ペルソナ4
生きていくと言うことは、勇気のいることなんです
−伊集院球三郎(アストロ球団/中島徳博/遠崎史朗)
神話のない世界に、神は存在できるのか?
序:長い上に読みにくいので、私のファン(居るのか?)か、P4およびメガテンシリーズを深く考えたいと言う人以外勧めません。
アトラスに思い出して欲しいこと2ぐらいですかね、目を通して欲しいのは。誤解されないように例文と条件文入れすぎたなぁ。
短くまとめると「すいませんでしたっ」と言うのが、感想です。ペルソナ3の不出来ぶりと、九龍妖魔学園記のダメッぷりを痛感したあとで、そこそこスタッフが共通している。となれば、やる前からダメだ。と思ってし まった訳です。どのくらいの勢いで、摩擦係数ゼロの坂を駆け下りてるか、確かめてくれるわ。と購入したところ、予想を大きく外れ、良くできてました。
第一印象は、なにこのケータイのアバターみたいなキャラ。でしたが、アニメシーンとの等身落差は、最後まで拭いきれませんでしたねぇ。ただまぁ、よく動きます。千枝のクリティカルとか、バスケシーンで、ドリブルで手首返していたりとか。何このこだわり、みたいなね。
あとは、P(ペルソナ)3で、失敗したこと、出来なかったことを、やり直してるなぁ。って印象でした。伏線もちゃんと効いてるし、論理展開もいいし、事件の発生ペースもいいし、メインの事件と事件の合間にも、クリア済みダンジョンに新しいボスが住み着いたりと、間延びをさせない作りになってます。 ただし、ストーリー全体で見ると、突拍子のないオチ、脈絡のないつなぎ方が気になります。
P4のシステムなんですが、基本はP3踏襲で、コミュランクによるペルソナへの経験値ボーナスや、一日ごとのカレンダー進行など、ほぼそのまんま。ただ、3では月齢縛りだったカレンダー進行を、天候縛りに変更。これが大当たり。3では、満月になると事件が起こる。と分かっているので、初プレイでも、ものすごい細密に計画が立てれる。 しかも、各章の締めが月末と分かりきっているので、ドキドキ感がまるでないんですよね。
天候だと、ちょい雨が続いてるなぁ、月末だしなぁ。とか、先が見えないドキドキ感があるわけです。まぁ、攻略本やネットで調べたら、無意味って言われたらそうですけど。ゲーム買うときに、攻略本も一緒に買う人は、ゲームやってて楽しいのですかね?。読んで知ってる展開、書かれているとおりに進めて、なんの冒険もない、冒険の旅。謎のない謎解き。何が楽しいんでしょうかね、ホント。
P3のレビューで、先の展開見せすぎで、なんのドキドキ感もなく、つまらない。って書いたんですけど、すこし先を見えなくするだけで、こんなに大化けするシステムとは思わなかったなぁ。四月五月が綺麗に月末に収まっていたので、もしかしたら、月末縛りなんか?と思ったら、ずれていってちょっと安心したり。
ダンジョンクリア後に、新しいボスが住み着いて、次章始まるまでの手持ちぶさたも、解消されていたり、なによりも、P3では、24時に影時間が始まるので、放課後、夜でコミュ活動した上で、ダンジョン探索も出来て、ぬるいことこの上ないんですわ。P4では、ダンジョン探索も、放課後や休日の昼限定なので、基本コミュやるか探索するかの二択。 コミュランク上げたいけど、期日が迫ってきてるし。と言うハラハラ感が良いわけです。今作ではパーティーメンバーのペルソナランクアップが、強制イベントでなく、コミュMAXで起きるようになっているのでランク上げとの兼ね合いに余計悩む訳ですよ。
さらに、売りの天候システムも、雨が降ると特売やっていたり、商品ラインナップ増えたり、雨の日専用のレア敵(レア素材を落とす)が出たりと、上手いんですわ。
さらには、P4にはダンジョンをクリアして被害者を助ける。と言うモチベーション、目的意識があるんですが、これがあるだけで、ホントにずいぶんと変わってくる。P3の時は、確か…門番みたいな階層ボスを倒して、満月のシャドウを呼び出そう。みたいな感じで、作業のための作業感バリバリだったわけです…よく考えれば、シャドウでシャドウを封じるって矛楯甚だしいな。まぁ、とにかく、期日までに、被害者を助けないと。と言う思いだけで、ハラハラ感が増してくるわけです。
難点は、盲導犬ゲーム丸出しで、ゲーム期間で、最初の一ヶ月がまるまるチュートリアル兼導入部なんですよ。コレは長いし、だれるし、メガテン系なので、二週目要素盛りだくさんと思うんですけど、長いチュートリアルは、やる気を奪います。 そんな、ガイドに手を引いてもらっている上に、盲導犬もいるという状態にもかかわらず、ものすごく大事なところで、突き放すんですよ。
具体的には、真犯人ルートにはいるための選択肢は、四択の選択肢から、正解一つを4つか5つ連続正解しないといけない。これが、コレまでの推理から導き出されるようなモノなら良いのですが「なにかが、おかしい」とか、微妙なニュアンスの選択肢ばかり、しかも、そこに到るまで、結構な長さのイベントがあり、やり直すのはかなり手間。もう少し分かりやすくできたと思うのですが。
ダンジョンギミックも良くできてて、攻略してて楽しいです。ダンジョンの途中で、パーティーメンバー以外と出会うと、コミュ進度にあった会話が出来たり、クエスト進行でも、少しでも状況が変わると、台詞がマメに変わりますし。細かいところは良くできてます。 恋人関係になった千枝と直斗コンビの会話が好きでしたわ。
戦闘システムは、まぁ、進歩はしてまして、AIも前作よりはストレスが無いですが、要所要所で、謎行動してくれます。前作では、NPCが残すスキルを自動選択していたのですが、今作では、自分で選べます。よほど、不満が多かったんでしょうねぇ。ただ、ワタシ的には、せっかくのAIバトルなんで、NPCが選んだ方が個性が出るかな?とも思いますが、 使えるキャラと使えないキャラの格差がひどくなりそうで、どっちが良いとも言い切れません。
前作から続く、1moreプレスシステムも、正直微妙でして、ストレンジジャーニーのデビルcoopよりはマシですけども、欠陥としては近いモノがあります。弱点やクリティカルで1more、再行動出来るようになるのが、楽しく、スピーディーな戦闘となるわけですが、弱点のない敵だと、とたんに削り合いの作業感が割り増しに。さらに、ボスが弱点持ちだと、かなり弱い印象を受けてしまうので、必然的にボスは弱点無し。となると、まぁ、ただの殴り合いになるわけです。
まぁ、これは、ターン制を採用している全てのゲームが抱える問題点ではあるわけですけども。あと、戦闘をスピーディーにすればするほど、弱体、バステスキルが死にスキルになっていくんですわ。 バステ弱点の敵はいないですし。敵が使うと致命的なんですけどね。
あとはまぁ、武器防具の世界樹システムは、本当に席巻してますなぁ。まぁ、これなら、店は一件ですむし、ラインナップも時期で切り替えとかしなくて良いし、ドロップアイテムと連動してるから、バランス壊さないし、良いこと尽くめ。ただまぁ、どっち向いても同じシステムばかり何で、プレイヤーとしては、やや飽き気味。フェスでやってたけど、ペルソナ封じて特殊武器とか、P1であったアイテム変換とか、そう言う、ペルソナらしさって何か入れて欲しかったなぁ。
あとは…審判のコミュマックスが、ラスボス後で、いかにも二週目いけや。って感じなんですけど、私のクリア時間が80時間ぐらい。なおかつ、チュートリアル兼務の初期イベントが、ゲーム時間で約一ヶ月。あんまり、二週目始めようって気持ちにはならないんですよね。そこまで、魅力あるシナリオでも、システムでもないし。
と思ったら、二週目でも審判の特殊ペルソナは解放されないので、アレ?と言うのが真ルートへの布石かも知れませんけど。
キャラクターは、前作では、本当にステレオタイプというか、典型例集みたいなキャラ造形でしたが、今作では、ちょいちょいとヒネってきてて、面白かったです。ワタシ的一押しは、天城さんですかね。妙なトコが、爆笑スイッチってのは、アレですか、箸が転んでもオカシイ年頃ですか。とか、声優さんも良くて、なんて言うか、真剣な棒読み?、みたいな暴走スイッチはいると「感情消えた声で押し殺してしゃべる」って言うのが、いいなぁと。例としては「カレーって何入ってるっけ?」「にんじん、たまねぎ、じゃがいも(ここまで普通)…(ここからスイッチ入って)ピーマン、まいたけ、ふきのとう…」とか。キャラ造形と演技力で倍加しております。
ただ、天城さんは、カップ麺を味見させてくれたら、大騒ぎだよね、たぶん。「間接キス?、転校生、ついに天城越え?」とか大騒ぎよの。千枝だと騒がれなさそうだけど、天城越えとか二つ名付けられてる子はねぇ。 アイドルとかと二股してたら、刺されると思うなぁ。と言うか刺されたかったけど、何事もなかった残念。
あと、名前が普通なのも良いですね。どうしても、安いジュブナイルだと、ドコの能の総本家ですか?みたいな名前にしがちですし。龍泉院刹那とか…今作ったけど、どっかのライノベに居そうだ……
あとは、セリフ回しも上手いので、日常イベントは楽しいです。個々のイベントとかは、文句なく良いんですけどねぇ…なにか、物足りないというか、中途半端感を感じちゃうんですよね。パンチ不足?。これは、シナリオの問題と思いますが。
で、シナリオ。久々に、まともに伏線を活かしてる作品に出会いました。正直なところ、脅迫状の文面など、まぁた矛楯かい。と思ってたんですが、きちんと犯人特定の証拠にしてあったり、息抜きイベントの日常会話にキチンと伏線を仕込んであったり、そもそも、主人公の初期ペルソナが伏線だったりと、無駄な設定がない。
ほんとに、P3など、なぜオルフェウスに覚醒したのかとか、誰がどう考えても、究極ペルソナにするだろうと思いつくメサイアを、ただのペルソナ扱いにしたりと、ホントにセンス無かった。
ただ、上のシステムのとこでも、ふれましたが、まぁ、真犯人ルート、ノーマルエンドは、まぁ、なんとかなりますけど、トゥルーエンドは、ノーヒントじゃかなりキツイと思います。こういうところでこそ、厚めのヒントを出す必要があるところで、手を引くべきところだと思います。それまで、ものすごく手厚く介護してたのに、重要なところで、ものすごいドSと言うか、鬼嫁というか、なにこの突き放しってところが残念ですね。
シナリオそのものは、良くできています。が、最後の最後で、とってつけたように、世界を賭けて戦おう。と言うのが、 あまりに安く、突拍子もないので、非常に残念です。真犯人と、世界を霧に沈めようとするボスの暗躍が全くリンクしておらず、そこだけ、伏線があまり上手く張れていない。と言えるでしょう。あとは、オカルトミステリーorサスペンスと言うには、オカルトの部分が弱く、それが、真犯人とラスボスを結ぶ線が弱いと言う事だと思います。
トゥルーエンドルートに入っても、正味、解明編であって、シナリオ全体に変化があるわけではなく、「おお、コレも伏線だったのか」と、感心はしますが、やっぱり、とってつけた感は残るという。これ以上は、核心にふれちゃうので、ネタバレゾーンで。
各コミュの話も、おおむね良くできてまして、まったく印象が残っていないP3とは比べようがありません。まぁ、りせ、菜々子、堂島、ひさ乃、小西弟は良い出来ですが、他はイマイチ…特に不出来なのは、千枝、クマあたりでしょうか。クマは正直最後の三つぐらいしか話として機能してませんし、千枝は、主題がフラフラしてて、何がしたいのかよく見えない気がします。小夜子もそうですな。小夜子は、まだ分かりますが、登場シーンの悪女ぶりが無意味。りせの話は、この手の話だと「本当の自分」と言う柱を見つける方向に持って行きがちなところを、「全てが自分」と認めてしまうところに斬新さを感じつつ、映画「マッドウーマンの告白」で、多重人格の女性が人格統合を拒絶した時の台詞を思い出した。「みんな苦難を乗り越えた仲間、それを消しちゃうってのは殺人よ」。誰しも、大なり小なり、場面場面で演じ分けているわけで、多重人格は、その演じ分けが完璧になりすぎただけなのかもしれない。
一応、マルチエンド。と言う形になってはいますが、はっきり言って微妙なライン。異なる結末が複数存在すると言うよりも、途中脱落という言い方の方が正しいエンド分岐。一般的なマルチエンドというのは、ロウ、カオス、ニュートラルとエンディングが異なるモノを想定しますが、P4のマルチとは、途中打ち切りのような、真相にどれだけ近づけたか。が異なるだけで、結末は一つと言えます。文字通り、途中脱落にエンディングを付けているに過ぎない、豪華な途中ゲームオーバーとも言える。
だいぶネタバレしちゃってる気もしますけど、まぁ、一応、ネタバレゾーンに行く前の総括として。
近年のゲームとしては、非常に良くできてます。システムもシナリオもしっかりしてますし、起承転結、伏線の導入処理 も見事で、アレも伏線だったの?と関心させられました。投げっぱなしの勢いだけイベントも無いですし。トータルとして、キチンと遊べるゲームです。
残念なところは、本当に、ここでヒントを厚めに出さないとダメだろ。ってところで、ものすごい突き放しがあること…まぁ、P3みたいに、「ここが分かれ目です」とあからさまに告知するの は最低ですが、ここまで、見事に伏線張れて、処理できている人なら、プレイヤーが自力で解いた感じがもてるぐらいに、絶妙な誘導が出来たと思うのですけども。攻略サイトや本前提なんですかね。食べ物の商品名も丸出しなので、なにかしら提携があるんですかねぇ?。
もう一つは、自由度が物足りない。と言うこと。PS2として限界だったのかもしれませんけど、文化祭を誰と回るか選べなかったりとか、休日にこちらからデートに誘えなかったりとか、そう言った自由度の薄さが非常に残念。まぁ、この頃は、まだいわゆる箱庭タイプのゲームが、まだそんなに人気が出ていなかった頃と言うのもあるでしょうが。
興ざめなのは、殺人犯を追う。と言うオカルトサスペンスだったのに、気がついたら、世界を破滅から救う戦いという、やっすいヒロイックファンタジーに陥ってたことですね。
トゥルーエンドを見る前は
「メインのシナリオだけで、惹きつけられるか。と言うと微妙なんだけど、キャラで見せるイベントが少ないので、せっかくの素材がもったいないことに。って感想かなぁ。 ゲームとしては、キチンと出来てて遊べるし、伏線もしっかりしてるし、でも…って言っちゃうのは何故なんだろうなぁ。なんか、パンチに欠けるのかなぁ。
自分でも、よく分からないんですけど、良くは出来ているんですよ。ゲームとしても、十分遊べるし。でも…ってなっちゃうんですよねぇ。個々のイベントにパンチがないと言うか…物足りなさが激しいというか……ん〜、もしかすると、P3、九龍と極限までのダメだししたチームの作品を認め無くないって、心理がそう感じさせているのか?。心の海の奥底は冥いのか?。
今言えるのは、細かいところはすごく良く出来ているんです。でも、細かいところばかりに目がいってて、木を見て森を見ず。みたいな感じになってる。樹の一本一本は微細に書かれているのに、森としてみるとぼやけている。そんな印象でしょうか。 トリックとか動機付けとか、ものすごくこだわってるのは感じるんですが、着地に失敗してる感じがどうも。ホントに何が物足りないのか、自分でも見つけられてません。そのせいで、この感想文もふわふわしてますね。 」
とか、真剣に何でパンチ足りないのか悩んだんですけど、トゥルールートに入ったら、だいぶ氷解しました。ホントに、なんでこんなに綺麗に伏線処理できる人が、こんな大穴見のがしているんだろう。って言うのが、違和感の元だったんですよね。それだけに、トゥルールートへ誘導の失敗が残念でなりません。 トゥルールートでも、オチの弱さは否めませんが、ルートへの誘導がシッカリできていれば、名作と呼べたと思います。
あ、BGV(バッグラウンドボーカル)は、相変わらず素敵です。 あと、小川のせせらぎとか、虫の声なんて環境音は、2007年のゲームなら、ごくごく当たり前の効果です。特筆するようなシロモノではない。
ネタバレいきまーす。
上の方でも書きましたけど、真犯人とノーマルエンドボスの関連性が薄く、とってつけた感が非常に残念。もしかしたら、スタッフサイドは、このとってつけた感から、事件全体に違和感を感じて欲しかったのかもしれませんが、それにしては、情報量が少なすぎる。
黒幕が糸を引いていたとしても、ラスボスの暗躍は、ラスボスが実働していたわけで。真犯人とのリンクが必要。ないし、真逆にとって、全く縁もゆかりもなかったことを強調すべきでしょう。私としては、緩やかにリンクさせて、ラスボスすらも、手駒の一つと思わせて、トゥルールートへの導とした方がよいと思いますが。
まぁ、それ以前に、殺人犯を追いかけていたのに、最後の最後で、急に世界を賭けた戦い。しかも、実在する神と戦う。と言う時点で突拍子もなく、安いローティーン向けラノベそのもので、かなり浮く訳です。真のラスボスの意図も良く分かんないしね。
そもそもにおいて、フェイクボスが、クニノサギリなんですが、コイツが天から降りてきて、ラスボスのアメノサギリが地から沸いてくるっておかいしですよね?。逆にすべきでしょう。アメノサギリとクニノサギリは、対神ですから、どっちがどうでも差はないと思いますし。
トゥルーエンドのボスがイザナミなんですけど、コレがまた、動機が弱い。江戸川先生の特殊講義があったし、普通に「壮大な夫婦喧嘩」で良かったんじゃないかなと。一日に千人殺してやる。と呪ったイザナミが、何故、人の望みを叶えようとしているのか、非常に弱い。ストレートに、未だ千人を殺す呪いを実行中で、それじゃおぼつかなくなったから、新しい方法を、人を人で無くす、霧に沈めてシャドウ、本能の獣に変える。と言う陰謀のがスッキリするのではないかと。
テレビが、あの世界(黄泉?)との窓というなら、向こうの世界の霧はテレビから漏れてくるのではないか?。アメノサギリは良い役者であったというが、マヨナカテレビの視聴率が見えてこないので、全く危機感が伝わってこないとか、シナリオ的に弱いところがかなりあります。
ついで、言うと花の岩戸の話まで、江戸川先生はしているのだから、イザナミは、本来の姿を見られたときに激怒するべきだよね。「この私を、二度も辱めるか!」ぐらいは、絶対に言って欲しかった。
そして、世界のペルソナ、イザナギ大神が現れたときは「やはり、貴様が背後におったか」も言って欲しい。ラスダン登る道中で「人がこのような力を持つなど、ありえぬ!」とか言ってたわけで、なんだかんだで、イザナギが阻止に動いていました。と言う流れに。
イザナギの冥府下りは、典型的なオルフェウス型であり、死んでしまった妻を冥界に迎えに行くが、たった一つの約束を破ってしまい破滅してしまう。オルフェウスは、陽光が見えるまで、振り返らぬ事。イザナギは、話し合いが終わるまで姿を見ないこと。実際には、どちらも、妻を案ずるがあまり不安になっての行動ではあったものの、やはり、約束は約束と。
しかし、夫婦の契りもまた約束。醜悪な姿に驚いて逃げたことを恥じているからこそ、人間を介して、怨念を払わんとしている夫婦愛。それがまた、子供を盾にしているみたいで、奥さん余計にご立腹みたいなラインのが綺麗じゃ無かったかなぁ。 「この姿、直視に堪えず、人間ごときを送り込むかぁ!」って感じで。
本当は、お互い許し合ってるけど、勢いで言ってしまった呪詛。ただの人間でさえ言霊となるのに、神の言葉はもっと重く、破られぬ約束として二人を呪縛。お互い謝りたいのに、いがみ合ってるとか。それを祓って和解させるのが、トゥルーエンドにして欲しかったなぁ。
小説版女神転生の西谷史さんも「イザナミの怒りは、最愛の人に恥ずかしい姿を見られた一時的なものではないか」と言う後書きを残してますし。イザナミはなんだかんだ言っても国生みの大地母神で、人間はイザナミにとっても子なわけで。 そう言うところが、分かってないなーと思わせる原因でしょうかね。
締めは、陽介コミュで青年会とかあったんで、「花の岩戸祭りって提案してみようと思うんだ。ミス稲葉を選出して、イザナミ役にして、和解シーンを毎年やる訳よ!」「先輩が、イザナギ役なら、私出る〜」「私も(雪子の例の声で)」ベタすぎるラブコメオチで!
クマも、やたらと「約束」をキーワードにしているので、そうした展開を期待してたんですけど、ただ人間は虚構に沈み、考えることを止めたがっている から、後押しします。って言うのは結局、アバドン王のシナド様であり、ストレンジジャーニーのLAWルートであり、真3のシジマルート。行き詰まってる感じがしますね。メガテンワールド。と言うか、アトラス。
しかし、大地母神たるイザナミの孟母というか、慈母でない面にスポットを当てて、悪役にしたのはやられました。とは言っても、ぜんぜん神話と関連性はない暗躍ですけどね。だからこそ、壮大な夫婦喧嘩にして欲しかったって言っているわけです。
あー、霧に沈めるのを、原初の海に帰すとか、洪水伝説に見立てるとか、言うラインもありかなぁ。
で、まぁ、イザナミに到るルートは、いわゆる解明編であって、全体の流れを大きく変えるモノでもない。こまかい伏線に「おお!」と思うことはあっても、シナリオの深度に変化があるわけでは無かったのが残念。本当に、初期ペルソナが、イザナギであることすら伏線だったわけだし、修学旅行の特別授業も伏線だったわけで、 たぶん、回復アイテムの白桃も、黄泉平坂でイザナギが桃投げたからよね?。本当に、細かく綺麗に、伏線が張られ、処理されていて、久々に出来の良いものに出会ったことは間違いないのですが…オチ弱い。
ラスボスへの誘導という、最大にして、最高の見せ場に到る伏線に失敗してるしなぁ……ノーマルエンドのラスボスから、トゥルーエンドへの導入が完全に切れているんですよね。普通、全員に挨拶したら、帰るよねぇ?。なにかメッセージがないと。チョイ強引だけど「>最後に、思い出の特捜本部によってみようか…」ぐらいは無いとねぇ。最悪、足立からの手紙は、きちんと手渡すシーンは書くべきだよね。「あ、このお手紙、お兄ちゃん宛だ。はい」と。
そうすれば、最低でも、どっかで手紙が読めるはず。と言う意識にはなると思うんだけど。私以外の人は、そんなの無くても何かあるはずって推理できたんですかねぇ?。
なんか、もういっそ、稲葉では、300年周期で、イザナミが代表戦やらせてました。みたいな古文書なりなんなり出してさ、今日ここで因果を断ち切るとか。そんなぐらいで、トゥルーエンドルートに導かないとダメだよねぇ。
んー、やっぱりコミュMAXを五個以上とかを、トゥルールートフラグに入れるべきだよねぇ。そんで、珠でなくて、鏡にして「あなたがこの旅路で得た真の絆が、真実を写す鏡となるでしょう」とか 、あいも「あなたが鏡になってくれるから」とかいってたし。足りないと「少々足りないようで、これでは鏡として機能しませんな」とかなんとか
倒し方も、どうせ傍観にするなら、イザナギとイザナミ和解させてあげて欲しかったなぁ。そいや、イザナミが実在したのだから、イザナギも実在しているわけで、なんにも語られないってのは、やっぱ、パンチに欠ける原因の一つだろうねぇ。 見せ方は上手くなってるけど、降って沸いた解決策という、いわゆる、前フリのない、デウス・エキス・マキナであることに代わりはないわけですし。
コレだけ綺麗に、伏線張れるのに、ゲーム的なヒントだしが苦手と(決めつけてしまいますが)いうのも、なんだかなぁ。そう言う気配りというか、なんというか、それが出来ていないのが、各種イベントが自動進行ってところに現れているのでしょうね。文化祭なんて、誰と回るか絶対に選択するべきだよね?。コミュ全体の好感度アップは、ミス?コンの会場で良いわけだし。堂島から「おまえ…姉さんの学生時代にそっくりだったぞ…写真おくっといたからな」とか言われたかった。
後細かい事言えば、ペルソナ進化させたら、進化専用スキルは付けようよ。今回特に、コミュマックスで進化なんだから。千枝はゴッドハンド上位の「からさでやおろずうち」(漢字忘れました)とか、なんか覚え ようよ。
そうそう、イザナミの倒し方が、まんまP3で、ここでイゴール出てきて「はい、ユニバース」とか言ったらどうしよう。とドキドキしながら見てたんですが、P4では主人公の専用ペルソナ転生イベントに絡めてくるあたりは上手い。と言うか、本当にP3の汚名返上したかったんだなぁ。と、しみじみ思ってしまいました。だったら、世界いわずに、ユニバース と言う呼び方に固執して欲しかったなと。
P3でも、メサイアをそう言う扱い、ワールドのペルソナにするよねぇ。普通の、ごくノーマルなセンスを持っていたら。なんで、審判の最上位にメサイアなのか ねぇ…理解に苦しむ…P3です。 ただまぁ、P3もP4も、デウス・エクス・マキナによる解決であることには変わりないですが、必然性がまったくなく、本当にデウス・エキス・マキナそのものなP3の世界じゃないユニバースに比べれば、P4は遙かにマシですけど…時の氏神という範疇の中ではね。
マーガレットの撃破後の語りも、ほんとにP3のフォローここまでするか。みたいな感じを受けたのは、私だけでしょうかね。P4の評価がイマイチなのは、P3のフォローに必死すぎて、ユーザーのが冷めたんちゃうかと。あ、ちなみに、マーガレット戦は、普通です。P3のイカサマくさいエリザベス戦とは異なり、普通に戦術考えれば、普通に勝てます。
で、最大の懸案。サギリと真犯人の関連性にふれますが、何が問題かというと、たとえば、シャーロックホームズが、連続殺人犯を追い詰めたら、実は犯人の背後にナチがいて、世界征服のための謎兵器のテストに、荷担させられてました。とか、冷めない?。 殺人事件の動機と、秘密兵器がリンクしているならともかく、なんの誘導もせず、突然現れた博士が「この装置には、殺人犯の汚れきった魂が必要だったのだ。 」とかじゃねぇ。
この手のゲームとしては、非常に小さい目標となる「連続殺人犯の逮捕」という目的で、延々と引っ張っておいて、最後の最後で、世界を賭けた戦いってのは、やっぱり、とってつけた感が消せないのよね。ドコかしらで、世界を霧に沈めようとしている存在の影でも見せておかないと、それこそ、伏線を張ってないと。逆に、足立を小物の犯罪者のままで、片付けるのならば…どうするべきかなぁ…
作中では、足立がテレビに逃げ込んだ後に初接触っぽいのよね。もっと言うと、そもそもの発端であるマヨナカテレビの存在感が非常に薄い事も上げられる。リングの呪いのビデオなみに、もっと仰々しく噂になっているべきじゃないかと思うんですわ。 もしくは、現実世界の噂で、テレビの中にシャドウが生じて、それがまたテレビになって噂が広まっていく。とか。
それで、テレビに惹きつけることによって、より向こう側とこちら側のリンクを、接点を強固にしていく。それが、サギリの目的だった。人の興味さえ引けばいいので、中に入れられて人が死のうが助かろうが、関係なく、ただ番組に逃避する人、耽溺する 人が増えていけばいい。ぐらいかな。 あー、クエストで、噂で発生したシャドウ退治とか良かったかもね。いや、リポップボスが、そうあるべきか。 自動発生でなくて、クエスト発生にするべきだったかも。
最後半の霧が漏れ出したあたりから、せっぱ詰まった感はあるんだけど、もっと前から、異変を感じさせるものは必要だと思うんですよ。マヨナカテレビの話ばかりしてた同級生が、テレビの前から動かなくなるとか。
足立本人が、自覚を持ってやっていたか、否か、どうするかは難しいところだけど。小物感を出すには、無自覚の方が良いけど、協力体制にある方が良いよね。山野アナの番組で、かなり人を引き込めたから、コレは使えるって思ったサギリが乗っかってきた。見たいな感じかな。
そうすると、やはり、イザナミが与えたペルソナは、それぞれに、アメノサギリ、クニノサギリ、そしてなにか(ヤソマガツヒぐらいかなぁ)であったハズなんだけど、イザナギがすり替わって主人公に入ったと言うことにすると綺麗?。 ちなみに、ヤソマガツヒは、セオリツヒメと同一とする見解もあって、セオリツヒメは、穢れを流す神なのよね。逆さにたどるなら、ヤソマガツヒも、自分自身に穢れを集め、他者の穢れを払う存在だったのかもと 。
でも、ワタシ的には、クマの正体はクニノサギリにしたいのよね。アメノサギリが、人類を霧に沈めようとして、より効率的にするために、記憶を封印して人に近づいた。サタンが飛鳥了になったごとく!。クマの中身がないのは、情報を詰め込むためで、クニノサギリの器でしかなかったから。だけど、自力で中身を作ったちゃったみたいなラインで。もしくは、 クニノサギリが人類側に立つので、疎ましく思ったアメとイザナミにシャドウにおとしめられていたとか。
で、あの目玉の代わりに、クマ皮アレンジのボス(劇場とかぶるけど)が出てきて、パーティーのクマは、中身(人型のまま)バトル。で、燃えない?。台詞もちょうど良いしね。「人の可能性をタメさねばならぬ」って言ってたわけだし、倒すと「ありがとう、期待通り、君たちは可能性を示してくれた…これで、我らが太母も…」とすれば、見え透いてるけど、伏線作れるし。 戦闘時は、クマぐるみの頭が外れて、「二億四千万の悪」とかがいいなー。
「クマきちって…王様どころか、神様だったの?…そんなの、ありえねぇ!」とか、ほのぼのオチで。菜々子の王様ネタも活きるし 、アメに封印された説のがいいか。
「アメノサギリとクニノサギリ、どっちがシャドウで、どっちが本物か、わからんクマ。どっちも、本物かも、どっちもシャドウかもしれんクマ。もっと大きな存在の…人を信じたい気持ちと、人への疑念から、生まれたシャドウかもしれないクマ。 」みたいなところで、ガイア論に踏み込むか。「人に希望を持つから、人への 失望が生まれる。だから、世界は人には生きて欲しいと思ってることは間違いないクマ。」ぐらいが、締めですかね。
いや、イザナミ臭わせば良いのか。見通しのきかぬ空の霧は、疑惑を募らせ、先が見えずとも道を模索するのを見続けた地の霧は希望を膨らませた。ぐらいか
「シャドウは所詮シャドウ。仮面の裏にある影。それは事実であっても、真実ではない。憧れと妬みが表裏であるように。その妬みは、本音ではあるが、本心ではない。人は負の感情を前進する糧に変える。妬み羨むからこそ、 追いつかんと努力し、己が理想をつかみ取る。彼らが、己がシャドウと対峙し、ペルソナを得たように。今なら、分かるだろう、アメノサギリよ。シャドウは、たしかに人の 本音かもしれない。だけど、心の影でしかないクマよ。」
みたいな?。少数の暗部を本望だと言うなら、世界を霧に沈めると決めたのに、人間にチャンスを与え続けたアメノサギリの本心も、止めて欲しいって事だよね。的な。
人の心は遷ろうモノ、形のないモノ。それはすなわち虚構である。虚構の群れで泳ぐことと、何も見えぬ霧に沈むことに、なんの違いがあるというのか。遷ろうさざ波に一喜一憂することなく、平穏に生きてゆけると言うのに…
そのくだらねぇことで、一喜一憂するのが人間って生き物なんだよ!、波があるから泳いでいて楽しいんだよ!、そりゃあ、たまには静かに浮かんでいたいときもあるさ、でも、それはただの休憩で、一生そうしたいわけじゃねぇ。悟りきった神様にはわかんネェだろうよ!とか言う返しを、サギリとしてると良かったのになぁ。 と思う次第。アニメイベントにしちゃってるから、もの凄い淡泊なのよねぇ…台詞が。
トゥルーエンドのサゲも、絆、キーワードだったし。 さんざん、クマは約束、約束いうてたのにねぇ。まぁ、全般絆で通してはあるんだけど、なぜか最終結論がふらついてる感じがするのは何故なんだろうか。人は見たいモノを見たいように見る。それ自体は悪いことではない。それは、自分の見たい未来をつかむと言うことだから。ただまぁ、現実の側を歪めちゃうと、ダメだけどね。
「人は見たいモノを、見たいように見る。ありのままに見るのではない。だからこそ、人は強くなる。自分の見たい未来を、見たいようにみる。それは、正しく進めば、自分の思い描く未来を、現実にするってことクマ。 」とか?「全ては路傍の石と同じ。ただ、それを見る人間だけが、その石に価値を与えることが出来る。路傍の石から斧を作り、斧で家を造り、家に家族を作る。路傍の石を無価値な石にするか、価値あるモノにするか、それを決めるのは 、それを見る人なのだ」とか?
どうよ、この深い意味がありそうで、実はあまりない台詞(笑)。
んー、やっぱり、最初の夢のダンジョンの台詞が、ずれてるのが原因かなぁ。「真実を見たいなら、追いかけて来てごらん」って感じなんだけど、それだと、詰まるところ、「私を止めて」な意味に落着するのよね。怪盗が予告状出す様なものな訳で。そうなると、人類の望み叶えたくないけど、多数意見だから叶えなきゃいけないから助けて。見たいなラインになっちゃう。まぁ、それはそれで、面白いラインだけど…やば、もの凄い魅力的に思えた…作中ではそうではない。
作中のイザナミの目的意識だと、夢の中での台詞は、無駄なことをするな、なぜ足掻く。みたいなラインでないとおかしい。「何故歩みを止めない?。この視界が効かない中、足を踏み外すかも、目的地から遠ざかっているかもしれない。なぜ徒労を続ける?」「そうか、わずかでも見えるから、進むのだね。だったら、完全に霧に沈めてあげるよ」とか。
やっぱり、着地点がちょっとずれてるんだわな。イザナミも、希望と虚無となんだっけ、とにかく、三人を代表として選んで、希望が勝ち残ったのに「人類の総意は、霧に沈むことだから、沈めます」みたいな事言うし。なら代表戦いらんやん。 希望勝ち残ったんだから、黙っといて。って話よね?。てゆうか、アダッチーとか別になんもしてないし。やっぱり、足立が、サギリに協力しているという流れじゃないとおかしいよね?。
なんでイザナミが「希望」を与えたか。というのも、ゲーム内設定では不明。何度も言いますけど、「きー、あんたの大切な人間一日千人殺す 」「じゃ、千五百人誕生させるもんね。」と言う夫婦喧嘩の伏線は張ってあるわけで、人類を滅ぼしたいと読むのが普通だよね?。それなのに、何故希望を与えるか。
この点には、ワタシ的腹案があって、「希望」があるから、人間は苦しむ。と言うオチを提唱したい。希望の未来があるから、人は歩き続ける。そう、苦しみ続ける。諦めきれず、より困難に自ら飛び込んでいく。ごくまれに成し遂げる者が現れることで、愚かな人間は、そこに希望を見いだし、苦しみ続けるのだ。と言う。希望こそが、罠へ誘い込むチーズなのだ。
ま、希望を否定する、ペシミスティックにも程があるわなオチなんですけど、足立の「成功者は才能というチケットを持ってる」にもつながる。パンドラの物語もね、あらゆる災厄が飛び出して、壺の中に希望だけが残った。と言うことで、人間には希望が残った。と考えるのが多数だけど、それは違うと思うのよ。パンドラの壺の中にあると言うことは、封印されているのに等しい。だって、他の災厄は、壺から出ることで、その効力を発揮する訳でしょう?。壺の中にあれば、無害だったわけだし。
でも、希望は壺の中に止まってる。だから、世の中に希望はない。希望は、悪女パンドラに独占されている。だから、住みにくいってのが、本当の意味なんじゃないかと思うわけですよ。そもそも、あらゆる災厄を詰め込んだ壺に、希望が入っていると言うことは、希望も人間にとって災いなのではないか。
希望によって、分不相応の夢を見て、破滅する。希望とは、甘美な罠ではないのか。と足立の主張にも掛かるわけで、ってまぁ、ペルソナ3から、ペルソナはローティーン向けゲームみたいなので、これじゃ重すぎるか。
ちなみに、第一印象では、クマって主人公のシャドウちゃうか。って思ってたんですけどね。主人公だけ、シャドウ対峙イベント無いから、実はクマが主人公のシャドウでしたと言うオチかと 思ってました。
足立もねー、小物感がなんかなー、サギリの暗躍に荷担して無いのなら
「ちくしょう!ちくしょう!なんでどいつもこいつも僕を認めない?!、高校生にまで否定されて!僕は僕で居たいんだ、僕の居場所があるハズなんだ。ママ、国立大学に合格したよ!、なんでどうして褒めてくれないの?国家公務員試験に受かったよ!、刑事になったよ!なんでだよ!、僕は刑事だ、キャリア官僚だ!僕を認めろ、僕はここにいる。僕は…ここに…い…る?。僕は、ドコにいるの?、見えない、僕が見えない? 、僕は居ないのか?、そうか…見えない…見られない…何も感じない…これこそが救い…苦しみも、なにもない…」ぐらいは欲しいところ?
オチは、陽介あたりが「この人は…みんなと出会わなかった俺の末路だったんだ…」とか言う、ありがちラインで。 あー、足立に語らせるとちょうど良いかも。「成功する人間は決まっている。いや、奴らは人間じゃない。本当の人間は、希望という甘言に乗せられ、分不相応の夢を追って、 苦しみ続けるのさ。」とか、どうですか?。返しは「成功だけが、結果だけだけ が全てじゃねぇだろ」とか。
で、アメノサギリを倒したと思ったら、シャドウがクマ皮に集まってきて、クマの中身がはじき飛ばされて、クニノサギリ登場みたいな感じかなぁ。
ちなみに、アダッチー初登場シーンで、堂島さんが「本庁送り返すぞ」と言っているんですが、本庁って、警視庁よね?。県警とは微妙に組織が異なる…はずよね?。あんまり詳しくないから、上手く言えないけど。警視庁から、県警に出向ってあるのかなぁ?。国家公務員が、県庁に出向みたいな?。そもそも、警視庁の刑事ってスンゴイエリートな気がするのに、県警に 、とばされるって何したんだコイツ。と思ってたから、真犯人当てが一発だった訳なんですけども。
話は飛びますけど、直斗役の朴さんと言えば、男装の麗人とか、中性的な人とか、少年役のイメージで、喉の奥を締めてる低めの声のイメージが強かったんですが、直斗コミュの恋人ルートだと、普通の女の子声が聞けるんですね。その声が、カワイイのなんの。ちょっとキュン死しかけた。なんかこー、図書委員やってる地味だけどかわいい子みたいなイメージがスポーンと出てくるような声でした。朴さんに、まっとうな女子役増えると良いなぁ。と、ちょっと思った次第。
ペルソナスタッフへの苦言
真のラスボスの倒し方の演出を決めたのが、ディレクターなのか、ライターなのか、私には知りようがないので何とも言えないのですが
(と言っても、あまりにP3と同じ演出、他でも、こっちが恥ずかしくなるぐらいのP3フォローをしているので、たぶん、ディレクター指定ではないかと思うのですが)
本来ならば、ほぼ同じ演出を連投することは、クリエイターとしては避けるべきで、いかに前作で失敗したからと言って、同じ倒し方の演出をするべきではありません。と言うか、普通の感覚の人なら、恥ずかしくて連投は出来ない。したくても、避けるもの。ユーザー側も二番煎じとか、同じパターン連続かよと、非難の声がでてしかるべきですが、そうした声はないようです。同じシステムでつまらないと酷評されたゲームもあるのにねぇ?。
そもそもにおいて、脇に徹するべきイゴールやマーガレットが前面に出てくることがおかしい。主人公に「立て」と叱咤するのは、本来ならば、"星"のタロウカードを宿星にもつクマであるべき。と私は思うのですけども。さらには、イゴールの出番は「珠」を作成することで終わるべきで、そのごデウス・エクス・マキナとして登場する必然性は全くないし、因果もない。なにゆえ、自慰行為のようなイベントでラスボスを倒したがるのか、さっぱり分からない。
私「も」、デウス・エクス・マキナによる解決はよろしくない。と思う人間です。分かってて敢えてやっているなら、主観の相違と言うことで済むのですが、「ラスボスに追い込まれて、(プレイヤーにも)秘密の潜在能力発動。く〜燃える」って思っていそうな感触があるんですよねぇ。潜在能力とか、聖剣の隠れたパワーとか、それで一気に自動で解決されるのなら、潜在能力を解放するための旅をしてきたのならともかく、今まで積み上げてきた冒険と努力、そして苦労を、全否定されている気がするのは私だけでしょうか?。
それがまた、ラスボスに追い込まれ、にっちもさっちも行かなくなり、時空間を無視して現れたNPCから手渡されたのなら、PCの存在意義すら否定されている気がするのです。
ちなみに、TRPGでは、そう言うシナリオを「アイテム運び」「NPC主役」とか言って、嫌がられる、または、評価されないゲームシナリオの五指に入ります。この手のシナリオを書くマスターは、ゲームの私物化が激しい人が多い。予定外の行動を認めなかったり、自分の想定と違う進路に入ると強引に矯正したりする。ペルソナ2以降、当てはまる気がしますね。2では、タダシと環をメインに持ってきたり、P4では、みっともないぐらいのP3のフォロー話入れたり、私物化が激しいですし。
で、ペルソナはもう続編出ない気がしますけど、あえて言っておきます。メガテンで思い出して欲しいこと2。
女神転生シリーズの特徴は、それまでのRPGのように、各神話の怪物や神の名前だけ取ってきたのではなく、神話ごと引用し、それらを並列に世界に入れたことにあります。鈴木大司教の腹案としてあったのか、西谷史氏に刺激されたのかは不明ですが。
従来のゲームは、ギリシアならギリシアのみ。ゲルマンならゲルマンのみで構成されてました。メガテンは、その壁を砕き、イザナギ対ロキや、アスラおう対ミカエルと言った世界の神話が均等にある世界を生んだわけです。それが強みであり、また弱点でもあるわけですが。ほとんどの人は一分野、一つの神話には強くても、全てを統括できる人は、鈴木大司教を除いてまずいない。故に、メガテンも、大司教がいなくなり、シリーズが進むごとに、名前だけ借りてき た、中身のないモンスター化が進んでいきます。
ペルソナなんてとても顕著で、P3で完全なスタンド能力になり、P4ではペルソナは副次的であり、テレビに入る能力のおまけになってます。真3にしろ、ストレンジジャーニーにせよ、魔に落ちた神々の復権 への策謀が語られることもなく(考えてみれば、真1や真2のルシファーは、自己の理想のために戦っていた)、各地の神話をパッチワークしたような扱いです。元神話がこういうポジションなので、ゲームでもこうみたいな。でも、本物のパッチワークのように、一見ばらばらに見えても、模様として成立しているのならいいのですが、ただのつぎはぎになっている気がします。
P3ではもっと如実で、ニュクスというギリシア神話の夜を司る神をエントロピーの象徴としてあげるモノの、登場の際は、夜ですらなく、月から現れると言う。P3の方にも書きましたけど、ニュクスと名前を付けたからには、古代人に接触経験があるはずなのに、なんら謎に挑むこともない。企画原案を作ったのがディレクターだとすれば、断ぜられるべきのはディレクターの方かも知れない。私物化も激しいしね。
ストレンジジャーニーのトコでも書きましたけど、大オチを唯一神対ルシファーといのは、もはや、安すぎる構図です。唯一神対ゼウスでも、ヴィシュヌ対ルシファーでも良いはずです。神話の垣根を越えることこそ、メガテンなのですから。それなのに、神話を取り去ったら、ただの安いファンタジーです。 そもそも、神々の権力争いに人間が巻き込まれると言う筋であった真1や2に対し、それ以降では、人間を導くためにわざわざやってくれているというふうにも受け取れる話が多い。神々は、そんなに優しいだろうか?。人間は、そんなにも世界の中心的存在だろうか?。
なによりも、ペルソナという存在に芯が無くなったと思うのは、私だけでしょうか。心の海に神も悪魔も漂っているからこそ、ペルソナは神や悪魔の姿で現れる。そうした下地を無くしてしまったら、ただのスタンドですわな?。今ならfateか?。困難に立ち向かう心の鎧、苦難を切り払う心の剣、なぜそれが神や悪魔の姿を取るのか。それを考えなければ、ペルソナシリーズになんの価値もない。
そして、人の心にある己の姿をみた神や悪魔は、どう反応するのでしょうか。人の心にある己の仇敵、または、最愛の人をどうとらえるか。 人の心の中では、絶世の美女とされ、あるいは、強大な獣として存在する自分。それを見た悪魔は、喜ぶのか、あきれるのか。そうしたことが、本当のペルソナトークになるんじゃないでしょうかね。
あ、分かった。P4がパンチ力に欠ける理由。ペルソナという力を、神話や神、悪魔のイメージを捨てて、たんなるスタンドにした上に、連続殺人犯を追うという、現実ものに組み立てたにもかかわらず、最後の最後ので、実存する神と対決ってのが、もの凄く白々しいんだ。P4の中に神話はない。でも神がいる世界。だから、浮いてるんだ。
ペルソナ4の物語は、最後の障害、原因を神のせいにして、そこに逃げるのではなく、全てのモノ、善きことも、悪しきことも「心の海」から生まれてくるもの。と言った人間そのものが破滅の原因であり、人間そのものが解決策であるとしなければいけない話だったんじゃないかな。
うーん、この一文が、P4のレビューとして必要最低限かつ核心の気がする。P4でなくペルソナシリーズにおける大前提の気がしますね。そうして振り返ってみると、ペルソナ1のラスボスのパンドラは、やっぱりすごかったなぁと。上の駄文消しても良いけど、あの流れがないとここにたどり着かなかったから、読みにくいし、恥ずかしいけど残しますわ。
もし、ペルソナ5があるとして、敵をシャドウにするなら、神話からは切り離し、神のいない世界を作るべきだし、神を登場させるなら、神話をキチンとふまえるべきだ。それが出来たら、たぶん、新しいメガテンワールドが、アトラス独自のメガテンワールドが生まれると思います。今のメガテンワールドは、鈴木大司教の借り物ですから。しかも、いじりすぎて原型が無くなってきてる。悪い意味で。
ペルソナシリーズは、メガテンシリーズじゃない。と言う人もいるかと思いますが、ならば、なぜ、ペルソナが神や悪魔の姿をしているのか。何度も言うけど、別にオリジナルの背後霊でも、スタンドでも、ガーディアンでも良いはずで、神や悪魔の名前を借りる必要性はない。そうした超常体を出すことで、メガテンの看板の陰に隠れながら、メガテンシリーズじゃないですから。というのは、いかがなモノか。
比較神話論への誘い
と言うほど、大仰ではないですが、イザナギの冥府下りは、オルフェウス型神話の典型例と言われますが(と言っても、合致する神話は思いの外少なく、オルフェウス型と言う言い方は古い学説と言えるでしょう。冥府下り型ぐらいかな)、そこ以外にも、ギリシア神話との共通点が見いだせます。
たとえば、イザナミは「黄泉の食べ物を食べてしまったので、もはや帰れない」と言いますが、同じく、ペルセポネも、ハデスによって、冥府から出る前にザクロを口にさせられ、冥府に属すことになります。ギリシアでも、冥府の食べ物を口にすると、冥府に属させねばならない。と言う決まりがあったようです。 もしかすると、墓前や死者に食べ物を備えるのは、黄泉の食べ物を食べさせないためかも知れませんねぇ。
これは、死は、神ですら避けられない。と言う現れとも言えますが、オルフェウスの妻も、ペルセポネも、冥府から出ることを許されます。オルフェウスの妻は失敗しますけど。イザナミも「黄泉神と相談してみる」と帰る方法があることを示しています。このことは、死者復活の秘儀の存在を示すとされ、オルフェウスに関しては、オルフェウス密儀とよばれている再生儀式、イニシエーションがあります。
元来、冥府よりの帰還というものは、再生の神話であり、冬の間、植物が枯れ春にまた芽吹く。と言うことに端を発しています。もしくは、太陽の運行(夜になると言うことは、太陽は冥府へ行っている、そして朝、太陽は復活する)。ギリシアでは、デメテル、ペルセポネとハデスによって、語られます。ペルセポネをハデスに連れ去られた豊穣神デメテルが、ペルセポネを探して職能を放棄するため、冬が来ると考えられ、メソポタミアでは、イシュタルの冥府下りとして語られています。植物の神であるドゥムジ、タンムーズが冥界に送られている間、冬になると言うわけです。 なお、イシュタルも冥界の食べ物を口にして冥界に閉ざされてしまいます。
日本における豊穣神の隠居ないし冥府行きと言う、植物のサイクルを示す神話は、イザナミではなく、アマテラスの岩戸隠れがそれに相当します。これは、冥府下り型ではなく、隠遁型です。ハッティ(トルコ 東部)で出土したモノに、豊穣神テリピヌが隠れてしまう物語があります。ただし、隠遁型は、一度しか隠れないことがほとんどで、冥府と交互に住む。と言う記載もないため、植物サイクルや季節の移り変わりではなく、日食や天災のような天変地異を読み解いたモノと見る方が妥当ではあります。ちなみに、テリピヌの怒りを静めるために、他の神はもちろん、動植物や人間も、詩の祈りを捧げるのですが、それは祝詞のようでもあります。
このことは、縄文時代の日本は亜熱帯気候であり、冬らしい冬がなかったことが関係しているのかもしれません。もしかしたら、当時の小アジアも冬らしい冬がない、植物が枯死することがない国だったのかもしれません。
ともあれ、豊穣神の隠遁、冥府下りが別個にある以上、冥府下りには、死者復活ないし再生の密儀が含まれてしかるべきですが、日本神話から密儀的解釈を試みた研究者はほぼいないため、手つかずの状態にあります。もしくは、密儀的なものが抜け落ち、物語としてのみ存在するのかもしれません し、逆に密儀ゆえに簡単に読み解けないようにしてあるのかも知れませんが。
オルフェウスは、バッコスの神女というデュオニソスの配下に殺されていることは、デュオニソス密儀がオルフェウスに引き継がれたと考えて問題ないはずです。デュオニソスはワインの発明者で酩酊の神のイメージが強いですが、三度生まれた神であり、特に三度目は、ティタン族に八つ裂きにされ、鍋で煮られて食べられてしまいます。心臓を持ち去ったアテネとレアが骨を拾い集め復活するという復活と再生を示す神でもあります。さらには、母セメレを冥府から連れ帰っています。
イザナギの冥府下りも、追ってくるヨモツイクサやヨモツシコメを櫛を折って気をそらせ、その隙に逃げおおせるわけですから、ヨモツイクサやヨモツシコメを病気等の疫と考えれば、飾り櫛や髪飾りが、身代わりの呪具と考えることも出来ます。
話はそれますが、昔話にある「三枚のお札」って、もしかしたら冥府下りの仏教化かもしれません。女の鬼に追われた小僧が、三枚のお札で逃げおおせるこの話は、イザナミから逃げるイザナギが、櫛や髪飾りでヨモツシコメの気をそらしたことに通じる気がします。
また、視点を変えてみれば、オルフェウスの首が川に流されたのは、イザナギが禊ぎをしたように、流れる水で冥界の穢れを祓ったとも考えられます。
まぁ、ゲームレビューの末に、まじめな神話考察を書いても、詮無いことですので、このくらいにしておきます。神道とキリスト・ユダヤ教の共通点など、色々あるのですが。ちょっとふれると、山伏が付ける額に付ける「ときん」。あれとそっくりなものがユダヤ教にあったり、星の神が反逆神というのも共通項ですね。 不敬罪に問われそうですが、モーゼの家紋は、天皇家と同じ十六菊花紋です。伊勢神宮に六芒星があるのも有名ですよね。
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