれば、提示された伏線や謎は、結局、何も解決されてない気がします。タルタロスの発生も事故が原因じゃないし、先々代桐条の狂気や、シャドウを知るきっかけ。真の目的。ストレガの存在意義と目的(復讐サイトはなんだったのかー)。こりゃ、シナリオ担当者落第やね。ゴゥサインだしてディレクターも連帯責任。


根本として、ペルソナとシャドウと言う心理学用語よりの展開を見せたのだから、シャドウは、精神を喰らうのではなく、人の精神から生まれてくる。最後は、人間の死への願望。フロイトの言うタナトスとなったシャドウ集合体と決戦と予想していたのだが、最後の最後で、SFかい。月は無慈悲な夜の女王かい。

私の案としては、コミュマックスにした分だけ、敵のHPやらステータスが下がっていくと。「幾万の独りよがりな絶望でも、たった一本の信頼と言う絆は、明日への希望は、断ち切れん!」とかさー。「完全なる1よりも、補い合う2。絆とはそう言う事だったのだな」とかさー。OPにも出で来るけど、メメント・モリ。死を想え、人はタナトス(死)に向かう時、生(エトス)を得るのだ。って奴よ。この方が燃えると思うんですけど?

そもそも、ラスボスのアルカナ巡りも、演出として微妙。13死神でとめるなよ。愚者の旅は、まだ中ほどだ。だいたい、死神のカードの意味は、理不尽な死を与えるものではない。次のステージへ上らせる為に魂を刈り入れる存在。だから、占いなどで使うときに、死神のカードの根源的な意味は、仕切り直しとか、再スタートという意味が当てられます。

そもそも、シャドウの分類が12。で、なんでタロットアルカナに分類するのだろう?。解釈が中途半端な気がしますなぁ。

そうそう。最後の自慰イベントで、イゴールのセリフに悩んでいる人が居たけどあれは、スゴい単純。
「デスを宿したのも、ワイルドに目覚めたのも宿命」
と言うのは、デスつーのは彼、死神のアルカナ。ワイルドってのは、ワイルドカード、全てのアルカナを装着出来るってコトだろうねぇ。そんで

「ユニバースのカード」
と言うのは、ユニバースってのは、ワールドのコト。タロットの版によって呼び名は変わる。ようするに、愚者の旅の終着点。ユニバースは宇宙と言うより世界。まぁ、愚者は神になったと。まぁ、アルカナでもペルソナ名でもどっちでもいいっしょ。

で、そうそう、これだよ。XTH2でも書いたんだけどさ、NPCが勝手に出てきて、前フリのない、最終兵器をぽんと出されて。これで勝てるよ。ラスボスあぼーん。じゃ、つまらねぇぇぇぇぇぇぇぇ。つーか、手前みそ?、自慰行為?、制作側の自己満足?。あれで盛り上がると判断した感覚に乾杯さー。

XTH2でも書いたけど、せめて入手クエを挟もうよ。XTH2もそうなんだけども、せめて、その最終兵器入手の為に、なんらかの努力をしたならば、まだいい。だが、実際には、何もしていないのに(と言うか、存在すら語られていない)、突如現れたNPCが「ほいっ」と投げ出してきたのならば、ただ、萎えるだけではないのか。

完全なる傍観で、自慰行為のような独りよがり演出、もうダメとしか言いようが…

せめて、コミュ進行の難易度を下げて、全コミュマックスで入手して、トゥルーエンドとか。足りなかったら、大破壊的なのが起こるけど、人間はかろうじて生き残った。とかねー。ああそうか、ラスボスの半端なアルカナ巡りをやめて、コミュマックスにしたら、別口のダンジョンの入り口を作って、各アルカナの象徴を倒す>各アルカナの最強ペルソナ解放。

全てを解放したら、ラストのユニバースダンジョン。そこで、メサイア解放。「我は汝。汝は我。我、メサイアなり、救済なり。汝にデスを封印したアイギスも、汝の中に眠る事になったデスも、汝に救いを求めた。我メサイア、救済の主。我は汝。汝は我、我らは救済の主、メサイアなり。」とかねー。

んで最終決戦へ。の方が遥かに盛り上がると思うんですが?。審判の最強カードは、メタトロンか、サタンでいいじゃん…メサイアと審判ってあんな結びつかん。

ああ、ダンジョンをセフィロトの形にして、最短ルートのコミュだけマックスにして、クリアもあり。とかでもいいかも。

死への願望の集合体であるタナトスを、救いの主であるメサイアが打ち負かし、新しい世界へと…と見せかけて、ここでタカヤが、コアとなってニュクス登場「私は煽動者ではない。人が望む死への願望、解放への想い。それらが私を押し上げ、私に先導することを要求する。あなたがエトスに選ばれたのなら、私はタナトスに選ばれた。ほんの些細な違いで…」とかねー。「同じ孤児として、桐条が先に君を見つけていたならば…いや、それでも私はこうしていただろうな…」とか。

タカヤ自決未遂の時に、死を望む意識がシャドウを呼び寄せて、喰われたー。と思わせておいて「私は選ばれた。哀れなる人というレミングスの先導に」で、ペルソナのタナトスを呼ぶとか。

バッドエンドの演出も、最悪というか落第点というか。アレは、滅亡は回避されたのか?。春まで来ているし。私だったら、ラストカットは、夜の女王たるニュクスとおぼしき影が、地球を優しく抱きかかえるとか、お休みのキスをするとか。あれは、集団幻想で、影時間を迎えると、アイギスだけが、現実の世界に押し出されて泣くとか。

どーでもいいけど、影時間突入の演出はは、時計が壊れるより、裏返って(時計盤を裏から見る)、針が反時計回りに動き出す。方がそれっぽいかなぁ…と思ったけど、演出としては地味か?。

シナリオとしてもコレだけの欠陥がある上に、バランス調整が歪だから、戦闘にメリハリがない。コレを駄作と言わずして、なんと呼ぶのかと。


なるほどなー。と、制作者に思って貰えりゃ幸いだけど。まぁ、正直、シナリオディレクターに次は、なさげ?。と言うか、タダシ君以下と思うよ、わたしゃ。本当に、ライドウ…もしかしたら、アヴァタールチューナーあたりから、シナリオ力は、摩擦係数0の坂を滑り落ちているのだろうか。こうなると、有能なのは逃げていく、頭数を揃えようとすると質が下がる。そうすると、させに出来が悪い作品を出し、さらに評価が下がり…摩擦係数ゼロの坂道を滑り落ちるな、こりゃ。

本当に、ライドウは約三周(正確には2.7周ぐらい)はしたんだけど、ペルソナ3は、二周目やる気力起きないよ。また、もっさりした、長ったらしいくせに、ごく当たり前の事を言うイベントを見させられるのかと思うと。げっぷ。岳羽父の映像見て錯乱するゆかりもなぁ…まだ、情報の途中じゃん。と言うか、最後の最後で実験止めようとした意図は汲めるので、充分立派かと。美鶴も、タルタロスも影時間も残っているのに、終わった。ってなー。

なんか、追加ディスク出るとか言う話ですが…どーせ、コミュマックスでラブラブエンド追加とか?。ノクターンマニアクスみたいに、モナドでの連続ボス戦追加とか?、そんなレベルっしょ。自慰行為の見せつけが酷くなるだけと思うのだけども。

正直、不出来過ぎ…でも、自分のレビューのラインナップ見たら、これよりは上だよな…とやってたら、こんな位置。うーん、私の求める物がハイレベルすぎるのか、世の中が低すぎるのか…一つ、言えるのは…たぶん、もうアトラスのゲームは買わない。たとえ、メガテンであっても…鈴木大司教が中心となるなら考えます。

んーむ、やるほどに…ペルソナ2の方がゲームとしては成立してた気が…ペルソナ2も許されざるシナリオのミスがあったのだけど、まだ、ゲームだったからなぁ。どっちがヒドイか…と言われたら…うーん。

目立つミスが多すぎるペルソナ2と、目立たないけど、根本(土台)に歪みがあるペルソナ3。かなぁ…メルドルっぽい気がしてきたなぁ…うーん、読者の判断にゆだねよう。読者がいればだけど。

二周目クリアしたら、あまりの自慰的な演出にゲンナリ斎。メルドル行き決定。正直、これはゲームじゃないなぁ。プレイする喜びよりも、クリアへの作業でしかない。

エリザベスも、アヴァターも、もーやりたい放題。バランス調整って何?。まぁ、それでも、対処法があっという間に解析される恐ろしい時代ではあるのだけど。

どんなペルソナ3信者がいたとしても、中古屋にいけばつらい現実に直面出来る。

2006の12月で、一年は前に出たXTH2が五千円近く(4980ぐらい)をキープしているのに対して、発売から半年のペルソナ3が、もはや四千円を切っている。中古屋でコレなので、ネットオークションだと、さらに低いだろうなぁ。

まぁ、中古市場はレアリティも加算されるのだけど。ノクターンマニアクスが一万超すのは、どうなんだろうねぇ?。


アトラスには、もう一度、基本に立ち返って欲しい。メガテンがなぜ受けたのかと言う事。

私は、会話戦闘と悪魔合体、そして、重厚な主人公目線に徹したストーリーであると思います。必死の思いで口説き落とした仲魔を、幾多の戦いをともにくぐり抜けた仲魔を、合体の素材にする罪悪感、そしてそれが零落した神である事。合体で誕生した仲魔が言う「今後ともよろしく」。その言葉の裏にある、『合体前とは姿が変わったけれど、今も仲魔だ』と言う気持ち。レベルを上げる為に倒しまくっていて、ふと言われる「悪魔を殺して平気なの」

メガテン攻略本と言えばこの人、成沢大輔氏のこの言葉「クリアの為の作業ではなく、プレイであることの楽しさ」

ライドウやペルソナ3を見ていると、一番のキモであるはずの、悪魔との会話戦闘。つまり交渉という部分を廃してしまおうとしている気がする。悪魔合体と会話こそがメガテンのキモ。敵と会話して、仲魔にするなんてゲームは、そうそう無い。出てくる物全て敵。ではない世界。

そこには、見えないプレイスタイルが確実にプレイヤーの数だけ存在していたハズだ。仲魔と同じ悪魔は倒せない。そんな事は関係ない、コイツ(仲魔)以外は敵だ。話しかければ「なんじゃ、ゲンさんの孫じゃったか。小遣いをやろう」ソコには確実に生きた世界があった。

ケルベロスじゃない、パスカルだ。と最後までつれて歩いたり、最初に仲魔になったピクシーを最後まで、つれていたり。各人のこだわりのプレイが、ある世界。それは、生きた世界があり、生きた物語があったからこそ。だからこそ、メガテンはこうも愛されているのだと。

今一度、思い返して欲しいなぁ…女神転生という確実に歴史に残るゲームの肝は、なんであったかという事を。



他で突っ込まれてないパロディ(と言うか、こう言うのはパロディでなくて、ただのお遊びだよな。ゲーマーの文化レベルが分かるわ。Gガンダムの最後の方でガンダム軍団に歴代のガンダムが居るのもパロディ?、違うよな、お遊びだ)。

ペルソナ2で、レイジとトロが入社した、インチキ通販会社って、時価ネットたなか?
イゴールって、よく考えたら「スピルバーグのトゥーンシルヴァニア」に、鷲鼻の小男でイゴールって使用人がいるなぁ

あと、「アスラおう」と「だいそうじょう」をわざわざ、ひらがな記載しているのも、SFC版に対するオマージュ?

よくよく考えれば、こんなオマージュというか、系譜にたよったネタを展開するなら、皇帝に「青面金剛」いれるとか、太陽に「アポロン」入れるとか、そう言う系統のつながりの方が良いと思うんだけどねぇ。

ちょっと脇にそれるけど、伝奇ジュヴナイルだと、なぜか修学旅行は京都なんだよね。日本の呪法都市京都に行くのは良いんだけど、ペルソナ3では、ホントに行くだけなんだよ。ここで、シナリオ担当者のセンスの無さというか、感性の悪さと言うのが出ているかと。

普通、旅先でも事件に巻き込まれるのが、筋でしょ?。東京魔神学園でも、修学旅行先の京都で天狗騒動に巻き込まれるし、スプリガンでも、賢者の石を見つけて、騒動になる。影時間が場所を問わないのなら、京都でイレギュラーのシャドウを狩っている同胞と出会って「オレたちには、まだ見ぬ仲間が…世界に沢山いるんだな」とか。

あー、それで美鶴覚醒につながったら、キレイかもなー。

マジで、センスないと思う、シナリオ担当者。まぁ追加ディスクでやるのかも知れないけど。そしたら、なおのことベータ版発売疑惑が高まる。


追記:FESによると、なんでも、本編ラストで主人公死亡確定してるらしいですな。じゃ、エンドロールの前で、アイギスの膝枕で寝てたのは死体?。まぁ、それの解釈で、なんや、もめたらしいですが…正直、メインストーリーがぐっだぐたのグッズグズなので、死んでいようが、活きていようが、宇宙の果てにいようが、評価は変わらない。

もともと3のライターは、自分の設定しか認めないタイプの典型的なダメライターですので。本編の時から、無口無表情とかいうキャラ押しつけてくるし。名前も固定したかったんじゃないですかね?本当は。てゆーか、ニュクスと相打ちというか、自分のスパークオブライフで封じるならば、なおのこと、最終ペルソナはメサイアにせんかーーーい。演出も、描写力も底辺だからねぇ。

まぁ、出来の悪いラノベだったわけで、それが輝いて見える年齢はあらーな。褒めてる人は、実年齢はともかくとして、そう言うお年なんでしょうね。書いた方は反省するべきだけどな。


 



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