シナリオとは何か(告知版)(2011/07/15)
その前に、カウンター止めました。アクセスログ代わりにつけてたんですが、まぁ、色々と思うところがありまして。 移転前と移転後の合算もメンドイし(移転前のカウンタ控えてなかったのもある)
それと掲示板も切りました。賞賛とクレームを交互に貰う形でしたが、身になるクレームはほとんど無く、ノイズに耐えられなくなりましたので。放置しても良いんですが、やはりゴミは片付けないと。
双方向であるべきネット界で、一方を遮断する意味は理解しております。何らかの対応を取りたいとおいますが、一定のめどが付くまで(流行語)、現行をお許しいただきたい。
で、シナリオ、特にゲームでシナリオというものを、真っ当に理解している人は結構少ない気がします。古い話ですが「かまいたちの夜2」の大手個人攻略サイトで「あなたの好きなシナリオ投票」と言うのがありまして、一位はと言うと、「尻振りダンス」でした。少なくとも1000近くは票を集めてた気がする………でもそれ、シナリオじゃないから…ただの1シーンで、ただのイベントだから…
あれから、進捗があったと思いたいが、未だにゲームにシナリオなんていらない。と言う人が出てくる……クリックゲームなら、あるいは、対人RTSなブラウザゲームでもそうかも知れない。だが、シナリオは筋書きであり、設計図である。ドコでどういう情報を得、どういうアイテムを得、どういう地形で、どれだけの敵と戦い、そう言うことも含まれる。もっとおおざっぱに言えば、ゲームの目的設定がシナリオの基部といえる。何を持ってクリアと成すのか。クリア条件を満たすために、どういう過程、道程を設定するのか。どの程度の壁、試練を用意するのか。それが、ゲームにおけるシナリオである。
ゲームシナリオとはイコールで脚本ではないし、イベントでも演出でもない。ましてや文章表現でもない。内包されるがイコールではない。物語性、ストーリーテリングだけが重視され、ゲームシナリオライター=ゲームテキストを書く人になっているが、それはプランナー、ディレクターとライターが同一であることが多いせいだ。
そうでなければ、物語上の盛り上がりポイントと、ゲーム上の盛り上がりポイントにずれが生じる。特にFPSは、コレに悩むようです。crysis2のインタビューなどを見ると…4gamerでの元記事が見つからない…crysisじゃなかったかなぁ…まぁ、レベル(ゲーム)デザイナーは月に住み、シナリオライターはマリアナ海溝に住む。そんな論旨でした。FPSにシナリオ分岐はそんなに無いからまだいいけど。物語的に一番盛り上がって欲しいシーンなのに、ゲーム的にはダッシュで走り抜けて2秒で終わって良いのか?と言うことです。
この考え方がすでにガラパゴスなんだろうか?。ライターは、小説を書くようにテキストを書けばいい。あとで、乗っければ良いんだから。と言うことなのか……ん〜、外注はこうカモ知れないなぁ。エースコンバット6とかの本編との乖離とかをみると。
シーン構成は流れ、リズムなので、ただの移動(たとえば通学中の会話)を長ったらしく、微細に書き込んでも邪魔なだけで、リズムを崩す。流れのリズムが悪いゲームは、プレイが苦痛になる事が多い。と言うのが私の信念。小説だって、映画だってそうだと思う。テキストも演出も、ゲームを盛り上げるためのはず。そもそも、ゲームと乖離した物語がトッピングされる事に、なんの意味があるのだろうか?。
これからのゲームは、スマートフォンの中に住まい、大量消費され、味わうこともなく飲み捨てられていく存在になるのか。映画と肩を並べる芸術となりうるのか。映画や小説にはないインタラクティブ性、自分の行動がダイレクトに物語へ影響する没入感。やはり、私は映画を超えられると思うし、小説、演劇、映画と来て、その次にあるのものはゲームだと思う。
私は、将来的には、遊技、デジタルスポーツとしてのゲームと、インタラクティブエンターテイメントとしてのゲームに二分されるのではないだろうか。演劇が映画と舞台とに分かれたように。スポーツはプレイそのものがドラマでありシナリオなど必要ない。が、エンターテイメントとしては、絶対にシナリオは必要である。本来の意味でのシナリオが。 そして、インタラクティヴでないシナリオは、ただの物語で、読み物に過ぎず、ゲームシナリオではない。
映画に成り代わる道は険しいし、はるかに遠い。私が生きている間にたどり着くことは無理だろう。一代で躍進を成し遂げるほどの傑物でないことも身にしみている。か細い獣道を残せただけでも満足できる。まぁ、行き止まりかも知れませんがね。
まぁ、最初に理想を語るモノは嗤われるもの。別に私が最初な訳ではないですし、結果を残さねば、笑われて当然ですけども。
そして、己が過ちを正さねばならない。シナリオ偏重でレビューもどきをしてきたが、シナリオの基礎定義を広めるのを忘れていたようだ。一応 レビュー内では、文章力に関しては「脚本」「セリフ回し」と言っているはずだし、ストーリーラインの起承転結、どんでん返し、つまりゲームの設計などを、シナリオギミックと言っているハズである(三流なので時折意図がずれている事があるが)。
補注:GAMELIFEさんに良いヒントがあったので、無断リンク。
この記事
Feature: BioShock Infinite 特集の「プレイヤーの選択とその結果を重視した物語作り(Player-driven Narrative)を目指している」と言う言。
それはつまりは、物語の展開性と展開装置としての選択肢の意義。であろう。
さらに補記
自分自身としては、今でもシナリオ偏重でゲームを見ていると思ってます。しっかりとした物語があってこそ、ゲーム性が際だつと思ってますし。そしてそれはきちんと融合してないと意味がない。パンかじってもあんパンじゃないし、ご飯ほおばったままお茶飲んでもお茶漬けじゃない。エースコンバット6みたいに、戦闘機のドンパチとムービーショーがアレだけ乖離していたら、なんと言っていいか分からない。ムービーのトッピング?。Dead Rising 2とか娘のゾンビ化を止める。と言うストーリーラインがあってこそ、時間制限が生きてくるわけで、ストーリーがなきゃ、ゾンビ相手の無双系でしかない。
しかし、この「物語があってこそ、ゲーム性が際だつ」と言う考え方。裏を返せば「一定レベルのゲーム性が確実に存在する事が前提」なんですよね。そりゃそうですよ、ゲームという商品で、ゲーム性がないとは思わないじゃないですか。
でも、正直なトコ、シナリオ性に言及できるほど、ゲームとしてしっかりしてる日本産は近年なかなか見ないです……
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