本の読み方


まぁ、本をどう読むべきか、とか言うような、ご大層な話ではありません。

読書年齢といいますか、本に対する受け取り方で、世代表記というか、読書家の一般的な流れを追ってみようかなと。


読書幼年期

読む本、読む本に知らない知識がたっぷりと載っているので、ただひたすら、それを疑うことなく、吸収していきます。たいていの人は、中学生ぐらいで、読書幼年期を脱しますが、人によっては、死ぬまで幼年期の人もいます。

肉体年齢だけでなく、知識年齢でも、この時期はあります。全く新しい知識に手を出したとき等、そうですね。それが故に、最初に読んだ本の内容を盲信してしまい、以降の関連書物に対して、生理的な拒絶感を持ったりすることもままあります。

たとえば、ナチス関連の本を読んだとして、最初に手に取ったのが、ナチスの残虐史を扱ったものだと、以降のナチスへの認識は、まさに悪魔の集団となります。この段階で、ナチスの歴史的な成果、人類史上初とも言える大不況を立て直したり、労働者の地位向上、都市部に緑地面積を確保する法案など、現代的な福祉関係の基礎はナチス時代にあったりする。

と客観的な、事実があっても、なんとなく感情的に、否定し、受け入れられなかったりするわけです。これほどの如実な例でなくとも、例えば同じ事件に対して、違う方向からの意見が述べられているだけでも「違う」と否定したりするわけですね。


読書少年期。

得た知識から、自分の中で認識とか、信条が固まりはじめ、著者の意見、つまり本の内容に疑問を持ちながら、読書をするようになります。ある意味、読書的な反抗期と言えるでしょう。

それでもまだまだ、吸収段階で、なんとなく違和感を感じながら、乱読する時期とも言えるでしょう。一部異常に血の気の多い人は、青年期並みに、議論を挑んだりしますが、絶対的な知識量の差から、相手にされない。もしくは、一笑に伏される。と言った辱めを受けたりもします。


読書青年期

得た知識から、信念が固まり、誰かに発表したくなります。つまり、自分で本を書きたくなります。かつては、同人誌がメインでしたが、最近は日記系サイト作成に流れているようです。ここで、自分の限界を知り、諦めたり、自己満足の同人で良いや。と開き直ったり、へこたれずに研鑽を続けて、プロデビューに至ったりする訳ですね。

また、自分が一番正しいと思いがちな時期でもあります。そのため、議論(掲示板にレス等)したくてウズウズする時期(笑)。

大抵そのころの意見って、振り返ってみると、恥ずかしくて顔から火が出るほど、無意味な論調を振り回して居るものです。まぁ、一番血気盛んな時期と言えるでしょう。頭に血が上っているので、他人の意見も届きにくいし、自分に酔っている時期とも。何よりも、自分が正しいと盲信しているので、単語に反応して、文を読んでいなかったりすることも。

まぁ、社会年齢でも、いろいろと叩かれて成長する時期なんですけども。


読書熟年期。

自分の信念が、良くも悪くも揺るがなくなり、知らないことは知らないことと受け取り、本の間違っているところは、まだまだだなぁ。と目くじらを立てることもなくなります。泰然自若としている感じでしょうか。

私自身、少年期と青年期の間なので、その上のことは分かりません。想像ですね。ただ、少年期でいるよりも、幼年期の方が、一読者としては、幸せでしょう。このセリフ回しはダメとか、この展開のさせ方はダメとか、このシーンは使える。とか考えながら読むよりは、随分幸せです。ただ、間違ったこと、正しくないことを鵜呑みにする危険性もあります。だから、一概にどの世代が一番良いとは決して言えません。

まぁ、サイト持ちのほとんどが、少年から青年期なので、少々の暴言には、寛大で居て欲しいなと。エネルギーが有り余った青年期同士がぶつかって、好転すると、内容ある議論となり、暗転すると、掲示板でのケンカになったりするんでしょうかね?。



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