シナリオは誰のモノ

そして何より君が天才なのは、私に考えを決めさせることだ。
−ニコラス・J・ベネット(沈黙の艦隊/かわぐちかいじ)


あなたがもしプレイヤーとして、ゲームに参加したとき、ゲームマスターが延々と、さながら講談や講釈のように、場面や状況設定だけならともかく、キャラクターの心理まで語り始めたら、あなたはどう思うでしょうか。

ここまで、極端な例は、まずないと思いますが、一つ陥りがちなのは、NPCに肩入れしてしまい、主人公が誰か分からなくなってしまう。と言うことは、ままあります。NPCによる誘導から、主導となってしまう、とも言えるでしょう。

つまり、主人公、物語の中心にいるのは、PCであり、プレイヤーでなければならない。と言うことを、ついつい忘れてしまうものです。

良く陥るのが「強力NPCが、さっくりと親玉を倒してしまう」というシーンでしょうか、PCは「俺たち何しに来たんだろ」と言う気持ちになること請け合いです。これは、NPCに限らず、超強力なマジックアイテムなどが、その真価を発動して、戦闘が強制終了という事でも同じです。

とくに、マジックアイテムの場合は、誰しも一度はやってしまうもので、私も、思い当たる節がいくつもあって、プレイヤーとしても、マスターとしても、良い思い出とは言えないので、これを書きながら、イヤな気分になっています。

例えば「NPCヒロインが、主人公の生命の危機に際して覚醒し、いままで、なまくらだった聖剣の封印を解放。主人公は一刀のもとに、悪意の集合体である魔王を霧散化させる」と言うシーン。

あなたがプレイヤーだったら、さぁ決戦だ。と意気込んだら、イベントで終了。もしくは、聖剣発動するまで、全く攻撃が通用せず、発動後、一発で終了。なシナリオだったら、どう思うでしょう?。私だったら、マスターの一人芝居を見ているようで、複雑な気分になります。

ところが、不思議なことに上記の例のようなシナリオは、コンピューターゲームだとゴロゴロしてるんですよね。今は、世代が変わって、参考にするのは、小説ではなく、コンピューターゲームである可能性がかなり高く、そうしたコンピューターゲームばかりやっていると、このシナリオの何が悪いのか、分からない。と言う事態も予測できます。

観客として、客観視するタイプの表現、映画やアニメ、そして多くのコンピューターゲームならば、問題はないのかも知れません。しかし、テーブルトークというモノは、プレイヤー視点とキャラクター視点が、同一であり、物語の中心にいるのは、PC、つまりプレイヤーである。と言うことを忘れてはならないと思います。

プレイヤーサイドとしては、キャラクターとプレイヤーは別個である。と言うことを忘れてはいけませんが。プレイヤーの知識と、キャラクターの知識に代表されるこの問題は、D&Dの頃から注意されています。まぁ、アメリカの場合は、キャラクターロールに熱が入りすぎて、リアルファイトになることもあるそうですが。ヴァンパイア・ザ・マスカレードの注意書きにも「相手の身体に触れないこと」とかあるし。

話が逸れました。そうした強力なアイテム、便宜上、伝説の剣と呼びますが、それは、大抵、一つしかありません。そして、一つしかない。と言うことは、複数いるプレイヤーから、一人の主人公を選ぶ。と言うことになります。選ばれた一人は嬉しいでしょうが、他の参加者は、脇役が確定と言うことです。あなたが、プレイヤーで、脇役となったら、良い気分がしないでしょう?。

回避方法としては、一話取り上げにすることでしょうか。本日のヒーローというモノは、必ず生まれますので、活躍したご褒美に、そうした役を与えるというのも一つの手です。

繰り返しになりますが、NPCによる誘導は、マスタリングのテクニックと言うよりも、必須事項ですが、NPC主導となってしまってはならない。と言うことに尽きると思います。

たとえ、それしか選択肢が無いとしても、プレイヤーが自らそれを選んだ。と言う事が大切なのです。妙な例えですが、ツアーコンダクターが、笛で集合をかけ時間だから移動。と強制するのと、そろそろ移動しないと、次のが見れなくなりますけど、と言うのでは、印象が違うように、あくまで、プレイヤーの意志でそうした。と思わせることが重要だと思います。

シナリオというモノは、奉仕者であるマスターの数少ない自己主張の場であり、NPCはその代弁者なのですが、誰のために、シナリオを作ったのか。それは、プレイヤーを楽しませるためだったハズです。それを忘れずに。


さて、通例、シナリオ作りは、マスターの数だけ方策があるものです。発端、導入、結末だけを決めて、あとは全てアドリブ。と言う豪快な人もいますが、大抵の人は、一通りの道筋を決めると思います。

それは、小説や通常のシナリオに近い、一本道のシナリオであることが多いでしょう。盛り上がりポイントという演出も、作為の偶然というご都合主義が入っているかも知れません。

戦争、スポーツを問わないのですが、ここで、いったん、敵側の視点でモノを考えると言うことは重要です。また、妙な例ですが、現日本ハムファイターズの新庄選手が、阪神の野村監督時代。オープン戦ながら、投手をやらされました。これは、バッター心理だけから、モノを見るのではなく、投手心理からも、配球を読む。と言う教えだったわけです。

したがって、マスターの視点を捨て、自分がプレイヤーだったら、この状況にどう反応するか。と言うシミュレートをすることが重要となります。プレイヤーの素性が分かっている身内でのプレイならば、より一層、細かい予想がつくでしょう。

私は、その予想で、ミスディレクションを設定したり、想定外の場所を調査しないように仕向ける防御策などを考慮するわけです。今にして思えば、この作業が、私の主観をシナリオから消す作業だったのかも知れません。往々にして「これだと、NPCが出しゃばりすぎだな」とか、気づくのもこの時ですので。



こうしたことを深く考えるのは、やはり、私が「クトゥルフの呼び声」の担当だったことが、かなり影響しているようです。ご存じのように、クトゥルフにおける神話生物というモノは、ほぼ無敵。ディープワンや、ビヤーキークラスならば、なんとか実力行使で撃退できるレベル。

ファンタジーゲームで言うならば、出てくる敵は、全てドラゴン並というところでしょうかね。そうなると、真っ当に退散させるためには、強力NPCか、強力アイテムが必要なのですが、それだと、ゲームとしてはつまらない。と言う事に悩んだ成果でしょう。結果が残せているとは言えない成果ですが。



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