批評と評価と感想


夢酔から独立して、再録いたします。松浦まさふみ先生のコラムを丸々載せたいところですが、それは問題がありますので。


感想文にすらなっていない、レビューを良く目にする。上手く批評できているサイトはほとんど無い。感想文が載っていれば、ラッキーなぐらいだ。

ふと感じたのは、日本人にとって、批評とは「難癖、いちゃもん、言いがかりをつける」と同義語になっているのではないだろうか?。批評は、あくまで評価であり、褒めるべきところは褒め、けなすところはけなす。「けなす」と言うと表現が悪いが、個人や制作チームが気が付かなかった弱点を指摘し、さらなる完成度の追求を目指して欲しいとの気持ちである。ここを直せば、もっと良くなる。と言う想いから、至らぬ点を指摘する。

正当な批評無くして、真の発展はあり得ない。その証拠に、今の現状では、同人ソフトと製品ソフトの境界が曖昧になっている。それも低いレベルでだ。ワゴンセールで買い付けたり、知人に借りたりしてみると、ホントに正規流通商品か疑いたくなるモノもある。

MSサーガvol9『Gガンダム雑感』で、松浦まさふみ氏がこう発言している。日本の業界はアニメブームで手の部分は随分と成長したが、肝心の頭の部分はまだまだかもしれない』。ゲームも同じだ。手、すなわち、実作業レベル、プログラミングであり、原画であり、CG書きである。頭は、創造の部分、企画立案から脚本までの段階。

氏はこうも危惧している。『こういう未来も予想されないか?。技術は進んだにもかかわらず、やっていることは相変わらず人気マンガの映像化だったり、リメイクだったり、昔のアニメは面白かったと言うオマージュばかり…』

この記事は1995年に書かれている。松浦氏の当たって欲しくない予想は見事に的中し、それはアニメ業界だけではなく、テレビドラマ、映画、ゲームと言った創造を必要とするジャンル全てで発生している。実作業は複数であるモノの、創造はほぼ一人で行うマンガだけは、助かっているようだ。

これらはまともな批評家が存在しない事に起因している。最近の評価は、全て実作業レベルでの評価。原画を誰が描いただの、主役を売り出し中のアイドルが演じているだので、作品として評価すべき、創造の部分、脚本やストーリー、シナリオと言ったモノは、置いていかれている。これで、進歩するだろうか?。

貴方のお気に入りのゲームは、本当に面白いのか。好みのキャラクターがいなくても、面白いと言えるのか。考えて欲しい。

松浦氏はこうも言っている『物語の創造と言うのは、決して安易なことではない。だが過小評価され続けているうえ「これがパターンだから」と開き直り、過去の作品の固有名詞を替えただけの無能な脚本家の人材が「この程度で充分」などと嘘ぶくことには、ここいらでハッキリとNOと言わなければならないし、真剣に物語を創っている人間には、面白かったと言うべきだ』

この痛烈で、痛快な批評に耐えうる作品が、昨今の世間一般で言うベストゲームだとか、バカ売れアニメの中にあるだろうか?。

もちろん、耐えうるゲームも沢山ある。だが、そうした真に褒め称えられるべき作品は、冷遇され、世間からは見向きもされない。まだ手遅れにならない内に、ただしい批評を身につけ、制作側をも刺激し、制作意欲を駆り立てる批評をしなければならない。

批評をただの愚痴だと、流すこともできる。しかし、酷評から何を学ぶか。失敗から何を学ぶか、人間の成長はそこから始まる。と私は思う。エンドユーザーに、まともな洞察力や、考察力、分析力も無いこともあるが、制作側に批評を受け入れる体勢があるだろうか?。誰しも、褒められた方が嬉しい、しかし、さらなる成長のためには、弱点や欠点を補わなくてはならないのだ。批評にこそ、宝がある。

松浦氏は記事をこう締めている。そろそろ頭(創造)を鍛える準備を始めても良いだろう。今世紀中は切り捨てでも』これは、1995年の記事だ。すでに世紀は変わった…残された時間は少ない。

技術の進歩しているのに、なぜドラマもゲームもツマラナイものが氾濫しているのか。それを考えていたら、松浦まさふみ氏の記事に当たり、慧眼に心酔。答えを出して貰った気分。

あ、ツマラナイと思ってプレイするから、ツマラナイので、どんなゲームにも面白いところはあって、そこを見つけるか、自分なりに楽しめる方法を見つけるべきだ。と言う人もいるかも知れない。

だが、それは間違い。つまらないモノを、面白いと思いこむまで、プレイする。と言うのは、自己暗示であり、洗脳だ。つまらない物は、つまらない。話題作だから。みんなが良いと言うから、面白いと思いこむのは、マヤカシであり、誤魔化しです。

日本はなぜか、一度評価を得たモノを酷評することを毛嫌いしますが、そもそもそれが間違い。マスコミや雑誌は、広告というスポンサーである以上、欠点を告知することは出来ない仕組みになっており、抑止力や、評価機関としては機能していません。

今のゲーム、ドラマ、映画は、危惧すべき状況にあることを認識して下さい。


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