八月の夢酔


 


サイクル(2010/08/1)
この世の中は、まぁ、サイクルというか周期で動いているのではないかと思う事がしばしばなんですが、ピークは過ぎたみたいですが、近頃の女性の服を見ていると、ヒッピーかって感じですしねぇ。今、ちょっとビラビラのレースついた服になってきてますけど、もう少ししたら、鉛筆乗せられそうなほどの、長さと固さの付けマツゲとか流行ったりして。

と言うところで、ときメモ4をヘッドフォンでプレイ(いや、立体音響も売りだから試してみたいじゃないですか)しておりますと、都子の声が、まんま、魔法使いtaiの誰だっけ、小西寛子さんがやってたヒロイン役の子に聞こえてきたり、つぐみの声が、鷲 羽ちゃんに思えたりと、特に電話の声がホントにそう聞こえる。ってまぁ、私の耳なんで、信憑性は薄いですけども。真希の声は、角が無くなった林原よの。とか思ったり。声質って言うか、やっぱり、特性とか傾向ってあるんでしょうねぇ。制作側の固定化されたイメージってあると思いますし。 ベラ・ルゴシが当たり役から脱却出来なかったように。

なんか声優さんの人気度って、プロスポーツ選手の世代交代に近い感じなんですかね?。キャッチャーなんて明確で、ベテラン捕手の衰退期に、上手くかみ合うと、新人でも出番が回ってきたりするけど、人気ベテラン選手の絶頂期にかち合って、控え捕手で 陰に隠れ、ベテランが衰えてきて、ようやく出番と思ったらスーパールーキーが入ってきたりみたいなね。

……まぁ、ドコの世界でも一緒か。本来ならもっと評価されても良いハズの人も沢山いますから、やっぱり、サイクルに乗れるかどうかは大切なのかねぇ。と言うか、それこそ、プロデュース次第で、サイクルをねじ曲げたりも出来るし。本来、サイクルに乗れるはずのない人を無理矢理乗せて、崩壊する例も少なくないですけどね。

ちなみに、ときメモは停滞中。始めると延々やっちゃうので、自重している次第ですが、PSPから、さみしいよぉ、セニョールぅとか聞こえてきそうで恐い(←危険域) 。
本家のラブプラスを買う気はさらさら無いんですが、ラブプラスの都子版が出たら……堕ちるかも知らん…エリサでも堕ちる……

あとまぁ、予想通り、民主党の内ゲバって言うか、小沢派の味方食いが始まってて、総会で喚いてましたけど……アレこそが、国民からの信頼をなくす元凶って分かんないんだろうね。権力の亡者たちには。あと、菅総理の続投宣言に「政治が分かってない」とか言う人も居ましたけど「出馬しません」って言ったら「責任放棄だ」とか言われるしねぇ。ただまぁ、中身無くただ「出ます」って言ってる感じでやーよね。パスカルさんの言うとおり「無能だがしたたか」と言うのが的確なんだろうなぁ。一番タチ悪いタイプけど。


総括!(2010/08/02)
と言う、語尾を上げるような言い方自体が、赤軍を思わせる。まぁ、民主党は元々リベラルだし、社会党崩れもいっぱいだし、総括で突き上げてストレス発散してきた連合系議員いっぱいだし。まぁ、確実に、内ゲバになるから。奇才いしいひさいちのマンガで、「社会党が分裂しても大丈夫。」ってオチが、分裂した両方で、内ゲバやってるというオチだったんですけども。それが今現実に。

そんでもって、この記事。「いつから、自民党は左翼党になったんだ!?」と言う、故中川大臣の逸話が出てますけど、そこでふと思ったのが、総括を求めていた連中っていわゆるリベラル系の左より議員だったんじゃないかと。コイツらが、腹の中をかき回してたのではないかと。つっても、現総裁の谷垣も左よりらしいですが。

しかし、実際に総括しなければならないのは、国民ではないかと。前回の衆議院選挙で投票したのは、ドコのドイツかと。自己反省が必要なのは、目先のばらまき政策に釣られた、お前らではないかと。健全な識者は、子供手当も、高速道路無料化も、財源がないから無理と散々言ってたし。母体が、連合と日教組の民主党が政権とったら、外交どうなるから不安と言ってたとおりの事態だし。

本当に全共闘世代の左派が死滅しない限り日本に明日はない気がしてきた。と言っても、民主党が全共闘世代のあだ花となる……ハズ。なってくれ


ニワトリと卵(2010/08/02)
は、決着がついたそうだが…本当なのかな、アレ?。卵の殻を作る細胞がニワトリにあるため、ニワトリの方が先とか、なんちゃらかんちゃら。卵生の動物ならば、そう言う細胞みんなあるんじゃ?。ニワトリ独自の細胞としても、親はプレニワトリの普通の細胞で、ヒナで突然変異して真ニワトリにって事もあるよね?。というか、ニワトリと卵って、元々、どういう話だったっけ??

前フリで混乱してしまった訳ですが。「現国が出来ないから、シナリオを重視しないのか」、「シナリオを重視しないから現国が出来ないのか」と言う問題は、詰まるところ「本が嫌いだから、現国が出来ないのか」「現国が出来ないから、本が嫌いなのか」と言う問題であり、教育関係者などでは、すでに解決済み?

さらに踏み込めば、読解力は、判断力に直結する。つまりは、現在状況を正しく把握できるかどうかが読解力であり、状況を把握できないのに、判断を下すのは、ただの大バカ野郎である(だからこそ、トンデモさんは失笑されるのだ)。また、きちんと読解出来るという事は、逆に相手に理解させるための、プロットを作成する能力となる。

読解力は、文章のみに限定されず、地図など空間認識、非言語コミュニケーションである、いわゆる「空気を読む」と言うのも、すべて読解力であり、一時期、鈍感力とか言うのを唱えた人もいるが、アレは踏み込みが浅く、あくまで、状況を認識した上で、発言を慎むか、それとも、あえて発するかの判断力の問題である。本当に鈍感ならば、単に全てを台無しにしてしまうだけだ。アレは、プロ選手が絶妙な手加減で、素人相手に、接戦しているように錯覚させる様な物で、そこまで出来る人が、わざわざ鈍感力というものを認識する必要はない。まぁ、欠陥のある認識なので、あまり流行らなかったけどね。

そして一番の問題は、読解力は先天的な才覚なのか、後天的な才覚なのか。と言う問題。おそらくは、両方だろう。哲学者になるとか、トップレベルになるには才覚が必要だろうが、普通に生活する分には、トレーニングで補えるはずだ。まぁ、常識外れに、察しが悪い人間もいるが…詰まるところ、読解力、把握力というものは、突き詰めれば「察しの善し悪し」とも言える。言質を察すると言う事は、いわゆる気配りが出来ると言う事になり、気配りが出来るという事は、相手の行動を読めると言う事であり、あらゆる場面で必要とされる能力のはずだ。

となれば、スポーツから読解力を上げる事も可能なのだろうか。いや、おそらく可能だ。ただ、文章読解と、スポーツ読解(いわゆる、先読み)は、使用する方程式どころか、言語形態が違いすぎるため、双方を相互に応用できる人間は、それこそ才覚のある人間と言える。深い言葉が残せる選手と、そうでない選手の違いは、相互利用できるかどうかなのか?。

少しそれてしまったが、読解力に才覚のある人間は、読書は強力な鍛錬となり、さら知識もついて、読解力を格段に深める。だが、才覚の低い人間の場合は、間違ったトレーニングを続けるアスリートのようになってしまうのだろうか……まぁ、なるから、トンチンカンなクレームを作者に送りつけたりするのだろうけども。

本の読み方と格式張っていない物の、基本は、主語に対する正しい目的語を見つける能力であり、余分な装飾語と、主語目的語を切り分ける能力である………それって、オッカムのカミソリ?。詰まるところ、読解力とは、抽出能力なのか?。と言う事をふまえると、読解力を上げるためには、文の切り分け力を高めるトレーニングが必要となる。

よくよく考えれば、取説を読んだのに間違った操作をするとか、一字一句、勘違いされないように細かく書けって言うのは、読解力ないからだよなぁ。オールザットウルトラ科学にもあるが、一字一句誤解されないようなマニュアルを書くと、逆に酷く難解になってしまうもの。解説のための解説のような重複になってしまうため、余計煩雑になってしまう(契約書とか法律とかが良い例だ)。元々、読解力が低いから、誤解しているのに、さらに読みにくい文章になると、理解できようもない。

んー、句読点も、そもそもは文を読みやすくするための物。それが多すぎる。と言うのは、高い読解力があるからか?。残念ながら、否だ。句読点が多すぎる。と不平を漏らす人の文章で、これはスゴイ。と言う物に当たった事がないし、おおむね、勘違いというか、どこぞのコピペを自論にしている手合いも多かった。経験則なので、不備はあろうが、句読点が多すぎる。と言う人のゲームレビューなどは、グラフィックや音質にこだわった内容である事が多い。音質の方と整合性は取りにくいが、詰まるところ「、」や「。」がいっぱいあると、ゴミが沢山ついているような感じになるのではないだろうか。音質の方ではノイズ扱いか?。

反面、横書きが主体となった近頃多用されるようになった、中黒、「・」に対して、不満を言う人は少ない。縦書きの場合、並列の場合は、句読点で済ますのが一般的だったと思うのだが、いかがだろうか。ゆえに、私は、中黒を多用するのは嫌いだ。かつて、wikiに参加していた頃、並列表記の区切りを、句読点でやったら、丸ごと、中黒や&に切り替えられたことがあり、そうした価値観のいる連中がいる事は間違いない。

例え、アルファベットの省略形であっても、和文中に&(固有名詞ならともかく)を使う事の方が異常であるし、中黒も、単なる並列ではなく、連続体(区切らない一連の文)である事を示すためで、固有名詞を列記する際に使用する物ではない。例を挙げると「命中判定には、STR、DEXを合算して基準値を出す」を「STR&DEXを」とか「STR・DEXを」に変更された訳だ。句点も取られた記憶があるな。「STRとDEXを」と。「と」でつないだのに、変えられた事もあったなぁ。

句読点問題に関しては、要は、見慣れている、いないのレベルの感情論に過ぎない気もする。が、横書きが主体となった過渡期にあるとも言える気がする。しかし、根本には、正しく読解出来ていないと言う問題がある気がしてならない。まぁ、wiki関連に関しては、一部、精神疾病とも言える偏執ぶりで狂乱する手合いが、なぜか集まる…まぁ、他に発表の場がないからだろうが…なので、サンプルとしては不適合かも知れない。

んー、ちょい脇道が多いな。これをもう少し煮詰めて、文量ふやしたら、機関誌に論文として送れるかしら(笑)。まぁ、それは冗談として。行間が読めない事と、底の浅いシナリオしか書けない、底の浅いシナリオを賞賛する。と言うのは相関関係にあると言えそうだ。プロット作りが出来ない(理解も出来ない)のも、シナリオの根幹を抽出出来ないから?。ハンコでついたような、深読みの出来ないシナリオで感動しました。とか言うのは危険な気がする。

一方で、映像読解力がないタイプも存在して、有名なのは、科学読本で売れた柳田氏。この人は、映像内時間と現実時間が同一としか理解出来ず、また、映像表現を見たままにしか理解出来ない(読本を真面目に書いたのならば)。この場合は、読解力以前に、もはや、空間認識力に欠陥があるとした方が速いぐらいなので、考察からは除外した方が良さそうだ。真面目に、ライダーキックにおいて、ライダージャンプが垂直ジャンプだと思うのは、異常だ。確かにまぁ垂直ジャンプだが、それは映像表現で高く飛んでいるように見せる技法であり、大まじめに「垂直ジャンプしてから、相手に向かってキックするには、二人のライダーが必要」とか、大まじめに書けるはずがない(繰り返すが、真剣に大まじめで書いたなら。ホラを書いていたなら、それはそれで問題だが。)

さらに考察を深めれば、自らの言葉の重さも理解出来ない。と言うのも、読解力の無さから来ているのではないか。民主党をみるとそう思う。そこにつなぐか、オレ? 。真面目に、周りの空気が読めてない。状況が把握できない。報告(口頭でも書でも)を理解出来てない。と言う事なのでは。
 


過渡期(2010/08/06)
考えてみれば、現代は、インターネットの普及から常態化までの過渡期だったワケで、ゲーセンで対戦格闘のマナーが構築されるまでに近い状況だったのかなと、ちょっと考えました。対戦格闘の普及当初、マナー問題からリアルファイトに発展した例は結構ある。リアルファイトまで行かずとも、かなり不快な思いをした人は居ると思います。私もそれで、対戦格ゲー辞めた口。今では、考えられないかも知れませんがね。

久しぶりに、「あっくんの基盤館」に行きまして(私がたどり着いたときには、すでに記念館でした。ココの欠点は、読むと基盤が欲しくなると言う…基盤以外の話も面白く、正味、8bit年代記より面白いよ。私が出版関係者だったら、書籍化持ちかけてたけどなぁ。ただまぁ、2000年前後に、この濃さは無理かもネェ。)、日記のコーナーを見ますと、やはり痛い人が、ずいぶんと暴れ回っていた模様。他サイトも含めて、最大被害(とおぼしき話)を、だいたいの目測でまとめると、おそらく2001年ぐらいに、最大の被害を被ったサイトが多い。ピーク範囲を前後二、三年とすれば、だいたい当てはまるのではないかと。

そう言えば、ひと頃に比べると、各地で、ずいぶんと無法者も減った気がします。まぁ、まだたまーに、いますけど(浮いているのに気がつかない、トンデモさんはしゃーない)。おそらくは、ついったーの方に群がっているのだと思いますけどね。煽り文をbotで掲示板に上げてた人も、ツイッターのがやり甲斐あるでしょうし。

いわゆる質問箱(ユーザーの疑問を、他ユーザーが回答するヤツ。いや、記事かと思ったら、ココに繋がる事が…)をたまーに見ると、言葉遣いの悪いのもたまにいますけど、おおむね、マナーを守っている感じ。言葉遣いが悪いのは、ほとんどが「明らかに、転びそうな程、背伸びしてる子供の意見」で、ほほえましく思ってしまうのは、年取った証拠かなぁ。まぁ、実年齢はいい年なのかも知れませんけどね。

掲示板という黎明期の特殊言語は、ようやく実用化に至ったと思ったら、ツイッターに滅ぼされた感がありますが、手紙やメールという、一対一かつ、やりとりの開始にある程度の相互信頼性が生まれる物と違い、また、チャットの様に、長くとも二、三行。相手の理解度に合わせて、微調整も出来るものとも違いますし。ツイッターって、チャットと掲示板の中間みたいな存在だなぁと。

電話のマナーってのも、黎明期はどうだったか、非常に気になるところですが、まぁ、今でも、礼儀知らずの人は居ますから、たぶん、無法者はいたことでしょう。何が言いたいかって言うと、文字情報以外存在しない会話ルールが構築され始めたんじゃないかなって事ですわ。通常、生物の会話はリズムを見ている。声に出さなくとも、相づちとかで、リズムを合わせているワケで、これが合わないと、馬が合わないとか、居づらいとかになる訳ですよ。エントレインメントとか言うらしいけど。何かよく分からないけど、話し方が嫌いとか、声でイラっとするとか言うときは、この会話外のリズムがずれている事が多い訳ですな。

そんな中でも、顔の表情は重要で、分かった振りをしていても「分かってないな」とか、興味のある振りをしていても「飽きてるな」とか、言外の意思疎通が出来ていた訳ですけども、掲示板はずば抜けて、これがない。高純度の言語のみの意思疎通。それに、生物としてあり得ないほどの高純度に、対応できていないかったのかなぁと。ココで気になるのが、いわゆる文章読解力の低い人間の、ノンバーバルコミュニケーション能力の高低。

要は、文章読解力の低さを、表情を読む事で補っていたのだが、掲示板では、それがないために、いわば、ヒゲを切られた猫状態だったのか。それとも、通常会話でも、素っ頓狂な事を言うタイプだったのか。経験則で言うと…文章読解力の高い人間で、表情を読めない人間はまずいなかった。と言い切れるのですが、全体としてはどうなんでしょうね?。生物として、まず手に入れるのが、ノンバーバルコミュニケーションなワケで、それは、乳幼児期にきちんと刺激しないとダメな訳で……テレビにあやして貰うとか言う育児が流行った訳ではないですが、そう言う時代もあったので、文章読解力の低い人間の、乳児期の母親との接触時間も調べたいなぁ。

思い返せば、当初から保持している視覚聴覚でさえ、それぞれの文法(幼児が、月を取ろうと手を伸ばしたり網を振るったりと言うのは、遠近感という処理法則を学んでないからで、生まれたとき視力に障害があって、成長してから手術で視力を取り戻した開眼者なども、似た事をやるそうだ)を学ぶ必要があるわけで、文字情報のみのコミュニケーションという文法もようやく成立してきたんだろうか。


不意の(2010/08/08)
なんや突然、シリアスな考察をしてしまったので、ずいぶんと流れてしまったのだが…

ついでに書いてしまうと、前回分で「質問箱で、言葉遣いが荒い人の意見は、もろに背伸びしている子供意見」と言うのを書いた訳ですが、遠近感ですら視覚文法(作法)を学ばないと理解出来ない。と言うのと組み合わせると、まさに、掲示板文法、つまりは、高純度の文字だけ情報にコミュニケーション作法を知らない子供が、不作法をしていると言う状態がピッタリ当てはまる訳ですよ。

さらには、時折見かける、店頭商品で遊んでしまう高校生なんていうのは、2chノリそのままで、他の掲示板に乗り込んで浮いてしまった人そのものだなぁと。ホントに、2000年ぐらいには、相当数いたのですよ。仲間内のじゃれ合いがエスカレートしたようなモンだしねぇ。そう考えると、数は減るけど絶滅はしないんでしょうね。

と言う訳で、ときめも4。実は、停滞中。始めると止まらなくなるから恐いんだもん。とかわいこぶっても気持ち悪いだけだ。ついつい、都子も攻略可能状態にしちゃうしねー。と言う訳で、中途半端ながら、レビューを上げる事に。まぁ、キャラ別のトコだけ未完で、作品全体としては、まとめてあるからいっかなと。ときメモ2もそうだったし、3なんて…

それにつけても、マスコミの突き上げとか、デモ行進とか、国会のヤジ(いや、今でもありますけど、だいぶ、静か、かつ品が良くなった気が)とか、やっぱ左翼勢力の運動の一環だったんだなぁ。と、民主党政権を見て思います。まぁ、それにしても、当初の推察通り、左翼の人間は権力への執着が何千倍かありますなぁ。


真説(2010/08/10)
なんとなく、カートに入れたら、表示が「売り切れ」に変わってしまい、うそーん、また悩んでる間に売り切れかーい。と思ってポチっと押したら、手続きが進んでしまい、勢いで買ってしまいました。真説・猟奇の檻第一章。どうにもラスイチだった模様。

と言うところで、やっぱ、引き込まれるシナリオは見事の一言。ゲーム性も高い(と言うか、難解…DOS版はもっと難しかったのになぁ。ぬるま湯に浸った証拠か……)。もう、佐野一馬さまサイコーです。営業的に良くないのは、やっぱ、エロゲやるやつの8割ぐらいは抜きゲー求めてんのよね。=高いゲーム性はいらない。サクサク進めてエロシーン見たいのよね=複雑なストーリープロットはいらない。いちいちテキスト読みたくない=高いストーリー性はいらない。と言うところが、今ひとつ、メジャーにならない理由かと。と言うか、それらをいらないって言ったら99%クソゲーだと思うのだけども。まぁ、メジャーにならなくて良いです、メジャーなのにロクなのない。風評に流される中身のない物ばかりだし。

と言うところで、時間ギリで間に合ったぁぁ、エレベーターでゴゥって、くららがぁぁぁぁぁぁ、と悶絶しつつ、トゥルーエンド到達。DOS版の頃は、各キャラのタイムスケージュールを全部調べたよなぁ。重要証言聞いたかどうかで、同じ日同じ時間でも、セリフ変わったりして大変だった。b5コピー用紙で20枚ぐらいの大攻略だったワァ。楽になったなぁ…。

DOS版と比べて、投げっぱなしだったサブキャラとのエンディングも追加されていたり、ホントに、キッチリリメイクしてくれるれ佐野師匠にゾッコンラブ。ただ、きっちりリメイクするがゆえに、最後の結末を変えてくれるのは良いんだけど、DOS版>小説版>真説と三回もねじった(全部真犯人が異なります)せいで、なんか微妙な触感に。完成したショートケーキに、やっぱもう一段スポンジ乗せるみたいな?。間違いなく、出来は、真説が一番良いです。もはや、代名詞的なmaosでまとめてきたり、そいつを黒幕にしちゃう?みたいなのは、うまいわぁ。と思う反面、佐野師匠なのに、MAOSを延々と引っ張っちゃうの?みたいな感じもありつつー複雑な気持ちに。

DOS版だとニンフォマニア多かったんですが、真説だと、貞節になっておりますな。絵柄も、DOS版と並べてみると、ずいぶんと変わっております。目が小さくなってる。横田先生クラスでも、まだまだ変わっていくのだなぁ。とか。

それはそれとして、そろそろ、佐野師匠の本格シナリオの新作がみたいですな。もう三章はキツイと思うし、佐野先生なら金看板を捨てるのに躊躇もしないと思うので、なんかどどーんと。カリギュラを浮上させる一発を。やはし、肉男爵シリーズで良かったんだよ。そう言えば、真説2の単独レビューも書いてない事に気がついた。


速読(2010/08/16)
ネットをフラフラしていると、古いコンテンツですが速読について触れている人が居たので、そう言えば、昔流行ったよなぁ、と。その人曰く「下手なライトノベルなら一時間で一冊読める」とあったんですけど…そのくらい、普通じゃね?。あたしゃ、早川SFでさえ、2時間ぐらいで一冊読めるよ。と思うのは、ナチュラルに出来ちゃう人の優越なんでしょうね。

子供の頃から速くて、読書の時間にサクサクと読み終わり、教師が訝しんでテストするぐらい速かった訳で。感想文でなんや賞取ったりもしたので、ただ字面だけ追って、記号として文字を読んでいた訳でもないです。きちんと内容も理解してます。小学四年ぐらいで、このペースでしたから、速読マスター法とか、兄が買った本を読んで「こんなん出来てない方がオカシイで」とか思ってました。

ただまぁ、一つ確実に言えるのは、速読の本とか買って実践する人は、速読の才能がないと自認しているようなモノ。そして尚かつ、読書ベタを公表しているようなモノ。読書は趣味です。空いた時間に、自分のペースで楽しめばいい。無理な速く読む必要なんか全くない。

そして、速度と理解力は比例しない。幾ら速く読み終わっても、内容を理解していないならば全く意味がない。それは、ペーパーテストで終了30分前に全問題を解き終わっても、正解率が30%しかなかったら、全くの無意味な事と同じ。まぁ、遅くて理解出来てないのは最悪ですが、なんにせよ、内容を理解出来てなきゃ、目くそ鼻くそを笑うってなもんです。

脳トレーニングの一環としてやるならば構いません(とは言っても、それをトレーニングしようと思う時点で、ダメ子ちゃんな気が…)、後あれか、受験で問題文が速く読めるようにするのはアリかも(つっても、国語の例文をちんたら読んでる時点で、テスト以前の問題な気が…二千字ぐらい2分もいらんよなぁ?。てゆーか、斜め読みして、出題箇所に関連する10行ぐらい注視で片が付くぞ…って、これは、出来る人間の優越か。私は数学の問題見ても、公式がいっそ浮かんでこないからねぇ。数学出来る人には、出てこないのがおかしい言われる)。

ともあれ、読書のために、速読を覚えるなんて言うのは、無意味と言えるでしょう。また、それなりの量を読んでいれば、自然と速く読めるようになっていくモノです。毎日、ランニングしていれば、それなりに速く走れるように。それをあえて、解説されてやるなんてのは、マニュアル人間の証拠。そんな、考える事、感じる事を放棄してしまいがちな人が、読書から知識を引き出せるのだろうかと、不安に思う。

速読なんて、酒飲みに例えると、せっかく高い酒買ってきたのに、一気飲みしちゃう様なモノ。おいしいケーキを一口で丸呑みしちゃうようなモノ。そもそも、良質の本ならば、引き込まれ一気に読んじゃって、時間なんて忘れちゃう。おいしい料理が、楽しい時間が、時間を忘れさせてくれるように。速く読めない本、夢中になれない本ってのは、単純に面白くない本なんだわな。つまらない本を速く終わらせようってのが、速読の神髄なのかもしれない。

というわけで、速読なんてのは、無意味。覚える必要もない。なんで流行ったのかサッパリだ。まだ、早食いの仕方、早グソの仕方とかの方が、実用的だよな。読書の間ぐらい、ゆっくりしようよ。コーヒー、紅茶でも入れてさ、いざ脳内トリップ。冒険の世界でも、サスペンスでも、複雑な思惟でも、日常から解放される瞬間なんだから。まぁ、もう流行は過ぎましたから大丈夫と思いますけど。


誤植とリメイク(2010/08/18)
おそらくは、本義とかけ離れたものが定着している二大語と思います。まぁ、誤植の方は、間違った使い方する人間は、だいぶ駆逐されたようですけども。

軽く触れると、誤植ってのは、「植字の誤り」で植字工が、活版を組むときに、活字を組み間違える事(その言い回しウィキペディアのパクリじゃんとか思った人もいるだろうが、あの行書いたのは私なので当然だ。てゆーか、誤植の話でポイントミスに触れてないのは異常だった)。つまり、原稿側が完璧でも、起こりうる間違い。それがいつ頃からか、記述ミスも含めた内容に変わっていった。と言うか、植字をしてないんだから、誤植はあり得ないのだが(DTPの場合は、入力ミス(誤入力、誤変換)。と言うか、電子入稿がベースになりつつあるので、もはや、誤植は存在しなくなりつつある)。単なる誤字脱字、誤変換なども、通ぶって「誤植」とか言う人は結構いたモノ(ヒドイお馬鹿さんだと、単なる誤訳を誤植とか言ってたりした)ですが、最近ではきちんと「誤字」とか言う人がだいぶ増えております。

ひるがえって、「リメイク」の方は、まだ誤用が多く、特にゲーム業界では、と言うかゲーム業界のみよね、誤用しているの。なぜかは分からないが、単なる移植を「リメイク」と胸を張っていったりする。まぁ、確かに、システムとかグラフィック面がちょこちょこっと変更されているのですが…それは、ハードが変わる際に必要な変更であって、リメイクと言えるのかと。

リメイクというならば、せめて、バランス調整ぐらいは最低限するべきで、システムインターフェイスをちょこちょこっと変えたぐらいでリメイクですって言うのは、恥知らずとしか…映画で言うなら、ビデオからDVDに変えるときに、タイトルの出し方をちょっと変えましたぐらいで、リメイクとか言ったら干されますよねー。

メーカーとしても、移植というより、リメイクの方が格好いいんだろうけど。バランス調整とか、バグフィックスぐらいきちんとして欲しいモノだ。移植は移植でいいじゃんよ。変な見栄張るんじゃない。リメイクと言って変な期待させて、評価が落ちるよりも、移植ですって言う方が潔いと。

日が経ってしまったので追加で。
この記事。自虐史観とは結局なんなんだろうか。と言うか、自虐史観を信じ込んだ人たちは、誰に何を吹き込まれてそうなってしまったのだろうか。実情としては、新興宗教に傾倒して、ハルマゲドンを自演した某団体と似た状況なのではないだろうか。思想教育という名の洗脳行為は、左翼、共産国家の大得意な分野でもある。

この件に関しては、私は韓国を責める気にはならない。なぜならば、現状、各国も左傾化が激しく、違う意味での自虐史観を吹き込まれているからだ。日本によって虐げられていると言う自虐に酔っていると言える。 まぁ、実情としては、悪質クレーマー。

またか。って言われそうだけど、詰まるところは、共産国家によるプロパガンダの残りカスが腐敗して蔓延しているのが現代では無かろうか。本当に、左翼連中は、世界をドコに持っていきたいのか。ってそんな長期展望ある訳無いよな。目の前のモノに感情で反発しているだけだもの。民主党政権がの集大成だ。

とある人に言わせれば、左翼の主張は「成田と原爆だけになってしまった」。成田空港問題はもはや問題と呼べるレベルにない。ともすれば、国際正義となる事も出来る反核に頼るしかない。だが、現実問題として、核兵器はともかく、原発が捨てられる訳がない。広島市長の「核の傘からの離脱」と言う宣言に、白けてしまった人も多いだろう。アレこそが、全共闘市長のなれの果てだ。


奇縁(2010/08/19)
リンクをたどる内に、ふいにたどり着いた、エルフの公式サイト。もう、何年も見てなかったんだけど…こんな状況に入ってたのか。

往時の創作意欲があふれていた頃の面影は全くないねぇ。ドラゴンナイト、メタルアイ、デジャ、同級生シリーズなど。面白い話、ゲームを作ろうって意識があふれていたのだけども。シルキーズで、実話ネタをやり出してから、おかしくなってるよなぁ。まぁ、シルキーズは実験場所なんで、色々やるのはせんないと思いますが。寝取り寝取られとか、売れたのかネェ?。あの系列って、見るからにシナリオと呼べるシナリオ無くて、エロシーンの断続みたいな予感がしているのですけども。

と言うか、「シナリオ」って定義が昔ともう別物になってる気がしてきています。感覚的なものなんで、上手くまとめられないですけど……シナリオプロットとか、シナリオ構成とか、そう言うのが無くなってて、シーンの連続体になっているというか。伏線のない物語、骨子のない物語、それがゲームのシナリオと呼ばれるモノになっている気がします。

物語の展開性というのはだいぶ啓蒙出来たので、次は、プロットつーか伏線の重要性を説かねばならんのか。つーか、伏線の意味が分からんと、物語の展開性も理解できんわな、そら。ぶっちゃけ、確実に言えるのは、ゲーム学校やアニメ学校のシナリオ関連講師は全部クビ……いやいや、まともなシナリオ書いてるのが全部卒業生って可能性もあるか。ダメダメなのが独学組って可能性のが高いか。

まぁ、それはそれとして、エルフのシナリオ担当、今一人なの?。同じ名前が連呼されてますけど。河原崎家2のダメ子ちゃんなんだわなぁ…売れてるのかしらね、あのシリーズ。資本でも乗っ取られたのかな?。リアル鬼ごっこみたいに、個人で大手を動かせる人間とかもいるご時世だし。もしかすると、蛭田さんが手直しした河原崎2が売れたら、大人しくしますって、契約だったのかしら?。だったら、買ったんだけどねぇ。ただ、元が元だけに、ドンだけ手直ししても、底が見えてるし。そういえば、御神楽のダメ子とか引っ張って来てたし、らむいろって、あかほりさとるだったっけ?。なんかあの辺からおかしかったのかなぁ。蛭田さん、自分で動けばいいのに。コンプリーツの日高社長は、コンスタントに書き続けてますよ。

あ、それでちょっと思い出した。河原崎2のレビューに関して掲示板に書いた人って、シナリオ書いた人だったのだろうか……と今さら思った。いや、デカイ腫瘍があると勃起しないとか。そんなん医者か、書いた当人しかわからんよね?。当時はエロゲ趣味の医者と思ってたけど、そんな暇な職じゃないよねぇ?とか。まぁ、医療系の学生かもだけど。

その筋の人に見られている感じを受けなくもないワケですよ。まぁ、近いうちに、プロットと伏線に関する事は書きたいと思います。無料のシナリオ講座やのぅ。と言うか、伏線のない話を作れる方が奇跡的な才能と思うのだが……塩こしょう無しで料理作って、味のない料理を「旨い」って思いこんでるのと同じよ。伏線のないシナリオ。プロットの崩壊したシナリオを面白いって思うのは。

引き続き
この記事。とこの記事。もはや、完全に悪質クレーマーの思考状態。「あの日本に頭下げさせたんだから、オレは偉いんだ」ってヤツね。よくデパートなんかにクレームつけて、あの有名デパートを呼びつけて謝罪させた。とか得意げになってるヤツと同じ。自分に中身がないから、嫉妬半分妬み半分で高圧的に出る。だが、やればやるほど虚しくなる。だから、何度も繰り返す。何度も繰り返すと引っ込み付かなくなる。もはやこのパターン。

なにゆえ、中身がないと思うのかというと、この記事にあるように、近代化、民主化を日本の手を借りて、と言うより、日本に頼ってやったということを覚えているからなんじゃないだろうか。これは他山の石としなければならない事。なぜならば、軍事政権から脱却するのに、日本はアメリカに頼って……そうか、だからか、安保闘争とか、抗日のかわりに、反米運動盛んだったのは。


伏線のない物語、プロットのない物語(2010/08/21)
伏線とプロットについてまとめようと、あれこれ考えてたら、即座に「これって、キャンペーンの組み方やんなぁ?」と言う事になりまして、まぁ、伏線張りが最も如実なのはキャンペーンシナリオだし、プロットをきちんと組み立てる必要があるのも、キャンペーン。単発シナリオだと、アドリブで済ませられるしねぇ。やっぱ、ゲームのシナリオ書く人間には、TRPGをキッチリやらせるべきなんじゃないかと。ゲーム学校の実技に組み込んで欲しいモノだ。

まぁ、それはそれとして、なにゆえに、プロットや伏線が無くとも、違和感を感じないか。と言う事を考察したら、やっぱり行き着くのは「マンガ」になる。例えば、北斗の拳だと、シン編とカイオウ編には、つながりもなにもない。けれども、作品としては、北斗の拳でまとまっている。この感触を標準と勘違いしてしまうと、シーンの連続が一連の物語と勘違いしてしまうのではないか。

これをゲームに置き換えると、北斗の拳という一つのゲームタイトルのなかに、小シナリオというか、サブクエストというか、そんな感じで、シン編、サウザー編とかが入ってる感じが、当たり前と思っているハズ。一話完結の話を連続させれば良いのだと。

だが、実情は違う。シン編で一つのゲームタイトルであり、シン編とレイ編は、別パッケージの別ゲーム、それぞれが一本の映画のようなモノなのだ。だから、マンガでは、連続性を考える必要はないし、無くても違和感がない。シン編で完結していれば問題ないのだから。連載マンガというスタイル上、人気が出なかったからそこで終わるようになっているからこそで、最初から長さを決めてまとめられている映画やゲームと同じに考えてはいけない。いやまぁ、マンガも決まってはいるのだけど、連続しているように見えるだけ。

私は、一本のゲームは、一つの映画と同じと考える。何話に分かれていようとも、一本のプロットが中心となっていてそれを解決させるために、脇の話があるのだと。きちんとしたテレビアニメが、それに一番近いのかも知れない。遊びの話やつなぎの話もあるが、50話前後で、発端から、徐々にクライマックスへとつないで、まとめていく。だからこそ、テレビアニメにはストーリー構成という担当者がいる訳で。

シナリオ面から見ると、Gガンダムは非常によく練られていて、デビルガンダムを追う主人公という発端から、なぜ追うのか、デビルガンダムとはなんなのか。と言う伏線があちこちに散りばめられ、最後に集約され、そしてそこからもう一段裏返してくると言う。

よく見るゲームシナリオ的な形に置き換えると、ユニークなファイターたちと、ただファイトを続け、最終話で突如登場したデビルガンダムを、最終奥義を「はい」と突然手渡されて、デビルガンダム倒しておしまい。と言うところかな。

失礼ながら、さらに北斗の拳に置き換えると、ユニークなファイターである特殊な拳士たちと戦い続け、最後に突如登場した北斗琉拳を、泰聖殿の女人像から「はい」と奥義手渡されて倒して終わり。繰り返すけど、北斗の拳は、シン編はシン編で独立しているし、カイオウ編はカイオウ編で独立しているから、連続シナリオと見なす方がオカシイんだけども。 連載漫画ってのは、同一主人公による短中編作品集であり、一本筋の通った長編ではない。それすら理解出来なくて、よくぞ…まぁ、あまり口汚い事は言わない事にしよう。まぁ、中には「沈黙の艦隊」みたいな、連載通じて一本の話って漫画もありますけども。

うーん、予想以上にぴたりとハマってしまって、なんか恐いなぁ。

ゲームってのは、何話に分かれていても、1パッケージで一つの物語で無くてはならず、まとめるためには、伏線や全体プロットというものが、必ず必要なんですよ。それがなければ、シーンの連続体に過ぎず、四コママンガの羅列に過ぎず……ああ、そうか、四コマ漫画をいくつ並べたって、一本の物語にはならないのと同じで、一話読み切りを連続させても、それは、話が並んでいるだけで、一本の話ではない。それらを縫い合わせるのが伏線であり、貼り付ける台紙がプロットなんだわ。

こうしてみると、保護者や教育者の意図とは違うモノの「漫画はよくない」と言うのは、正しかったのかも知れない。せめて、良質の小説などで、プロットや伏線の意義を学んだあとで、漫画に行くべきなのかもなぁ。さて、これが理解されるのにどのくらいかかるかしらねぇ。物語の展開性とかで6-7年はかかったから、同じぐらいか、それ以上か。

次回は、HPL純正派について語ろう。日本に限らず、世の中ダーレス派が多すぎる。分かっててダーレス派を続けるなら良いんだけど、ダーレスこそ、HPLの正統継承者みたいなのは、ちょっと正さねば。


入手でなく構築が仕事(2010/08/23)
ジェームス・ボンドのおかげで、世のスパイはやりやすいだろうなぁ。と言う事でこの記事。発覚当初、週刊誌で得られる情報しか入手してない。スパイごっこにロシアは大金を使っていると、評した人は結構多かった。特にテレビ。コネクションを構築すれば、自然と生の情報は入ってくるモノ。てゆーか、ジャーナリストとかテレビマンなら、感覚的に理解出来るだろうに。

末端スパイの仕事は、とにかく情報をかき集める事。その玉石混淆から玉を見つけるのが、分析官。何度も言うけど、大事なのは、情報の分析力。情報精度も高い方が良いが、一定レベルあれば、まともな分析官ならきちんと導き出せる。ジェームス・ボンドやナポレオン・ソロのおかけで、スパイとは、直接、キー情報を盗み出す。と言うイメージを持ったままの人がなんと多い事か。まぁ、日本が外交ベタなのも、この情報分析が伝統的に下手だからなんだけども。第二次大戦の参戦だって、普通に分析してたら、参戦するはずがないしねぇ。原油備蓄量とか全然足りてなかったよねぇ?たしか。

私はこのスパイチーム。おとりに使われたんじゃないかと思ってる。あまりにも、本部の動きもあからさますぎるし、指令そのものもあからさますぎる。

そんでもって、こっちの記事。このサイト開設当初から、日本のRPGは、ムービーを見るために戦闘という足かせのついた一本道ゲーム。って言ってたんだけど、まぁ、最近ようやく理解されて来た訳ですが、ただまぁ、この記事の人が言っているように、高い自由度があればRPGかって言うと、そうじゃない。ハビタットやら、セカンドライフがRPGと呼ばれないように。

そこには、絶対的にメインストリームとなるストーリーの存在が絶対に必要で、そのシナリオに対して、どれだけ自由に関われるか。と言うのがRPGであると私は思う。なので、レッド・デッド・リデンプションは立派なRPGだ。というか、マスエフェクトより、レッド・デッド・リデンプションの方がレベルは高いと思う。そこは理解出来ないなぁ。ペルソナシリーズを褒めているのもね。女神転生シリーズと間違えてるのでは無かろうか。もしくは、2までしかやってないかのどっちかだ。

まぁ、マスエフェクトは、選択肢によって、プレイヤーキャラの性格をきちんと演じられる(キャラクターロールできる)という点では、レッドを超えているけども。レッドは、そうした選択肢はないので。それはそうと、オブリビオンについて触れてないのも歪んでるな。あと、ピーターには悪いが、フェイブル2はゲーム行動の自由度はそれなりに高かったが、シナリオやキャラロールに関してはかなりお仕着せだった。JRPGに限りなく近い。

まぁ前にも言ったけど、プレイヤーの行動の軌跡が物語になるのがゲームの本質。お仕着せのストーリーと流麗なムービーでプレイヤーを押し流すのでない。五年くらい前には「そんな設定はねぇ」と言われたモノですが、いまや主流派になりつつある…のかな?。日本では、まだまだだけど。

さて、伏線とプロットという命題も理解されるまで五年ぐらいかかるのかなぁ?。てゆうか、伏線とプロットって全ての物語作りに必須要素なんですけどね…まぁ、四コマ漫画みたいな、唐突な展開と落ちてないオチで、得意げになってる作家とか、あふれてるんですけども。


鋭意(2010/08/26)
執筆中。と言うほどのモノでもないですが、ダーレスの罪と罰ってタイトルにしたのに、関連ワードがあれば神話作品に入れちゃうアホゥへの愚痴と、名前だけ借りてしまうのは、プロとして恥ずかしくないんか論にすり替わって、困りもの。

特に、デモンベインをやり玉に挙げたので、信者の反応が恐いっても、古いゲームだからもう醒めてるか。ク・リトル・リトルの方が危ないか。どうして、日本の自称クトゥルフ神話ファンは、名前だけ借りたレベルなのに、神話作品を名乗りますかねぇ?。と言うか、こんなのでモチーフとか名乗るなって言えないユーザーがおかしい。まぁ、日本のファンレベルがそんなレベルって事なんでしょうね。

ティラムバラムは、クトゥルフモノとしては良作。あとは、ラプラス…かなぁ。黒の断章、ESとかも、名前出てるだけ。デモンベイン、ク・リトル・リトルなんて言うに及ばす。レッドゾーンのネクロノミコンはまぁまあだけど、インスマスを覆う影の丸バクリだし。

今のご時世、看板のあるなしで売れ行きが大きく変わるとは言え…ク・リトル・リトルほ神話モチーフって言うのは勘弁して欲しい。ラブクラフトとクトーニアン?、それってニュータイプとファンネルでも成り立つ訳で。フンドシどころか土俵まで借りそうな勢いはどうかと。

ガンダムシリーズも、そろそろ看板限界じゃないかねぇ…ふと思ったんだけど、ドラグナーのメカをガンダムに変えたら、ガンダムUC?。いやいや、妄言が過ぎましたなぁ。

そして、この記事。「しっかりした物語世界を持たず、お笑い番組のようなギャグや笑わせるような内容が目立つ」。児童文学に反映されるのは、最後の最後なので、もはや、末端にまで行き渡った模様。ストーリー作りの出来ない作家が蔓延しているのだなぁ。

一番ヒドイのは、引用ブログ。「固い」とか「大ホールを借りて無駄」とか、ワケ分からん事言ってるんですが…子供相手のディスカッションでなく、大人が子供の活字離れをどう防ぐかのディスカッションなので、固くて良いじゃネェか。参加人数が多いから大ホールじゃねぇのか。畳の会場で膝崩してやれとでも?。と言うか、なんで作家論とか、文学論に言及しない?。会合のあり方なんて、どうでもいい話だ。 読解力のなさが露呈している。結局面白ければ読むんだ。本が面白くないんだよ、結局。

ワタシ的解決策は、ゲームのシナリオを文学レベルまで引き上げる事。ゲームを映画を超える芸術にする事。なんだけど、児童文学まで目先のネタに走ってたらなぁ…とはいえ、私は、児童文学で育ってません。小4ぐらいから、児童向け推理小説(ルパンとホームズ全制覇)と冒険小説(ベルヌあたり)。小6あたりから、ハヤカワSF(主にハインライン)で育ちました。中学は運動バカであまり読んでなかったけど、ライノベぱっかだったかな。王嶺寺しずか(not藤本ひとみ)は、新刊を心待ちにしてたなぁ、カズマの続き出せ〜。火浦せんせー、トリガーマン2はー。高校でHPLと、チャンドラーと、ギブスンって脈絡ネェなオイ。

ぶっちゃけて、児童文学に拘る必要はないと思う。良い本を読むのに、年齢は関係ない。一日10ページ読むのがせいぜいでも良いじゃないか。小学校高学年での黄金虫はそんなペースだったなぁ。中身全然覚えてないから、本当に字面しか読んでないけど。ともあれ、児童だから、児童文学読ませようってのは、大人の驕りやね。

政治
小沢氏立候補ですか。まぁ、ラストチャンスだしね。幹事長で終わるより、総理大臣で終わりたいよね。例え三日でもさ。ただまぁ、確実な「終わりの始まり」。いったっしょ、左翼の最後は常に内ゲバだって。小沢氏の事だから勝算が無いと出ないから、おそらく勝つだろう。そして、民心は確実に乖離するだろう。だが、分裂はすまい。権力を手放したくないのが左翼連中だ。与党のママなら大臣のイスにも貰える。

そして、任期満了まで解散はすまい。あと三年、日本は保つだろうか……いや、この傷から回復する年月も含めれば、あと10年日本は保つだろうか。全共闘世代の本懐は達せられたが、その結果に耐えられる人が何人いるだろうか…


ドコまでが神話作品か(2010/08/31)
神話って言ってもクトゥルフね。商業作家も同人作家も、あまり触れないこの話題。まぁ、もともと触れても意味がない訳ですけども、あえて触れてみましょう。いや、記事書いてたら、線引きしないとまとまりが無くなるので。

現状、「HPLが添削した」とか「魔道書(ネクロノミコンか無銘祭祀書あたり)が出てくる」と、もう神話作品に入れてしまう人は少なくありません。アホゥと言える人になると「館の名前がウェスト邸だから」とかいう理由で入れ込んだりもします。それは、クトゥルフ神話=HPL小説という単純かつ何も理解していない分け方です。ハスターはダーレスだし、クトーニアンは、ラムレーだし。そもそも、「死体蘇生者ハーバード・ウェスト」なんて、神話作品とは言えない、普通のホラーですし。

死体蘇生者ハーバード・ウェストを神話作品に含まない理由として、
1、神話生物(神性を含め、呪文の中にも)が出てこない
2、魔道書のような小道具も出てこない
3、完全に科学の話である

1ですでに決定的。地球の既存の物理法則の他に、アザトースを中心とする異次元の法則に従った生物の存在によって、別次元の自然体系ってものの証左とするのがクトゥルフ神話。と思ってますので。その為、既存の神話生物に固執する必要など無い。自作の超次元生物を作り、HPLの作った自然体系に沿った位置づけをすればいい。

2は、かなり微妙。逆に、魔道書が出てくれば神話作品か。と言うと、絶対に否だから。あくまで、1で述べた体系に組み込む小道具としての存在であり、それ自体が体系の要素ではない。ネクロノミコンが出てくると言うだけならば、キャプテンスーパーマーケットやマウスオブマッドネスも神話作品になっちゃう。

元々が、ウィアードテイルズの作家同士による小道具の貸し借りだったわけで、今で言うなら、マーヴルとかジャスティスリーグみたいなモノです。スーパーマン対ジョーカーとか、バットマン対ルーサーの様なモノです。

3も、1に近い理由。つまりは、超次元の法則に従った何か。を使用していないのに、神話作品は名乗れまい。そういった点では、チャールズデクスターウォードの事件も微妙になってくるし、戸をたたく怪物とかも。

記事本編にも書いたんですけど、日本におけるクトゥルフ神話の人気って言うのは、つまるところ、怪獣人気だったのではないかと。キングギドラやガイガンのように、クトゥルフやヨグ・ソトースを見ているのでないかと。なればこそ、世界設定など見向きもされず、HPLの世界設定を無視し、名前と容姿だけ拝借したものに人気が高まったのではないか。日本のファンって、ほんとに怪獣図鑑のように、神話生物の列記で喜ぶ訳ですし。とか思ったんですけど、どげなもんでしょね。牧山せんせー山本せんせー。

日本に限らず、世界ででもですけど、新しい、自作のグレートオールドワンやアウターゴッドを組み込もうって人は見ないんですよねー。



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