個別システムの退化


MT10以降、進化どころか退化、いや、MTそのものを阻害していると言っても良い現状のリプレイシステムについて、苦言を呈します。

現在、主流になっている「共通リプレイ」に参加者全員を登場させる。と言うスタイルですが、これが災いの元凶です。エキストラ同然で、リプレイに顔を出しているだけだったり、そんな登場シーンで嬉しいですか。と私は問いたい。

そもそも、共通リプレイに登場すると言うことは、成績優秀者へのご褒美だったはずです。

つまり、毎月のプレイング(アクション)は、模擬テストであり、それに対する結果発表が、リプレイ(リアクション)だったのでは無いでしょうか。登場できなかった人のフォローとして個別が存在し、赤ペン先生のコメントのごとく、「マスターより」が個別に記載されていたのではないでしょうか。それによって、自分の至らなかったところ、長所と短所を知り、次回のプレイングへ活かすべきです。

私は、共通での登場キャラクターを限定し、その分、ストーリーをきっちり描いて欲しいと思います。また、そうでなければ次回のプレイングの手掛かりが、まったく得られない。と言う結果を招くのです。

現在(MT12)の共通、特にコミックディヴの共通リプレイは、情報誌に載るダイジェストと同等の情報価値しかありません。個別にも、次へつながる指標と思われるところへ食いついたら、次の個別で拒絶される始末。一話限りの一発芸を望んでいるのでしょうか…これは、龍河MSと緑MSだけかも知れませんが。

人を成長させるのは競争です。人を堕落させるのは課程を見ることなく結果のみで評価するシステムです。
どんなことをしても、共通に載ればいい。結果さえ残せばいい。そんな風潮が蔓延したからこそ、今の情勢があるのではないでしょうか。「あいつに負けたくない」と言う競争心が自分を磨き、高め「あいつと同じレベルになりたい」と言う思いが、個人だけでなく、全体をより高いレベルへと導くのです。

結果だけを評価するから「あいつの足を引っ張ってやれ」と言う、誤った方向への努力を推奨する結果になるのです。その行為はやがて、全体のレベルを引き下げ、崩壊をもたらすのです。帳簿のごまかし、裏金流用、社会情勢の乱れも、結果だけを評価した結果です。文部科学省も早く気がついて欲しいものです。正しく評価のできる者が、正しい教育者となるのです。

努力をせずに成し遂げたモノより、努力したけどダメだった子を褒め称えるべきなのです。少なくとも、その努力を認め、見てあげなければ教育者とは言えません。教師を評価する教育委員会、ひいては文部科学省が正しい評価者にならねばなりません。

って、教育論になってますね…ともあれ、安易に他者を害することで、結果を残そうとするモノになんらペナルティーを与えることなく、のうのうと過ごさせる現状を、テラネッツはどう思っているのでしょうか?。

犯罪者でも、金を持っているモノが尊敬される世界と同じく、何人をも踏みにじり、屍の山に君臨しようとも、共通に載ったモノが尊敬されるのですか?。


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