◆当初のタイトルは、バイオハザードでした。そのまんまですね。そもそもの思いつきが、バイオハザード:コードヴェロニカのテレビCMを見たときでしたので。で、ストレートすぎるタイトルはヤバイと思って変えたわけです。
元が、元ですから、敵をじゃかすか倒す、爽快感と、仕掛けがたくさんあるMAPを売りにして、誤魔化そうと。したわけです。
そのため、シナリオは薄っぺらいです。
◆そのため、想定時間は表せません。未完成というのもありますが、トラップやマップのサイズで大きく変わると思いますので。
裏テーマ
ありません(笑)。
まぁ「魔術師の放課後」を全て裏返した。と言うことでしょうか。
他人の迷惑省みず、個人の目的に邁進する。ただ、その結果が、個人の欲望の為なのか、全体の為なのか。それだけです。そのため、魔術師の放課後はダーク・ロウですが、フェイタル・エラーはノーマル・カオスです。
魔術師の放課後は、押しつける正義と言うか、上から下への命令に近いものですから、ダークなのです。
フェイタルエラーは、個人の目的達成のためであるので、ノーマルにしています。
オマケのコラム
ゾンビへの恐怖心。
日本では、ただ死体が動くだけの怪物扱いで、下手をするとショッカーの怪物の様な感覚でとらえられています。
動くはずのないモノが動く。と言う恐怖ももちろんあるのですが、キリスト教では、輪廻が否定されています。つまり、死んでしまっても、ジョン・スミスは、ずっとジョン・スミスのままなのです。そして、最後の審判の日まで墓の下で眠るのです。
欧米、キリスト教社会で死を「眠り」に例えるのは、審判の日まで眠れ。と言うことであり、個人は永遠に個人である。と言う証明でもあります。日本では「往生」とか「逝く」と称されるのは、来世に向けて、異世界に行く。と言う意味があると思われます。
で、ゾンビですが、本来、審判の日まで眠り続け、審判が下されるのを持ち続けるわけですが、それを途中で起こされると、審判を受ける資格を失う。と言うことを意味するのです。例え、地獄へ堕ちるとしても、いずれ神による救済があるわけで、いつかは救われる身なのです。が、審判を受けさせて貰えないと言うことは、生涯、救われることなく、天国にも地獄にも行けず、ただ彷徨い続けることを意味するのです。それ故に、欧米では、ゾンビは怖いのです。
宗教観による下地の違いですので、コレばかりはどうしようもありません。さまよい出ると言うこと自体、永遠に救われないと言う象徴なのですから。さまよえるオランダ人のごとく、そこから許しを得るには、達成不可能と思える困難な条件が設定されるのです。
こういった予備知識をもって見ると、また違った見方が出来ると思います。ただし、キリスト教は、と言うか欧米にも輪廻や、冥界に対して寛容になってきており、こういった救われない存在になる。と言うのは、薄れてきているようです。日本と同じく、動く死体。と言う認識になってきているようです。
ゲームに使用する場合は、女神転生ifのごとく、知人、友人がゾンビになっていく恐怖とか、クトゥルフなんかだと、上半身と下半身に切断しても、なお追ってくるといった、やられ役じゃないぞ、本来のゾンビは。と言うのを見せると、一風変わって良いかも知れません。
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