究明と解決の違い

物語をつまらなくするコツは、全てを語ってしまうことです。
−ヴォルテール


物語には、起承転結がある。と言うのは、よく言われます。しかし、起で提起された事件が、解決されないとしたら、それは物語として成り立っているのでしょうか?。逆に、起で提起された問題だけを解決したならば、物語として成り立つのでしょうか?。

私は、ゲームレビューの中でよく「不条理エンド」や「理不尽エンド」と言う言い方をします。それについての私なりの考えを述べるとともに、ホラー系シナリオでよく言われる「謎は謎のままで良い」と言うのを拡大解釈しない為に、何事か述べたいと思います。


◆謎は謎のままが美しい。
これは真実だと思います。ヴォルテールも言っているように、全てを語ってしまえば、それはとてもつまらないモノになってしまうでしょう。しかし、最低限、解明すべき謎をも放置したならば、それは、しこりを残すに違いありません。拭いきれない違和感は、虚脱感となるでしょう。

例えば、密室殺人があったとします。動機も犯人も究明されました。しかし、密室トリックが解明されないとしたら、それは物語として、成り立っているのでしょうか?。

私は、犯人の動機は究明される必要はないと思いますが、トリックは解決しなければならないと思っています。犯人の口から、動機を告げられると安っぽくなってしまう気がします。探偵側が動機を推理するモノの、真相(犯人の本当の気持ち)は分からない。方が、話に深みがあると思います。

解くべき謎と、解かなくても良い謎、これを見誤らないで欲しいと思います。確かに、全てを語ってしまうと、安っぽくなってしまうので、究明しなければならない事と、解決でとどめても良い事を見極める必要があるかと。

私の中では、究明は、揺るがない証拠と確定した自白によって、他の解釈を許さないほどに確定した答えと思ってます。解決とした場合には、たぶん、それで間違いないけれど、もしかしたら他の可能性も捨てきれない。確定は出来ないけど、納得できる答え。ぐらいかと。

つまり、解決とした場合、若干のグレーゾーンがあり、そこにユーザーや読者の独自解釈の隙間が出来る。それが、物語の深み。になるのだと私は考えています。まぁ、このグレーゾーンに対して、究明レベルの答えを求めるユーザーが多数いるのも事実ですが(ガンパレ争乱)。

◆ブラッドベリがやってくる
私が不条理エンドと呼ぶモノに対して、レイ・ブラッドベリの「しぬときはひとりぼっち」を読んで、思い当たったことがあります。

幻想文学には、論理性はさして必要ないのではないかと。また、理屈無しで発生した事態だからこそ、怖いのでないかという事です。

クトゥルフで言うならば、ニャルラトホテプが、一人の男を破滅させるのに理由はいらないって感じで。その理由の無さ、理屈のなさが、また恐怖の対象なのかなぁとか考えたり。

昨今の若者というか、若年層の猟奇犯罪に、警察やコメンテーターが、執拗に理由や動機の解明にこだわるのも、そうした、理屈や理由の無い行為が、怖いからなのだろうか?。私には、彼らを理解するのに「やりたいからやった」と言うので十分なのですが。

十月の国からやってきて、十月の国に帰る。理由はそれだけで、ええんかなと。「みずうみ」と同じで、ただ向かうから来て、一緒に向こうへ還る。それだけの話。それ以上でも、それ以下でもない。

不条理エンド(と私は呼んでいる)ものも、ブラッドベリ的な幻想物語として認識すれば、理解できるなーと。

けど、叙情譚としては成立するけどゲームとしてはどうなんだろ?。動機や理由が解明されないと、探偵小説やゲームとしては成り立たないと思う。不条理コメディの様な作品の場合、ストーリーは添え物で、キャラクターで押し切る形となる(古くは、天才バカボン、マカロニほうれん荘、優&魅衣、最近では、ボーボボ等)。

こうした形に持ち込むのならば、何も言わないが、ストーリープロットや物語の根幹に潜む謎を解くことで、物語を進めているのに、こうした不条理ネタに持ち込むのは、私は納得がいかないのです。

ゾンビが人を襲う理由を語る必要はありません(「だって奴らは、ゾンビなんだぜ?」)
けれど、なぜ突然ゾンビが街にあふれているかを解明しなかったならば、それは物語として成立しているでしょうか?。

但し、成立させる方法もあります。ヒッチコックの「鳥」や、ビンチェンゾ・ナタリの「キューブ」などを見れば、納得していただけれるでしょう。言わせて貰えれば、これらの作品は、解くべき謎が「人間心理」で、解かなくても良い謎が「世界設定」になっただけなのです。

そしてそれはつまり、キャラクター描写を丹念にすると言う、キャラクター性に頼ったとも言い変える事も出来ます。

◆お化け屋敷ストーリー
お化け屋敷にも、一応のバックストーリーが設定されています(と思ってます)が、それを認識した上で、お化け屋敷に入る人は少ないでしょう。廃病院や廃校に、どうして幽霊や怪物がでるのか、気にとめてお化け屋敷に入る人はいないと思います。ただ、そこにある仕掛け(ギミック)や、雰囲気を楽しめれば、それで満足なはずです。

ファンタジーRPGライドと言うアトラクションがあったとします。悪い魔法使いにさらわれた姫を助けるために、剣型の光線銃で敵を倒しながら進む。そんなアトラクションで、なぜ魔法使いが姫を連れ去ったのか、気にする人はいないでしょう。わーきゃー言いながら、楽しめれば問題ないはずです。

昨今の映画、ゲームは、このお化け屋敷や、アトラクションになっていると思います。ストーリーなんてあって無きがごとし。

登場人物のキャラクター性(有名な原画師ないし漫画家が描いた/人気のあるアイドル、俳優がやっている)、萌え度、その場のリアクション、SFX、CGムービー、斬新なゲームシステム。そうした、お化け屋敷で言う仕掛け(ギミック)にのみ、固執。

格闘ゲーム、いわゆる格ゲーもそうですね。各キャラクターにストーリーは存在しているモノの、それを重視する人はいません。

ゲームや映画が終われば、あのキャラに萌えた、あのSFXはすごかった、あのCGムービーはすごかった。ストーリーシーンを回想するのでなく、CG/SFX技術や、キャラ造形に思いを馳せる。

それが悪いことなのか。と聞かれたら、私には答えられません。ですが、良いことでない。とは断言できます。少なくとも、シナリオライターにとっては。ギミックやキャラでなく、ストーリーで感嘆させたいから、シナリオライターになったのでは…

市場(受け手)にも、そうした土壌が無くなりつつあるというのも、問題ですが。ストーリーが良く出来ているモノよりも、有名原画師が書いているとか、ムービーだけがスゴイ方が売れるという風潮が定着すると、中身のないお化け屋敷ストーリーになってしまうと危惧しております。


まぁ、私は、こんなご大層な事を考えて、シナリオを作ろうとするから、失敗するのかも知れませんが。


ここで終わってたら、ただの創作表現に関する考察で終わってしまいますね。

上記のお化け屋敷ストーリーですが、TRPGのシナリオで考えますと、いわゆる戦闘シナリオと呼ばれるモノに当たります。お化け屋敷の仕掛けや、お化け役が、TRPGでは、戦闘になるわけですね。

ただし、戦闘システムが煩雑なタイプでは、逆効果になってしまいます。サクサクと処理できるD&Dや、ソードワールドぐらいでしょうかね。厳密に戦闘シナリオが作れるのは。ルーンクエストで、戦闘シナリオをやったら、たぶん、マスターもプレイヤーもダウンするでしょう。

某DQのシナリオ(と言うより、ストーリーギミック?)で有名になったほりいゆうじさんが、DQ1を作った頃、雑誌のコラムでこう書かれていました。『AVGは行き詰まると、ずっとそのまま止まってしまうが、RPGはとりあえず、レベルを稼ごうと言う逃避が出来る』。ちとうろ覚えなのですが。

このことから、日本のRPGを最初に歪めてしまったのは、ほりい氏だと思ってます。ただのアクションゲームなのに、戦闘して経験値貯めてレベルアップするから、RPGと呼ぶ。そんな時代もありましたなぁ。私としては、キャラクターを演じると言う点では、AVGの方が、RPGぽいと思うのですけどね。

話がそれました。私が、常々、戦闘が出来るTRPGは楽だ。と言うが、ご理解いただけたのではないかと思う次第です。とりあえず、ノーメイクでも、暗がりから人が飛び出してくれば、わーきゃー騒げるお化け屋敷のごとく、戦闘が始まれば、何となく盛り上がるモノなのです。

プロの作、特に映画、ゲームでやられると、お化け屋敷ストーリーは困ったものですが、TRPGのシナリオを素人の私たちが作る場合には、なんの問題もありません。と言うよりも、仲間内でやるのですから、場当たり的に楽しければ、問題ないと思います。

よーするに、プレイヤー同士やマスターとの会話で盛り上がるというのは、キャラクターで押し切るタイプのストーリーなのです。シナリオは添え物で、プレイヤー同士での盛り上がり重視でも問題なし。

ぶっちゃけ、ストーリー骨子は、ラスボスを倒し、とらわれの姫を助けて大団円で良いのです。流石に姫では、手垢で真っ黒ですので、助ける対象が様々になってきてますけども、骨子は変わってませんので。助ける対象が、人でなくて、金塊であっても良いですし、助けに行くのではなく、護衛すると言うのでも良いでしょう。

お化け屋敷でも、お化け役の人が、ここぞとポイントを決めて出てくるように、戦闘も起こすポイントを決めておいた方が良いと思われます。


さて、以上は戦闘が行えるシステムでの話。新世黙示録でも、メガテンでも、ソードワールドでもOKです。ただし、クトゥルフとなると話は別。戦闘は行えません。まぁ、やっても良いですが、マシンガンやらショットガンでも、せいぜい下級の奉仕種族、ディープワンや、ビヤーキーと接戦が出来る程度でしょう。

また、そう言うシナリオがしたいなら、新世黙示録やchillにでも、クトゥルフ神話の生物をコンバートすればよろしい。特に新世黙示録には、クトゥルフ神話も組み込まれているので、推奨。

クトゥルフの呼び声で、真っ当にシナリオメイクするとすれば、ストーリープロットを巧みにして、プロットで読ませるタイプのストーリーに仕上げる必要があります。

上記で上げたとおり、一応の類型であるコンシューマーRPGやAVGでも、プロットで読ませるタイプは、絶滅危惧種になっていますので、制作は、非常に困難を極めるでしょう。多少シナリオが崩壊していても、戦闘の盛り上がりで誤魔化すことも出来ません。

ちいさな、プロットの組立ミスや設定ミスで、シナリオが崩壊することも、ざらです。私はよくやります。

小説や映画ならば、作者(ゲームマスター)の言うとおりに、全ての登場人物は、動いてくれますし、スキルチェックの失敗も成功も自在です。TRPGはそうはいきません。絶対に成功して欲しい判定だから、ボーナス与えても失敗するし、成功して欲しくないから、ペナルティ与えても、成功させたりします。

まぁ、それが面白いのですけどね。固定化した物語をしたいなら、映画小説ゲームをすれば良いわけだし。

いくらプロットで魅せなくてはならない。と言っても、プロットを固定化してしまうと、マスターもプレイヤーも対応できなくなります。ダイスと言う乱数発生器が、盛り上げてくれるのですが、難易度も上げてくれるわけです。

オチも結論もありません。私も、まだまだ試行錯誤しているので。失敗から学んだ、アドバイスしか出来ないのが実情です。参考やヒントになれば幸いです。



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