十二月の夢酔



四方山(2006/12/2)
速いもので、もう年末。年を取ると本当に時間が過ぎるのが速いなぁ。よぼよぼ。

アンゴルモアの大王が到来年より、もう6年か。ジーン・ディクソンもエドガー・ケイシーの予言もハズレたのか、名も知らぬ英雄達によって危機は回避されたのかもしれないが。まぁ、世界は破滅に向かっているのかも知れないけれど、おおむね良好。残るは、マヤ歴が示す2012年の12/23。クリスマスの前か。キリストの誕生日は祝えないのね。

キリストといえば、キリストの守護する魚座の時代が終わり、変革と解放の水瓶座の時代になって6年。たしかに、あちこちで変革は起こっている。前向きにも後ろ向きにも。水瓶座のせいか、21世紀は、水害が目立つ気もするなぁ。

そんな訳で、変革の世紀なんですが、私から見れば、駄々をこねているとしか見えない、堀江被告の裁判を見て「カッコイイ」と言ったコメンテーターがいたのですが、やっぱり、安保世代は、無様でも権力に噛みつく…というか、権力に吠えたてれば「カッコイイ」んでしょうかね?。そういえば、逮捕前に、堀江被告をカッコイイとか言ってた人は、安保時代の人が多そうだったなぁ。

権力への反骨といえば、60〜70年代の日本の特撮モノ。そして、日本の特撮と言えばウルトラマン。ウルトラマンと言えば実相寺監督。亡くなられたんだよなぁ。実相寺監督というと、役者さんかスタッフか忘れたのだけど、存命中に実相寺監督のコトを語っているときの言葉。「監督、これは、子供には難解すぎませんか?」「子供には分からなくて良いんだ。大人になってから、あのシーンはこういう意味だと分かれば良いんだ」って言葉。

裏を返せば、大人になっても忘れないような良いシーンを作っているという自信があったんだろうねぇ。そして、子供に分かるように。と言うのは、大人の見下しでもあると。そんなポリシーのせいか、初代ウルトラマンとか、今見ても…いや、今見た方が、セリフの意味とか、役者の表情とか深く理解出来て、面白いんだよねぇ。

今の子供達が大きくなったとき、ウルトラマン…今はナンダ?…メビウス?…とか見て、このシーンの意味はこうだったのか。とか思うのかなぁ?。怪奇大作戦のDVDとかないかしら。ウルトラQはあるだろうから。


焦り(2006/12/4)
人から一番判断力を奪うモノはなにかと言われたら、それは「焦り」。パニック状態も、一種の焦りが突き抜けた状態だし、混乱も、何かをしなくてはいけないけど、何をして良いのか分からない。と言う焦りから、人は混乱する。と思う。

なんで焦るかというと、予想すらしていない状況である。と言うのが一番かな。予想とは大きく違う結果。と言うのも、予想していない状況だからして。ソコの角から、人が出てくる事を予測していないから、パニックになる訳だし。私が、常々、最悪の状況を常に考慮しておく。と言うのは、そう言う事。

状況を想定さえしておけば、対処法はいくつも浮かぶものだ。事故りかけた事はいくつもあるが、全て回避した。と言うか、逆に私じゃなかったら、加害者となった車の運転手は五人はいる。峠道で、対向車線にはみ出してきた対向車とかさ。年末は、何となく、意味もなく焦るので、ゆとりをもちまっしょい。

まぁ、それはさておき、ソニーの焦りは、薄型テレビで出遅れた事だろう。全く理解出来ないのだが、在庫が明らかに足りないのに、WIIより速く発売する。と言うのは意味がない。と言うか逆効果。どうせ買えないんなら、wiiにしよう。とwiiに流れた人は結構いるのではないだろうか?。

さらに、PSが常に心がけてきたキラーソフトとの同時販売も今回はパワーが無い。セガの負けパターンを踏襲していると言える。たぶん、ファミコン以来、任天堂が市場を取り返すのではないだろうか。DSによる、コントローラー以外での操作は、予想以上に好反応で、高齢者の抵抗感を除去したようだし。

あと、正直、ソニーの初期ロットは、不良品が多いので、列んで買いたいという奴の気持ちが分からん。PS、PS2ともに、初期ロットはかなり劣悪だった。今回はさらに生産を急がせた訳で、初期不良はかなりの数に上るのではないだろうか?。さらに、PS2の大幅な値下げも、PS2を買ってしまい、PS3まで手が出ない人を沢山作った気がする。

なにより、もう映像的な進歩は、PS2でピークを迎えた。つまり、綺麗な画像が良質のゲーム。と言う認識は、薄れてきていてるのではないかと。現実のような画像が展開されても、ゲーム自体がつまんないとしょうがない。画像は、へぼくても、楽しいのモノは楽しいのだ。よく考えられているゲームこそが良いゲーム。と言うのが、ようやく定着した気がする。ようやく、流麗なアニメーションとか、有名声優のボイスとか、有名絵師の原画とか、そんな小手先ではなく、シナリオライターが、シナリオ力で勝負する時代に、プランナーがプランで勝負する時代に、指先が入ったのかもなぁ。

佐藤ゆかり氏の焦りは、ヒドイモノがあるねぇ。気持ちは分かるが。採決欠席の処罰なんて、もの凄く良い口実を与えちゃダメだろうに。正直なところ、秘書や取り巻きも、すでに見限っていて、代理立ての指示が本当だとしたら、党は潰しに入ってると思う。しかし、野田聖子議員って、そんなに価値あるのかなぁ。県連とのパイプがあるんだろうか。ワタシ的には、どっちもどっちなんだけど。

このペースで行くと、安倍政権、寿命短かそう。


物語への介入(2006/12/5)
私が常々「ゲームは映画を越える可能性のある唯一の表現」と言っているのは、物語への介入性にある。

物語への介入性というのは、選択肢による物語の展開性に直結する。単純に言えば、恋愛モノで、三角関係になったとき、二人のヒロインのどっちを選ぶかは、プレイヤー次第という事。映画や小説では固定だが、ゲームでは、物語に介入出来る。これこそが、表現における次のステージだと、私は思っている。

ただし、選択肢による展開性は、必須事項ではない。実は、プレイヤー目線とキャラクター目線のシンクロ率が高ければ、つまり、物語への同化率が高ければ、回避出来る問題ではある。現状では、物語の傍観が、物語への同化と勘違いされている気がするのだが。

たとえば、同じアトラスのゲーム「デビルサマナーソウルハッカーズ」と「ペルソナ3」。実は、どちらも一本道で、シナリオの分岐はない。それでも、私個人からみても、ソウルハッカーズは名作と言えるゲームで、ペルソナ3は、駄作と言っても過言ではない。この二つの差はドコにあるか。

成沢大輔氏の言葉「クリアへの作業ではなく、プレイする楽しみ」に要約される。つまりは「やらされている。のではなく、自分でそれを選択した」と感じさせる事にあると思う。岡田COZYも「ロープレは、結局お使いを繰り返すゲーム。そのお使いを、いかにやらされてる感を感じさせないかが肝」と言う意図の発言をかつてしていた。

ペルソナ3は、と言うと「戦闘をやらされている」「イベントを見さされている」「アニメーションを見さされている」と、全てを強要されている感じさえ受ける。自己満足の独りよがりな、そして出来が良いとは言えない演出を、無理矢理見せられるのは、拷問に等しい。そして、あまりに舞台裏を見せるので、物語に対して「この先どうなるのか?」と先を見たいと感じる事がない。

対して、ソウルハッカーズは、同じ一本道のシナリオであり、お使いに駆け回るシナリオであるにもかかわらず、やらされている。と言う感触よりも、自分で選択してこの場にいる。と言う印象を受ける。このことが、大きな違いだし、これが出来ていないと、ゲームとしての最低条件をクリアー出来ていないと私は思う。

よって、ペルソナ3はゲームとしては、絶対に評価してはいけない一本であると。断言出来る。


禁断の(2006/12/12)
おんや、更新一週間ぐらいサボったか。とは言え客入りは最近のが…って、そうか。ブログじゃないから、検索エンジンに反映されるまで、結構ラグがあるからか。ブログの検索は、即日反映なんやろかなぁ?。まぁ、レスポンスありすぎても面倒だ。無さすぎてもアレだが。

さてまぁ、ペルソナ3が、何年かぶりのメルドル行きになるという、自分の嗅覚が失われたショックから立ち直るべく、偽典・女神転生にに何度目かの手を付ける。今回の切り札は、友達…というか、幼稚園からのつきあいなので幼馴染みか…からもらった、98ノートNa。

起動すると…一歩移動するのに、コーヒー飲めるわっ。仕方ないので、NX(非ノート)で、ダンタリオンの手前まで進め、ノートでダンタリオン戦プレイ…勝った、勝ったよ、ママン。ボスに着くまで、かるく一時間は要したが。しかし、これ、制作側はプレイヤーレベルいくつを想定していたのだろうか。バグ技で、バーチャルトレーナーから装備を奪い、しつこくトレーナーに通って、レベル20まで上げ、DB入隊試験で、意図的にスキルを選び。

と言うのをやって、人間5人+仲魔で挑んで、生き残ったの二人。レベル15で敵の1回の攻撃でギリギリ即死しないレベル。20は無いと、勝ち目無いな。それなのにバーチャルトレーナー以外、レベル上げ出来るところがない。そのトレーナーも序盤しばらくで、使えなくなる。どういう想定をしたのやら?。

なんで引っ張り出したかというと、鈴木大司教が絡んでるだよね。メガテンとしては、ラストの作品なのかな?。正直、メインストーリーのプロットは、非常に面白い。けれど、脚本(つまりはセリフメッセージ)が、非常にへちょい。名前固定だから、しょうがないのかも知れないけれど、心理描写されるとなぁ…ストーリープロットには引き込まれるから、物語へシンクロ始めると、寒いセリフが入って弾かれる。そんな繰り返し。

大司教は、メインプロット作るのは上手いけど、ゲーム的脚本にはちょっと向いてないのかなぁ。それとも、受け持った他のスタッフのせいかなぁ。システムを普通のターンバトルにして、脚本から主人公の心理描写を削って、難易度も再調整すれば、いいゲームに…って、コレだけ直したら、骨しか残らん気もするな。


預言者の逃亡(2006/12/16)
そも、女神転生は、西谷史の小説で、ぶっちゃけ、ライトノベル。アニメージュ文庫から出ていた、この小説は、コンピューターによる悪魔召喚というアイディアと、世界よりも恋人を取る主人公という当時は珍しいパターンで、良作ではあったが、傑作では無かった(我々、メガテニストに取っては傑作なのだが)。

この女神転生が、20年近く、語り継がれるタイトルとなったのは、ナムコから発売されたFC用女神転生というゲームの影響が大きい。そして、このゲーム版のデザイナーが鈴木大司教であった。中島、弓子は登場するモノの、小説のストーリーとは全く関係が無く、ゲームの魅力も、敵と会話して味方にするし、また合体させて強化していく。と言うところにあった。DQがパクってるけど、メガテンは1986年ぐらいの発売では無かったろうか。

そして、女神転生2では、大破壊後の東京を描き、小説とはもはや縁もゆかりもなくなった。あるとすれば、コンピューターによる悪魔召喚とタイトルぐらいなもの。さらに、真・女神転生によって、鈴木大司教による黙示録の概要が語られた。真2で、大破壊後の世界を語り、最後の正史となった訳だ。

この後、ifや、デビルサマナー、ペルソナと言った外伝的なものばかり登場する。ファンが待っている正史は、延々とジラされている訳だ。真3ノクターンも正史だが、時間は真1より前の設定と思われる。

さて、ここで考えて欲しい。偽典は、ifのあとに発売されたのだが、偽典のシステムは、テーブルトークの真・女神転生TRPG基本システムをそのまま流用している。基本システムの発売もアスキーだし、偽典もそう。ここで、鈴木大司教が、アトラスを退社し、アスキーと組んだ。と言う事が推理出来る。

つまり、アトラスは、正史を発売しないのではなく、発売出来ない。そりゃそうだ、預言者を失ったのだから。だから、if以降、外伝的なものしか作れない。対外的には、人間ドラマに重きを置いて。と言っているが、もはや、神話学・悪魔学的なものに重きを置くのは、鈴木大司教以外、作れそうもない。と言うか、作れないから、人間ドラマ中心の外伝に留まっているのだろう。

誰がリンゴを食べるようにそそのかしたのかは問題ではないのだが、テーブルトークに愛着のある大司教が、テーブルトークのルールも出版させたげる。と言われたら、そっちを選んでしまうだろうなぁ。アトラスにしてみれば、数少ない安定収益が見込めるメガテンを持って行かれるのは、納得いかない。となれば、残るのは深い溝。と言う事ではないかと。

よくよく考えてみると、悪魔が悪魔らしかったのって、真2がピークだったような気がします。それよりあとは、FFなんかと同じく、名前だけ借りてきた、普通のモンスターになっちゃってる気も。

ライドウとペルソナ3をやってみて、痛感したのは、マジでもう限界っぽい。普通の人間がメガテンを作るのは…P3は普通のゲームとしてもダメダメだが…偽典はシステムと脚本がダメダメだけど、ストーリープロットは面白いんだよぁ。我らが偉大なる預言者、鈴木大司教が、復活される日は来るのであろうか。


当たる(2006/12/19)
昔から、牡蠣にあたると、かなり重傷。と言われていた。まぁ、牡蠣に限らず、アサリとか、二枚貝全般で、当たるとかなりヒドイ。かく言う私も、アサリのバター焼きで、一個目食べたら冷たくて、冷えたのかと思ったら、他のは熱かった。二日ぐらい、水のような下痢をしたっけになぁ。

で、昔は、食あたりだの、なんだのと、貝にあたる。と言ってたのだが、その原因が、ノロウィルスでは無かったのだろうか?。私の無意味な勘としては、貝に当たる。と言っていた頃のウィルスから、進化というか、強化されたのが、ノロウィルスではないかと。

だから、風評被害ではなく…って、まぁ、風評被害か。いままでも、牡蠣は当たると、重傷ってのは、知られた事実で、それを今さらのように、過剰反応している訳で、充分、風評被害か。基本的に生食しなきゃ問題ない。ちなみに、日本で生食するときに、ワサビやらショウガやらをたっぷり載せたり、酢で締めるのは、殺菌のタメでもある。

しかし、一般大衆って救いがたいアホよのぅ。BSEの時も、もの凄い、ずれた過剰反応してたしなぁ。


アドベンド(2006/12/22)
追加という感じよりも、修正ディスクという意味合いが強い気がする、コンシューマーゲームのアドベンドディスクなんですが…よく言えば、ユーザーの意見を反映し、寄り良いモノへ。悪く取れば、おまえら、ベータ版で見切り発売したんちゃうか?。つまり、無印はver0.97ぐらいで、アドベンドがver1.02ぐらいちゃうかと。

まぁ、ペルソナ3のアドベンドなんですが、えーと、ペルソナの追加と、後日談の追加。が、メインであとは細々とした追加。と。まぁ、有り体に言えば、真3ノクターンが、ノクターンマニアクスになったようなもので、さすがは同じチーム。二匹目のドジョウを捜しますか。

しかし、つまるところ、メインのシナリオに変更や修正がある訳でなく、失敗したスポンジケーキに、どれだけデコレートしても、基本の味は変わらない。後日談も、色んな意味で吹っ切って、アイギス主役らしいし。なんだかなぁ。

・・・・これ以上言うと。もの凄い事言いそうなのでやめとこう。あー、偽典クリア。システム悪すぎて、イライラするけど、ペルソナ3よか、満足度は高いかも。まともに、レビュー書くか。クリアしたし。


偽典(2006/12/23)
1990年代のゲームなので、知らない人も多いと思うけども、偽典女神転生。たしかに、疑似リアルタイムバトルの歪なプログラムも致命傷なんだけども、もっとイライラしたのが、フィールドマップの移動。

実際の地図を取り込んだかのような、無意味に細い道まであるのは良いけれど、同じブロックの同じ細さの道なのに、通れるところと通れないところがあったり、そもそもの移動方法が、マーカーが、マウスでクリックした場所を目指す。と言うシステムなので、道が細いと、クリックできねぇぇぇぇ。とか。まぁ、拡大マップを表示するミニウインドーがあるのだけど。

これだけでも、けっこうイライラするけど、さらにイライラするのが、移動の処理。無意味に細い道まで再現しているせいか、1ブロック先を右に曲がるだけなのに、いきなり、逆方向に向かって、左回りで大きく迂回したり、曲がり角がないと言わんばかりに、同じところをウロウロ。

こうすると、ランダムエンカウントで、敵と遭遇し、屋外戦では、処理が煩雑になるせいか、処理落ちも多々発生。もの凄い雑魚なのに、ボス戦並みに、コマンドさえポップアップ出来ない。と言う事で、さらにイライラ。月齢調整が狂ったりすると、もー発狂寸前。

初期のメガテン(つまりは、鈴木大司教)の悪癖として、東京都民の常識を地方民に押しつける。と言うのがあるが、偽典ではそれが顕著。例えば、原宿から新宿へ行け。と言われても、基本的な方向すら想像がつかない。さらには、市ヶ谷ともなると、もーアウト。さらには、五色不動の場所なんてしらねー。関東圏の人に、難波から阿倍野方面とか、三宮から梅田の方とか言っても通じないようなもの。

フィールドマップが移動しやすいなら、まぁ、地上をウロウロしながら捜すのもありなんだろうけど、あのシステムでは…さらには、大破壊によって断層や亀裂があるために、地下鉄を利用するのだが、住んでない地域の地下鉄の路線なんて知るか!。って感じですわ

とどめのペルソナ3。伝奇ジュヴナイルだと、修学旅行はなぜか京都。東京魔神学園しかり、スプリガンしかり。で、それは良いんだけど、なんで旅先で事件がない?。影時間に場所は関係ないのだとしたら、京都でイレギュラーなシャドウを狩っている同胞と出会って「戦っているのはオレたちだけじゃないんだな…」とか、あっても良いんじゃ?。それが、美鶴覚醒につながったりするとキレイにまとまる気が…

ホント、シナリオ担当者の感性の悪さというか、なんというか…次ぎはないなぁ…追加ディスクで入っていたら、ベータ版疑惑高まるね。


シェンツァ(2006/12/26)
喜ばしき。と言うドイツ語だったか。ニーチェの著作でのルビでそうなっていた気がする。

さて、そんなマクラは、さておき、何が喜ばしいかというと、私は、ここ数年来、延々と「プレイヤー視点とキャラクター視点」と言うものを語っていた訳ですが、ナムコのテイルズシリーズの新作CMで「君が作り出す物語」的な事を言っていたのを見て、私の足掻きも、無駄ではなかったのかなぁとか、妄想した次第です。

と言うところで、最近思い立ったのが、プレイヤー視線=キャラクター視線。と言うのは、まぁ、究極目標であって、志してもナカナカ出来るモノではない。そうなると、次善策として、主人公とユーザーのインサイド、同化、シンクロ度をいかに高めるか。と言う方策になるかと思います。だからこそ、昔のゲームは、ほとんどが一人称でつづられ、一応のデフォルトネームがあったとしても、それを気にする事はほとんど無かった。

少なくとも、物語の中心に自分がいる感触は、最低限持てたモノだった。しかし、近年では、プレイヤーは、完全に物語の外側に追い出され、映画やアニメなどの映像作品を見るかのように、傍観させられていた。下手をすれば完全な三人称で、ナレーションで心理描写までしてしまう程の排除ぶり。

コレのドコがゲームなのかと。プレイヤーが選択肢によって、物語の中を歩み、その軌跡が物語となるからこそ、ゲーム。特にAVGやRPGは面白いのではないか。定められた展開を結末までたどっていくならば、映画や小説と何が違うのか。と延々と語っていた訳です。

テイルズのCMのコピーが、聞き間違いだったり、勘違いだったら、切ないですが、そうでないなら、傍観するゲームはミスディレクションであったという事に少しずつですが、なりつつあるのでしょう。実は、ナムコのRPGは軒並み出来が悪く、FFと列ぶ、傍観タイプの巨頭だったので、そこが転換するのならば、スゴい事だと。

やはり思うのは、サクラ大戦が、ゲームの演出技法として、アニメーション等の映像演出技法を持ち込んだ事で、ゲーム演出は、良かれ悪しかれの変革を遂げた事は事実です。有名声優のCV、有名原画師の登用、セル画なみのアニメーション。プレイヤーではなく、視聴者に対するようなゲーム演出。やはり、ゲーム創作の分野においては、疫風というか、悪魔の囁きだった気がしますなぁ。

マルクスの資本論がスターリン型共産主義を生み、現代の混沌を産んだ事には劣りますが、サクラ大戦以降の、プレイヤーを視聴者として傍観させるゲームの台頭が、創作という大切な部分を低迷させたことは、間違いなさそうだ。10年は迷走させたよね…未だに迷走中だし

時に、サクラ大戦にて…厳密にはシュラト?…一世を風靡したあかほり氏なんですが、演出技法を見ると、師匠筋の小山高男さんのパクリというか、継承というか…例えば、サクラ大戦で、戦闘が終わると「勝利のポーズ、決め」と言うやつありますが、アレは、ヤッターマンあたりから、ずっとやっている定番の勝ち名乗り。ラムネでは「解説しよう」をやってるしね。もしかしたら、サクラ大戦発売当初から、笑うところだったのかなぁ。

カートゥーンネットで、タイムボカンシリーズ見るまで、全く気がつかなかったよ。ポリマーやってくんないかなぁ。キャシャーンは只今CNで放送中。熱くて切ないよなぁ、キャシャーン。フレンダーの変形は、ゲッター並だけど(笑)


なれ合いの撲滅
ちょっと感じ入ったのがこの記事

私なりに解釈を総括すると、「なれ合い」が良いとされてきた20世紀末が、完全なるミスディレクションであったことに気がついた。と言う事か。

ゆとり教育も、職場のフラット化も、友達親子も、突き詰めれば、現場の秩序、命令系統を破壊し、フラット、フランクと言えば聞こえはイイが、つまるところ、馴れ合いでだらけていた。と言う事か。仕事は戦場だ。上意下達、指揮命令系統がハッキリしていないと、動くに動けんわな。

上意下達で、命令を頑迷に固持するだけ。と考えるのは、アホウだ。根幹命令に従いつつも、現場での柔軟な判断が出来なければ、まともな部隊とは言えない。馴れ合いと、現場の連帯感は全く異なるものだ。

未だになれ合っているのは、国会議員と官僚と警察。…国の根幹やん。


がっかりだよー(2006/12/30)
新年までは、真面目なゲーム論で扉を飾っておこうと思ったのだけど、ちょっとねー。と言う感じで。

ペルソナ3のアドベンド、6000円ですって。2980ぐらいなら、新品買ってもいいか。3980なら、中古待ち。でも、4980とか付けるんだろうな。と思っていたら、さらに上を行きますか。クソメーカーになりつつある気がしますわ…メインがあの出来で、追加のペルソナが20数体。それと、後日談がプレイ時間30時間程度。あとは、細かい遊びがチラホラ。

これで、新品並みの6000円って…アドベンドちゃうやん…アドベンド込みの完全版は8000円って…無印+アドベンドだと、12000円ぐらい。P3信者は、今のウチに、無印は売ってしまって、完全版買った方がええんちゃうやろか。中古屋でも買い取り3000円するつてーと、完全版が5Kで買える計算。アドベンド単品よりやすいで…って、買う人おるんかなぁ。後日談も、完全な自慰演出全開。サトミタダシモード突入。って感じがするよ。最後は、スプリガンの金谷的に、メティスが「私はあなたがうらやましかった」的な終わりと見た!。

というか、後日談に主人公登場するのかね?。もう、アイギスとNPCだけで進むのではないだろうか?。そうだとしたら、完全に自慰自己満足演出。メガテンしかないのは分かるけど…不出来でも、タイトルかぶせれば売れるだろ。見たいな方針には陥らないで…ってもう手遅れか。

政治:小泉時代は、ワンフレーズで説明不足。安倍時代は、長すぎですか。もー政治評論家ってわけわかんね。三宅先生しかしんじねー。

映画:なんか…ハリウッド終末くさくない?。原作、脚本の思考停止は世界レベルか。20世紀フォックスのゴースト天国からの囁き。って、花田少年史なんじゃ…



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