MT2退魔戦記


気が付くと、MT2に参加経験のある人間は、ごく少なくなっており、ベテランプレイヤーと言うより、伝説に近い存在になってきたようです。私の場合は、悪名高き伝説ですが。

この時期は、PBM会社の乱立期でもあり、また会社側も試行錯誤の状態でした。
平気で一ヶ月遅れたり、最終回が半年以上経って届いたりという、ひどい有様でした。

今でこそ、期日にきっちり届くというのは、基本ラインになっていますが、この時期に、それを頑なに守っていてのは不動館(現テラネッツ)だけでした。遅刻多発によるマスターの解任、解雇や、それに伴うディヴの統廃合の混乱など、色々ありましたが、思い返しても、一番楽しい時期でした。

まぁ、初めては、何事においても素晴らしく感じるものだ。と言われたら、返す言葉もありませんけど。

その上、初めての相手が、素晴らしいテクニシャンだったので、骨抜きになるのも無理ないでしょう。知る人ぞ知る、伝説のマスター乳原象師(このころは漢字で表記)だったのです。

しかも、この当時、ディヴの選択権は、プレイヤーになく、アンケートによると言う建前の、ランダム振り分けが当然でした。まさに運命の出会い。

乳原師のドコが素晴らしいかというと、全てにおいて、私の予測を大きく裏切ってくれるのです。
毎回読む度に「そーくるとはッ」「予想外ッ」と叫んでましたよ。
強引な展開や、無理矢理な進行ではなく、ごく自然なストーリーの流れに見せ、さも当初から決まっていたかのように感じさせるのです。そして、自然とプレイヤー同士の対決にもっていきます。

対立ではなく、対決です。
非常に巧に、それぞれの個別文章に情報を隠匿し、交流を促すのです。
当時は、大ディヴの下に小ディヴがあり、ゲームブックの選択肢の様に、大まかなシーン分けが設定されていました。

このNPCに絡む人、文献を調べる、聞き込みする。等々です。それは賛否両論でしょうが、個別を収集するときに、捜しやすいと言うメリットがあることも確かなのです。今は、情報収集しにくいったら…

そのためか、当時の私は、個別集や交流誌を企画していたわけではないのに、15人と交流してました。自分でも、凄いと思う。

まぁ、当時は文章ディヴでも100人を越えることは珍しくなく、200人ディヴとかざらにありました。今(MT12)では、人気コミックマスターのいるところで、かろうじて。と言うところでしょうか。

そんな中で、初参加にも関わらず、全十二回の半数程度に、共通に登場出来たことは御の字といえるでしょうか。
ちなみに、名前だけ登場じゃないよ。ちゃんとセリフ。しかも私がプレイングで書いたセリフをしゃべってます。
思えば、このときに要所で「臭いセリフを決める」と言うスタイルが確立したのかもしれません。

そういえば、最近では共通に全員登場させる。と言うのを命題にしているマスターがいますが、
私は間違いだと思います。競争原理を排除しては、人間は成長しません。

なかなか登場できない。だからこそ、共通に登場できると嬉しいのではないでしょうか。
だからこそ、共通に登場しようと、努力するのではないでしょうか。

彼奴ばかり出て、なんで俺は認められないんだ。と他人の足を引っ張るヒマがあるなら、自分を磨きなさい。現在の教育制度の崩壊があるように、現在のプレイヤーの質の悪さも、そうした競争原理の排除にあるのでは無いでしょうか。



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