記事


調査パートに登場する、書物や、コピーの内容を記したものです。
使用する技能は、古文読み書き(和文)、漢文読み書き(漢文)、中国語(漢文)で判定して下さい。


記事

◆「消息不明のレジャーボート発見」

洋一の父親の事件は、地方新聞に小さく報道されています。
「夜釣りの船が転覆。当時の気候は、雲は厚かったが、雨ではない。風も凪状態で、転覆する条件は全くなかったため、当て逃げ、座礁の両面で捜査中。翌日に死体のほとんどが、浜辺に打ち上げられており、外傷はなく、死因は溺死だった。」死亡欄に洋一の母の名前が、行方不明欄に父の名前があります。
全部で12名が死傷しており、行方不明は父親のみ。結局、犯人には見つからず、他の釣り船の目撃者によると、勝手に転覆した。水面に人影があり、船にとりついていた。との証言もスポーツ新聞には記載されています。


淵の女神。大意。
「あまりに不作不漁であったため、海神に生け贄を捧げることになった。自ら志願した有志が、海に身投げをした。それを見守っていた市杵島姫は、その男女を助け、竜宮に招いた。そして、願いを聞き入れ、魚たちに網にはいるように命じ、それ以来、その淵では魚が絶えることはない。」(注:私の創作です。が、この手の魚寄せの神話は、細部を変えて各地に存在しています)


川太郎と金太。大意。
「河童が出るというので、腕自慢の若者が退治。謝罪として河童が持っていた金銀財宝を持ち去った。翌日、娘が訪ねてきて、その金銀財宝は、我が家の家宝で河童に持ち去れたもの。と言い、財宝を返してくれれば、財宝の一部を与え、嫁になると申し出る。器量良しで、よく働いたが。犬に驚き、正体がバレて川に戻ってしまった。その息子は、大変な力持ちで、大人と相撲で負け知らず。しかし、母を求め、海に帰ってしまった。」(注:コレは私の完全創作です)


歌麿の春画のコピー。河童が海女を陵辱する図(注:コレは実在します)


◆加古町郷土史−民話の真相−
*1市杵島姫の伝説(大意は淵の女神と同じ。少しだけ専門的で詳しい)
昔この村を飢饉が襲い、不漁不作が続いた。海神に慈悲を請うために、生贄を捧げることにしました。生贄を選ぶに至り、領主や豪農と言った長とよばれる立場の子弟が、自ら名乗りを上げた。

生贄として、海に飛び込んだ男女の悲痛な想いを聞きとげた市杵島姫は、魚を呼び寄せ、村民に与えた。生贄が投げ込まれた淵には、不漁となることは無い。

その尊い心根を認められた子弟は、命を助けられた上、竜宮より配偶者を伴って帰ってきたという。また、竜宮の珍しい宝を持ち帰り、彼らの家は大いに栄えたという。
九千匹の魚が捕れることから、九千ヶ淵(くせんがぶち)と呼ばれる。

また、一説には、加藤清正に破れた九千坊が、移り住んだ為とも言われる。

生け贄となって、生還したものの名は、住友、魚住、高階(たかしな)、他にPCの名前2〜3名分。が列記されている。

実際には、中国、朝鮮からの亡命/避難民との婚姻ではないか。と言う説に落ち着いています。この地の地方豪族/旧家の名前が、上記とリンクしていることを上げています。
神や、龍との婚姻で、支配者の正当性は、天によってもたらされたものであると言う手段は、良くとられる方式です。

治水技術に長けた別大陸人、異邦人を妖怪/物の怪と称するのは、洋の東西を問わない。
特別、多い河童伝説が、大陸/半島と親交が厚かったのでは。と締めくくっています。


◆コピー1
「水主町の淵瀬にて、拐かしがでるむねあり。猿猴に拐かさるるとの人口流る。
されど、夜鷹、辻君の類なれば、夜逃げの類ならんや。この淵もって、猿猴淵という」
加古町郷土史よりコピー。漢字とカタカナ交じり文、随所に漢文の挿入。
(注:私の創作です。つまり、夜鷹、辻君(現代で言う売春婦)が、行方不明になったが、どうせ逃げ出したか、国元へ帰ったのだろう。と言う事が書いてあります)


◆コピー2
古地図。大正から昭和初期と思われる地図のコピー。

埋め立てと造成で、だいぶ変わってしまってますが、天疫神社の場所は変わって居ません。天疫神社を基軸として
現代の地図と合わせると、猿猴淵、九千ヶ淵と呼ばれる場所が、埋め立てられて住友家となっています。

(注:探索者が思いつかない時は、アイディアロールとナビゲートのダブルチェック。もしくは、アイディアロールだけでも構いません)


CDROMたじまもり。
古文書「加古町郷土史」「水主秘史」の訳文が入っている。日付は、二ヶ月ぐらい前。ただし、ファイルの制作日ではなく、CDの制作日。
(注:完全な救済アイテムです。ネタばらしして下さい。登場させるかどうかは、各キーパーの判断に任せます。)


以下は、実は無意味な情報です。ミスディレクションに使用してみて下さい。


卒論「今昔物語にみる怪異の浸透」
怪異、すなわち鬼や幽霊と言ったものが、どれだけ真剣に信じられていたか。また、どうして信じるようになったのかを、考察した卒論。教授の受けは悪く、お情けの良。

出身大学と学部が同じなら、無条件。大学だけ同じなら幸運ロールで、優のゼミの教授と知り合い。電話か、直接合うことで、卒論について聞かせてもらえます。

担当教授「当初は、心理学や大脳生理学に基づいて、論を進めていたんだが、途中から急に論旨が無くなってね。まるで、小学生の読書感想文だったよ。書いてる途中に、強烈な心霊体験でもしたんじゃないかと、ゼミの仲間では言っていたんだがね…。」
と、当惑気味です。


卒論。概要
そこに何か居ると思いこむことで、居もしないものを見てしまう。それらは、光学的な現象としてではなく、大脳皮質中での現象である。目は、確かに現実をとらえているが、脳の方が誤認してしまう。

何の言われもない、森の写真を「自殺の名所である」という事前情報を加えるだけで、人は木々の明暗から、人の顔らしき物を探そうとする。

情報機関が未発達で、閉ざされた極狭い世界であった中世では、同じ区内の情報伝達速度は、異様に広く、また高密度である。現代でも、同条件である学校では、怪談話や全くの嘘でありながら、噂の信憑性は高いと流布されるなど、同じ特性を持つ。典型的な村社会の特色であり、疎外されることを恐れる日本独特の感情といえる。

と言う、心理学の卒論のようであり、後半に至っては、とってつけたような、あらすじ書きをしているような、文体になっている。



戻る