本来は、夢酔の方の小ネタだったんですが、ストリートファイターVがやらかしてましたんで、一席、打とうかなと。
KOFの2000シリーズで、格闘大会で世界を救うレベルの話に持ち込んで、かなーり白けた人も多いと思いますし、そう言う方向に舵を切ってそっちにリソースを振り分けた結果、格ゲーとしては超必当てた方が勝ち、ないしは即死コンボをミスった方が負けみたいな調整放棄路線に入って潰れてしまったSNKの轍を踏むか、カプコン(ストVはそこまで酷くないですが)。
さて、日本病と言っても、別に社会学的な話ではないです。
STEAMのFALLOUT4のユーザーレビューに「従来作では、所詮、ローカルヒーロー止まりでつまらない」とか「戦前の価値観をもって、息子を捜すというロールプレイ」とかいうのがあって、日本病というか、JRPG病だなぁと。
そもそも、主人公は世界を背負わなくてはならない。と言う時点で、罹患している。小さな町の大きな問題を解決することもヒーローだ。スパイダーマンだって、ニューヨークのヒーローでしかないし、バットマンもゴッサムシティのヒーローでしかない。初代の仮面ライダーだって、ショッカーの日本支部と戦っているローカルヒーローだよね?。
この、主人公は世界を背負うと言うJRPG病で、最後を台無しにしたのがペルソナ4だった(罹患者たちはそこが良いんだというのだろうけど)。田舎町の連続殺人犯を追いかける話だったのが、いつしか世界を賭けた戦いに。と言うのは、しらけるものだ。
ロールプレイの認識も誤認で、与えられた役割を演じるのは、ロールプレイではあるが、RPGではない。まぁ、人格や名前、性別までも決められて、与えられた役割を、定められた演出をなぞる事が、RPGと思っている層なんだからしかたがないが。そして、大多数を占める層でもある。作る側もやる側も、楽だしね。
だが、FALLOUTやTESは、それを良しとしなかったことに意義がある。
小さな町の大きな事件を、放浪者(マレビト)が善かれ悪しかれ解決していく。放浪者は、本当にこの解決策が正解だったのか。と言う思いをかき消すように「Maybe」を口ずさみながら去っていく。その放浪者を見送るのが、町の住民なのか、レイダーの嬌声か、死体の山なのか。
これができるのがFALLOUTやTESだった。戦前の価値観をもった善人という役割に固定されるのは、ロールプレイングで あっても、RPGではない。ただ、与えられた、と言うよりも強制された役を演じているにすぎない。 いや、ろくな選択肢も無く、カットインムービーで進行するならば、もはや観劇していると言えるだろう。
自分で作ったキャラクターが、キャラクターの人格のままに生きるという事。それがロールプレイングゲームであり、キャラメイクである。ちなみに、事前に作成されたキャラクターを、テーブルトークでは「プレロールドキャラクター」と呼びます。市販のシナリオに付いている事がありますが、使われる事は皆無。せっかく自分で作ったキャラクターでなく、「君は、これこれこういう理由で故郷から旅立った戦士ね」とか押しつけられたい?。
世界の危機を訴える少女に一目惚れしたスポーツ選手ね。とか、戦前の倫理を振りかざす、善人もどきね。とか、 そうした役回りの強要を事前に了承しているならば文句はないのだが。 別人格の追体験もまた、一つの体験ではある。しかしそれは、ゲームと呼べるのだろうか。
何度も言うけど、ゲームの利点は、プレイヤーが物語に関与できる事。特に、RPGでは自分の決断が世界に影響を及ぼさないようなシステムでは、ただの読み物でしかない。ムービーなどによって固定された反応を見る事しかできないのでは、選択肢が一つしかないADVの様なモノ。それは、 読み物であってゲームじゃない。
私は、ロールプレイングゲームにおける、ロールプレイを「演技」とすることには違和感がある。テーブルを挟んで、寸劇、アドリブ劇を繰り広げる訳じゃない。あくまで、自分の作ったキャラクターが、どう考えてどう行動するかを考えること。「なりきり」だと思う。山本弘氏がよく使う「ごっこ遊び」が一番適切と思う。(ちなみに、実際に、キャラクターになりきって、セリフに感情まで込めることを「キャラクターロール」と言っていたような気もする)
特にコンピューターRPGにおける、ロールプレイは、演技であるべきではないと思う。と言うか、画面越しに演技などできようもない。コンピューターRPGにおけるロールプレイは、やはり、主人公という 運命決定者の役割をこなせるかどうか。と言うことになると思う。
RPGの齟齬という意味では、メイクとビルドの違いも認識してない層も多い。顔パーツやら、戦闘クラス選ぶのをビルドって思っている人の多い が、実はそれは、メイクでしかない。ビルドって言うのは、TESでいうならば、重装鎧の魔法使いだったり、召喚術を使う軽装の両手ハンマー使いだったりと、スキルの組み合わせによる特性。誰がやっても、同じ戦い方にしかならないのはビルドとは言わない。
例えば、人間の男で、戦士、長髪の黒髪で切れ長の目で冷酷な悪人面だが、面倒見はよく、不思議と子供に好かれる。と言うのはキャラメイク。端的に言うならば、種族とクラスとポートレートを選ぶ作業はメイクなのだ。
ビルドはゲームが始まってから行うもので、例えば、戦士にしても、剣と盾を持ったバランス型、両手武器の一撃型、二刀流の手数型などをスキルやPERKでデザインしていくのがビルド。
いくつか例を挙げるならば、両手武器を使う一撃型の戦士でも、重装の金属鎧を着て重戦車型になるか、軽装で防御を捨てるかわりに、攻撃力と機動力を確保する飛行機型。魔法をも利用するトリッキー型とか、スキルの組み合わせがビルドと言えよう。
ゆえにレベルアップしないと行えないので、開始時にビルドが出来るモノは少ない(トラベラーのような経歴型は可能。ビデオゲームの例ならシステムショック)。
「剣街」の体験版はビルドまで、できるよ。と言われたことがきっかけで書きました。村正が悪いのか、ファンが悪いのか分かりませんが、誤認を広めているよなぁ。チームラ。何で信者が出来るのか分かんないよねぇ…あの不出来の塊で。レベル上げという作業、苦行を「努力に報いてくれる」と言う認識を持つ人も少なくないわけで、「非効率に耐えることが美徳」という日本の学校教育の賜ですかね?。
まぁ、メイクとビルドに関しては、私の脳内設定なので世間一般の認識とはズレていると思います。と言うかまぁ、ここHPに書いてあることは、基本、私の脳内ルールなんですけどね。
初稿2017/02/20
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