アストロ球団


一試合完全燃焼!!


 

2006にテレビシリーズとして制作された、ドラマ版アストロ球団です。近年では珍しく、良くできた脚本と演出で作られており、マンガのテレビドラマが乱立された時期でありながら、ひときわ輝いて見えます。私は、マンガの映像化はアニメに限ると思っている人間です。と言うのも、マンガは絵で表現される、いわばコマ送り、スライド映写式の映画ともいえます。その為、マンガという空間でなら、リアリティが感じられる描写でも、こと実写となると、とたんに嘘くさく、なら良いですが、全てを壊滅させるような、どうしようもない、悪夢としか言いようのない出来になる事が多いのです。それを回避すると、別の世界観を作る必要が生まれ、原作と同じなのは名前だけ。という事になりがちです。

そんな中で、アストロ球団だけは、実写で良かったと思った唯一の出来映えでした。少年ジャンプにありがちな、連載開始時の迷走部分をばっさりとカットし、前半のキーキャラクターであった、リョウ・坂本。無七志を他のキャラクターに吸収させ、球一、球七に偏りがちだった出番を均等化するということをしつつ、上手くまとめています。

特に、原作では、球三郎へスライディングして負傷させるのは、球七でしたが、ドラマ版では、球二が行います。そして、それを止める球六の「覚悟を決めた人間の心の中には、他人は踏み込めない」と言う言葉をより効果的にします。三段ドロップを習得する際に、死を覚悟していた球二ですから。無七志は球六へ統合されているのは、L字投法を使う事で分かりますが、リョウ坂本は、おそらく球四郎へ統合されています。

原作の無駄なまでの熱さ、泥臭さ、勝利と夢は、泥まみれでつかむモノ。という、努力や汗は、かっこ悪いというスカし世代が、忘れてしまった大事な事を見事に描き出してくれます。これで、燃えない奴は、男ではない。玉とバットをどこかへ忘れてきたに違いない。

しかし、そんな良くできた脚本と構成でありながら、致命的なミスがいくつかあり、非常に残念です。大門と球三郎の因縁を暴くところで、ドラマ版では、総帥の座を球三郎に取られた事で、嫉妬し、父を殺す。となっていて、理由としては非常に弱い。それまでの大門は、素晴らしい人格者として描かれているのに、総帥の座に固執するのは少しおかしい。

原作では、自ら総帥の座を球三郎に譲り、東京へ修行に出たモノの、病にかかり入院。入院費も払えないほどなのに、仕送りもしてもらえず、恥を忍んで電話で普請したところ、球三郎はバイクを買って貰って大はしゃぎ中。そうして、大門は恨みを募らせていった。と言う、隙のない設定になっています。

そして、最大の致命傷。ドラマ版では、「優しさを押しつけるな、優しさなどでは、人は救えん。余計に惨めにさせる事もあるのだ」「分かります、兄さん!」と、ちょっとハテナマークが飛ぶ展開。

原作では「優しさを押しつけるな。たとえ命を賭けていようとも、見返りを求めるような優しさなど、偽善というモノだ!。優しさでは人は救えん。余計に惨めにさせる事もあるのだ」「分かります、兄さん」と、これなら私も分かります。「見返りを求める優しさなど、偽善」という、もっとも伝えるべきメッセージの根幹をそぎ落としてしまったのは、致命傷と言わざるを得ない。他では、うまく原作のセリフを引用し、ドラマ用に昇華させていたのに、どうして大門がらみでは、失敗しているのか、不思議でなりません。

球五へ殺人プレイでも、原作を知っていれば、足の甲にボールを乗せているのが見えるのですが、原作を知らない人にしてみれば、いきなり蹴っているようにしか見えません。これは、ボールを足ですくい上げるカットを絶対に挟むべきで、これもまた、失策でしょう。もしくは、詰め寄るアストロナインに、足でボールをすくい上げタッチしたまでよ。ルールでは、手に限るとは書いておるまい。でもすむ話(原作でもやっている)。

もう一つ大門がらみで、球三郎が「虎は死んで皮を残す。と言いますが、兄は、一試合完全燃焼を伝えていったのでしょう」と言うのですが、原作では「兄はよく言ってました。悔いの残るのは、気迫が足りないからだと。虎は〜」なんですね。無くても良いんですが、あると格段に違うと思うんですよ。気迫が足りない、気持ちが足りないから、本気を出してないから悔いが残るのだと言う事が。

しかし、これは原作ファンだから見えるところであって、ドラマから入った人にとっては、物語の熱さで、感じる暇は無いでしょう。まぁ、だからこそ、私が突っ込むのですが。

物語自体も、非常に熱いのですが、出演者の熱演が、さらに温度を上げています。アストロナイン以上に、氏家役のデビット伊藤、バロン森役の大沢樹生のお二人は、熱演を通り越して、怪演の域に到達しており、主役を食っている状態になっています。とくに、デビットさんには、二代目ウルフ大月をあげたいほどの怪演。

撮影時期が、ちょうど第一回WBC開幕前年と言う事もあって、非常に上手く現実リンクさせていますが、古田選手(当時)に、演技を求めているので、ちょっと第一巻で壁が出来てしまう可能性があります。 現実とのリンクは、時が経つと腐ると言うか陳腐になるので、個人的には避けて欲しかった。アフリカへ旅立つ原作と違い、ちょっとドラマチックなオチが用意してあります。WBCの優勝は、アストロ魂(ガッツ)のおかげだったのかも。次の大会から、袖口に「一試合完全燃焼」って入れて欲しいなぁ。

私は野球が好きです。厳密に言うと、超人野球マンガが好きです。リアルなのが見たければ、スポーツ中継を見ますし、青春ドラマなら他でもたくさんありますし。マンガ世界という、虚構の現実性のなかで繰り広げられる、出来そうだけど、出来ない、あり得ない戦い。そんな超人野球が大好きです。水島先生の野球マンガは、いわば、リアルスティック野球マンガで、リアルではあるモノの、やはりマンガなので、超人がたくさん出てきます。七割バッターの山田太郎とか、藤村甲子園とか。破天荒ではないモノの、やはり超人です。もう一人の野球マンガの雄といえば、あだち先生ですが、こちらは、どちらかと言えば、野球部が舞台の学園ドラマで、野球シーンは、そんなに熱いものではありません。近年のモノでは、メジャーがありますが、あれもどちらかと言えば、水島型リアル超人です。

そう考えると、完全なる超人野球は、アストロを境にして、姿を消してしまったのかも知れません。剛球超人イッキマンぐらいでしょうかねぇ?。魔球マンガも消えて久しいですから。もう少し語るならば、魔球マンガと超人野球のちがいは、魔球マンガは、魔球が打たれたか否かで話が完結する事が多く、投手対打者という狭い、一対一の決闘で描かれます。巨人の星など、打たれたら飛雄馬の負けで、三振に取れば勝ち。内野ゴロだのフライでアウトというのも、少なめだったりします(一号は内野ゴロをとる魔球なので除外)。対して、超人野球のアストロは、魔球は、バカスカ打たれますが、野手もバカスカ捕ってくれます。この辺りに違いがあると思っています。

魔球マンガがピークだった頃は、ちょうど科学万能と思われていた時代で、どんな魔球にも科学的な解説を載せる事が必要でした。現代は、虚構空間での出来事として、そう言う事が出来るから世界なんだ。で済ましてもらえる分、今の時代のが向いていると思うんですけどねぇ?。

熱い超人野球、それがダメなら魔球と秘打の戦いを、また見たいモノです。

 



 



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