キャンペーンシナリオの作法

 


本来ならば、私ごときが書き記す必要も、資格もないのですが、シナリオ作法というか、基本的な組み立て方を知らないで書いたような話を散見するので、お恥ずかしながら一席打つ事にしました。


さて、キャンペーンシナリオ。と言われても、まるで分からない方が多いと思います。テーブルトークを少しでもかじった方なら分かるかと思いますが、乱暴な言い方をすれば、一話完結でないシナリオ。まぁ普通一般に、コンピューターゲームのシナリオは、自然とキャンペーンの形式になっていると思います。一つの目標をクリアしたら、次の目標が出てくるのが普通ですし 、一つ解決して終わったのでは話が保ちませんし。話数方式の組み立て方、例えば、東京魔人学園や、葛葉ライドウシリーズのような、第一話とかで区切ってあるものだと、わかりやすくなります。この第一話とかが、単発シナリオでありつつ、さらなる謎への導入でもある訳ですから。魔人学園で言うと、水角の起こした事件を解決しつつ、鬼道衆がやろうとしている全貌の一部を知る訳です。

簡単な例を挙げると、魔王を倒す。と言うベースラインがあるとして、魔王の住み家はドコなのか。どうやって、その場所を知るのか、どうって、そこへいくのか。どうやって倒すのか。など、逆算していくと発想しやすくなります。そして、それらの問題を一つずつ解決していく事で、キャンペーンと呼べる訳です。一話解決の小目的をこなす事で、大目的の解決へ一歩ずつ近づく。これが、いわゆるキャンペーンシナリオであり、単発シナリオを、ただ積み重ねれば、キャンペーンという一連のシナリオになる訳ではありません。これすら出来ていないのが、メタルサーガだったり、水スペ川野口ノブだったりするわけですが。

そうして、魔王を倒すという大目標(今風に言うと、メインミッション)を進展させていく訳ですが、それだけでは、何か足りない。と感じた先人たちが編み出したのが、個のキャラクターを掘り下げるという事です。主人公の相棒や、パートナーはなぜ魔王を倒すと決めたのか、とか。なぜに、主人公に、そこまでかいがいしく付き添うのか。 果ては、魔王はなぜに世界を滅ぼすと決めたのか等を語っていく事で、さらなるドラマ性を深めていった訳です。私が想像するに、この手法が一般的、当たり前の手法となったがゆえに、基礎基本であるシナリオ作法を固める前に、キャラの掘り下げのみを行うようになったのが、現代のキャラ萌え優先の乱発に繋がっているのではないかと。土台がないから、掘れるわけがなく、また小さな土台に、キャラを山盛りにするため、シナリオが崩壊しやすい。そんな気がします。

言うなれば、ピカソは、類い希なデッサン力を身につけた上で、あえてそれを崩し、キュービズムを作り出した訳ですが、デッサン力もないのに、ただキュービズムを描いたのでは子供の落書きにしかならないのと同様に、シナリオ作法というか、物語の土台をしっかりと作れないのに、キャラのみを掘り下げようというのでは、カオスになるのは当たり前といえるでしょう。

繰り返しますが、単発シナリオを連続させれば、キャンペーンになる訳ではありません。そして、最後の単発シナリオで世界の謎といきなり対決したところで、小目的分の感動ポイントしか貯まっていないので、感慨が起こりようもなく、これで終わり?とか思われてしまう訳です。最近、ぽつぽつと、こういう、本筋とは全く無縁の単発シナリオを連続させて、長編ぶっている話を見かけるようになり、不安を感じております。メタルサーガやノブの他に、ペルソナ3も、ややその傾向があります。各満月のシャドウを倒しても、単発シナリオとしては解決する(してないのも多いですが)モノの、全体としての進展がほとんど無い。と言うか、各話ごとに設定が微妙に変わっていく当たりに。さらに酷い大遭難は、シナリオと呼べるモノすら無かった訳ですけども。



さて、本題に入ります。キャンペーンシナリオにおける作法というのは、実は一つしかなく、奥義にして基本といえるそれは『伏線をキチンと張り、処理する』と言う事だけです。まぁ、単発シナリオでも、これをする事はとても重要で、伏線を張り、処理をしないと、突然始まって、突然終わる感じがとても強くなります。伏線というのは、まぁ、わかりやすく言えば、ヒントや手がかりであり、プレイヤーを誘導する目先のニンジンであり、そして、その手がかりが、最後の最後で解決の鍵となる。というのが理想型です。そうなれば、素晴らしく感銘を与えられると思います。当然のことながら、基本的なシナリオ作法である起承転結等は守った上で、です。

この伏線という、手がかりやヒントもなく、いきなり解決策を提示したり、解決方法が飛び出してくるのは、犯人が突然自首してくる推理小説に等しい訳です。エクス2や、ペルソナ3の様に、突然現れたNPCから、「ハイ、最終兵器。これで勝てるよ、じゃねー」で、感動できるでしょうか。と言う事です。これを推理小説で言うなら「ほら、これが犯行の一部始終を移したビデオだ」と、情報屋が突然現れるようなモノです。

このあり得ない感を逆手にとって、ギャグにしているのが「Policesquad知能指数0分署」なんですが、主人公フランク・ドレビンは、Bパートが始まると、靴磨きのオヤジにチップを渡し、犯行の全貌を教えて貰うのが定番で、フランクの後に、専門家や著名人にも答えを与えている(消防隊長に消火の仕方をレクチャーしたり、医者に手術方法を教えたりとか)。と言うオチになっています。ちなみに、裸のガンを持つ男の原作(テレビシリーズ)です。

そんな、ギャグにすらなるような事を、本気で、大まじめにやっているわけで、どう言いつくろっても、酷い言葉しか出てこないので、察してください。恥じてください。



で、一つの伏線を解決したら、それがさらなる伏線になる。と転がっていくと、プレイヤーもどんどんと引き込まれていく訳です。そして、それは自発的な進展へとつながり、プレイヤーから、やらされている感、すなわち、作業感を取り払う事につながると、私は考えています。

ソウルハッカーズの序盤を教本とすると、
まず、最初の導入で、パラダイムXのアクセス権を得るためのハッキングを行います(導入)
スプーキーに呼び出され、GUNPを手にしますが、パスワードでロックされています(伏線1)
パラダイムXにて、レッドマンと接触、ヴィジョンクエストを行い、ネミッサを探している事、ファントムソサエティの存在とGUNPのパスワードを知ります
(ネミッサとファントムの存在は伏線2、パスワードは伏線1の解決)
GUNPのロックを解除、ネミッサと接触(メインクエストへの導入)

てな具合です。んー、厳密な伏線じゃないなぁ…もちっと、わかりやすく説明するためには…

魔王を倒すためには、聖剣が必要。
聖剣は、試練の洞窟にあり、
試練の洞窟は、大賢者が知ってるけど消息不明
大賢者には孫娘が居て、孫娘にたどり着くと、それは母親の事だった

この例えでも一緒か。キャンペーンの連続性の説明にしかなっていない。あー、旅立つときに、母親からペンダントとか渡されて、それに大賢者の紋章とか入っていると伏線と言えるかも。そのペンダントこそが、洞窟を開ける鍵みたいな。

事件記者コルチャックだと、冒頭、イタリア旅行から帰ってきたエミリーお婆ちゃんが、コルチャックにイタリア製の帽子をお土産として渡したりしつつ、私はヴァチカンの聖水を貰ってきたのよ。とか、わいわいやっていると、怪奇事件発生。調べていくと、それは吸血鬼の仕業で、退治には、かなり強力な聖なるモノが必要。あ、エミリーばあちゃんが聖水持ってた!。教会の総本山、ヴァチカン大聖堂の聖水!って、展開になっていたりする訳です。

これはこれで、かなりご都合と言えますが、ペルソナ3やエクス2的な展開だと、吸血鬼には銃も何も効かないよ。もうダメだと途方に暮れていると、突然、天使がやってきて「はい聖なるアイテム」と去っていくようなモノ。どっちが、酷いかと言われれば、当然、天使が来る方が酷いと思います。まぁ、天使と言わずとも、逃げ込んだ教会の神父が、なぜか聖槍を持っていた。みたいな感じでしょうか。ご都合主義を、いかにご都合に見えなくするかというのも、作家の手腕だと思います。

思い返せば、私がレビューで酷評したゲームの殆どは、この基礎基本が出来ていないゲームばかりのような気がします。考えてみれば、伏線が無いから、「この先どうなるんだろう」と思う事が無く、伏線がないから、どんな解決策でも、降ってわいたような印象を受け、物語の連続性がないから、「突然、そんな事言われても?」とか「なに?これで終わるの?打ち切り?」みたいな感想になっていた気がします。

改めて文章化してみると、伏線の設置や処理、キャンペーンにおけるストーリーの連続性というのは、本当に、ごくごく当たり前の、基本中の基本で、これが出来なければ、作家とかシナリオライターと呼べるはずがない、名乗れるはずがないレベルの 根幹事項という事をヒシヒシと感じる訳ですが…これを読んで、当たり前の事をえらそうに。と思う人が大多数である事を祈ります。



ついでに、テーブルトークでの話をすると、初回は単発のなんのヒキも伏線もないシナリオをする人は多いです。これは、自分やプレイヤーに、ルールを慣れさせるためである事が多く、たいていの場合、戦闘シナリオを導入に持ち込む人が多いです。テーブルトークのルールの中では、戦闘ルールが一番煩雑なためです。

そうして、折を見て、キャンペーンの発端シナリオへ接続していく訳です。テーブルトークのロードス島戦記も、初回はただのダンジョン探検で、3回目当たりで、カーラと接触、メインシナリオへ流れ込んでいった話です。

マスターを持ち回りでする場合は、単発シナリオの連続になる訳ですが、それをキャンペーンシナリオだという人はまず居ません。まぁ、ベテラングループだと、キャンペーンかつ持ち回りでプレイする事もありますが。つまり、次回への伏線を必ず張り、次のマスターにバトンタッチしていく訳です。リレー小説とかリレー漫画と同じ手法ですね。上手く行くと、非常に面白いのですが、まぁ、プロが誌上企画とかでやらない限りは、大抵、瓦解します(笑)。

さらに、ベテラングループになると、五分間マスターというのをやってらっしゃる所もあったり。五分だけマスターをやって次に回すという、本当の意味でのリレーTRPG。こいでたくさんのグループがやられていたそうです。

ともあれ、持ち回り式でも、単発の集合体である事には変わりなく、一貫した連続性がないと、あまりキャンペーンとは言いません。



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