PBMに、これだけは、言っておきたい


まぁ、ここのページまで下りてきたと言うことは、PBMに興味がある、もしくは経験がある方なのでしょう。何かのゲームに参加中かもしれませんね。

さて、貴方はナニが楽しくて、PBMに参加してますか。いやいや、実例は挙げなくて結構。楽しみ方は、人それぞれです。私は、それを否定も肯定もしません。

ただし、大前提として、PBMを遊ぶだけでなく、人としての道徳として、
他人に迷惑をかけない
と言うことを、忘れないで下さい。そして、貴方が楽しむために、他者から楽しみを奪う権利がないことも知っておいて下さい。

最近多いのですよ、目立つためだけのプレイング。数十人による集団プレイング。それは、共通に載れば、誰しも嬉しいですよ。でも、無意味に登場して嬉しいですか?。
目立つことと、活躍することは、全く違いますよ。

それから、ストーリーを変える事を、目標にしている人もいますが、担当マスターがよく言う「想定していたシナリオとは、全く別になってしまいました」は、たとえばMT12C1の様に、行方不明事件に、闘技大会を持ち込むことではありません。

それは、ただ単に全く別の話を差し込んでいるだけです。マスターが言う、想定していたシナリオとは違ってしまった…の真意は、物語が動いたと言うことだと思います。

マスターとプレイヤーが、協力し、競い合って、一つの物語を作る。いや、創る
そうなって初めて、マスターの手を放れ、ストーリーが変化していくのです。

マスターの手を放れたからと言って、プレイヤーのモノになるわけではありません。
一個の生き物になるのです。生き物となった物語は、誰の物でもありません。参加した全ての人のモノです。
いや、参加している人々そのもの、と言ってもいいかもしれません。

そうして小説や映画、ゲームのように与えられた物語ではなく、生きている物語に触れる。それが、PBMの良いところだと、私は信じています。なにより、生きている物語を作り上げるときの、あの奇妙な一体感が、忘れられなくて、私はPBMを続けていると言ってもいいでしょう。

敵も味方も、物語を創りあげると言う共通意識があればこそ、敵味方に分かれていても、イベントで直接出会って、笑いながら話が出来るのです。

敵味方に陣営が分かれていても、次回のプレイングを、平気で相談できたのです。
それは、相手の出方を疑う腹のさぐり合いでは無く、良い意味で相手を裏切るための下調べです。

「やられた」「そー来るかね、君は」「まいった…そんな手があるとは」
常に裏切られることを期待しながら、リプレイを読み、そう呟くのです。まさに、強敵(とも)と呼べる関係。
それは、マスターの独裁専制から、自由を取り戻す革命の志士と言えるでしょう。
ただし、誰も処刑されない無血革命ですよ。

そして、それはプレイヤー同士に止まりません。プレイヤーとマスターの関係も、強敵(とも)でなくてはなりません。互いに競い合ってこそ、良い作品が生まれるのです。

そんな状態に入ったディヴでは、マスターを含め、ディヴに参加している全員が、奇妙な一体感を感じていたはずです。あの感覚は、宗教的な法悦や、禅の大悟に近いかもしれません。私が仏であるのではない、仏が私なのだ。それと等しく、私が物語なのではなく、物語が私なのだと。そして、我は常に我々なのだと。

最近のマスターさんは、ただの再現者にすぎない気がします。プレイングを、文章なり、コミックにリライトするだけの。また、最近のプレイヤーも、そういう人を望んでいるようですが。

その証拠に、一つの作品と呼べるほどのリプレイは、最近ではとんと見かけません。MT2や、MT3の良いマスターの作品は、今読み返しても、いや、読み物としても十分に楽しめるのです。今のリプレイは、プレイング期間が過ぎれば、ゴミ同然です。読み返したいとも思いません。情報として、読み返すことはありますが、読み物としては、とても読めません。

主要NPCを暗殺したり、全く無関係なイベントを開催したりしても、確かにストーリーは変わりますが物語は、微動だにしません。それどころか、ただ物語を破壊し、状況は冷えて行くばかり

ストーリーを進行させるわけでもなく、物語を掘り下げるわけでもない。あとの事なんて考えもしない。ただ、インパクトだけを求める、それはまさしく、テロリスト。

それを物語が動くと思っているなら、テロリスト・プレイヤーはとても可哀想な人です。
これらの事を、少し語ったこともありますが「愚痴るな」の一言で、片づけられました。
まぁ、過去をクドクド語る嫌なじじいだったのは、間違いないのですが(反省)。

ナニより、運営する会社側も、こうしたテロリストプレイヤーを推奨しているようですし。
それは、プレイングの採用率を見れば明らかです…いや、私のプレイングが採用されないことの恨みではありません。

インパクトのあるプレイングの積み重ねが、物語を生む。とおっしゃる人もいるでしょう。
私も、それに賛成です。しかし、テロリストと革命家の差は、非常に微妙なものなのです。

困ったことに両者のプレイングは、表面だけを見れば、やっていることは同じなのです。
ならば、両者を分ける物は何か?。

信念滅私奉公でしょうか。
おそらくは、皆で一つの物語を創りたいと言う想いと、話を、このディヴを面白くしたい。と言う気持ちでしょう。自分が目立ちたいだけで、派手なプレイングをかけているのでは、決してないのです。

また、誰が言い始めたか知りませんが「マスター介入はすべきではない」と言う格言めいた言葉があります。おそらくは、テーブルトークからの流入でしょう。しかし、これほど無意味な言葉もありません。

そもそも、プレイングから文章なり、原作なりを創っているのです。その時点で、すでにマスターの意志が流入しており、マスター介入を本当に禁止するのなら、プレイングをつなぎ合わせていく作業になってしまうはずです。マスターが、キャラクターの心情を描写することさえ、許されません。

マスターとのギャップを埋めるか、楽しむかは、人それぞれですので言及しませんが、私は楽しむ方が良いと判断します。そうでなければ、自分の思い通りの文章が帰ってきても、楽しくないでしょう?。なんのためのプレイングです?。なんのためのMSです?。自分が書いたモノがそのまま登場するのが楽しいのなら、同人小説でも書けばいいじゃないですか?。

予想を良い意味で裏切られ、自分の予想を遙かに超えた展開に進化するのが、楽しみの一つなのではないでしょうか。それがあるからこそ、読み物として成立するのです。

こういった考えは、もはや、時代の徒花なのでしょう。こうした、この時代のことを知る人も少なくなりました。
知っている人からは、賛同と同意を持って迎え入れられたのですが…おそらくこれが、世代の差。なのでしょう。
時代の流れに、付いていけなくなっただけかもしれません。

ちなみに、MT5が大きな境だったようです。かろうじてMT7にも、あの一体感を感じ取れた方もいるようですが。
MT9以降、MTの荒れ方は酷い物がありました。

道ばたに平気で座る女子を見て「世が荒れている」と嘆く老人のようなのでしょうね、今の私は。
少なくとも、今のMTが、多くの人に受け入れられている以上、異端は私の方なのですから。それは自覚しています。

むろん、これらは私個人の楽しみ方であり、賛同を求めたりもしません。
ただ、こういうのを楽しみで、参加している人間もいるのです。心に留めておいて下さい。
他人の幸せを奪ってまで、自分が幸せになる権利は、誰にもないと。

そして、知らずに現状を幸せだと思っているのなら、伝えねばなりません。
知った上で、現状を良しとするならば、仕方ありません。それこそ、私に貴方の楽しみを奪う権利はないのですから。


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