四月の夢酔

出来なかったは、やらなかったよりも、すばらしい。

 


出来なかったは、やらなかったよりも、すばらしい(2009/04/02)
新年度、新学期と言うことで、ちょっと説教でも無いけど、説話臭く。

毎年この時期には書いているので、またか。と言う人もいるかも知れませんが…そんなに続いているのか、ここ…継続は力と言うけれど、なにか力になっているのだろうかと。

それはさておき、この言葉『出来なかったは、やらなかったよりも、素晴らしい』。挑戦してみることの大切さ、出来ないと分かる事の大切さ。そして、なぜ出来なかったのかを考えることで、成功への一歩を踏み出せる。出来ないことや、失敗は、恥ずかしいことではない。出来る振りをすると言うことは、ただその場で、足踏みを続けることに等しい。その方が恥ずかしいことなのだと。若いウチの失敗は、みんな大目に見てくれるしね。前向きな失敗はね。いろんな事に挑戦することで、思いも寄らない可能性が見えてくる。

この言葉を思い出すたびに、出典元の漫画のタイトルと作者名を忘れたことを後悔するコトしきりです。

もう一つは『魂を檻から解き放て』これは、桐嶋タケルのムーンヴォイス。角川騒動で潰された名作。

自分で限界を決め、出来そうにないからと、挑むこともせず。勝てそうにないからと、試合を放棄するような。そんなことは、自分の魂を檻に閉じこめるようなモノであると。檻の鍵を開ければ、意外なほど軽やかに飛んでいける…かも知れない。

出来なかったは、やらなかった。よりも素晴らしいことなのだ。自分で作った壁を、失敗したら恥ずかしいという無意味な意識を、突き崩せば、魂は軽やかに飛び出せるのだ。

と、飛び出せてない人間から言われても、説得力ナイヨねー。まぁ、失敗例というか、私を踏み台に飛んでいってください。若人よ。やる気をそぐようなことも言うけれど、こんな讒言で、あきらめてしまうようでは、本気度が足りなさすぎる。悪魔が聖職者を誘惑するのは、神の命によるモノである。なぜならば、悪魔の誘惑に乗るようでは、まだまだ修行不足だから。


七番目の竜(2009/04/08)
何とはなしに、衝動買い。いかんですな、散財。そんなセブンスドラゴン。

さわりだけプレイ。やってみた感想。2Dになった世界樹の迷宮。バトルシステムも、ちびキャラが飛び出してくる以外、世界樹と同じ。モンスタードロップのアイテムを店に売ることで金稼ぎ+新装備開発も同じ。マップ上に、シンボルモンスターが動いていて、それにぶつかると、一段強いモンスターと戦闘。まんま世界樹。そしてなにより、膨大なレベル上げ作業を臭わせる感じが…ただ、まぁ、2Dというライトな方向へいったために、それほどレベル上げは苦行ではない…まだ序盤だけど。

世界樹は、中盤までは、ダンジョンの謎解きと、シナリオ進行の具合がよく、それに釣られてホイホイと進めていくと、終盤で、圧倒的なレベル不足と特定クラス不足、さらにはスキルツリーでのスキルの取り方の失敗に気がつかされて、ものすごいレベル上げ作業が必要になって、心が折れた私です。

新納さんって、素人時代、レベル99まであげる人だったんじゃないかと、妄想しております。そして、そんなプレイをするのが普通だと認識しているのではないかと。セブンスドラゴンは、序盤から、スキルツリーのトラップあーんどレベル上げ作業が見えてくると言う。ダンジョンギミックが無い分、ウェイトはレベル上げに行ってしまうのが2DRPGですからねぇ。スキルツリーのトラップは、苦労して取ったスキルが今ひとつ使えないと言う。そのために、いらぬ苦労(レベルあげてスキルポイント稼ぎ)が倍加するという。

ワタシ的に、トラップと思ったのが、スタンバッシュ。敵の行動順位を最後にする…んだけど、戦士の行動順序も遅め(下手すりゃ最後)だから、あんまり意味が…まぁ、装備やらSPD補正あげれば、使えると思うのだけど、焦って取る必要は無し。ポータルジャンプも。

あとアレだよね、最近のRPGをすると、オンラインのFF11がRPG業界あえた影響は、結構なモノですなぁ。いやね、もうナイトって、どのゲームでも完全な盾役でしょ。ウィザードリィエクスでも、両手に盾で献身で引きつける。みたいな使い方メインだし。まぁ、ナイト=重装戦士って発想は、前からある訳なんだけども、初代ウィザードリィにしても、パラディンたるロードは、戦士+僧侶であって、戦士の攻撃力は失われてなかった。他のゲームでも、戦士からナイトに進化した場合でも、重装による防御力が売りなんだけど、パーティー全体を守護するとか、敵を引きつけるってスタンスやら、能力はあまりなかった。シミュレーションRPGなんかだと、まぁ、その防御力を生かして、壁役にって感じだったけども。設定的にも、城勤めの戦士が騎士。みたいなファンタジー小説やゲームは多かったしねぇ。

まぁ、ウィザードリィのような戦闘システム(ひいてはドラクエのような)だと、敵は多数いるし、前衛は、均等に攻撃される機会があり、攻撃する機会があるわけで、防御に特化してもあまり意味がなかった。むしろ、攻撃特化で、敵の数を減らすのが、一番の防御だったりした訳で。そう考えると、ゲームのナイトは、ようやく居場所見つけたのかな。


さっそく(2009/04/10)
開始まもなくだというのに、レベル上げ作業が常に付きまとってきましたセブンスドラゴン。まぁ、2Dだしねぇ。新納だしねぇ。世界樹で免疫出来てるのは強いわ。敵のドロップアイテム店売りで、店に新装備並ぶ。って言うのは、2Dのが向いているねぇ。先日の記述に、若干誤解があった様ですが、別に、世界樹と同じシステムだから悪いとは、一切申しておりません。2Dになった世界樹という事に対しての証左でしかありませーん。まぁ、基本システムというか、ベースシステム一緒なんだろうなとは思いましたが。

さて、ゲームデザイナーも…最近言わなくなったなぁ、ゲームデザイナー。プランナーとか言うように…ま、それはともかく、人の子ですから、癖があります。よく言えばその人が作る特徴、個性であり、悪く言うと、まんまん悪癖。直らない癖。

敬愛する鈴木大司教の悪癖は、偽典のレビューにも書いてますか、都民の常識を地方民に求めるという。新宿で、「ゴトウは市ヶ谷にいます」とだけ言われても、市ヶ谷ってどっちやねん。つーか、どこやねん。となるわけです。しかし、都民というか東京近郊の人にとっては、現実とゲームのニアヒアというか、シンクロ率を高める良いセリフ回しにも取れるわけなんですけども。

で、新納さんの悪癖は、まぁ、確実なのは、レベル上げ作業を強要すること。使えるスキルを一つのクラスに固めてしまうので、使える使えないがハッキリしてしまうクラス設定。最大の悪癖は、平和時からスタートするのは良いけど、プレイヤーキャラを昏睡にして何年か寝かしてしまう。と言うこの悪癖だけは直すべき。ちょっと記憶が曖昧なんだけど、世界樹でもやってた気がするのですが、確認する時間無し。

セブンスでも、三年間昏睡させられて、その間にドラゴンに制圧されて行きます。みたいな感じなんだけど、状況も、情勢も、三年たってるとは思えないし、三年も必要ない。長くて、半年で良い。せいぜい、三ヶ月で十分。短めなら一ヶ月でも良い。そのくらいの方が、ドラゴンの驚異をなめてかかってるアイゼンとか、協力関係が上手く取れてない理由になる。三年たってたら、もっと世界はボロボロと思うわ。その割に、復興は一週間で完了しちゃうしで、なんともバランス取れてない。

リアルで興ざめな話をすると、三年も寝ていたら、筋力がた落ちの上、食事も取れないから、体重がた落ち。たぶん、リハビリで一年は喰う。と言うか、元に戻るかも怪しいレベル。まぁ、魔法云々で片付けちゃうんだろうけどね。

なんか知らんけど、昏睡で寝ている間に世界情勢悪化って事にしたがるのか、まったく理解できない。まぁ、個人的にすごく気に入っている導入なんだろうね。ドラマチックとでも思っているのだろう。一般受けも良いのかしら?私にとっては、興ざめこの上ないんだけどなぁ。つーか、同じ導入を繰り返すのは、シナリオ書きとしては、恥ずべき。と言うか、もうネタ切れで、才能の限界ですと言っているような気も。と言っても、世界樹でやってたか、確認してないので、何とも言えない所なんですけども。

なんとなーく、世界樹もホントは2Dでやりたかったけど、3Dという縛りで、悶々としいて、ようやく鬱憤晴らしたのがセブンス何じゃないかという気がしてきました。いや、なにね。こういうレベル上げシステムが好きな人って、2D派が圧倒的なんですよ。と言うのも、3DダンジョンRPGでレベル上げ作業ってホントに苦行と化すから。不思議と2Dだと、片手間にレベル上げって出来ちゃうから。3Dだと、マップの確認しながらとかになるからかねぇ。

ウィザードリィなんかは、ダンジョンギミックが売りだから、クリアレベルは意外と低めだったりするし、メガテンの場合は、仲魔を作るために、仲魔集めでウロウロすることで、経験値が貯まっていく訳で。カンストレベルのおまけ的に、特別な仲魔が居たりという、やり込み要素だったわけで。

自発的なやり込みとしてのレベル上げと、クリアに必要なレベルあげの線引きが、今ひとつ下手なんじゃ無いかと言う気がしております。まぁ、セブンスクリアしてないので、結論づけるのは早計ですけども。


ジョージとフレディ(2009/04/17)
久々に、レンタルビデオ屋…っても、ビデオ殆ど置いてないけど…に行ってみたら、ちょうど半額デー。普段五本で1040円なので、半額だと10本借りれるぜぇ。と思ったら、本数が半端になり、CDを借りることに。かねてより懸案だった、ジョージマイケルのラストセンチュリーと、ディープフォレストにしようと思ったら、無かったので、Gガンのラウンド3。骨牌拳っスな。を借りる。

フレディ亡き後、ジョージマイケル、クィーン入りか。と騒がれたこともありましたが、確かに、男性らしからぬ高音と艶とハリ、そして伸びのある声は、フレディーに勝るとも劣らぬ才能。この後に、日本のアイドルロックを聞いちゃうと、なんだこの奥行きの無さは。とか思ってしまいます。もう玄関あけたら、すぐ壁、見たいな。

ただ、やはり、フレディーには追いつけそうもない。ソングスフロムラストセンチュリーつーことで、1960〜70年代の名曲カバーなんですが、ベースの歌い方が同じ。BGMとしてかけていると、一瞬、オールダー(一つ前のジョージのアルバム)のディスク入れたっけ。とか思ってしまった。フレディ・マーキュリィは、本当に、曲に合わせて歌い方を変えてしまえる人だった。ディスクを取り替えるたびに、「コレなんて歌手?」と友人に聞かれ続けたことを思い出す。全部、クィーンなんだけどね。

まぁ、ある意味では、損をしていた人かも知れない。通常、歌い方というは、一つの個性で、トレードマークであり、曲によって、歌い方を変えるというのは、作品内容に合わせて、全く違う絵柄を使い分ける漫画家の様なモノ。ただし、キャラで売れた芸人が、切り替えるチャンスをつかみ損ねて消えていくように、同じ歌い方では、すぐに飽きられてしまうのだけども。まぁ、どのアルバムを聴いても、全部同じ曲調って方が普通なんだとは思いますが。

童謡からアニソン行って、アイドルとかJPOPとか、Jロックとか、すっ飛ばして、いきなりクィーンとかブリティッシュロックに飛んじゃった私の趣味は変なのかも知れませんけどねぇ。なんだか、どっか脳天気なアメリカンロックはイマイチ好きになれないという。明るく歌っていても、どこかしら、石畳の冷たさと、スモッグの薄暗さのあるブリティッシュロックが好みのようです。

Gガンは、まぁ、完全な今西監督の公私混同。まぁ、Gガン、出来よかったから、香港旅行、行ってらっしゃいみたいな。ドラマパートは、ベッタベタなCDドラマ脚本。初めてのCDドラマなら、かなり笑っただろうけども。意外にも、FLYintheSKYの広東語バージョンは、ワタシ的にはツボでした。考えてみれば、Gガンって、スチャラカ香港映画のノリだったなぁ。コメディよりのジャッキーチェン映画みたいな?。独特の漫画的な動きと、ベタなコメディーシーン、そして本格カンフーアクション。ハリウッド進出組が、エヘンプイと小ぎれいに作るようになっちゃったけど、香港映画の良さは、あの独特の漫画感(非現実というか、虚構性と、笑いがミックスされている感じ)が、最大の武器だった気がする。少林サッカーが、ガッと来たのも、コメディージャッキー映画の臭いがしたからではないかと。

ベッソンもハリウッド行くようになって、つまらなくなったしなぁ。サブウェイとか人魚と交尾とか、おかしなおかしな訪問者(ご先祖がタイムスリップしてくる奴、タイトルうろ覚え)とか、あのチープ感が、妙な現実味に感じられたのだけど、最近のベッソンものは、金がかかりすぎて、作り物感しか感じないなぁと。タランティーノも、ハリウッドで飼い慣らされて、子犬ちゃんになったよなぁ。フロムダスクとかの腕白ぶりの後で、キル・ビル見るとまぁ、お上品とか思っちゃう。

で、かつて、超人気アニメーターと言われた大張さんのエロアニメ、エンジェルブレイドも借りてみたんだけど…この人、創作の才は無いねぇ。ストーリーとか脚本にどのくらい踏み込んだか、分からないけども、ストーリーもエロさもダメダメ。ただ、OPは見事なんで、確実に、実作業、アニメーション作りに関しては、かなりの人。アニメのオープニングとか、ミュージックビデオか、プロモーションビデオとか、そんなのを作らせたら、ものすごいモノを作ると思う。

この辺が、監督、原作、脚本、編集をこなして、一人前の監督。みたいな風潮のある日本のダメなところだよねぇ。これら全部をこなせたら、神様ですよ。ってまぁ、こなしてたのが黒澤明という神様が居たわけですが。刀鍛冶でも、鍛冶は刃を作るまで。その後は、研ぎ師が、研いで完成としてたわけで。映画で言うなら、編集は研ぎに当たると思うんですよねぇ。全部自分でやると、使えるのは自分の持ち点だけ。一部の天才たちのように、持ち点が一万点ぐらいあれば別ですが、普通の人が独善的に作ったら、まぁ、そんな出来になっちゃうよねと。一人よりも、二人が良いさ。二人よりも三人が良い。とサンバルカンもゆってた。

良きストーリーがあるから、良き絵が活きる。逆はない。いくら絵が良くても、話がダメならダメ映画。良い酒は何で飲んでも旨いけど、まずい酒を良い器で飲んでも、まずいモノは、まずいわけで。面白い話なら、組み版悪くても読めるわけで、組み版良くても、つまんなきゃ意味無いわけで。と言い続けて、早何年だ?。うわぁ、7年も経ってる。


こっそりと(2009/04/20)
なんとなく、落書き以下だった我がのカーマインの挿絵もどきを、落書きレベルへ引き上げた。なにこの昭和の少年誌的な堅さ。ジャンプと言うより、チャンピオン系の絵の堅さ。なぜに、柔らかさが出ないのかー。筆圧高いからかなぁ。

まぁ、それはそれとして、セブンスドラゴン。……まぁ、私ごときが、思いつくことなので、他のプロの方が思いついても当然なんですけど。いつか、どっかで書いたような教訓台詞が、チラホラと散見。キノセイ?自意識過剰?、まぁ、そんな感じで。久々の見られてる?とか思った出来事。と言うか、開発ブログでも「神の視点で安心してプレイできるように」とかあったんですけど、コレって、プレイヤー視点云々の我がのコラムちゃうんかと。それまで、あんまり、客観視点でのシナリオでも、神の視点とかいってる人見たことないし。つーか、三人称記述が神の視点ってことを意識しながら書いてるライターの方が希有だし。それが当たり前と思っているから、プレイヤーキャラクターが退場した後で、含みの会話を平然と見せたり、一方その頃で、敵の首領の意図をもろに語らせたりするわけですヨ。

そもそも、あの人は、つまんで来ちゃう癖があるので、世界樹の時も、FF11と似た技とかボロボロあったし、今回は、装備面でまるまるだし。まぁ、歴史上、存在した武器名なんで、たまたまですよ。と言うことなんだろうけど。オマージュだとしても、もっと上手くやんなさいヨと。 マンドラなんて、かなり危険なレベルのニアヒアなんですけども…。

シナリオ面でも、大外しはしないけど、大当たりもしないそんな印象。私はもう良いかなぁ。次は買わないかな。


コンスピラシー(2009/04/21)
二人続けて、賞賛カキコがあるなんて信じられない!。メイソンリーの陰謀?、ゴールデンドーンの呪い?、タスケテー。

と、動揺しつつも、共通して言われるようになったのが「冷静な評価」。結構、感情起因で書いているのだけども。好き嫌い、楽しい楽しくない、合う合わないって、根本的に感情ですから。一応、それを認識した上で評価(と言うより、なぜ私が楽しいと思わないか。と言う理由説明)しているので、まぁ、冷静かなぁ。つーか、キャラ萌えだけで評価しているのと比べれば、まぁ、確実に、ジャッジ公平(古い)。キャラクター造形は、作品の一部ではあるが、根幹ではないわけで、ソコだけ見てれば、まぁ、批評にはならんわな、と。

ゲームとしての全体像を、批評……の域になってればいいけど、まだ感想文だよなぁ……している、と思っていただけるならば、続けてきた価値があるというモノ。そしてなによりも、真っ当な評価をしている。と、私を評価してくれる人の増加は、キャラ萌えだの、原画師がどうだの言うレベルが、批評どころか、ゲームそのものの感想になってないという価値観の定着の証左。まつうらまさふみ氏も言っておられるが、正しい批評が出来る人間が増えないことには、作品レベルの向上は無い。ムービーや原画という、実作業レベルは、もう円熟期を迎えて久しいく、創作(ストーリーギミックや脚本)と言う根幹部位の批評こそが、肝であると。

とはいえ、特に女性と映画などの話をすると、「あの役者のあの役が好きだから、こっちのが良い作品。」と言うようなことをよく言われる。普通の人ならば、「それは映画を見てないじゃん」と言うと思うが、コレをゲームに置き換えれば、「あの原画師のあのキャラクターが好きだから、こっちのが良い作品」となるわけで、こういうのを批評と思ってる人が結構いっぱいいるわけで。

ゲームは、映画以上に、物語(ストーリーギミック、脚本)、役者(キャラクター)、演出が同格であり、過不足あれば大きさの違う車輪がついているようなモノで動きがちぐはぐになる。さらに、ゲームシステムというものも必要になるので、映画よりもバランス取りは難しくなる。個々の車輪の出来、全体のバランス。これら全てを評価してこそ、正しい批評と呼べるのではないかと。私に言わせれば、キャラクターの部分は、物語が良くできていれば、必然的に、高レベルになると思っている。キャラが立っているから、良い物語が出来るのではなく、良い物語という土台があるから、キャラが立てるのだと。

…あー、それでか。キャラ立てを先行するから、キャラの魅力だけの、イキオイだけの、オチもヤマもないストーリーが散乱しとるわけですか。立ってるキャラが動き回れば、話にはなるが、物語にはならん。と思うのですが、その辺どうですが、放送作家とか、脚本家の皆様方。同人ネタなら、イキオイだけで良いと思いますけど。

プレイヤーとキャラクター視点の関係性とか、新システムが新ゲームではない。とか、チラホラと散見するようになり、レビューが冷静な評価と、賛同を得られるようになってきたことは、ようやく理解が得られ始めたという事なのか、冷静に読んでもらえるようになったのか?。と言うか、ようやく文章として読んでもらえる様になったのかなぁ。そんな設定はネェ。とか、文頭を1文字落としてないから、信憑性がないとか、そんな毒電波に耐えた甲斐があったというモノ。耐えきれなくて、壊れかけたけど!。ベースにあるのは、たぶん、感情的な反発だから、論理性の欠片もないし、ホント毒だった。

以前にも書いたのですが、たいした論文も研究成果もなく、テレビコメンテーターとして財貨を成した自称研究者と、脚光を浴びることはなかったが、向こう百年は、確実に基礎理論として、全ての研究者が引用もしくは、ベースとするような論文を残した研究者。私は後者でありたい。私の書いたモノが、ゲームを作るに際して、留意すべきモノ。として、読まれるようになるのであれば、冥利に尽きますな。まぁ、金も名誉も欲しいけど!。


鼻息荒く(2009/04/22)
おいらはボイラー。フンフンっ。ぐらい荒く。あのCM見なくなったなぁ。

さて、ロープレの定義。と言うモノを、あれはいつ書いたかなぁ。2005年末かねぇ。まぁ、書いたわけですが、たいぶ、方向性が固まってきたので、来年に宇宙旅行を控えた2009年の今、軽くまとめておこうかと。モノリスは、極秘情報として、隠匿されて居るんだ!。

で、近年のロープレですが、大まかに、三系統に割れてきたと思います。

1、FPSタイプ
2、箱庭人格投写タイプ
3、日本式

1は、FPSに限らず、TPSの場合もありますが、ストーリーよりも、個々のステージを拡充したアクションよりのタイプ。テーブルトーク風に言うなら、限界まで高めた戦闘シナリオ。大まかなストーリーはあるモノの、あらすじで全てを語れる程度で、とくに、ストーリーのどんでん返しとかも無いストレートタイプ。反面、アクションの派手さや、リアリティが売り。そもそも、軍隊FPSゲームなどは、一兵士として戦闘に参加した場合の、究極的なプレイヤーとキャラ目線の同一化と言える。侍道とかも、ここに入れて良い感じ。龍がごとくとかも。

ダンジョンマスターに見られるような、ダンジョンギミックなどで遊ばせるタイプのゲームの進化形といえよう。ぶっちゃけて言うなら、ウィザードリィシナリオ1なども、このタイプにはいる。3Dダンジョン、NPCとの会話ゼロ、ワードナを倒す以外目的のないシナリオ等。証拠はいとま無い。このタイプの強みは、インターネットゲームとして、展開しやすいと言う事。

2は、比較的新しく(骨子は最古なのだが)、オブリビオンや、マスエフェクトなど、名前、性別はおろか、顔の容姿までエディットできてしまうというタイプ。また、選択肢も、おざなりなモノではなく、善人返答、悪人返答のような、プレイヤーのロールプレイを助長するシナリオが組まれ、当然のごとく、選択肢で物語は変化していく。という、真の意味での自由なストーリー展開。この感覚は、テーブルトークに最も近く、それこそ、キャラクターシートに、顔を落書きしていた頃を思い出す。

日本人は、今ひとつこのことが理解できていないようで、「自由な展開」と言っておきながら、結局は、フラグを立てる順序が自由なだけだったり、アイテムを集める順番(要は攻略するダンジョンの順番)が自由なだけで、結局シナリオの解決方法は、一つだけで、その対応も、制作側が想定した受け答えを見るだけ。そんな、お使いの順序が自由なだけの一本道シナリオだったりする。ねぇ、新納さん?。

3は、2005年ぐらいにピークを迎えていた、いわゆる映像過多ゲーム。主人公の名前も、性格も、すでに確立されており、映画を見るように、制作側によって決められた順路を通っていくタイプ。いわゆる傍観型ゲーム。なんというか、ゲームにおけるライトノベルのような存在になってきておりますな。シナリオ内容も、ちょー王道の善悪二元論+自分は、特別な存在+最後はお姫様とラブラブの三本セットみたいな。テイルズ系はもろにココですな。まぁ、程度の差はアレ、大抵の日本製ゲームは、ここなんですが。

さーて、暴走して、自由な展開と、並列処理を混同しているという、ありへんクリエイターどもに冷水をかける。

魔王の城に行くのに、金の鍵と銀の鍵が必要。金の鍵の洞窟に入るには、銀の鍵が必要で、銀の鍵の場所は、この村を襲う怪物を倒したら教えてやろう。
ってのが、いわゆるDQ1から続く、一本道、脱輪防止装置つきレールシナリオ。動く歩道に乗って、順路を回る見たいな感じ。

最近のは、金の鍵、銀の鍵、どっちから取りに行っても良いけど、魔王の城へは、鍵が揃ってないと入れませんよ。
って感じで、実際には、金の鍵の洞窟は、敵が強く、銀の鍵の洞窟から攻略する必要があるという。動く歩道はついてないけど、順路固定みたいな感じ。鍵が揃わないと、ダメってところで、すでに、展開が固定化されており、自由な展開ではない。フラグ立てやアイテム回収順序が自由なだけ。世界の移動がフリーなら自由なシナリオと言う、訳のわからん解釈をしていたメタルサーガ系つーのもありますが。

本当に自由な展開というのは、もはや鍵の存在を無視して、鍵開け技能を高めて、こじ開けて入っちゃったり、塀を乗り越えたり、はては、魔王の部下になりまーす。と騙して中に入って、裏切る見たいな、解決方法が多岐にわたるのが、本当の自由な展開。と思うんですけど、どう思います?新納さん?。

そもそも、ナレーション過多なのは、もう昭和初期の思考。登場人物の口から、説明口調にならないように、設定やら状況説明をさせる技術が必要になってきております。 そう言う技能者を脚本家と呼ぶ訳なんですけども。専業たるテレビドラマですらあまり品質が良くないわけで困ったモノ。

そう言った意味では、1980年代のゲームなのに、解放が多岐に存在した、SSIのプールオブレディアンスは、早すぎた鬼子つーか、未来人でしたなぁ。いや、マジで、力押しの解決も出来るけど、ちょっと技を効かして、戦闘無しでクリアしたりとか出来た事考えると、スゴイよなぁ。5インチFD二枚でそれをやってたんだもんなぁ…8GぐらいのDVDつかって、未だに一本道やってる日本とは…

アニメとゲームは、日本トップクラスなんだけど、それは作業レベルでトップクラスなわけで、創作の分野では、またまだ三流よのぅ。本気でゲーム作り出した、欧米メーカーの出来はダンチでしょ?。絵柄が、アメリカンなので、ブーブー言ってるだけで、中身はホントにダンチ。


禁酒法(2009/04/24)
世紀の悪法として名高いコレだが、現代にこそ必要でないかと思う事がある。もちろん、改定は必要だが。禁煙は法律で禁止される傾向にあるが、酒に関しては、まだまだ緩い。飲酒運転ですら、ザル法。少し前まで、二輪は飲酒運転による厳罰化の対象外だったりした。

そもそもにおいて、タバコを発端として、犯罪が発生するケースは、マレ。対して、アルコールは、酔った上での暴力事件や、ひいては殺人まで引き起こす。どちらのタチが悪いかと言えば、アルコールの方が圧倒的にタチが悪い。傷害とまで行かなくとも、くだを巻く酔っぱらいは見苦しいし、道路に上げる酔っぱらいも困ったモノ。飲酒運転という犯罪まで誘発する。加害者にならずとも、泥酔者は被害者にもなりやすい。

喫煙者にマナーを守らせる事はたやすいが(まぁ、中には、逆ギレする人間もいるが、それはタバコのせいではない)、酔って、理性を失っている人間に、マナーという言葉を理解させる事すら難しい。だいたい、アルコールも天然抽出のドラッグに等しく、酩酊、気分高揚、人によっては幻覚幻聴作用もあるとなれば、もはや、アッパー系のドラッグ以外、何物でもない。ドラッグより、中毒になりにくく、深度が浅いだけなのではないか。実際に、アルコールで高揚感が得られにくくなって、次のステップにドラッグに走る人は少なくない気がする。

健康被害という面でも、カロリーが高く、肝機能障害を引き起こすし、その他諸々の病気のトリガーたり得るわけで、百薬の長なんていったのは、酒好きの詭弁なのではないだろうか。ストレス発散、血流改善とかいうが、代用品は他にもあるわけで、アルコールに固執する必要はない。そもそも、高ストレスを抑圧している人が、アルコールによって、制御リミッターを切った場合の反動の方が、よほど被害が甚大だと思うのですが。一番、柔和そうなあのSMAPメンバーの泥酔逮捕は、それを顕著に表しているのではないかと。

マリファナを禁止するのならば、アルコールも禁止でよいのではないか。と、酒に酔えない特異体質の私は思うのですが、酒に逃げられる人は、猛反発するでしょうな。しかし、同じ事を愛煙家に強いているのにねぇ。まぁ、愛煙家は、酒好きの人が多いですけど。っと、だからといってマリファナを解放しろとは言いませんヨ。

何というか、最低限、アルコールが原因で逮捕された人には、アルコールの購入に制限をかけるような法律が必要なのではないかと思う次第です。それこそ、アルコール版のタスポみたいな奴で、前科があると売れません。みたいなね。つーか、アルコールの自販機って、身分証提示タイプは、義務じゃないよねぇ?。とりあえず、タバコと同等にしようぜ。タバコ吸って暴れる奴は居ないけど、アルコール飲んで暴れる奴は、五万と居るわけで、どっちがより犯罪的かと言えば、アルコールだよねぇ?。


クソゲーだったかも知れない(2009/04/27)
元ネタは、オーエド808のEDソング「愛しているかも知れない」って、わかるかぁっ。

で、なにがンコだったかも知れないというと、オペレーションダークネス。ちょい、タクティカルコンバットをやりたくて引っ張り出したら、こんな不出来だったかと。SLGと銘打ってなく、RPGであったなら、まぁまぁ。と思ったかも知れないが、SLGというには、戦術性が極端に低い。マップギミック無し(かろうじて、射界があるが、索敵システムが無いので、前のターンで射界を切っても、敵は何事もなく回り込んでくるだけという)。まったくもって、日本人のSLGベタ、というか、意味を理解できていなす事がよく分かる。

列記すると
1、全く意味がないブリーフィング
2、戦術性がほぼない
3、マップ難度は、増援できまる
4、ダメージ係数が壊れてる

等々。ブリーフィングは、本当に意味が無く、事前に地形マップも、想定兵力も不明(分かっても、増援で崩れるけど)で、軍隊モノという雰囲気だけ。メダルオブオナーエアボーンとか、パワードールのブリーフィングをみて勉強してこい。攻撃任務で、事前にマップと守備兵力の配置図が提示されないって、ほんと格好だけだわ。とはいえ、ブラッドパックの面々は、強行偵察任務が多く、それを調べに行くってのが多いのも事実なんだけども。
戦術性がないのは、敵のAIがいびつなのと、マップが事前どころか、戦闘中にも見れない事。進軍ルートの予測もろくすっぽ出来ないという。そもそも、初期配置が固定のため、何も出来ないまま、死者が出る事も珍しくない。exミッションはそれが顕著で、敵の射程内に収まった状態でスタート。敵は20以上いて、その猛攻(足の速い奴は、こちらの番が来るまで二回、三回と動く)をの間、ぼーっとしてなきゃ行けない。尚かつ、敵が目をつけたのが、ゲームオーバー条件キャラだと、そのまま終わってしまう可能性があるという、クソゲーぶり。
マップ難度はそのまま。やっと終わったと思ったら、戦車4台ぐらいやってきて、もう対戦車兵器ねぇよ。みたいな。
ダメージ係数は、本当におかしくて、ラスボス、アーマーブレイク、atkup、クリティカルつけた、マックスがパンツァー100撃ったら瞬殺。ダメージ16万とかSLGじゃねぇよなぁ。スクエニ系でも99999止めとかなのに。

まぁ、日本人が作るSLGRPGってのは、海外持って行くと、ただのタクティカルコンバットのRPG。と判別されるようなモノを、「本格」SLGと歌ってたりするしねぇ。戦略と戦術の区別がついているだけ、OPDはマシかも知らん。


道具と技術(2009/04/29)
基本的に、私は、道具は道具にすぎない。と思っている。使い手の方が重要だと。弘法筆を選ばずって奴?。その為、道具自慢をする人間を見るたびに、中身がないのを外見で誤魔化しているのだなぁとか思ってしまいます。「この時計、ン十万」とか「このバック、ン十万」とか言われても、おまえの価値に変はないやん?。とか。

とはいえ、弘法筆を選ばず。と言う言葉があるように、こうした教訓が名言として語り継がれている裏側をみれば、いつの時代も「道具が良ければ、もっと上手くできるんだ!」という、認識の人間が多数派だった証明でもあるわけで。自分の異常さを改めて認識しております。

で、セルシスから、イラストスタジオという、ペイントソフトが発売中(DL版のみ。パッケージ版は5月末)なんですが、その体験版が公開されてました。コミックスタジオのペンタッチの柔らかさが好きだったので、試しにDL。試しにグリグリと書いてみると…書きやすい、塗りやすい、発色良いと、言う事無し。これは、真面目な話、フォトショの牙城にくさび撃てると見た。追い越すのは無理かなぁ、フォトショ形式のファイルってスタンダードな形式になってしまったし。

描く。と言う段階においては、もはや、フォトショを抜いていますが、紙に書いたのをスキャンする。と言う方式が好きな人には、あまり利点にならないかなぁ。下絵から、デジタルで描く。と言う人は、体験版を試してみるのをお勧めします。塗りも、クリッピングフォルダという機能が素晴らしく良い。従来だと、マスクだとなんだのと設定が煩雑だったのを、元絵指定とクリッピングフォルダ化するだけで、そこから、はみ出さないという。発色は、デリーターのCGイラストと比べると、ホントにダンチ。フォトショに勝るとも劣らない色あい。ただ、やっぱ、加工という点では、フォトショに水をあけられているかなぁ。でもまぁ、値段の差がかなりあるので。イラストスタジオ原価で7000円程度ですので。

CGイラストで、あれだけ苦心しても、金属光沢がうまくいかなかったのに、イラストスタジオだと、極めて、あっさり出来てしまって、道具の差。と言うモノを今更感じ入るという、通常人と、覚醒順序がまるで逆という、変態丸出しを露呈しております。普通の人は、道具を集めまくって、最後に、道具じゃないんだ。と覚醒するからこその「弘法筆を選ばず」という格言だと思ってますので。



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