虚文字癖(2009/02/01)
出版社の頭痛の種である、ゲーム系wikiをみていると、明らかに、ゲームをプレイしたことがないのに、記事を書きたがる人がいる。ゲームをプレイしたことがあれば、二秒でわかることを、間違えて記入するので、一発でわかる。たいていの場合は、wiki内の情報を、つぎはぎして記事を作成することが多く、大抵の記事は、プレイしたことがあれば、すぐにわかる事は、大前提として、書いていない事が多く、大黒柱がないまま家を建てるような事をするのですぐわかるワケ。
この人たちの心理はどういうものなのか、非常に気になる。まぁ、一番、しっくり来るのは文字社会における虚言癖。ということなのだろうとは思うのだが。
元来、匿名性は、虚言癖を助長する傾向にある。というのも、素性が知られていないから、嘘がばれないのであり、旧知の友人の前で「この前フェラーリ買ってサァ」とか言っても、家の前には軽しかないと、すぐにバレるわけで。学生の頃にも、こうした手合いは居たと思うが、すぐにバレて陰であいつサァ…とか言われていた思う。ネットが浸透する前は、匿名が保てる、テレクラとか、素性をごまかしても問題ない飲み屋、キャバクラなどが主な舞台だった。
同系列に、故意に嘘の情報を流すいわゆる釣り。をする人もいるが、こちらは、愉快犯的な思考であり、自分の嘘で、周りが右往左往するのを楽しんでいる。まぁ、こっちも困りものなんだけど。虚言癖の方は、嘘をつくことで、自分が認められる、もっとネガティヴだと、見下されない。というための防御行為とも取れるわけで、釣りが攻撃型とすれば、虚言は防御型と考えられる。
しかしながら、釣り行為も、その実は、自分の言動に対して、リアクションしてくれる他人。を求めての行為であり、悪意でもいいから、自分をみてほしいという、悲しき駄々でもある。ちょうど子供が、親の興味を引くために、泣きわめくようなものか。泣けばかまってくれる。という価値観を見いだした子供は、大人になると、騒ぎを起こせばかまってくれる。という思考になるのだろうか。
秋葉原連続刺殺事件の代表される「でっかいことやる」が、犯罪行為に向くのも、騒ぎを起こせばかまってくれる。自分をみてもらえる。という心理が、奥底にあるのだろうか。
ショットガンブルース(2009/02/05)
PCがダウンしていた間に、色々ありすぎて、まぁ、いつものこのスタイルに。小ネタというには重量があるかも。
ガッツポーズとスポーツ
相撲で、朝青龍関のガッツポーズが問題となっているが、おそらく、外国人からみると全く持って理解できないと思う。というのも、彼らは、相撲を完全にスポーツとして認識しているからだ。
日本の武道のほぼすべてに、残心の精神が含まれている。簡単に言うと、相手を打ち据えたとしても、まだ相手に余力が残っていて、反撃してくるかもしれないから、最後まで気を抜くな。という考え。剣道などは、如実で、有効打の後にガッツポーズなどして隙を見せようものなら、有効打が取り消されることもある。空手においても、追い打ちって言うのかな、相手がダウンした場合、寸止めの一撃を放つことで、ようやく有効打認定だし。
柔道の場合は、明確なルールとしては、存在しないが、投げた後、投げられた後、即座に寝技の攻防に対応する事が求められた。が、私が現役の頃でさえ、意外と出来ない人が多く、一番酷いのになると、投げた方も投げられた方も、そのままの姿勢で、審判をじっと見つめ、審判が「技あり!」と言うと、動き出すという、コントさながらの事例もよくあった。国際試合で、寝技の時間が短縮されているのも、多くの外国人が、即座に寝技に展開できないからであり、また、外国人はグラウンドを見るとしらける特性があるのもあるけど。
そうしたことを踏まえ、ガッツポーズをしてしまうのは、相撲をスポーツと認識していることが問題であり、品格以前の問題である。横綱の格、という面で見ると、ガッツポーズを取るのは、実力が拮抗している相手に勝ったからであり、朝青龍関は、よく追い打ちをするが、それもまた実力が伯仲しているからである。本当に格下の相手に勝って、ガッツポーズをする人がいないように、格上や実力伯仲の相手に勝てば、思わずしてしまうのがガッツポーズ。それだけ、朝青龍関が、実力的に追い込まれている証拠といえる。余裕のなさを伺わせる。本来なら、いかに強くとも、こうした余裕のない人を横綱にしてしまった、横審に責任があるように思える。過去には、いかに強くとも横綱になれなかった人もいたし。
日本人が理想とする横綱とは、まさに、南斗鳳凰拳そのもの。敵はすべて下郎。自分以外はすべて格下であり、たとえ本番でも、稽古をつけてやっている。そんな気位を求めているわけで、まぁ、ちょっと無理かなぁと思う。
ミスター渡り
この人を見ていると、長野県で、田中康夫知事時代に、知事の名刺を目の前で折った人を思い出す。完全に、お山の大将で、自分の地位を勘違いしている。この人が排除されれば、改革はかなり進むだろう。
しかしながら、麻生政権としては、歓迎すべき人物で、明確な悪役が登場し、コレを排除することで、国民にアピールしやすくなる。小泉さんには抵抗勢力、阿部さんには北朝鮮。明確な敵と戦う姿勢は、単純な国民にとって、ヒーロー像として見せることがたやすい。ここを逃せば、おそらく立て直すチャンスはないだろう。給付金問題も一段落し、公務員改革で無駄をなくす事に成功すれば、株はどっと上がるだろう。
未だに勘違いを続けている、社会党系民主党員が、前線出ている今、二重の意味でチャンス。てや、本当に、審議を一日延ばして、勝ったとか叫ぶ姿を見て、政権を任せられると思う人が、どれだけいるかと…ようやく、ネットニュースでのコラムで、民主大丈夫?みたいなコラムが載り始め、時代が私に追いついてきました。
虚文字癖
アップしたあと、桃鉄モバイルに脅迫状送っていた人が逮捕されて、ますます核心を突いていたのではないかと思うように…ブログを炎上させた人が、逮捕というニュースも飛び込んできて、良きかな良きかな。と思う反面、自由が侵害される気も少し…とはいえ、炎上をおそれて、自由に発言する事を、マフィアじみた連中によって阻害されていたとも取れるわけで、官憲がピチッと支配する自由か、ヤクザが支配する自由か、その違いな気もしなくもない。どっちが住みよいかは、人それぞれだしねぇ。
不景気
自動車メーカーに勤めている知人が、トヨタの赤字転落を見て、今まで赤字になっていないのがおかしい。絶対粉飾してるわ。と言ったのを聞いてか、それまで業績好調だった各界トップメーカーが、軒並み赤字に。もちろん、本当に、リーマンショックによるダメージもあるだろうが、それ以上に、今までごまかしていたものを、今のうちに出してしまえ。という気持ちをものすごく感じてしまう。
要は回復傾向にあるとさんざん言っていたのに、民衆はそれを少しも感じられなかったのは、結局、帳簿上だけの景気回復だったのではないか。その上、政府紙幣案。どんだけ目先のことしか見ていないのかと。
好きなもの(2009/02/08)
久々に軽い話題を。好きな作家と聞かれると、即答で、レイモンド・チャンドラーと答えます。詩的な表現でありながら、どこか冷めていて、でも何か熱いものを感じるという、ハードボイルドというものを完璧に体現できたのは、チャンドラーだけではないかと思っております。
好きな漫画家は。と聞かれると、雑君保プと、トニーたけざきの二人は即答できます。次いで、佐々木よしの、阿川あけみと来まして、スミノヒルネさんが、私の中で急上昇(と言ってもかなり前からですが)。共通項は、ディープなメガテンマニア作家。マニア故にネタ自体も面白く、無理矢理出したネタというわけではなく、好きだからこそ自然と出てくる感じが心地よいわけで。
SD系の佐々木よしの。艶のある阿川あけみ。穏やかな癒し系絵柄なのに、ほのかな色気を感じるスミノヒルネと言うところでしょうか?。メガテンファンなら、一度は目にしたことがあるこの御三人さんと思います。密かな共通点は、乳が柔らかそうな絵を描くだったり(ノノ)。
さて、ちまちまとゲームもやってまして、エースコンバット6。新古で2980だから良いかと、レジに持って行ったら、新人っぽい兄ちゃんが、閉店間際にもかかわらず、異様にハキハキと3480です。とすんだまっすぐな瞳で言うので、値札とちゃうやーん。それ、完全な新品店頭希望小売価格やーん。と思ったものの、まっすぐな瞳と、仕事でミスしたあとで、ツケがここデマ回ってきたか。という気持ちになり、そのまま購入。クレームが面倒だったとも言う。
やってみた感じは、普通のエースですな。今回は、ぐっと来る無線通信がなかったなぁ。04の「こちらB中隊、航空支援はどうなってる?」>ミッションクリア>「おいB中隊、空軍に何か言うことはないか?」「B中隊?」「失礼しました、指揮を引き継ぎました。空軍の支援に感謝いたします」「……全機帰投せよ」。うおおお、支援まにあわんかったんかぁぁぁぁ。とか。段々と、戦争ゲームを作ってるけど、戦争を推奨してないですよ。と建前を全面に、嫌らしいほど持ってきているので、ややシラケる。CoDシリーズみたいに、振り切っても良いんじゃないかと。所詮ゲーム、うだうだ言うやつのがおかしいんじゃ。と。
んで、初不思議のダンジョン。風来のシレンDS2。申し訳ないけど、私との相性は最悪。何が気にくわないって、レベルシステムを否定しているのに、最後に物言うのは、レベルって何かまちがっとりゃせんか、チュンソフト?。そのステージをクリアするために、後に残らないレベル上げ作業をする。そんな無駄に耐えられません。DS2が大スカなだけ?、それとも、シリーズ全般こんな感じ?。
本当なら、無双5エンパをやっているハズなんだけど、延期になったしナァ。侍道3まであと何日かなぁ。
好きなものforAdult(2009/02/13)
アダルトのスペル間違っている気がするな。あ、前回分で、桜瀬琥姫さん入れ忘れてましたなぁ。マリーのアトリエで一発当てたものの、その後、パートナーに恵まれず、最近見ない…というか、私がその手の本を見なくなっているからですが。 独特のほわっとした雰囲気を行かすためにも、カチッとした英雄ものより、日常もの。の方が合うと思うなぁ。
さて、アダルトという事で、さっくりあげると、NEWMEN、さんぢぇるまん猿ときて、ITUTOSHIと。NEWMENさんの絵柄は、ややマッシヴであり、苦手という人のが多いかもしれないなぁ。寡作なのが玉に瑕。って、玉にきずってこんな字なんか。 共通事項は、DP好きという事かもしれない。ゲームメーカーで言うと、アクティブやGJのとこの絵師は好きなんだけど、ゲーム内容が壊滅的という致命傷がねぇ。
んー、意外とアダルトネタだと話が続かないな。私の場合、好きなものは好きで、それ以上の理由を必要としないからなぁ。
日本のみならず、ドラマ映画の自称オリジナル脚本家/作家の、芸無くパクリすぎな現状は、経済状況よりも深刻かつ致命的になっていると思うのですが。たとえば、日本のボイス…トゥルーコーリングだよね…未来を見るか否かの違いはあるけど…日本のスキャンダル…デスバレートな妻たちだよね…感染列島…アウトブレイクだよね…換骨奪胎と言うより、盗作のグレーゾーンな気がするのですが…
ただ、そうした臆面のなさはハリウッドも、というかハリウッドの方が上手で、アメリカ版海猿(タイトル忘れた)とか、ディズニーのアトランティスとか、ステルス(設定が戦闘妖精雪風まんま)とか、元ネタをリスペクトしつつ独自に広げていくのが、本当のパロディと思っている人間に取って、今の現状はキツイ。作ってる側は、自信満々にオリジナルと言い張るだろうしねぇ。
隠れた良策として名高いギャラクシークエストとかは、トレッキーだかトレッカーだかの、スタートレックファンもたぶん納得してくれる出来。内容は、まんまスタートレックのようなドラマで、当たったものの、それ以外は鳴かず飛ばずの役者たちが、マニア向けイベントで食いつないでいるところへ、ドラマをドキュメンタリーと勘違いした宇宙人が本当の宇宙戦争に連れて行ってしまうという。見終わった頃には「ネバーギブアップ、ネバーサレンダー」と叫んでいるはずの良作。スタートレックの話にあったようなシーンもいくつか織り込まれていたりする。
ま、結局は、デュマがいったと言われる「確かに、これは君の話だ。だが、私の方が面白く出来る。」と盗作を認めたとかなんとか言う言葉なんでしょうな。要は、パクっても、面白ければいいだよね、見る側としてみれば。今の日本のドラマは…学芸会か文化祭の出し物なら良いできだよね。という感じに近い。そしてそれを、面白いと思う視聴者の質の悪さ、というか、本物を見る目のなさ。どうなりますかねぇ。
蜃気楼(2009/02/17)
中川大臣の失態で盛り上がってますけど、一つ忘れているのが、この後先考えず、その場の勢いで発言する大先輩、蜃気楼じゃなくて、森喜郎議員の失態というか、味方殺しぶり。
総理時代も「第三国で見つかったことにして、返してもらうのも手」と、その場の勢いで答えてしまい、拉致被害者の帰国チャンスをつぶしてしまったこともありました。そして、今回も、当人の釈明会見より先に、テレビに出て「あの人、酒が過ぎるから」とあっさり暴露。コレがなければ、そこそこの数の人間は、釈明会見で「風邪薬の影響だったのか」と納得する人も、相当数いたはず。
無くした権力を取り戻そうと、あれやこれや手を打つけど、全部、逆効果。当人は、良いコトしたと思っているのでしょうけど。こういう人を、チャンクと私は呼びます。元ネタは、グーニーズ(映画)。何でも持たせると、20秒でうっかり壊すという、あの子です。
まぁ、それにしても、エンジン全部破壊された爆撃機のようですな。爆弾、腹に抱えたまま不時着の場所を探しているという。下は味方陣地で爆弾も捨てられず、右往左往。潔く、海でも目指せばいいのだが、助かろうとするものだから、余計にみっともないという。もはや、空中で爆砕するのが、味方陣地へ吶喊して巻き添えを作るのか。
ダイヤグラム(2009/02/20)
本来は、時刻表とか、そんな感じだったっけ?。まぁ、それはともかく、スト4関連を見て、一番思ったのが、ダイヤグラムってまだつけるんだ。って事。
それでふと思ったんだけど、ダイヤグラムをつける意味ってあるのかな?。今回だけでなく、ゲーメストが最盛期の頃から思ってたんだけどね。最終的には、プレイヤー次第なワケですよ。同じ使用キャラでも、人が違えば動きも違う。さらには、苦手なタイプも変わってくる。仮に意味があったとしても、ダイヤグラムで、弱いキャラだから、負けてもしょうがないよね。ぐらいの良いわけに使えるぐらい。
逆に言えば、ダイヤグラムが機能するって言うことは、明確に、キャラクターの性能差が存在するわけで、対戦を主眼とおいた作りをしたならば、それは調整ミスといえる。限りなく、対等な条件に設定するのが理想だからして、どうしようもない状況が多発するキャラってのは、煮詰め足りないって事になる。もっと言うなら、ゲーメストも、単純な点数で強弱をつけるよりも、そのどうしようもない状況に、どう対処するか、みたいなのが本当の攻略であったはず。まぁ、紙面は限られているからしょうがないんだけどね。
それに、本当は無意味な点数付けが、正当な評価と信じられていた時代でもあった。今でも、そうだよね。某ゲーム紙のクロスレビューとか。レビュアー4人いて、全員同じ点とか近似値とか、絶対におかしい。というか、似た感覚のやつ4人集めても意味ねぇじゃん。とか思う。まぁ、もう、高校あがったぐらいから、読むと来なくて買ってないけど。読んですらいない。ゲーム屋行ったら、切り抜きが張ってあるのを読むぐらい。
政治。
いろんな意味で、末期だよね。政権の末期、民主主義政治の末期。共和制ローマの末期を見るかのような、政治家は民衆を見ず、議員の椅子ばかり見ている。結局、小泉さんも、全共闘世代に入るのかな?。そう思わせるような、見事な投げだしッぷりかつ、我がの事は棚に置く思考回路。まぁ、郵政問題の強行採決は、国民の審判を仰いだ後だったといえなくもないけども。今度は自分が抵抗勢力になるつもりですかね。というか、これを機に離党?。つーか、引退決まってる人だしなぁ。
虚文字癖
ふと、ネットによく出るかまって君。煽りというには、あまりに稚拙なケンカ言動を仕掛けてくる人。これもまた、ケンカで良いから、誰かと触れあいたいという、悲しいも哀れな行動。コレもまた、子供の頃に、いたずらしたら、先生や親が構って(叱って)くれるとか、自分を見てくれる。って、事が発端なんだろうね。小学生の頃を思い返せば、クラスに一人は、見つかるようないたずらをする奴がいた。大抵は、一人っ子で、共働きとかだった気がする。さらには、いわゆる教えて君は、多分に一人っ子であろう。アレして、コレして。と言えば、必ず親がやってくれたのだろう。だから、聞けば必ず教えてくれると思っている。もっと言うなら、してくれないときは、ゴネれば、やってくれた。
まぁ、この考察が正しいかは、中国を見れば正否がわかると思う。一人っ子政策によって、ずいぶんな状況に陥っているようなので。わがまま放題の一人っ子が、社会の中心を担う世代となったとき…って、そこまで共産党は残ってないや。
侍道3まであと一週間ぐらい。日本版のフェイブル2とも言えるワケで、フェイブル2よりもやり込み要素は豊富なわけで。そいや、はこまる版の発表時に、下手こいたせいで、しごーい地味な展開になっているのは、ソニーの陰謀なのだろうか。町のゲーム屋行くと、それなりに在庫があるんだけど、ツタヤとかちょっとしたチェーン展開している系列店になると、棚1つ。しかも、本体パーツの売り場込みで。
本体の販売台数は、PS3が盛り返してきたとはいえ、そんなに差はないはず。というかHDDVDの廃止が決まるまで、はこまるのが上だったハズ。なのに売り場ずっと棚一つ。判で押したように、どの店も。コレってやっぱ、販売店に圧力かけてね?。
まぁ、何にしても、ソニー信者、PS信者の妄執というか、狂信ぶりは恐いものがある。はこまるとPS3両方出してるソフトで、だいたい荒らすのはPS3サイドの人間。PS3りが優れているように書きたがるという。で、侍道シリーズも、なかなかのネームバリューを持つソフト。それが、PS3だけ。というのは、優越感だったわけで、それを潰された狂信者の呪詛っぷりは、侍道3公式ブログをみると分かる。なーんで、たかがゲーム機に底まで入れ込むかねぇ。ここで最初に戻る。なんでたたかが、ゲームの使用キャラに入れ込むかねぇ。
議員屋(2009/02/22)
一昔前は、政治家はいなくなり、政治屋ばかりだ。とか言われてましたが、今では、政治屋もいなくなり、議員屋とも言うべき、自分の議席だけを見つめる人が増えてきました。
かっこいいと思っているのか、得意げに「この総理では、選挙を戦えない」としたり顔で言うのを見ると、落胆する。お前らが戦うのは、選挙なのかと。政治というのは、国家という社会システムをダイレクトに変革できるもの。国のために、人のために、それがひいては家族のために。悪法をただし、隙間を埋める。それが、政治家ではないかと。
詰まるところ、大事なのは自分の議席で、「この総理では戦えない。」というのは、結局、総理のいる党に属してます。という看板だけで票を集めようとしているからで、中身がないからだ。というのを、自ら公言しているようなものだ。自分で、バカでーす。と大旗を振っているようなもの。
小泉さんも、小物になったね。今回のことで。詰まるところ、欠席公言は、自分の成したことにケチをつけられるのは納得行かん。という駄々。で非常に見苦しい。ライオンってのは、実は女々しいもので、足にとげが刺さっただけで、泣き叫ぶ。のはイソップだったかな。まぁ、総理としての引き際は見事(いろんな意味で、改革のダメージが露見する前に去る当たり)だっただけに、議員として、人としての去り際が、無様なのは、男を下げた。が、その裏として、ここで、ばしっと麻生さんが、党議に背いたと言うことで、よどみなく処罰したらなら、麻生さんの男は上がる。そのために、あえて悪役となったかもしれない。
YKKで、次世代を担うと言われながら、他の二人が、派閥の長に近いポジションに着く中、一人、最大派閥の森派の中に埋毒し機をうかがった策士。加藤の勇み足、山崎の決断力のなさの隙をぬって、総裁となり、総裁となった後は、森喜郎を事実上追い出し、中曽根さんら、妖怪を一掃。完全なる、下克上を成し遂げた策士であるからして、その謀略は軽く見てはいけない。が、年取ると、感情に走る人多いからなぁ。
ともあれ、今、かっこつけてるつもりで「今の総理では選挙を戦えない」と言っている人は、自分は、党の看板だけで票をもらってます。と公言しているようなもの。議員の椅子にしがみつく、政治の理念も、理想とする国家像も持たない、議員屋である。と言っているようなものではないか。
WayOf侍3(2009/02/27)
さて、ゲームジャンキーの禁断症状もピークというところに、届いた侍道。プレイしてみると…システム、1戻ってるな。押しと引きが復活。侍道2の時に、縦切りと横切りの捌きから、カウンターで一撃死ってのは、ボスクラスとやるときは、非常に単調になりがちな反面、集団戦の爽快感はすばらしかったわけですが。侍道3では、 カウンターを連殺という形で、うまく融合させてます。けど、リズムゲームばりのボタン押し要求は〜。リズムゲーム苦手なんでねぇ。そして、2のシステムに慣れたところに、押しと引きが戻ってくると、難しいぃぃぃ。
シリーズを通して、初回プレイのハードルの高さは、相変わらず。主人公にレベルがないために、強さは武器とプレイヤーの腕に依存(これが本当に、キャラクターレベルシステムの否定だと思うよ、チュンソフトのシレン作った人)。その為、ある程度の性能を持った刀を手に入れるまで、かなりイライラさせられる。シリーズの経験が無い人は、確実に、 最初に出会った辻斬りに負けて、ゲームオーバー画面を見ることになると思う。これは、ある程度、作り込んだ状態を標準設定しているためで、そうしないと、長く遊べるゲームにならないというジレンマ。
とはいえ、今作は、途中で死んでも、刀、アイテム、お金のロスト無しの優しい設定。だいぶ、入り口のハードルは下がっていると思う。さらに、今作では、経過日数による強制終了が無く、刀の鍛錬も、システムとして、鍛錬をやり直すというシステムになっており、前作でリセットしまくりつつ刀を鍛えた人には、うれしい設定。
前に、日本のフェイブルとか言ったけど、フェイブルよりはできが良い。というのも、フェイブルは、王道のRPGで、解決方法は複数あるものの、結末は一つ。いくつか合い鍵はあるけど、結局出口は一つだけ。だもんで、クエストをクリアすると、フェイブルは 、とたんにやることがなくなっちゃう。考えてみれば、オブリビオンもフェイブル、GTAシリーズとかも、解決方法はいくつかあるものの、エンディングは一つ。洋ゲーは、このパターンが多い。対して日本の場合、 解決方法は、一つなんだけど、フラグが立ってれば、最後の最後で分岐するマルチエンドが多いなぁと。
で、今作の売りであるオリジナル刀は、技を覚えるという楽しみがないので、ちょっと使い続け憎い。そもそも、デフォルト刀でまず技を覚えてからでないと、オリジナル刀の技にすることが出来ないので、まずは、技のコンプが先に。 その頃には、使い慣れた刀があって、愛着もあって、乗り換えられるかなぁと。かなりやりこまないと、使える技、見せる技、技の隙と威力とか、いろいろと見えてこない しね。まぁ、まだ始めたばかりのなので、長く遊べそうで良いんだけど。
槍の有利さを、体感するためにも、ぜひとも、ファンタジーゲーマーや、ゲーム制作者はやっておいて欲しい。「槍は懐に飛び込めば!」とか、受け売りの、伝聞だけで書いちゃう人は、槍の間合いに泣け。つーか、農民の竹槍でゲームオーバーになった私。
で、戦国時代がベースなんだけども、武士道とか侍の道とか言い出すのは、平和になった江戸時代から。これは、西洋でも似てて、大規模戦争が無くなって、ある程度平和になってから、騎士道とか言われ出す。まぁ、戦争中に、理想掲げる余裕はないからねぇ。さらには、平和な時代だからこそ、武力たる武士に自制させる手段でもあったわけだし。
居合いも、大成するのは江戸に入ってから。というのも、武器が刀に限定され、さらには、納刀状態が基本となったからこそ、進化した技術。それまでは、抜刀術として、素早く鞘から抜く技術。つまり、斬る動作までは入っていない。刀の抜くと斬るを一連の動作にしたのが、居合いってところかしら。ちなみに、豪剣として名高い、薩摩の示現流にも、抜刀術はあります。槍止め(対槍の技術)とか、小太刀技など、意外と小技も豊富。底の浅い、それっぽいけど、実はカタログ並みの内容しかない専門書もどき を鵜呑みにして、記述すると「初太刀で、倒すことにこだわり、防御の型がない」とか言うのを信じちゃうわけ。
ああ、話がそれた。ので、戦国時代の勝てば官軍が当たり前の時代に、武士道とは。みたいなノリは今ひとつあわないなぁ。けど、槍を身につけても何も文句言われないのは、戦国時代でないとなぁ。江戸時代、刀は許されたけど、槍はダメだった。まぁ、ぶっちゃけ、戦場においては、刀は護身用武器レベル。槍や弓こそが兵器であったということなんですけども。
戦国時代というのをあまり感じさせないなんですよねぇ。いろんな意味で、侍1に近い。シナリオは、良い出来です。というか、映画チックともいえる。
ああ、そうだ。映画といえば、アカデミー賞。日本映画が受賞したそうで。それは、おめでたいことなんだけど、反面。外国語映画賞っておかしくない?。世界規模で作品を集めているのならば、何語で作られても、どこの国の人間が撮っても、映画は映画。外国語映画賞というカテゴリーの存在が、ハリウッドで撮らないと、本選には選ばないよ。って言う、迫害丸出しだよねぇ。だったら、最初から外国の映画を選考に入れる必要はない。でもまぁ、北野武監督に、音楽賞を出す、日本アカデミーの選考委員よりはマシだけど。根本的に、アカデミーとカンヌは、制作費と広告費にかけた額で選んでるような勢いだしねぇ。